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一章 精霊術士の学園
第15話 巫女との謁見
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謁見の間の重厚な扉がゆっくりと閉まる。扉の外に残されたのは私と一人の使用人だけだ。
心配だ。ウンディーノ家当主との謁見、それにリオの後ろ盾はノーミオ家である学長だ。彼についてはできるだけ心象を良くしようと努めて伝えたが、どう扱うかはお婆様次第。とても心配だ。
「お嬢様、お部屋へどうぞ。謁見が終わりましたら会食を予定してございます。時間になったらお呼びしますので、それまでお待ち下さい」
扉の前に立ち尽くす私にそう告げて、それでは失礼致します、と使用人は去って行った。彼女にも仕事があるのだ。自分にできる事もやることも今は無いので自室に行こうと廊下を歩くが、使用人を引き連れた男に出くわした。
「おやおや、お嬢様ではありませんか。本邸にどういったご用事で?」
細身の長身に整えた口髭、一目で一級品と分かる礼服に身を包んだ出で立ちの男。彼は宰司と呼ばれる当主を補佐する役職、つまりウンディーノ家のナンバーツーだ。
「お婆様がお呼びしたミヅカ・リオの付き添いです。明日には発ちますのでお気遣いなく」
「なに、私も貴女に用などありませんよ。貴女と違って忙しいのでこれにて失礼」
さらりと嫌味を言って彼はそのまま通り過ぎる。私はこの男が嫌いだ。だがそれ以上にこの男は私の事を疎ましく思っているのだ。本来であれば私の母が巫女を継ぎ、次代は私のはずだった。そうなると歳の近い宰司の息子が私と婚姻を結ぶ予定だったらしい。その場合、彼はウンディーノ家の中で強い立場を持てるはずだったのだ。
角を曲がる直前、宰司が足を止めてこちらを見もせずに口を開いた。
「そう言えば、当主様が今日お呼びになった極東の少年に肩入れしているとか? いくらお嬢様と言えどもウンディーノ家の末席に名を連ねる者。至らぬ行動は慎んで頂きたいものですな」
「……出身は関係ありません。彼は私の恩人、ウンディーノ家の者として礼儀を尽くしたまでです」
「フン、巫女も継げぬくせにウンディーノ家を語るか」
そう吐き捨てて今度こそ視界から消えた。確約されていたはずの出世の道を一度断たれた彼は、地道な努力によって宰司の座を掴んだ。しかし家の繋がりを作ることは出来なかったのである。今なお私を恨む気持ちがあるのだろう。そしてそれは当主であるお婆様も同じだ。巫女となるべく生まれた私に期待を裏切られた。だから私を家から遠ざけ、私自身も関わらないようにしたのだ。
「……疲れた」
自室に入り、着替えもせずにベッドに倒れこむ。やっぱりここには来たくなかったな。それよりもリオの事が気にかかる。話は上手く行ってるだろうか。お婆様は何を聞くのだろうか。――そして、リオがエレメント公国に来た理由は分かるのか。
「リオはなんで……」
私を助けるんだろう。クラスメイトだから? 精霊術が強いから? 性格が合うから? どれも理由には不十分だ。きっと何かある。でも、それが無くても私はリオと――
「――リオと、なんだろう」
私はリオをどう思ってるんだろう。リオの事を考えると高揚するような、安心するような。一緒にいて信頼できる。でも少し頼りなくどこか危なっかしくて、守ってあげたくなる、そんな気持ち。それは……
「……弟?」
移動中の時を思い出す。私の膝の上で寝る安心しきったような顔。私の事を信頼している、そんな寝顔。ふと家族のようだと思ったのだ。
「そっか、弟。姉弟かぁ……」
何となく納得してしまったイレア。
イレアーダス・ウンディーノは巫女の素質は無くとも、エレメント公国随一の名家の令嬢である。箱入りの彼女は当然男女交際の経験など無く、今まで同年代の男子とまともに接したことすら無いのだ。
彼女がこの感情を理解する日は、まだ遠い。
■□■□
「ミヅカ殿、本日はお越し頂き感謝します」
「こちらこそお招き頂き光栄です、巫女様」
