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二章 大精霊と巫女

第24話 マテリアル・オーダー

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 「んあ……ふわぁ……」

 朝だ。最近日の出がめっきり早くなったせいか、六時過ぎには目が覚めてしまう。昨日はバイトが終わった後すぐにベッドに入って寝てしまったのだ。ティフォ先輩はまだ帰ってなかったはずだな。

 「シャワーするか……うん?」

 布団から出ようとすると、足元に何か覚えのある感触が。バッと布団を一気に捲ると、

 「むにゃ……お兄……ぃ……」

 「ヒナ?」

 そこには小さく丸まって眠る我が妹の姿が。まあヒナが寝ぼけて俺の布団に入ってくるなんて昔からよくある事で……いや待て、今は部屋が違うはずだぞ?

 「おーいヒナ、起きろー」

 「んむぅ……」

 ヒナは朝が弱い。小さい頃から俺が起こすのが習慣になっていたが、今もルームメイトの娘――確かミカラっていう同級生に起こしてもらってると前に聞いたな。

 「おーい、起きろって。てかなんでここにいるんだ?」

 「んー……おはよぅ……」

 目を擦りながらようやく起きたヒナだが、まだ寝ぼけているようだ。放置して先にシャワー浴びてくるか。



 「おはようお兄ぃ」

 「おう、おはよう。朝飯食べるか?」

 「うん。コーヒーはミルクたっぷりで」

 「はいよ」

 最近はもっぱらティフォ先輩と食べるか一人での朝食だったが、ヒナと一緒なのは久しぶりだな。

 「そんで、なんで俺の部屋に?」

 「んーとね、昨日帰ってきたのが十一時くらいで……」

 パンを焼きながら話を聞くと、昨日の放課後、ヒナが委員会の仕事を片付けてからティフォ先輩と待ち合わせをしたのが七時過ぎだった。その後ショッピングをし、遅めの夕食をとってから繁華街の劇場を見に行き、寮に着いたのが夜遅くになったという。

 「そしたらミカラちゃんが部屋の鍵閉めちゃっててさー、寝てるみたいだったし仕方ないからお兄ぃのベッドで一緒に寝たの」

 「なるほどな……うん? じゃあティフォ先輩は?」

 「わたしが部屋にいるからって出てってくれたよ。というかわたしが追い出したんだけど」

 例の如く酔っぱらっていた先輩に、なんとなく身の危険を感じたらしい。とはいえ容赦無いな。

 「ならどっかに泊ってるのかな。まあ今日は帰ってくるでしょ」

 「そうだねー」

 ヒナは先輩にはあまり興味無さげな様子だ。結局どうだったんだろうか?

 「昨日、楽しかったか?」

 「……うん」

 あれ、ちょっと恥じるような乙女チックなその顔はなんなんだ。女心、もとい妹心は分からない……

 「うーん、ティフォ先輩は別に悪い人じゃないんだけど……何というか、うーん……」

 ぶつぶつ言いながら何の気もなしにドアを開けようとすると、

 「あれ?」

 開かない。鍵はかかってないから、何かがドアの前につっかえてるのか?

 「よいしょっと!」

 重い物を転がすような感覚と共になんとか押し開けると、玄関前にうずくまる人影が。

 「誰だ? 大丈夫ですかー……って、」

 以前トーヤからも聞いた悪癖。酔っぱらうと所構わず寝てしまうという困った男。

 「先輩、何してるんですか……」

 ティフォ先輩は玄関の前で一晩寝ていたようだった。やっぱりヒナをこんな男に任せる訳にはいかないな。



 寝なおすと言ってベッドに転がった先輩を置いて授業を受けに行き、気付けばもう放課後。俺は一人で精霊術の練習をしていた。

 「精霊スピリットよ」

 手に持つのは先輩が飲み干した酒の空き瓶。何度か試すうちにガラス製の物が扱いやすい事も分かったのだ。

 「まずは土、風――」

 瓶は重力を無視して宙に浮き、次第にその輪郭を崩していく。完全な球体になるまでおよそ一分近くかかったが、第一段階は成功だ。

 「次は、火と水……!」

 拮抗する力が脳内に直接流れ込んでくる感覚の中、さらに制御する要素を増やす。ギリギリと頭を締め付けられているような痛みを耐える!

 「もうちょい……! いいぞ、まだいける!」

 球状のガラスは赤熱と冷却を繰り返し、だんだんと一定の状態に収まっていき……次の瞬間、一気に黒く染まった。

 「失敗か!?」

 目の前に浮かぶのは原型を全く留めていない黒い球体だ。あれ、いつのまにか頭痛も無くなってるぞ?

