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馬車は辛いし、錬金術師院は遠いし、映玉は破裂する。

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 いよいよ錬金術師院に入るために領都へと旅立つ日がやってきた。

 パン屋の開店前に発つことにしたのでまだ空は白み始めたばかりだ。

「パオラさん、エラルドさん、エディッタちゃん、色々とお世話になりました」

 この前学んだように、カーテシーではなく普通のお辞儀をする。もしかしたらカーテシーは貴族だけがやるものかもしれないし、ここの世界の『普通』に埋没するにはよくないと思ったのだ。カーテシーをしなくても、その他諸々のせいで全く埋没できていないということは見て見ぬふりをしておいた。

「いやあ、つくづく嵐みたいな子だったけど、まあ領都でも頑張りなよ。エディッタと一緒に応援してるよ」
「嬢ちゃん、馬車でも道中の宿でも気を付けるんだぞ。下卑た笑いを浮かべて近づいてくるやつはもちろん、そうでないやつにも取りあえず気を許すなよ? 分かってるか?」

 初日の身体で払います発言に一番動揺していたエラルドがひたすら注意事項をまくしたてるので、チェレスティーナはすっかり苦笑いである。自業自得なので黙って甘受しておくが。

「チェレス、錬金術師院で頑張ってね。チェレスが立派な錬金術師になってこの町でお店を開いてくれるの、楽しみにしてる。またいつか、ぜったい、会おう、ね……ひっく」

 気丈にチェレスティーナと握手していたエディッタの涙腺がとうとう堪えきれずに決壊した。ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝い、埃っぽい床に染みを作る。

「ほら、泣かないでよ、エディッタちゃん。私絶対戻ってくるからさ」
「うぅ……」

 嗚咽を漏らしてぎゅっと抱きしめられた。そのぬくもりに笑みを浮かべながらチェレスティーナも手を回す。
 チェレスティーナに負けず劣らず細くて肉のない身体を壊さないように慎重に抱きしめていると、

「大好き、チェレス」

 耳を疑った。
 はっとエディッタの顔を見ると、その頬には朱がさして目は潤んでいる。きゅっと下唇を噛んでいるものの否定する素振りもない。

 本心から言ってくれてるんだ。……あの時はそこまで言ってないって言い張ってたのに。

 数日前の会話を思い出してくすりと思わず笑みをこぼし、チェレスティーナもこう返した。

「私も大好きだよ、エディッタちゃん」


 領都行きの乗合馬車は商業ギルドの近くから出発する。乗り遅れないようにと早めに来ると予想通り一番乗りで、まだ眠そうに欠伸をしている御者に運賃を払って乗り込んだ。

「うわ、かったい」

 流石にふかふかですべすべの乗り心地のいい椅子を期待していたわけではなかったが、板が張ってあるだけの簡素すぎる座席はいささかお尻にくる。これで馬車が走り出したら衝撃も相まってすごいことになりそうだ。途中の休憩でお尻が赤くなっていないか確かめた方がいいかもしれない。

 チェレスティーナが来てからしばらくすると段々乗客が増えてきた。チェレスティーナの隣に座ったのは恰幅のいい中年の女性である。ワンピースの布がぱつぱつに張っているお腹を揺らしながら時折話しかけてくるのだが、どうやらこの女性は領都にメイドをしに行くらしい。

「この町じゃいい働き口が見つからなくてね。うちの息子の出来がいいから学園に入れてやりたいんだよ。そのためには金が必要だから、こうして領都に出稼ぎに行くわけさ」

 エディッタは通っていなかったが、マルファンテ領には学園があるらしい。主に貴族が通う上級学園と裕福な平民が通う下級学園があり、この女性――エルダと名乗った――の息子は下級学園に入れたいのだとか。
 下級学園とは言ってもやはり学のある者しか入れないため、親が商人や貴族付きの下働きでもないのに学園に入れるほど頭がいいと言われるエルダの息子は相当賢いのだと思う。

「お嬢ちゃんはどこに行くんだい?」
「あ、チェレスティーナって言います。私も領都に行って、錬金術師になるために錬金術師院に入るんです」
「チェレスティーナ? 長いねえ、貴族か何かかい?」
「いえ、そんなことはないと思うんですけど……」