扉を開けた先には、豪奢な椅子に座るリギスティア・ラバック・ウンディーノと横に立つ数名の使用人がいた。頭を下げていても視線が刺さるのを感じる。緊張で心臓が高鳴る。
「顔を上げて下さい。今日貴方を呼んだのは感謝を伝えるためです。我が孫の窮地を救ったと聞き及んでいます」
「自分にできる事をしたまでです。イレアーダスさんとは良い友人であると思っています」
なるほど、名目はそれか。俺の素性については調べてあるだろうが、色々と質問されるに違いない。
「そうですか。イレアーダスも貴方のことを高く評価しています。ホムラ・ソージアからも聞いている通りの人物のようですね」
「お褒めいただきありがとうございます」
ソージア先生が繋がりがある事を隠そうともしないようだ。それくらい調べられているのは想定内ということか。こちらの行動まで筒抜けかと思うと冷や汗が出るな。
「さて……ミヅカ殿は極東の出身なのですね。公国にいらしたのはいつ頃なのでしょうか?」
来た。情報の裏取りはしてあるだろうから一つでも嘘を吐けば信用は一気に落ちる。無論そのような真似をするつもりは無いが、言葉選びにすら慎重にならざるを得ない。
「こちらに来たのは四月の半ばです。一か月程経ちましたがまだ慣れないことは多いですね」
「ええ、文化が違うと苦労も多いでしょう。ご家族は?」
丁寧な口調だが、見定めるような眼光は鋭い。世間話のような質問さえ面接のように感じる。
「ここには妹と来ました。母は仕事のため故郷に残っています」
「母親はミヅカ・シオンさんですね。極東統治領の軍人で、ヴィオテラと懇意だと聞いています。彼女は何故貴方たちを公国に?」
核心を突く質問だ。大精霊と対話するという目的は向こうも知らないはず。それを話す事はできないが、どう答えるべきか……
「それは……自分にも分かりません。母は多くを語ってくれませんでした。軍人だということをはっきりと知ったのも最近のことです。ここに来るのも直前まで知らされていませんでした」
「ほう……」
そう、これは事実だ。母さんの真の目的は全く分からない。今まで何を隠してきたのか、自分の事も俺自身の事すらあまり話してくれなかったのだ。
「ですが、母は俺と妹に世界を見てきて欲しかったのだと思います。留学と言ったら良いのでしょうか。外国に行くことで知見を広げるのが母の願いだと考えています」
世界は広い。母の口癖だった。特に遠征で外国に行ったことのある母は極東統治領の狭さを実感したのだろう。目的は別にあれど、きっと俺達をここに来させたのも世界の広さを見せるためのはずだ。
「ふむ。では父親は?」
「父は、知りません。物心ついた時から親は母一人でした。俺はエレメント公国で生まれたと聞いていますが、母は何も話してくれたことがありません」
じっと俺の目を見つめる巫女。なんだろう、今までの値踏みするような目とは違うような気がする。何か知っているのだろうか?
「分かりました。貴方の言葉に嘘は無い。明確な悪意もありません。疑いをかけてしまったことをお詫びします」
「いえ、巫女様としては当然のご判断です。他国の軍人の子が関わりを持てば……スパイと勘繰られてもおかしくありません」
「そうですね。当家は貴方が極東統治領と、もしくはノーミオ家と繋がりのある人物だと考えていました。国や当家に害を及ぼす者ならば即刻排除しなければなりませんから」
黙っていた使用人達もざわつく。疑っていた相手にはっきりと言うとは誰も思っていなかったのだ。もちろん俺も含めてだ。
「さて、私ばかり質問するのもフェアではありませんね。貴方から何か聞きたい事はあるかしら?」
聞きたいことは山のようにある。イレアやソージア先生の過去、この世界の歴史、そもそも大精霊とは何なのか……。いや、まず最初に聞くべきはこれだ。
「俺の……両親について、何か知っているのでしょうか」
「ええ、聞かれると思っていました。でもこれは貴方のこと。他人に聞かせる話ではありませんね。貴方たち、席を外しなさい」
「ですが……」
「彼が信頼に足りると判断したのはこの私です。出ていきなさい」
「……失礼いたします」
彼女の鶴の一声で使用人全てを部屋から出させた。彼女は何を知っているんだ……?