 「なんだこれ……?」

 試しに念じてみると、球体は俺の意思の通りに浮いたり沈んだりした。体の周りを一周させてからまた元の位置に戻すが、何も変化は無い。触っても熱は一切感じないし、おおよそ感触というものが分からないな。

 「物質とエネルギーの支配コントロール、か……」

 まさかな、と思いながら細長く形が変わるようにイメージするとゆっくりと紡錘状に伸びていった。どうやら本当に自由に操れるようだ。

 「でも離れるとやっぱり駄目だなあ」

 射程が短いという問題は全く解消できないようだ。まあこれはもう諦めてるからいいんだけどさ。それから色々調べていくと、半径二メートル弱までは自由に動かせる、イメージした通りの形に変化する、固さもイメージ通りになるので防御にはうってつけという事が分かった。色は変わらないようだ。

 「維持も普通の精霊術より楽だけど、問題は……スピードだな」

 そう、遅い。まず形を変えるスピードが異常に遅い。球体から一メートルの棒状にするのに一分もかかってしまった。そこから一メートル四方の盾状にするのにさらに二分。そして動かすにしても俺の体の周りを一周するのに五秒もかかったのだ。反射的な防御には全く使えないな。位置は俺を中心として固定できるから動かさない盾としては有用かもしれない。

 「なんか思ったのと違ったけど、まずはこれを練習してくか。ティフォ先輩にも報告しなきゃなー」

 それから部屋に戻ってもからも二時間ほど球体は浮かび続けた。解除して元の瓶に戻った時に一気に疲労感が襲ってきたのと、まだ自由に戻したりできないのが難点だな。


■□■□


 一週間が過ぎた。今日はウンディーノ家呼び出しの前日、そして俺の特訓の成果をイレアに見せる日でもある。本邸に呼ばれる前にイレアには見せておきたかったのだ。もっとも実用段階ではないから先輩との模擬戦でも授業でも使った事は無いのだが。

 「それで、見せたいものって?」

 「ああ。ちょっと離れててくれ」

 鞄から空の酒瓶を取り出した俺を訝しんだイレアだが、まずは精霊術に集中する。

 「精霊よ――」

 瓶は空中に浮き、数秒で丸く形を変えた。すぐに第二段階に移る。

 「土? いや、いつもの精霊術と違う……?」

 イレアも何か考えているようだが、答えるほどの余裕は無い。徐々に熱を帯びていく球体は一瞬目を離せば破裂してしまいそうなほどの力が込められている。
 あれから一週間、物体の支配マテリアル・オーダーと名付けたこの術について色々と分かった事がある。まず、使う物体である瓶の大きさを変えても球体の大きさにはほとんど影響しないということだ。これについてはさっぱり理由が分からない。そして発動する時間は短縮できた事。反発する精霊術をバランスをとって発動させる作業は、例えるなら二本の針の先端をぴったり合わせて力を込めるようなものだ。これは回数を重ねるうちに慣れたのが原因だろう。

 「――よし。見てなイレア」

 火と水の術の均衡がとれた瞬間、一気にガラスの球体が黒く変化した。ここまでくれば大丈夫だ。

 「マテリアル・オーダー!」

 締め付けられるような頭痛が収まり、黒球はゆっくりと旋回を始めた。何も念じなければ勝手に回り始めるのも最近の発見だな。

 「まだ未完成だけど、新しい精霊術、マテリアル・オーダーだ。まあ精霊術って言っていいのか分からんけどな。理論もさっぱり分からないし」

 「初めて見たわ……また複合属性なの?」

 「ああ。四つの属性を均等に発動すると、その物体を自由に操れるようになるんだ。精霊術のマニュアル操作って言ったら分かりやすいかもしれないな」

 「四属性同時に? いや、リオらしいね。そっか、精霊術の制御を全部自分でやってるんだ」

 流石イレア、理解が早い。精霊術に関しては天才である以上に秀才なのだ。

 「この球体は俺の射程範囲内なら自由に形を変えて動かせるんだ。ティフォ先輩と試したけど、ほとんどの攻撃を通さないくらい固い。その代わり動きは遅くてな」

 「防御用ってことね。ちょっと攻撃してみていい?」

 薄い盾状にして正面に構える。いくら固いとは言ってもちょっと怖いな。

 「精霊よ――貫け、アイシクルランス」

 イレアの手から鋭い氷柱が伸びる。前よりも速くなってないか?