 そう言えばエディッタ、パオラ、エラルド、クラリッサ、エルダと比較的名前の短い人にばかり会っている気がする。エルダが言うには、貴族には品格が必要なため名前も長く響きのいいものをつけるらしい。平民でチェレスティーナほど長い名前をつけると貴族への侮辱ととらえられる可能性もあるらしい。

「じゃあチェレスティーナって名乗るのはやめた方がいいんですか?」
「そうした方がいいだろうね。ここの領主はそんな難癖つけてきやしないが、領主と仲の悪い貴族に目をつけられたら大変だ」

 要するに、領主と対立する派閥の格好の餌になっちまうよ、ということのようだ。

「それならチェレスって名乗ることにします。みんな私をそう呼ぶので」
「ああ、それならいい。それにしてもそんな名前を付けられるなんて可哀想だね。親の顔が見てみたいよ」

 結構いい名前だな、と思っていただけに驚いた。エディッタから得た情報ではここの領ではあまり高圧的な貴族はいないということだったが、例外があるなら気を付けなければいけない。店も開かないうちに処刑ですっぱり首を切られるなんてことにはなりたくない。

 そのままエルダと色々なことを話していると馬車が出発し、あまりに揺れるので会話は出来なくなった。

 うっかり喋ろうものなら舌噛みちぎって死んじゃうよ! 誰かもっと乗り心地の良い馬車を開発して!

 そんなことを思いながら休憩時間に赤く腫れたお尻をさすっていると、エルダに貴族用の馬車はもっと乗り心地が良いのだと教えてもらった。貴族用と言われるくらいだから高いのだろうが、チェレスティーナは切実にその馬車に乗りたかった。路銀も大してないのに小金貨払ってもいいから乗りたいと思った。それくらい乗り心地は最悪だったし、馬車の旅が終わるまでお尻の腫れは引かなかった。


 三日間の苦痛にまみれた馬車の旅がやっと終わりを迎え、チェレスティーナはお尻を撫でつけながら馬車を降りた。エルダは馬車に慣れているのか全く痛がることもなく降車し、チェレスティーナを見てけらけらと笑っている。

「災難だったね、チェレス。まあ何度も乗ってりゃ慣れるさ。錬金術師院で頑張るんだよ」
「あ、はい、色々とありがとうございます。エルダさんもメイド頑張ってください」

 去り際にエルダが大きな葉に包まれた果実をくれたので、ありがたく受け取っておいた。と言っても3日前に採ったものなので瑞々しさも何もあったものではなく、なんとなくほのかな甘みを感じるしなしなの橙の粒を齧りながら道を歩いた。

 錬金術師院は領都の中心から微妙に遠い。ということは商業ギルドからも微妙に遠いということである。しかも舗装されていない道は見事に歩きにくい。うっかり転びそうになることもしばしばである。体感20分ほどを経てやっと錬金術師院に着いた時には、チェレスティーナはついさっきまで乗っていた馬車のダメージも相まって疲労困憊であった。

 やっとの思いで門の上の方にあるベルを鳴らすと、程なくして若い女性がこちらに向かって走ってきた。

「お使い?直営店なら向こうの路地に入り口があるわよ。そこの角を曲がって――」
「あ、違います。私錬金術師院に入りに来たんです」

 勘違いされているようなのできっぱりと言うと、女性はにわかに驚いたような表情になった。

「……あなた、洗礼式は終えた? 終えてないと入学は出来ないのよ」
「あの、洗礼式って何歳でやるんですか?」
「何歳って、8歳からに決まってるじゃない」
「ああ、それなら大丈夫です。私11歳なので」

 ない胸を張って言うと訝しげに眺められる。確かにエディッタに拾われた当初は酷い身体つきだったが、ふた廻りほど普通の食事をしてそこそこの体型に戻ったはずだ。そんなにしげしげと眺められるほど酷くはないと思う。

「まあいいわ、入ってらっしゃい。簡単な面接があるから」

 面接。初耳である。まったくもって対策などしていないし、そもそもそんなものがあるとは知らなかった。本当にこの女性の言う通り簡単だといいのだが、その基準がここの世界の子供だったら困る。エディッタと採集に行って分かったことだが、平民の子供たちはみんな採集に行くので森や植物や動物に異様に詳しいのだ。そしてチェレスティーナはといえばその半分も覚えていない。

 うーん、なんとかなるといいけどな。

 心配しながら小さな部屋に通され、しばらく待つと先ほどとはまた別の女性が入室してきた。クラリッサがしていたのと似ているローブを着用している。違いといえば長さが短く、やたらと装飾が多いことくらいだ。