「この部屋は防音になっていて精霊術も防ぎます。何を話しても聞かれる心配はありませんよ」
ふっと、今まで厳しかった彼女の表情が柔らかくなった。巫女として、ウンディーノ家当主としてではなく、リギスティア・ラバック・ウンディーノ個人として話をするようだ。
「まずはミヅカ殿……いえ、リオさんに改めてお礼を。イレアーダスの祖母として、彼女を助けてくれたことに感謝します」
「いえ、そんな……」
今までの張り詰めた態度が嘘のように、深々と頭を下げた。この変わりようはいきなりなんだ?
「イレアから昔の話は聞いているのでしょう。そして私が彼女を家から遠ざけたことも」
「……はい。イレアは自分は必要とされていない、と言っていました」
「ええ。きっと私のことも憎んでいるでしょう。ですが……ウンディーノ家の当主としては、こうする他無かったのです」
まるで誰にも見せないような悲しげな顔で言った。当主としての立場と、イレアの実の祖母としての板挟みなのだろう。書に記されているようなイメージも、威厳を保つために作り上げられたものなのだ。
「巫女の才能が無いイレアを普通に扱うことはできなかったのです。家としての立場を守るために彼女に辛く当たるしかなかった。私は肉親としては最低です」
「それは……」
「いいえ、否定はしないでください。でもイレアの事を想っても、彼女を家に置いておくことは出来ませんでした。直系の子なのに巫女になれない彼女を良く思わない人は大勢います。それらから遠ざけるためにもイレアをこの家から離す必要があったのです」
巫女様は、リギスティアは、イレアのことを想った故に彼女を冷遇したのだ。イレアはそれを知らないために悲しいすれ違いが起こってしまっているのだ……
「ですから、貴方がイレアと仲良くしてくださるのは嬉しいのです。ソージアからも最近は明るくなったと聞きますからね」
「自分もイレアのような友人を持てたことは嬉しいです」
「ふふふ、これからも仲良くしてあげてくださいね」
どこか含みのある言い方だ。……いや、例の「噂」を知っているのだろう。なにやら恥ずかしい気分だが下手に否定もできない。
「この話はここまでにしましょう。今度はリオさんの質問に答える番ですね」
「はい。俺の父について何か知っているのですか?」
「ええ、知っています。貴方の父親のことも、母親のことも。ですがそれを話すのは止められています……他でもない貴方の母からです」
やはり。知っているのだ。母さんは学長とだけではなく、ウンディーノ家とも関わりがあったのだ。先ほどの少ない質問で俺を信用したと言ったのも不思議だったが、それ以上の事を知っているからだろう。
「分かりました。母と再会した時にまた自分で聞いてみます」
「それが良いでしょう。他にはありますか? 私にできる事であれば何でもどうぞ。誰かに聞かれることもありませんからね」
――そうだ。今なら言える。最高のチャンスだ。高鳴る心臓を抑え、俺は口を開いた。
「一つだけお願いです。大精霊との、対話を望みます」
意外そうな、それでいて納得したような表情を見せて――
「分かりました。付いて来てください」
驚くほどあっさりと許可が下りた。
■□■□
「ここから先は貴方一人で行ってください」
大精霊がいるという場所は、謁見の間の奥の扉を開いた先だった。短い廊下の奥に何の飾りも無い白い扉がある。
「俺一人で良いのですか?」
「はい。大精霊の間に二人以上入るのは巫女の継承の時だけですから」
良いのだろうか。巫女でもない、エレメント公国の人間ですらない俺が入っても。
「大丈夫ですよ。過去にこの部屋に巫女以外が入った例はありますから」
そんな不安を見透かすようにリギスティアは俺の背を後押しした。自然と湧いてきた唾を飲み、俺は扉に手をかけた。
背後で扉が閉まる。それと同時に、真っ暗な部屋に明かりがついた。俺の目に入ったのは……
「箱……? これが、大精霊?」
一辺二メートルはあろうかという、部屋よりも真っ白な箱だけがあった。そして、驚きを口にした瞬間――
『――生体コード一致』
「っ!? 声? 何の――」
『ユーザー認証……認証完了』
『ミヅカ・リオをゲストとして登録しました』
「ゲスト? どうして、俺の名前を?」
キィィィィン、と耳鳴りがする。音が頭に直接響いている。何が起こっているんだ!?
『……コード・ウンディーネの権限を委託……失敗、上位ユーザーによって一部がブロックされています』
何かが俺の中に流れ込んでくるような……精霊術を使う時に生命力を流す感覚の逆のような、そんな感じがする! いったい何が……!
