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⑤ 変人伯爵のところへお嫁入り
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私は実家に帰り、彼も後日違う病院へ移っただろう。
それからの私は、貴族の身分は捨てずに、看護婦の道に邁進した。この階級の娘がそのような職を持つなど外聞が良くないからと、出自を隠しながらの職務に気を配った。元々社交界とは縁遠い立場だったので、難しいことではなかったが。
彼とのことは忙しい日々に追われ、だんだんと、ただの夢での出来事となっていった。
あれから8年の歳月が流れ、遠い日の記憶も思い返すことのなくなった頃。私は突然、嫁すことになった。
家督を継いだ我が兄が事業での失策で大きな負債を抱えることになり、父もその補填に奔走していたのだが。そんな彼にとってまたとない話が舞い込んできたようだ。
「私はもう、23になりますが……」
「先方はもっと年上の御仁だ。お前に是非に、と言われている。とても大きな資産をお持ちの伯爵家なのだ。その伝手を逃す手はない」
「私は、これからも、看護の道を……」
「お前には申し訳ないが、家のためだ。耐えておくれ」
これまで我がままを聞いてもらえてたのが、身に余ることだったのだ。最初から私の人生に選択の余地などなかったのだから。
「ただ……」
父は歯切れの悪い口調で語り始めた。
「確実に婚姻できるわけではない」
「え?」
「いったん婚約者として、そのお方の屋敷に入り、彼がお前を気に入ったら、ということだ」
変な話だ。「是非に、と言われている」と言ったではないか。
「その上ずいぶん怪しげな話だが、先方はどうも偏屈な奇人のようでな」
「はぁ……」
「何度もご令嬢方に婚約を申し込み、そのたびに不躾な態度で彼女らを気味悪がらせ、逃げ帰られているらしい……」
「何ですか、それ。ご結婚なさるつもりがないのでは?」
「しかし、お相手探しにはえらくご執心のようだ」
「顔を合わせたら、気に入らなくて、ということでしょうか。それなら私だって、きっとすぐに帰されてしまいます」
「そう言わずに、どうされようとも耐え、彼の気を引くよう努めてくれ」
家のために、なんとか婚姻までこぎつけろ、と……。それに気に入られなければ、援助だってどこまで手を差し伸べてもらえるか。それでも私に選択肢はない。
「……心を尽くします」
私はその翌月、嫁ぎ先のミュラー辺境伯家に参じた。
しかし、夫となる当主に出迎えられることもなく。家政婦らから案内を受けると、我が家とは比べ物にならぬほどの豪華なお屋敷。その中には、美しく整えられた庭、広々とした多くのお部屋、そこに置かれる、由緒ある調度品の数々。まるで世界が変わったよう。
肝心のお相手は、噂ではまったく外に出ようとせず、人とも会わず、ご先祖からの莫大な資産の上に胡坐をかいて、いつも寝て過ごしている変人だそうだ。生きる屍ではないか? しかしこの御家との縁をと目論んだ、我が家を含む貧窮貴族にとっては、声が掛かっただけで浮かれてしまうのも道理。
私は未来の夫の部屋にはじめの一歩を踏み出した。
「ギルベルト・ミュラー様でございますね? 初めまして。マクスウェル家から参りました、セスリーンでございます」
挨拶をしても、うっすら透きとおるカーテンの向こうから、彼は出てこなかった。噂に聞いていたように、私もこの方の不遜な態度に我慢できなくなるのだろうか。
結局、彼は顔を見せることなく、ここでゆっくりと過ごすよう伝えてきただけだった。
それからの私は、貴族の身分は捨てずに、看護婦の道に邁進した。この階級の娘がそのような職を持つなど外聞が良くないからと、出自を隠しながらの職務に気を配った。元々社交界とは縁遠い立場だったので、難しいことではなかったが。
彼とのことは忙しい日々に追われ、だんだんと、ただの夢での出来事となっていった。
あれから8年の歳月が流れ、遠い日の記憶も思い返すことのなくなった頃。私は突然、嫁すことになった。
家督を継いだ我が兄が事業での失策で大きな負債を抱えることになり、父もその補填に奔走していたのだが。そんな彼にとってまたとない話が舞い込んできたようだ。
「私はもう、23になりますが……」
「先方はもっと年上の御仁だ。お前に是非に、と言われている。とても大きな資産をお持ちの伯爵家なのだ。その伝手を逃す手はない」
「私は、これからも、看護の道を……」
「お前には申し訳ないが、家のためだ。耐えておくれ」
これまで我がままを聞いてもらえてたのが、身に余ることだったのだ。最初から私の人生に選択の余地などなかったのだから。
「ただ……」
父は歯切れの悪い口調で語り始めた。
「確実に婚姻できるわけではない」
「え?」
「いったん婚約者として、そのお方の屋敷に入り、彼がお前を気に入ったら、ということだ」
変な話だ。「是非に、と言われている」と言ったではないか。
「その上ずいぶん怪しげな話だが、先方はどうも偏屈な奇人のようでな」
「はぁ……」
「何度もご令嬢方に婚約を申し込み、そのたびに不躾な態度で彼女らを気味悪がらせ、逃げ帰られているらしい……」
「何ですか、それ。ご結婚なさるつもりがないのでは?」
「しかし、お相手探しにはえらくご執心のようだ」
「顔を合わせたら、気に入らなくて、ということでしょうか。それなら私だって、きっとすぐに帰されてしまいます」
「そう言わずに、どうされようとも耐え、彼の気を引くよう努めてくれ」
家のために、なんとか婚姻までこぎつけろ、と……。それに気に入られなければ、援助だってどこまで手を差し伸べてもらえるか。それでも私に選択肢はない。
「……心を尽くします」
私はその翌月、嫁ぎ先のミュラー辺境伯家に参じた。
しかし、夫となる当主に出迎えられることもなく。家政婦らから案内を受けると、我が家とは比べ物にならぬほどの豪華なお屋敷。その中には、美しく整えられた庭、広々とした多くのお部屋、そこに置かれる、由緒ある調度品の数々。まるで世界が変わったよう。
肝心のお相手は、噂ではまったく外に出ようとせず、人とも会わず、ご先祖からの莫大な資産の上に胡坐をかいて、いつも寝て過ごしている変人だそうだ。生きる屍ではないか? しかしこの御家との縁をと目論んだ、我が家を含む貧窮貴族にとっては、声が掛かっただけで浮かれてしまうのも道理。
私は未来の夫の部屋にはじめの一歩を踏み出した。
「ギルベルト・ミュラー様でございますね? 初めまして。マクスウェル家から参りました、セスリーンでございます」
挨拶をしても、うっすら透きとおるカーテンの向こうから、彼は出てこなかった。噂に聞いていたように、私もこの方の不遜な態度に我慢できなくなるのだろうか。
結局、彼は顔を見せることなく、ここでゆっくりと過ごすよう伝えてきただけだった。
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