「こんにちは。私はファビア、ここの錬金術師院の講師です。今からあなたの入学試験を受け持ちます」
「は、はい。私はチェレスです。よろしくお願いします」

 エルダと話した通り略称で自己紹介をする。ファビアは少し驚いたような顔をして、

「行儀のいい子供ですね。これは期待できます」

 あ、敬語を使える子供は少ないってエディッタに教えてもらったっけ。まあ礼儀正しくしておいた方がいいだろうし、この部分で普通になろうとするのはやめよう。

 妥協は大事である。その妥協が後に大事を呼ぶとは露ほども思っていないので。

「試験と言っても簡単なものです。まずはこちらの素材の名称をひとつずつ言ってください」

 ファビアが様々な動植物の載った平たい皿を指し示す。

「えっと、これかエッレーヴォロの花、こっちがナターレの苞、これは……ロイマユの根? ああ、これはズッペルゲンの葉っぱですね、分かります」

 ひとつひとつ指しながら答えていく。一部分からないものもあったが、大体は採集で教えてもらったものばかりだったので助かった。

 確か具合の悪い時に食べるといいってものもあったし、錬金術師になっても使うんだなぁ。

「いいでしょう。なかなかよく勉強しているようですね。それでは次です」

 次はズッペルゲンの葉を切り刻んだりすりつぶしたりする試験だった。身体が小さいので多少の勝手の違いはあるが、ズッペルゲンの葉は薄くて広いのでそれほど苦労することもなく終えた。一応家庭科もそれなりに出来たのである。隣で友人が凝った料理をいとも簡単に作ってしまっていたせいで目立たなかっただけで。

「こ、これでどうですか?」
「完璧ですね。合格です。それでは最後の試験に行きましょう」

 そう言ってファビアはチェレスティーナに拳大の宝石を渡した。片手では持ち切れず左手も添えて支える。

「これは映玉といって、魔物から採れる素材です。魔力をよく吸収します。この映玉に出来るだけ多くの魔力を注いでください。一定量に達すると色が変わりますので、それまで」

 正直魔力の使い方はまだ微妙だ。あの水魔法の一件の後は危なくて使えなかったし、使わせてももらえなかった。上手く行くかは分からない。

 でも絶対錬金術師になりたい。

 きゅっと腕に力を入れて映玉と呼ばれたきらきらした宝石を見つめる。体内の魔力をしっかりと意識して流れをつかみ、映玉に向かって流れていくように誘導する。
 うっかり注ぎすぎて映玉がどうにかなったら大変なので、細い糸をつむぐように慎重に注いでいく。しかしちっとも色が変わる気配もなく、ファビアは表情を変えずに映玉を凝視している。

 もしかして少なすぎるかな?

 作戦変更して少し注ぐ量を増やしてみることにした。栓をあと少しだけ開けるイメージで、レース糸くらいだった魔力を毛糸くらいにして……。

 パァン!

「えっ」
「ぎゃあああっ!」

 突然の破裂音に驚いて反射的に魔力を止めるも、時すでに遅し。両手で包み込んでいたはずの映玉はそこにはなく、代わりに床に細かな破片が散乱していた。

「なにこれ、映玉が……」

 粉々になってしまった映玉を拾い集め、呆然として呟く。失敗してしまったのだろうか。錬金術師院には入れないのだろうか。

 あ、これを元通りにしたらまた試験ができるかな?

 拾い集めた映玉にまた慎重に魔力を注ぎ、くっつけくっつけ、元に戻れ、とひたすら念じる。

「あ、戻った!」

 チェレスティーナの掌には先ほどよりひと回り小さい映玉が出来た。

「あ、あの、これでもう一回試験を受けられたりしませんか……?」

 映玉を指し示しながらファビアの方を振り向くと、

「ぎゃああああ~~!」

 ファビアは立ちっぱなしで白目を剥いて気絶していた。


「ご、合格です。文句なしの合格です」

 約半刻に渡り気絶していたファビアは、復活するや否やチェレスティーナにそう声をかけた。

「え、私最後の試験も合格したんですか?」
「もちろんです。合格というか、合格しすぎました」

 合格しすぎるとはどういうことなのだろうか。文法おかしくないか。
 怪訝な顔をしているチェレスティーナにファビアは丁寧に説明してくれた。

「まず最初に私が設定した課題ですが、あれはポーション作成における最低魔力量を測るものです。大体初級ポーション3本分ですね。映玉にはもともとその魔物の魔力が含まれているのですが、その魔力量が外から入ってきた魔力量よりも割合的に少なくなると色が変わります」

