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三章 動乱の気配

第35話 闇夜の訪問者

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 ナイフをぐっと握りしめ、ティフォ先輩を観察する。得物を向ける俺にやや動揺しているようだ。暗くて表情はよく分からない。

 「あのー、リオ君? 暗いし明かりくらい付けるよ?」

 「……どうぞ」

 慣れた手つきで机の上のランプに火を灯す。ぼんやりとした明かりが先輩の顔を照らす。

 「まあ警戒するのもしゃーないか。オーケー、俺に敵意は無いから。下ろしてくれよそれ」

 「ティフォ先輩が怪しくないと分かるまでは警戒するべきですけど……先輩が本気出したら勝てる訳ないですね」

 「うんうん。だから抵抗しても無駄だって……ってちゃうわい、それ敵のセリフやないか」

 諦めてナイフを下ろす。先輩もいつもの調子が戻ってきたな。俺も元々先輩と敵対するつもりは無いのだ。

 「……で、何の用ですか? 大人しく巫女家に捕まります?」

 「やだなあ、なんで何もしてない俺が捕まるのさ。それに俺が素直に捕まると思う?」

 「ですよね。じゃあなんで先輩は逃げてるんですか?」

 「ズバリ、めんどくさいから。話して分かるとは思えないじゃん? それに、俺は学園には居られないからさ」

 「学籍を除かれたって話ですか……ヒナに調べてもらいましたけど、本当でしたね」

 「うん。学長、というかノーミオ家は俺が邪魔みたいだからなー」

 そうか、今日シルフィオ家で聞いたノーミオ家の話。ドラヴィド国と戦争をするなら元王族であるティフォ先輩の存在は邪魔なのだろう。捕らえて人質にでもするつもりだったのかもしれないが、逃げ回る先輩の方が一枚上手だったようだ。

 「てな訳で、リオ君には俺が持ってる情報を教えよう。どうするかは自由だけど、できれば俺の無実を証明して欲しいな」

 「……聞きましょう。ちなみにその情報源ってのは?」

 「ひ・み・つ!」

 イラっとした。うん、いつものティフォ先輩だ。

 「まずはね、巫女家の動向について。シルフィオ家とウンディーノ家は……リオ君も知ってるからいいか。それでノーミオ家はだけど、戦争をする前提で話が進んでるみたい」

 「やっぱりですか」

 「ノーミオ家の私設軍が規模を拡大してる。戦争を特に推進してるのは現当主である学長の甥……今の巫女は彼女の姪でね、その兄なんだ。ノーミオ家の内政を担っているらしい」

 「だからなんで先輩がそれを……いえ、学長自身は?」

 「推進派ではあるけど、どうも舵を取り切れてないようだ。あ、この話は信頼していいよ。俺ので聞いた事だからね」

 ややはぐらかすが、情報の正確性に自信はあるらしい。しかしノーミオ家も一枚岩では無いのだろう。推進派の中でも、より急進的な人がいるようだ。

 「さらに学園への権限も強めているみたいだ。最近、演習授業に視察が来ただろう? 顔は分からないかもしれないけど、その巫女の兄が来てたらしいんだ。もし戦争になれば邪霊イビル討伐の班がそっくりそのまま招集されるかもね」

 「戦争……」

 他人事のように感じていたものが、一気に現実味を帯びる。もし、イレア達と倒すのが邪霊ではなく、人になってしまったら――

 「だけど安心して欲しい。ドラヴィド国から戦争を仕掛ける気は無いみたいだ。軍隊が近づいた理由は分からないけど、向こうはそれを望んでいないんだ。二十年前の争いについては知ってるだろう?」

 「はい。外交問題が大きくなって、戦争になったとか。公国では町一つが焼けて、孤児が何人も出て……ソージア先生もその一人って聞きました。ドラヴィド国の方の被害は知りませんけど……」

 「似たようなものだよ。でもドラヴィド国の方は戦後の処理が上手く行ったみたいでね、今は特に戦争をする理由が無いって言った方が分かりやすいかな」

 「なるほど、つまりドラヴィド国の進軍は戦争とは関係無い可能性が高いと?」

 「断定はできない。ただ、この国が受け取る情報源はノーミオ家だからね。曲解されないように見張るべきだね」

 「それについてはリギスティアさん――ウンディーノ家の当主とシルフィオ家の当主が監視するようです。というか、そんな情報を先輩から受け取った俺も危ないような気がするんですけど」

 「まあ、そこは頑張って。俺が手助けできるのはここまでだからさ」

 「はあ……それと、この前ソージア先生の家に手紙届けましたよね?」

 「うんうん、読んでくれた?」

 「――なんて、また先輩らしい事しますね」

 以前、酔い潰れた先生を家まで送った時に届いた送り主不明の手紙。やはりティフォ先輩のものだったようだ。ある意味先輩らしいとすら言える安易な仕掛けには困惑したものだ。