『機械仕掛けの大精霊、起動』
『ミヅカ・リオをマスターとして認証しました』
この日。俺の知らない何かが、動き始めた。
心配だ。ウンディーノ家当主との謁見、それにリオの後ろ盾はノーミオ家である学長だ。彼についてはできるだけ心象を良くしようと努めて伝えたが、どう扱うかはお婆様次第。とても心配だ。
「お嬢様、お部屋へどうぞ。謁見が終わりましたら会食を予定してございます。時間になったらお呼びしますので、それまでお待ち下さい」
扉の前に立ち尽くす私にそう告げて、それでは失礼致します、と使用人は去って行った。彼女にも仕事があるのだ。自分にできる事もやることも今は無いので自室に行こうと廊下を歩くが、使用人を引き連れた男に出くわした。
「おやおや、お嬢様ではありませんか。本邸にどういったご用事で?」
細身の長身に整えた口髭、一目で一級品と分かる礼服に身を包んだ出で立ちの男。彼は宰司と呼ばれる当主を補佐する役職、つまりウンディーノ家のナンバーツーだ。
「お婆様がお呼びしたミヅカ・リオの付き添いです。明日には発ちますのでお気遣いなく」
「なに、私も貴女に用などありませんよ。貴女と違って忙しいのでこれにて失礼」
さらりと嫌味を言って彼はそのまま通り過ぎる。私はこの男が嫌いだ。だがそれ以上にこの男は私の事を疎ましく思っているのだ。本来であれば私の母が巫女を継ぎ、次代は私のはずだった。そうなると歳の近い宰司の息子が私と婚姻を結ぶ予定だったらしい。その場合、彼はウンディーノ家の中で強い立場を持てるはずだったのだ。
角を曲がる直前、宰司が足を止めてこちらを見もせずに口を開いた。
「そう言えば、当主様が今日お呼びになった極東の少年に肩入れしているとか? いくらお嬢様と言えどもウンディーノ家の末席に名を連ねる者。至らぬ行動は慎んで頂きたいものですな」
「……出身は関係ありません。彼は私の恩人、ウンディーノ家の者として礼儀を尽くしたまでです」
「フン、巫女も継げぬくせにウンディーノ家を語るか」
そう吐き捨てて今度こそ視界から消えた。確約されていたはずの出世の道を一度断たれた彼は、地道な努力によって宰司の座を掴んだ。しかし家の繋がりを作ることは出来なかったのである。今なお私を恨む気持ちがあるのだろう。そしてそれは当主であるお婆様も同じだ。巫女となるべく生まれた私に期待を裏切られた。だから私を家から遠ざけ、私自身も関わらないようにしたのだ。
「……疲れた」
自室に入り、着替えもせずにベッドに倒れこむ。やっぱりここには来たくなかったな。それよりもリオの事が気にかかる。話は上手く行ってるだろうか。お婆様は何を聞くのだろうか。――そして、リオがエレメント公国に来た理由は分かるのか。
「リオはなんで……」
私を助けるんだろう。クラスメイトだから? 精霊術が強いから? 性格が合うから? どれも理由には不十分だ。きっと何かある。でも、それが無くても私はリオと――
「――リオと、なんだろう」
私はリオをどう思ってるんだろう。リオの事を考えると高揚するような、安心するような。一緒にいて信頼できる。でも少し頼りなくどこか危なっかしくて、守ってあげたくなる、そんな気持ち。それは……
「……弟?」
移動中の時を思い出す。私の膝の上で寝る安心しきったような顔。私の事を信頼している、そんな寝顔。ふと家族のようだと思ったのだ。
「そっか、弟。姉弟かぁ……」
何となく納得してしまったイレア。
イレアーダス・ウンディーノは巫女の素質は無くとも、エレメント公国随一の名家の令嬢である。箱入りの彼女は当然男女交際の経験など無く、今まで同年代の男子とまともに接したことすら無いのだ。
彼女がこの感情を理解する日は、まだ遠い。
■□■□
「ミヅカ殿、本日はお越し頂き感謝します」
「こちらこそお招き頂き光栄です、巫女様」
扉を開けた先には、豪奢な椅子に座るリギスティア・ラバック・ウンディーノと横に立つ数名の使用人がいた。頭を下げていても視線が刺さるのを感じる。緊張で心臓が高鳴る。