 つまりあの映玉の半分ほどを自分の魔力で満たせれば合格、ということである。

「普通この試験では魔力量だけを基準に考えます。魔力効率も多少は関係してきますが、魔法を行使するのではなく魔力を叩きこむだけなのであまり影響がありません。もちろん魔力の扱いや緻密さは要求されませんし、されてもできない者が大多数なので、この試験で使用した映玉の質は著しく落ちるんです」

 そこでファビアは一度言葉を切り、チェレスティーナが丸めて元に戻した映玉を日にかざす。

「まず私が驚いたのはそこです。普通あなたくらいの子供が魔力を注いだら間違いなく映玉の質は落ちるはずなんです。映玉の中に白っぽいもやができたり、酷い時には映玉そのものが変形してしまったりします」

 そう言われてチェレスティーナは自分が魔力を注ぎ込んだ映玉を見た。もやなど見えないし変形してもいない、きれいに透き通った映玉である。

「この映玉は全く悪くなっていません。このままギルドに持って行っても高値で買い取ってくれるでしょう。あなたはその年代にしては魔力の扱いに長けています。正直に言えば上手すぎるくらいです。魔法学校にでも行っていたのですか? それか両親から魔力の扱いを教えてもらったとか」
「いえ、分かりません。訳あって記憶があまりないんです」

 そういうと多分に漏れずファビアも訝し気な顔になったが、あまり詮索する気もないらしい。あっさりと次の説明に移った。

「次に驚いたのは映玉が破裂したことです。これはめったにないことなんです」
「失敗ではないのですか?」
「いいえ、違います。映玉が破裂するのは、一気に魔力が注ぎ込まれて映玉そのものの魔力限界量を超えた時だと言われています。少しずつ注ぐ時は限界に達するとこちらの魔力を受け付けなくなるのですが、一気に注ぐ時は違います。あっという間に限界量を超えてしまうので、破裂してしまうようなんです」

 つまり魔力の細さが毛糸くらいの時、既に魔力は多すぎるということらしい。ほんの少し多くしただけのつもりだったのに。私の魔力、扱いづらすぎない? いやさっきファビアさんは扱いに長けてるって言ってたっけ……いったいどっちなの!?

 チェレスティーナは思い至っていなかったが、魔力の扱いに関しては元々の『巡が入り込む前のチェレスティーナ』の才能もとい修練が発揮されていたのである。つまり無意識的な扱いは上手く、魔力量の調整といった意識的な作業は苦手のようだった。

「とにかく、あなたのような生徒はここ20年ほど見ていません。あなたのような、とは才能のある、という意味です」
「え、えっと、私錬金術師の才能があるんですか?」
「ええ。錬金術師は魔力が命です。それにあなたには知識も意欲もあるようですね。真面目に鍛錬すれば素晴らしい錬金術師になることでしょう」

 そう言われ、チェレスティーナは改めて魔力チートの恩恵を感じた。

 いやだってさ、初めて魔法使った時がアレだよ? エディッタの家のパン屋さんで働けるようになったのはありがたかったけど、その前にめちゃくちゃ絞られたし。クラリッサさんにも問題児扱いされるし、魔術師にはなりたくもなかったし。あげく映玉割っちゃうし!

 そう、今までチェレスティーナには魔力に関するいい思い出がなかったし、『巡が入り込む前のチェレスティーナ』の記憶にもほとんど残っていなかった。ラノベで読んでいたような『魔力ってすごーい!』的な感情を抱きにくかったのである。

 しかし、魔力は錬金術師に大いに役立つ。そしてどうやら自分はその魔力を大いに持っているようである。うん、素晴らしい。

 私のチート錬金術師生活、いよいよ始まるよ!


「ところでチェレスさん、さきほど映玉を丸めてくっつけていましたが、あれは何ですか? 見たことがありません。原理を教えてください」

 文系にそんなこと聞くなぁ!

 全く質問に答えられなかったチェレスティーナは、それから小一刻の間ファビアに問い詰められるのであった。

 チート生活、まだかなぁ……。
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