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婚約破棄されたオメガは隣国の王子に求婚される。

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僕とハンスが初めて出会ったのは、僕達がまだ片手で歳を数えられるくらい幼い頃のこと。
両親のお遣いで城を初めて訪れた時、ハンスは僕に声を掛けてくれた。

大国フィルシーア王国の王子であり、アルファのハンス。
城の一使用人の息子であり、オメガの僕。

身分の差の大きさから、会える回数はさほど多くはなかった。
けれど、お互いに一緒にいるのが心地よくて、会う度に僕たちは仲を深めていった。

裕福ではなく、オメガという障壁はあったけれど、一般家庭としては平均的な暮らしを営み、穏やかな日々を過ごしていた。
しかし、不慮の事故で母も父も同時に亡くした途端、僕の生活は一変する。
両親という保護を失い、孤児となったオメガの僕は、世間から非難され、見下される存在となった。
時には、性的欲求をむき出しに、近寄ってくる大人の男も幾人かいた。
ただの子供の僕は、逃げて、隠れて、耐えて、息を殺すようにひっそりと生きていくしかなかった。
そんな僕の状況をどこからか聞きつけたハンスは、僕を見つけるなり、手を差し伸べた。

『トーリ、お前のことはオレがずっと守る。だから僕と一緒にいよう』

その言葉の心強さと温かさに、じんわりと視界がぼやけるのを感じながら、その手に自分の手を重ねる。
その日から僕はハンスの側仕えとなった。

ハンスは言葉通りに、地位を使い、幼いながらに習得済みだった基礎魔法を使い、僕を必死に守ってくれた。
嬉しかった。
そして同時に、ハンスに守ってもらうだけの存在ではいたくないと思った。
オメガというハンデは小さいものではなかったけれど、ハンスの隣を歩けるように、その日から努力を積み重ねた。
勉学や実践魔法は勿論、お菓子好きのハンスが喜んでくれたらと、料理やその他家事スキルの習得にも努めた。

お互い15歳となり、教養も知識も実力も身につけ、一人の大人として簡単な仕事を任せられるようになった頃、ハンスが緊張した面持ちで僕に問いかけた。

『トーリ、オレの婚約者になってくれないか』

あの時と同じように差し出された手は、それでもがむしゃらだったあの時とは違い、少し震えて、汗ばんでいた。
それに愛しさを感じている僕の答えなんて、とうに決まっている。

あの日と同じように、そっとその手に自分の手を重ねる。
返された肯定に応えるように、ハンスの手は僕の手を優しく掴み、その甲にキスをした。

ーーオメガの男が大国の王子の婚約者となる。
前例などある訳がなく、王室も国民も簡単に許すはずがない。
その話を初めて持ち出した時は、当然祝福はなく、僕達への非難は少なくなかった。
けれど、僕とハンスは説得を繰り返し、最終的に粘り勝ちした僕達は、国民への公表を一旦控えることを条件に、婚約は認めてもらえることとなった。
多分、僕の人生の中で一番幸せだった時は、この時だったと思う。
今ではもう、あの時の幸せの跡形は消え失せてしまっているから。





「もうオレの部屋に来るのはやめてくれないか」

底冷えするような声音と、嫌悪の滲む眼差しが突き刺さる。
僕に見せていた温かな声と、優しく緩められた瞳は、すでにもう過去のこと。

「…分かった」

何故と問いたい気持ちを押し込める。
鬱陶しがられたくないからでも、嫌悪に歪んだ顔を向けられていたくないからでもない。
その言葉の理由を、僕はもう何となく分かっているからだ。

部屋の扉を閉める途中、部屋にハンス以外の人がいることに気付く。
その人は、自国の中でも賢く美しいと評判で、今までも何度かハンスと二人でいるところを見かけたことのある公爵令嬢だった。