「顔を上げて下さい。今日貴方を呼んだのは感謝を伝えるためです。我が孫の窮地を救ったと聞き及んでいます」
「自分にできる事をしたまでです。イレアーダスさんとは良い友人であると思っています」
なるほど、名目はそれか。俺の素性については調べてあるだろうが、色々と質問されるに違いない。
「そうですか。イレアーダスも貴方のことを高く評価しています。ホムラ・ソージアからも聞いている通りの人物のようですね」
「お褒めいただきありがとうございます」
ソージア先生が繋がりがある事を隠そうともしないようだ。それくらい調べられているのは想定内ということか。こちらの行動まで筒抜けかと思うと冷や汗が出るな。
「さて……ミヅカ殿は極東の出身なのですね。公国にいらしたのはいつ頃なのでしょうか?」
来た。情報の裏取りはしてあるだろうから一つでも嘘を吐けば信用は一気に落ちる。無論そのような真似をするつもりは無いが、言葉選びにすら慎重にならざるを得ない。
「こちらに来たのは四月の半ばです。一か月程経ちましたがまだ慣れないことは多いですね」
「ええ、文化が違うと苦労も多いでしょう。ご家族は?」
丁寧な口調だが、見定めるような眼光は鋭い。世間話のような質問さえ面接のように感じる。
「ここには妹と来ました。母は仕事のため故郷に残っています」
「母親はミヅカ・シオンさんですね。極東統治領の軍人で、ヴィオテラと懇意だと聞いています。彼女は何故貴方たちを公国に?」
核心を突く質問だ。大精霊と対話するという目的は向こうも知らないはず。それを話す事はできないが、どう答えるべきか……
「それは……自分にも分かりません。母は多くを語ってくれませんでした。軍人だということをはっきりと知ったのも最近のことです。ここに来るのも直前まで知らされていませんでした」
「ほう……」
そう、これは事実だ。母さんの真の目的は全く分からない。今まで何を隠してきたのか、自分の事も俺自身の事すらあまり話してくれなかったのだ。
「ですが、母は俺と妹に世界を見てきて欲しかったのだと思います。留学と言ったら良いのでしょうか。外国に行くことで知見を広げるのが母の願いだと考えています」
世界は広い。母の口癖だった。特に遠征で外国に行ったことのある母は極東統治領の狭さを実感したのだろう。目的は別にあれど、きっと俺達をここに来させたのも世界の広さを見せるためのはずだ。
「ふむ。では父親は?」
「父は、知りません。物心ついた時から親は母一人でした。俺はエレメント公国で生まれたと聞いていますが、母は何も話してくれたことがありません」
じっと俺の目を見つめる巫女。なんだろう、今までの値踏みするような目とは違うような気がする。何か知っているのだろうか?
「分かりました。貴方の言葉に嘘は無い。明確な悪意もありません。疑いをかけてしまったことをお詫びします」
「いえ、巫女様としては当然のご判断です。他国の軍人の子が関わりを持てば……スパイと勘繰られてもおかしくありません」
「そうですね。当家は貴方が極東統治領と、もしくはノーミオ家と繋がりのある人物だと考えていました。国や当家に害を及ぼす者ならば即刻排除しなければなりませんから」
黙っていた使用人達もざわつく。疑っていた相手にはっきりと言うとは誰も思っていなかったのだ。もちろん俺も含めてだ。
「さて、私ばかり質問するのもフェアではありませんね。貴方から何か聞きたい事はあるかしら?」
聞きたいことは山のようにある。イレアやソージア先生の過去、この世界の歴史、そもそも大精霊とは何なのか……。いや、まず最初に聞くべきはこれだ。
「俺の……両親について、何か知っているのでしょうか」
「ええ、聞かれると思っていました。でもこれは貴方のこと。他人に聞かせる話ではありませんね。貴方たち、席を外しなさい」
「ですが……」
「彼が信頼に足りると判断したのはこの私です。出ていきなさい」
「……失礼いたします」
彼女の鶴の一声で使用人全てを部屋から出させた。彼女は何を知っているんだ……?