 パキイイィン――

 などと考える前に氷の先端は盾に触れて、粉々に砕けた!

 「くっ!」

 と同時に俺の体に衝撃が走る。体から離れているが、普通に盾を持っているのと同じで防いだ衝撃は受けてしまうのだ。

 「確かに固い……鉄板くらいなら破れるはずなのに、ちょっと悔しいわね」

 ぽつりと言ってしげしげと盾を見つめるイレアだが、さらっと恐ろしい事を言われた気がするぞ? でもそれだけマテリアル・オーダーの防御力が高いという事でもあるな。

 「今度は手数を増やすよ――穿て、クリスタルバレット!」

 数えきれないほどの氷の礫が一斉にこちらに向かってくる。しかし盾はひょうが降ったかのような音を立てて全てを防ぎ切った。

 「むう。なら次は……」

 「ちょっとタンマタンマ! これでも意外とキツいんだから!」

 珍しくむくれたイレアがムキになって攻撃を再開しようとするが、如何せん衝撃を耐えるのは大変なのだ。まあ自分の精霊術が簡単に防がれて悔しいのは分かるけどさ。

 「分かった、次で最後にするよ。精霊よ――縛めよ、フロストプリズン!」

 冷気が立ち込める。黒い盾に霜が付いてだんだんと氷に包まれていった。なるほど、包んでしまえば防ぎようが無いってことか。

 「やったあ!」

 「やったあってなあ……」

 無邪気にはしゃぐイレアもまた珍しいものだ。でも仲間の精霊術の欠点を喜ぶのもどうかと思うぞ。

 「完全に縛られると形も変えられないな。やっぱりまだ実用的じゃないなあ」

 「あ、うん……まあでも凄いと思うよ、こんな短期間で新しい精霊術を使えるなんて」

 「おーいイレア、今までお披露目って目的忘れてたよな?」

 「だって悔しかったし。私だって精霊術を一から勉強し直したり、頑張ってたんだよ?」

 可愛らしく頬を膨らませるイレアだが、クールな印象で通ってる普段のクラスメイト達が見たら目を疑うだろうな。……ん? 俺今、可愛いとか思ったのか?

 「リオ、明日それお婆様にも見せるの?」

 「あ、ああ。努力してるって姿勢を見せた方が良いと思うからな。もう皆に怪我はさせないって言えるほどじゃないけど」

 変な思考を振り払って明日の事を考える。この程度でリギスティアさんに認めてもらうなんて考えてはいないが、姿勢ってのは大事だ。でも怒られるくらいの覚悟はしないとな……

 「そうだ、そのマテリアル・オーダー? 使ってる間って普通の精霊術は使えるの?」

 「いや全然。基本的に攻撃は使い慣れてるナイフにするよ。やっぱり近接になるからフォーメーションは今まで通りかな」

 「そっか、まだ練習が必要なんだね」

 「もちろん。動かすには遅すぎるし自由に消せないし、終わったらめっちゃ疲れるしな」

 「えっ、しばらくこのままなの?」

 「まあな」

 だから言っただろう、実用段階ではないと。まあそれをイレアに言っても仕方ないし、これから磨いていくだけだな。そんな微妙な終わり方だったが、俺達は明日に備えてそれぞれ帰るのだった。


■□■□


 翌日。早朝に学園の正門に集まったのは俺とイレアとソージア先生、そしてこの前と同じ人力車と運転手だ。

 「おはようございます。今日は先生も来るんですね」

 「前回とは理由が違いますから」

 そうだ、俺を呼び出す形だけの名目というのをすっかり忘れていた。確かイレアの身を預ける者として資質を疑われている、って感じだったはずだ。監視という訳ではないが護衛として連れて来るポーズが必要なのだろう。気を引き締めていかなければ。

 「では出発しますよ」

 先生は運転手の隣に座り、俺とイレアは後ろの座席に乗り込む。ここに座ると以前のちょっと恥ずかしい思い出が蘇るな……

 「リオ、また寝たくなったら使う?」

 「やめてくれイレア、あの時は悪かったから」

 俺と同じ事を思い出し、ポンポンと自身の膝を叩いて笑うイレア。しかも季節が変わって丈が少し短くなったスカートはそんな事をされたら目のやり場に困る。

 「そう、別に私は困ってはないけど?」

 「そういう事じゃないんだよ……」

 本当に反応に困る返しだな。そんな会話をしつつ、俺達は二度目のウンディーノ家本邸への道を進むのだった。
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