その事に少なからずショックを受けた僕は、自分の部屋に戻る気にはなれず、通い慣れた場所である図書室に向かって廊下を歩く。

ここは、住み慣れたフィルシーア王国の城ではない。
王立フェートプリフェス学園。
東の大国ディスグレース王国と、僕とハンスが生まれ育った西の大国フィルシーア王国のちょうど国境に位置する。
2年前、二国が友好同盟条約を結んだ際に、その友好の証として設立された全寮制の高等魔法学校である。
二大国とその周辺諸国の貴族、もしくは各国の王室から推薦を受けた実践魔法に優れた者のみが入学を許されるため、基本的にこの学園にはアルファと優秀なベータしかいない。
一般市民でありオメガの僕が、何故この学園に通えているのかと言えば、婚約を認められた頃、王室の中でも懇意にしてくれた方々から、ハンスと一緒にこの学園に通ってみないかと提案を受けたからである。

ーーハンスと同級生として、同じ学校に通う。
同じ制服を身に纏い、一緒に勉学や魔法の習得に励むのは楽しそうだし、何より今まで通り一緒にいられる時間を作れるのは嬉しい。
僕は迷うことなく快諾した。
あの頃の僕は、まさか僕らの関係が、こんなにも冷えたものになるとは思いもよらなかったから。

放課後の学生は、部活に勤しむか、自分の寮部屋で友達と遊ぶかの二択を選ぶ者が多く、廊下を歩く者はほとんどいない。
そのせいもあってか、廊下の隅で輪を作り、声を弾ませてお喋りに興じる女子生徒達の話は、僕の耳にすんなりと入ってきた。

「リチャード様、今回の試験も、筆記、実践ともにトップだったね!」
「勉強も出来て、魔法師としても優秀で、それでいてかっこいいなんて、素敵すぎて少しずるいわよね」
「もしもリチャード様の恋人になれたら……って、私達じゃ身分違いすぎるかしら…」
「でも、リチャード様って私達一般貴族にも気さくに話しかけてくれるし、可能性はゼロじゃないはずよ」

少し頬を染めて、女子生徒達は談義に花を咲かせている。
その話題の中心人物は、僕もよく知っていた。

リチャード・エーデルシュタイン。
クラスは違うが、僕と同じ二年生。
ディスグレース王国の第一王子にして、この学園のあらゆる試験において、常にトップの成績を修めている。
学生からも教師からも一目置かれており、この学園で彼を知らない者はいない。
遠目に見かけたことはあるけれど、確かに女の子達が思わず嬉々として噂にしてしまうような美しさは、遠くからでも見てとれた。

思わず彼女たちに視線を遣ると、その内の何人かと目が合う。
逸らした方がいいのかと逡巡していると、あちらから視線を外された。
かと思えば、チラチラと視線を送られ、その視線の意図を図りかねた僕は首を傾げる。
男子からじろじろと見られるのは、女子からするとやはり気分の良いものではないのかもしれない、と僕は足早にその場を後にした。

目的もなく図書室にたどり着いた僕は、何の本を読もうかと思案する。
しかし特別何も思いつかず、普段利用することのない奥の本棚を眺めてみるかと、図書室の突き当たりを目指すことにした。
誰もいない静かな空間で、一人ぼんやりと何も考えない時間を作りたかったのかもしれない。
この学園の図書室は、大国二国が貴族のために設立した学園の図書室なだけあって、小国の国立図書館に劣らない広さがある。
マニアックな学術書ばかり並ぶ奥の棚には、誰もいない確信があった。
しかし、その僕の確信はどうやら外れだったらしい。

透き通るようなブロンドの髪に、宝石のように澄んだ瑠璃色の瞳。
彼を縁取る窓から溢れた陽の光も、こちらを振り向く一つ一つの所作も、絵画のように美しく、目が離せなくなる。
つい先程、女子達がうっとりとした声で話題に上げていた彼が、そこにいた。

「君は…」

じっと見つめられ、どうしていいか分からず、取り敢えず挨拶をする。
すると、女子生徒の注目の的は、目と口元を緩ませて、綺麗な笑みを浮かべながら挨拶を返してくれた。

「Bクラスのトーリ・ラピス…君だよね」
「僕のこと、知ってるんですか?」
「知ってるよ。だって君のこと、よく耳にするから」

その反応に、僕がハンスの婚約者であることは、意外と広く知られていることを知る。
国民には公表はしていないが、一部の貴族には僕とハンスの婚約は伝えている。
それは、ハンスの婚約者に相応しい令嬢のいる貴族に対して、婚約の打診を待っていてもらうためである。
とはいえ、人の口に戸が建てられるわけでもなく、また特別内密にしてほしいとお願いしたわけでもないため、僕とハンスの関係は、フィルシーア王国から来た貴族たちの間では周知の事実となっているようだった。
けれど、ディスグレース王国と比べて魔法に関して発展途上のフィルシーア王国出身者のこの学園の在籍率は、2割行かない程度である。
だからまさか、ディスグレース王国の王子の耳までその話が届いているは思わなかった。