「この部屋は防音になっていて精霊術も防ぎます。何を話しても聞かれる心配はありませんよ」
ふっと、今まで厳しかった彼女の表情が柔らかくなった。巫女として、ウンディーノ家当主としてではなく、リギスティア・ラバック・ウンディーノ個人として話をするようだ。
「まずはミヅカ殿……いえ、リオさんに改めてお礼を。イレアーダスの祖母として、彼女を助けてくれたことに感謝します」
「いえ、そんな……」
今までの張り詰めた態度が嘘のように、深々と頭を下げた。この変わりようはいきなりなんだ?
「イレアから昔の話は聞いているのでしょう。そして私が彼女を家から遠ざけたことも」
「……はい。イレアは自分は必要とされていない、と言っていました」
「ええ。きっと私のことも憎んでいるでしょう。ですが……ウンディーノ家の当主としては、こうする他無かったのです」
まるで誰にも見せないような悲しげな顔で言った。当主としての立場と、イレアの実の祖母としての板挟みなのだろう。書に記されているようなイメージも、威厳を保つために作り上げられたものなのだ。
「巫女の才能が無いイレアを普通に扱うことはできなかったのです。家としての立場を守るために彼女に辛く当たるしかなかった。私は肉親としては最低です」
「それは……」
「いいえ、否定はしないでください。でもイレアの事を想っても、彼女を家に置いておくことは出来ませんでした。直系の子なのに巫女になれない彼女を良く思わない人は大勢います。それらから遠ざけるためにもイレアをこの家から離す必要があったのです」
巫女様は、リギスティアは、イレアのことを想った故に彼女を冷遇したのだ。イレアはそれを知らないために悲しいすれ違いが起こってしまっているのだ……
「ですから、貴方がイレアと仲良くしてくださるのは嬉しいのです。ソージアからも最近は明るくなったと聞きますからね」
「自分もイレアのような友人を持てたことは嬉しいです」
「ふふふ、これからも仲良くしてあげてくださいね」
どこか含みのある言い方だ。……いや、例の「噂」を知っているのだろう。なにやら恥ずかしい気分だが下手に否定もできない。
「この話はここまでにしましょう。今度はリオさんの質問に答える番ですね」
「はい。俺の父について何か知っているのですか?」
「ええ、知っています。貴方の父親のことも、母親のことも。ですがそれを話すのは止められています……他でもない貴方の母からです」
やはり。知っているのだ。母さんは学長とだけではなく、ウンディーノ家とも関わりがあったのだ。先ほどの少ない質問で俺を信用したと言ったのも不思議だったが、それ以上の事を知っているからだろう。
「分かりました。母と再会した時にまた自分で聞いてみます」
「それが良いでしょう。他にはありますか? 私にできる事であれば何でもどうぞ。誰かに聞かれることもありませんからね」
――そうだ。今なら言える。最高のチャンスだ。高鳴る心臓を抑え、俺は口を開いた。
「一つだけお願いです。大精霊との、対話を望みます」
意外そうな、それでいて納得したような表情を見せて――
「分かりました。付いて来てください」
驚くほどあっさりと許可が下りた。
■□■□
「ここから先は貴方一人で行ってください」
大精霊がいるという場所は、謁見の間の奥の扉を開いた先だった。短い廊下の奥に何の飾りも無い白い扉がある。
「俺一人で良いのですか?」
「はい。大精霊の間に二人以上入るのは巫女の継承の時だけですから」
良いのだろうか。巫女でもない、エレメント公国の人間ですらない俺が入っても。
「大丈夫ですよ。過去にこの部屋に巫女以外が入った例はありますから」
そんな不安を見透かすようにリギスティアは俺の背を後押しした。自然と湧いてきた唾を飲み、俺は扉に手をかけた。
背後で扉が閉まる。それと同時に、真っ暗な部屋に明かりがついた。俺の目に入ったのは……
「箱……? これが、大精霊?」
一辺二メートルはあろうかという、部屋よりも真っ白な箱だけがあった。そして、驚きを口にした瞬間――
『――生体コード一致』
「っ!? 声? 何の――」
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『ミヅカ・リオをゲストとして登録しました』
「ゲスト? どうして、俺の名前を?」
キィィィィン、と耳鳴りがする。音が頭に直接響いている。何が起こっているんだ!?
『……コード・ウンディーネの権限を委託……失敗、上位ユーザーによって一部がブロックされています』
何かが俺の中に流れ込んでくるような……精霊術を使う時に生命力を流す感覚の逆のような、そんな感じがする! いったい何が……!
『機械仕掛けの大精霊、起動』
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