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第1章 Aperitif(アペリティフ)
6杯目:ホテル見学ツアー
しおりを挟む「まず始めに、スカイラウンジからご案内しますね。スカイラウンジはメインバーに比べると少し安価なのも人気の理由なんですが、中でもここの売りが――?」
「ぅ、わぁー……。凄い」
二十二階、地上百メートル程あるというこのフロアから見る景色は、二階で見た景色とはまた打って変わって小さな街並みが見渡せる壮大な景色が広がっていた。見たことのある建物なんかを見つけると嬉しくなり、まるで鳥にでもなった様な気分が味わえた。
「……。あー、えっと。店の名前はVientoって言って、スペイン語で“風”の意味なんですよ」
「ふぁー、ピッタリですね」
「でしょう? ……さて、次は――」
他にも、和食のレストランやイタリア料理が中心のメインダイニングに中国料理のレストラン。千人は収容できるという宴会場など、ホテルの色んな場所を案内してもらった。
初めて見るものばかりで何を見せられても「凄い」「キレイ」としか言えない貧困な私の語彙力。もう少しコミュニケーション能力が高ければ話を広げられるんだろうなと、今更ながらこんな自分が残念に思えた。
「今日は予約が一杯で無理だけど、今度客室もご案内しますね」
「はい!」
どうやらホテル見学ツアーも終わりの様で、初めに言っていた蝶タイとやらを取りに二人で管理部事務所へと向かう。最初に案内してくれた総務の女性に声をかけると「あっ!」と言って、黒の蝶タイを手渡された。
「これって……?」
首に巻くものだとはわかってはいるものの、仕組みが今一つわからない。どうしたものかと考えていると「貸して」と彼に取り上げられた。
「――? ……っ!」
「あー、じっとしてね」
彼は一歩前に出ると距離を縮め、手にした蝶タイを私の首に巻き付ける。背が高い人だなとは思っていたが、お母さんに似て女性の割には背が高めな私でも、視線が彼の肩にやっと届くほどだった。
留め具の場所がわかりにくいのか、私の目と鼻の先まで顔を下げている。美麗な顔が目前にあることも、人とこんなに近い距離で顔を合わせることも一度もなかった私は、失礼にならないようにと思わず息を止めた。
「……っ!」
「はい。出来ました――よ……」
やっと留めることが出来たのか、彼は満足気に微笑んでいる。言葉が途切れてしまったのはきっと、私が思いっきり顔を赤くしていたからだと思う。こんな事で真っ赤になるなんて、と思えば思う程恥ずかしく、更に顔に熱が集まっていくのが感じられた。
「あっ……あ、ああああありっ、――あ、りがと……ござ」
間近で顔面を凝視されてしまい、しどろもどろになる。どこに視線を合わせればいいのかがわからず、右へ左へとさまよっていた。
ふと、目の前の彼は何かを思い出したようにピンと姿勢を正した。とりあえず、離れてはくれたものの次は何をされるのかと落ち着かず、変な汗が毛穴という毛穴から一気に噴き出してくるような気がした。
「そう言えば、何気に自己紹介がまだでしたね」
「――! ……あっ」
野神課長や柳マネージャーとのやり取りでなんとなく名前くらいはわかってはいたものの、それ以外は不明だ。私もつられて背筋を伸ばすと彼はまたニッコリと微笑んだ。
「では改めまして。麻生 京介と申します。これから芳野さんと一緒に働くメインバー レフィーノのアシスタントマネージャーです。困ったことがあればいつでも聞いてくださいね。どうぞよろしくお願い致します」
そう言って、空を切った右手を胸元に置き、頭を下げた。
「メイン――バー……?」
あれ? 鉄板焼きの間違いでは??
思ってもいなかったフレーズに頭が混乱する。勝手に勘違いしていたせいではあったものの、お酒を飲んだこともない自分が果たして務まるのかと、だらしなく口をぱかっと開けて呆然としていた。
■□
「ただいまー」
「お帰り! 央、ちょっとこっち来て」
玄関先で声をかけると、自室に入る前にお母さんに呼び止められた。慣れないことをして疲れたからすぐにでも休みたいのは山々だったが、仕方なくリビングに向かう。お母さんは私が部屋に入ってしまう前に捕まえようとしていたのか、扉を開けた拍子にお母さんとかち合った。
「お、お帰り! どうだった?」
「ただいま。うん、まぁまぁ」
「まぁまぁって。変な人いない? 上手くやっていけそう? 友達はできたの? あっ、ご飯は食べた? あと――」
「ちょ、ちょっと待って! そんな一気に質問されても答えらんないよ」
「あー、そうね……」
興奮気味に話していたのが急にショボンと肩を落とす。親としてはどんなことがあったのか詳しく聞きたいのだろうなと、自室には戻らずそのままリビングに腰を下ろした。
「何も食べてないからお腹ペコペコ。なんか残ってる?」
「……。あ! あるある! ちょっと待ってて、すぐ用意するから」
そう言うと、お母さんは嬉しそうな顔になり、急いでキッチンへと向かった。
「え? バーで働くの?」
食事の準備を終えたお母さんは、そのまま向かいの席についた。「いただきます」を言うと同時に質問攻めにされ、余計な心配をかけてしまわない様ひとつづつ丁寧に答えていった。
「うん、そうみたい」
「じゃあ、帰りは遅くなるってこと?」
「深夜一時までだって」
面接の時、確かに何時でも大丈夫とは言ったが、私もそんな時間まで働くことになるとは思ってもみなかった。しかし今問題とすべきことは時間ではなく、やはり配属先だろう。見るからにコミュ障な自分がよりによってコミュニケーションを必須とする様な部署へ配属されるとはと、またもや野神課長の人を見る目を疑った。
勤務初日は麻生さんのホテル見学ツアーを終えた後、柳マネージャーとその他もろもろの書類の記入や、シフトを作成するために出勤できない日などを伝え、一時間半程で終了した。
「そもそも、まだ未成年の央に務まるものなの?」
「それは……私も思う所あるけど。とりあえず、十八歳以上だったら親の許可があれば夜十時以降も働いてもいいらしいから。私と同い年の子もいるみたいだし」
野神課長と柳マネージャーがこちょこちょ話していたのはどうやらこの辺りの話だったらしい。帰り際に深夜勤務についての同意書を手渡され、必ず次の勤務時に提出するようにとの事だった。
「同意書を書かなきゃ、夜に働かなくてもいいってことよね?」
「そうだけど。そうなると雇って貰えないかも」
そこに辿り着いた途端、“それは嫌だ”との感情が不思議と芽生えた。お母さんも同じ気持ちなのかうーんとうなりながら腕を組んでいる。あそこで働きたいという自分の気持ちに確信を持つことができた私は、食べている途中の箸を置き、リュックの中を探った。
「……あった。――これ、書いてください。お願いします」
テーブルの上に置いた同意書をお母さんの方へと滑らせると、私はぎこちなく頭を下げた。
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