「ハンス…様とのこと、リチャード様は知ってるんですね」
「知ってるけど、…それより、その"様"って言うのと、敬語止めてほしいな。僕達同学年でしょ」

にっこりとそれはそれは綺麗な王子様スマイルで、ね?と少し首を傾けられる。
なるほど、あの女子生徒たちが言っていた”気さくに話しかけてくれる”というのは、どうやら本当らしい。
けれど、この学園では珍しく何の爵位も持たない僕が、それは恐れ多すぎるのではと躊躇いが生まれる。
しかし、そんな僕の胸の内を見通すかのように、いいよね?と言いたげに見つめられれば、後は折れるしかない。

「リチャード王子」
「リチャード」
「…リチャード」

うん、と嬉しそうに頷くリチャード王子を見て、いろんな意味で脱力する。
初めて話したけれど、自国の貴族とは違って距離の詰め方が上手いというか、早いというか。
お国柄なのか、それともリチャード王子だからなのか、自分一人では答えの出てこないだろう問いに考えを巡らす。
終結することのない熟考は、頬を撫でる細く長い綺麗な指先によって、唐突に終わりを迎えた。

「疲れた顔してる。困りごと?」

凪いだ海のような瞳に捉えられ、口を動かすことも出来ず、石像になったかのように固まる。
困りごとと言われて思い浮かぶのは、ここに来る前のハンスの冷めきった表情だった。
僕を見つめるリチャード王子の目の方が、ハンスのそれより幾分も優しい。
それに気付いた時には、認めたくなかったものがストンと胸に落ちるのを感じた。

「困りごとなんてないですよ」

目を細めて、口角を上げて。
笑顔を作るように努めたけれど、本当に笑えていたのかは分からない。
それを知るのは目の前のリチャード王子だけだったけれど、その答えを知りたくなかった僕は、軽くお辞儀をしてそそくさとその場を去る。

困りごとなんてない。
だって、それはきっと、もうすぐ、"困りごと"ですらなくなるのだから。




リチャード王子と会った日から数日後、その日は唐突に訪れた。

「トーリ、お前との婚約を破棄する」

どうして、なんで、と沸き上がった疑問は、その言葉に対してではない。
大広間という学園の中でも一番人の往来の多い場所で、特に人の多い放課後のこの時間帯に、人々の注目を集めるかのような大きな声でその言葉を発したからだ。

目の前には、前述の言葉を高らかに宣言したハンスと、その隣にハンスの部屋でも見かけた公爵令嬢。
周囲の人々は、不穏な言葉に好奇心半分といった様子で、こちらを取り囲むように注目している。
フィルシーア王国の学生率は2割弱。
多く見積もったって、僕達の関係を知るのは3割と言ったところだろう。
つまり、大半の人達は僕達のことなんて知らないのだ。
ならば、何故こんな公衆の面前でわざわざ趣味の悪いパフォーマンスをする必要があるのだろう。

そんな疑問と人々の視線を感じて閉口していると、僕が婚約破棄に納得していないと捉えたのか、ハンスは破棄する理由をつらつらと並べた。

「トーリを婚約者にする時、オレは一生懸命説得に努めた。けれどお前はオレの後ろで、その説得をただ見守るだけ。全く好意を感じられなかった」

それは、王室の面々に何の階級も持たない市民の僕が、説得の言葉を口にするのは恐れ多いと思ったから。

「オメガであるお前は、アルファのような才能もなく地頭もよくない。50位まで張り出される試験の順位表にもお前の名前が出たことはない。順位表に名前の載ることもあるオレとお前じゃ、能力に差がありすぎる。加えて、オメガだから運動神経も悪く、兵士として国の防衛に努めるのも難しい」

確かに、アルファのように生まれ持った才能は持っていなかったけれど、それでも少しでもハンスに劣らないように努力はしてきたつもりだ。

「対外的にも、王の隣に立つのは、美しいアルファの女性の方が見栄えがいい。オメガの男を伴侶としていることを、他国から奇異な目で見られることもない」

それについては何の否定もしないけれど、僕がオメガであることを知った上で、僕を婚約者に選んでくれたんじゃなかったのか。

一つ一つの理由に、心の中で反論を唱える。
目前のハンスの様子を見る限り、おそらく言葉にしたところで聞き入れてはくれないだろうから、ただじっと続く言葉を待った。
酷い罵詈雑言の数々に、湧いてくるのは怒りよりも驚きだった。
僕が幼い頃から見てきたハンスは、こんな風に悪びれる様子もなく、人に暴言をく人だっただろうか。

「お前がこの学園に入学できたのは、オレの婚約者という後ろ盾があったから。お前は気付いていないかもしれないけど、この学園でお前のことを知らない人はいない。なんでだと思う?」

ハンスの言葉に、ふと数日前、女子生徒達が僕を伺うような視線を送っていた事を思い出す。
あれは不躾に見つめてしまった僕を咎めるためかと思っていたけれど、もしかしたら思い違いをしていたのではないだろうか。
そうなると、その後会ったリチャード王子の言葉、『君のこと、よく耳にするから』というのは、てっきりハンスの婚約者としてと解釈していたが、それもまた誤っているのかもしれない。
けれど、いくら考えても自分がハンスの婚約者ということ以外に目立つ理由が分からなかった。

今のハンスから、好意的な理由を告げられるとは思えなかったけれど、答えを求めるようにじっとハンスを見つめる。
そんな僕に、ハンスは可哀想な存在を見るかのように眉を寄せ、残酷な回答を口にする。

「優秀な学生ばかりの中で、何の能力も持たないオメガは目立つからだよ」

何となく今までの話の流れで分かっていたとはいえ、動揺は大きかった。
こんなにオメガの自分を否定されたのは、両親を亡くしてハンスが助けに来るまで、一人で耐えていた頃以来だ。
ハンスが遮ってくれた罵倒が今この時返ってきたと思えば、この仕打ちも仕方ないと諦めるべきなのだろうか。

「一般人でオメガの婚約者がいるせいで、同じ大国なのに、この学園で評価されるのは、ディスグレース王国の王子ばかり。オレはいつまで経っても認められない」

「けど」と、ハンスは隣の彼女の肩を大切そうに抱く。

「彼女はアルファで、美しく賢い。だから、オレはお前との婚約を破棄して、彼女と婚約することを決めた」

その言葉に、ようやく得心がいった。
何故ハンスが、人通りが最高潮となるこの場所、この時間帯を、僕に別れを告げるシチュエーションに選んだのか。

名声や称賛がリチャード王子ばかりに集まる原因は自分ではない事、そして、その悪因たる僕との関係を無くし、優秀な彼女と婚約を結ぶ事を周知させることで、自分の威信を回復させようとしているのだろう。

何となく理由を把握することはできたけど、それでもやっぱり理解できない。
こんな方法で、リチャード王子に引けを取らない評判を、果たして手に入れることが出来るのか。

もし僕が、今僕達を遠巻きに眺める一人だったとして、自分を守るため一人を悪役に陥れようとするハンスの姿を、讃えたいとは到底思えない。
けど、どうしてもその考えに自信を持つことが出来ないのは、無視することの出来ない大きな一つの要因があるからだ。
それは、僕がオメガであるということ。
オメガとして虐げられた日々は、記憶の奥底で鮮明に刻まれ、トラウマとなっている。
ハンスが声高に告げたことで知れ渡ってしまった僕がオメガという事実を、周りの人々がどう受け取るのか判断がつかない。
もしかしたら、幼い僕を罵った嫌悪に満ちた視線を、幼い僕の体を求めた下卑た視線を、今すでに向けている人がいるかもしれない。
その思考に辿り着いた途端、急に周りの目が怖くなり、思わず俯いてしまう。
どうすればいいのか分からず、ただ床を眺めることしかできない。

その時、縮こまり震え始める肩を、温かな体温がそっと包んだ。

「それなら、トーリは僕が貰い受けてもいいんだね?」

数日前、図書室の奥で聞いた声が僕のすぐ傍で言葉を紡ぐ。
後ろを振り向けば、そこにはにこりと笑いながら僕の肩を抱くリチャード王子の姿があった。
予想もしなかった登場に、驚いて目を見開く。

「リチャード王子がトーリを?もしかして、トーリを揶揄うおつもりで?」

ニヤニヤとリチャード王子に嘲笑を向けるハンスだったが、リチャード王子はただ呆れたように溜息をつくだけだった。

「可哀想に。君は何も知らないんだね」
「は?」
「トーリが君の婚約者として認められたのは、君が頑張ったからじゃない。トーリの豊富な知識と高い魔法能力に助けられ、真摯に認める者達が王室の中にいたからだ」

告げられた言葉に、ハンスは訝しげに眉を顰める。

「隣国の王子殿よりオレの方が自国のことはよく分かっている。勝手な事を言うな」
「勝手なことかどうかは、それこそ自国の者達に聞いてみるといい。彼を認めた半数の王室の者は僕の言う事の正しさを証明してくれるはずだよ」

言い終わりと同時に足音が聞こえて後ろを見ると、リチャード王子の背後に、見覚えのある自国の貴族の令嬢、令息達が、リチャード王子の言葉に合わせて頷いているのが見えた。
ハンスは思いもよらない事態に狼狽した様子を見せる。
反論がないのであればと、リチャード王子は言葉を続ける。

「トーリはね、僕といつも筆記も実技も成績争いしてくれるんだよ」
「トップのお前と成績争い…?何言ってるんだ?だって、トーリの名前が順位表に出たことなんて」
「君に配慮して、トーリの成績が掲示されないこととなっているのは知らなかったんだね。僕は合同授業でしか見たことはないけど、あれだけ優秀なんだ。君はトーリと同じクラスだし、普通はおかしいと気付くと思うんだけど。現に僕はとっくの昔に教師に尋ねて真相を知っていたよ」

初めて知る事実に、ハンスは勿論自分も動揺する。
自分の成績が貼り出されていないことは当然知っていたので、その事にではない。
もしかして自分が思っているよりも、リチャード王子は自分のことを知っているのではないのだろうかと言う事実にだ。

「確かにトーリの運動能力は高くないかもしれないけど、実践魔法が優秀だから何の問題もないし、知識も君より幾分もある。兵士である必要もない。ここまで言えばすでにわかっていると思うけど、この学園にトーリが入れたのは、トーリの優秀さ故だ」

ハンスは隣の公爵令嬢に向かって、「話と違うぞ」と問い詰め始めた。
公爵令嬢はと言えば、そんなハンスに鬱陶しげな視線を遣る。
ハンスは頼りにならないと思ったのか、今まで口を噤んできた令嬢がとうとう言葉を紡いだ。

「対外的な見栄えは、よろしくないと思いますが?」
「そ、そう、だよな!男のトーリより、メアリーの方が綺麗だし!やはり王子の横に立つべきは美人な王女だよな!」

令嬢の言葉に同意するように、ハンスが言葉を重ねる。
さすがにそれに対しての反論を、僕は思い浮かばない。
どう応えるのだろうかとリチャード王子を見遣ると、リチャード王子は本日二度目の溜息をついていた。

「傍にいすぎて、耄碌したんだね。オメガ性は持つものは、他の二種性と比べ、中性的で殊更優れた美貌を持って生まれる。オメガのトーリの容姿がこの学園の中では抜きん出ていることは、この学園の共通認識だと思ってたよ」
「オメガの秀でた美貌を持つ特性は、私でも知っているわ。でも、その美しさは、優秀な遺伝子を持つアルファを誘うための卑しい産物で」
「そうだね。下卑た推論を好む者達は、アルファを誘惑するためだとその美貌を揶揄する。けれど、僕はその推論は全くの的外れだと考えてるよ」

リチャード王子の肩を抱く手にぎゅっと力が入る。
それは、よく聞いての合図だと、すぐに理解出来た。

「彼らが美しいのは、今の君のように、揶揄う下賤な者達にも屈しないと奮励努力する美しさが外面に表れるからだ。トーリがこの学園で有名なのは、オメガの秀でた美しさと、知識や実践魔法の優秀さ、そして何よりオメガという性にも負けずに努力している姿を、尊敬している人達がいるからだよ」

散々な罵声を浴びせられ今にも砕けてしまいそうな心に、その優しく温かい言葉が沁み渡る。
目が潤んでいくのを感じたが、目の前の二人の前で泣くのは避けたいと、奥歯を噛み締めて堪えた。

「ハンス王子、これ以上ここで騒ぐのはお勧めしない。君は、君達を見下す周囲の視線にもうそろそろ気付いた方がいい」

ハンスと公爵令嬢は右、左と見渡し、自分たちに賛同する者がいないことを確認すると、駆け足でその場から去っていった。
二人の姿が見えなくなって、ほっと息をつき肩の力を抜く。

「リチャード王子、ありがとうございました」

隣のリチャード王子にお礼を言うと、不満そうな表情が返ってくる。
何故そんな顔をするのか分からず首を傾けると、王子はムッとした表情のまま不満の理由を口にする。

「敬称も敬語もいらないって僕言ったよね」
「え、でも、やっぱりリチャード王子と僕じゃ身分の差が」
「ハンス王子は敬称も敬語もなかったと思うけど!」

口を尖らせ子供のように駄々をこねる姿は、先程まで僕を庇い弁論してくれた人と同じだとは思えない。
容貌はかっこいい美青年であるはずなのに、可愛いと言う感想が頭に浮かぶ。
何だかそれが可笑しくて、耐えきれず口に手を当てて笑い声を零す。
その時、リチャード王子が笑う僕の姿を見て僅かに目を見開いたことを、笑わないようにと努める僕は、気付くことが出来なかった。

「敬称も敬語もなかったのは、ハンスは僕の婚約者だったからです」
「なら、トーリは今日から僕の婚約者になればいい」

思いもよらない言葉が出てきて、瞠目したままぽかんとしていると、リチャード王子は僕の右手を取りながら、その場で片膝をつく。

「ねぇ、トーリ。僕の婚約者になってくれませんか?」

突然の求婚に、僕はリチャード王子を凝視したまま固まった。
先程までの騒ぎで、大広間は普段よりも人気が多い。
その幾多の視線が再度僕達に集まっているのをひしひしと感じる。

顔に熱が集中するのを感じながら、戸惑いに目を泳がせていると、リチャード王子は小首を傾げてにっこりと微笑む。
その仕草は、先日の図書室でも見た。
もしかして、リチャード王子が色良い返事を求める時の癖なのだろうかと逡巡する。
一国の王子が美しい笑顔を武器に肯定を促せば、ノーを口にするのはなかなか憚られるだろう。
自分の期待する返事を快く引き出す術をよく分かっているなと感心する。
僕だって拒絶できそうにない。
そもそもこの申し出に何の不快感も感じていないのだから、断ると言う選択肢はなかったのだけれど。
でも、お互いのことをまずはよく知ってからという気持ちも強く、ただイエスを返事するのは避け、条件をつける。

「お友達から」

よろしくお願いします、と告げれば、それを合図に大広間に拍手と歓声が広がる。

まさか祝福してくれるとは思っていなかったので、「えっ、え?」と慌てふためいていると、リチャード王子はくすくすと笑い声を上げる。

「教養を正しく持つ者ほど、二種性や身分差なんて気にしないし、トーリのことを尊敬してる人達がいるって言ったでしょ?」

でもまさか返事が友達からとはね、と快諾を待っていたらしいリチャード王子が、じと目で僕を責める。
またもや顔を出した子供っぽい表情に笑って返せば、リチャード王子も釣られて破顔し、お互い顔を見合わせて笑う。

リチャード王子は僕の手の甲に唇を寄せた。

「これからよろしくね、トーリ」

その言葉に、僕は目を細めて応じる。
こうして、僕とリチャードの、結婚までの物語が始まったのだ。
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