 「バレバレ過ぎて他に何か隠されてるのかと思っちゃいましたよ。あんな事するなら普通に書けば良かったのに」

 「あはは、急いでたからね。多少誤魔化しつつも一刻も早く知らせたかったからさ。あの時点では俺の学籍が消された事とノーミオ家の様子しか分からなかったけど……理由を考えれば確証は持てたからね」

 「その、ってのは先輩にとってですか? それとも……」

 「まだ、俺にとっての、だ。でもこのままノーミオ家の独断で戦争が進んだら……君達とも敵対するのは避けられないと思う」

 事態は想像以上に深刻だ。何か少しでもきっかけがあれば、爆発してしまいそうな状況。そして、その鍵を握るのは――

 「頼んだよ、リオ君。君はウンディーノ家とシルフィオ家、そしてノーミオ家とも繋がりがある。上手く伝えれば最悪の事態は回避できるはずだ。それに、穏健派の中で極東にも顔が効くのは君だけだ」

 「待って下さい先輩、どうして極東の話が今?」

 すでに窓に足をかけ、部屋から出ようとする先輩。ここに長くはいられないのだろう。

 「これだけ事が大きくなれば、あの国も黙ってないはずだよ。或いは既に――」

 「まさか、極東が何か関わってるんですか!?」

 「いや、俺に分かるのはさっきの話までだよ。それ以外は知らない。でも楽観はしていられないと思う」

 「……肝に命じます。先輩もお気をつけて」

 「うん。じゃ、またね」

 あっさりと先輩は窓から飛び降りてしまった。まるで明日も会うかのように。暗闇の外にはもう気配すら無い。

 「……まずは、学長に話を聞いてもらわないと」

 俺一人の身にはとてつもなく重い。この数日で、国の未来と過去を一気に負わされてしまったのだ。

 「もし戦争になったら、俺はどうすれば……」

 暗い考えが頭をよぎるが、すぐに振り払う。大丈夫。俺には信頼できる人がいる。ヒナ、イレアにリギスティアさん達。そう考え、俺は眠りに着いた。


■□■□


 夢だ。いつか見た夢の続き。いや、繰り返し?

 だけどそれは以前よりも明確で――――



 ――男が壇上に上がる。集まった人々は彼に注目し、その口が開かれるのを待った。

 「皆さん、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。今日僕達が発表するのは、世紀の新技術。そしてそれを実用化した最新の試作品。皆さんは、歴史的な瞬間に立ち会うのです!」

 一斉に拍手が起こる。「俺」もつられて拍手をする。しばらくして拍手と歓声が収まると、男は何やら腰の高さ程の機械を起動した。ざわつく観衆。鳴り響くシャッター音とフラッシュ。

 「これが、僕達の技術の結晶。人の手が遂に生み出した超常の技術! 生命力エネルギー拡大変換機構、大精霊エレメントです!」

 そう言い終わると同時に――男の体が宙に浮いた。あり得ない現象。その異様な光景に人々は戸惑い、

 「人類は今を以て、これまでの科学を超越したのです!」

 その宣言に、再び歓声を上げた。西暦����年――歴史の転換点となった、偉大な瞬間である――


■□■□


 翌朝。疲れも取れず、重たい体を起こして教室に入った俺は、上の空で授業を受けていた。最近は好きな歴史の授業も身が入らない。

 ――今、俺が考えるべき事は三つ。まず一つ目は残りの大精霊にアクセスする事。二つ目は、戦争へと向かうのを阻止すべく、学長を説得する事。この二つは俺が直接学長と話をするのが解決策だろう。後はドラヴィド国からの連絡をリギスティアさん達も確認してくれる事に期待するしかない。
 そして三つ目。夢だ。誰でも一つや二つはある、昔から何度か見る夢。俺もそんなものだと思っていたが、最近になってその夢がやけに具体性を持ってきたのだ。内容はぼんやりとしか覚えていない。でもあれは、俺の先祖の――

 「――オ、リオー? 授業終わったよ?」

 「……ん、あ、ごめん、ボーっとしてた」

 トーヤが俺を呼んでいた。また授業を聞いてなかったのかと怒られるな。

 「授業には集中しなよ? ……って言いたいけど、何か悩みでもあるんだ?」

 「ごめんごめん。うん、ちょっとな」

 ……彼に話す訳にはいかないだろう。でも、多少なら大丈夫か?

 「なあ、少し聞いて欲しいんだけどさ」

 「お、相談ごと? いいよ。昼にヒナちゃんも来るし、一緒に聞くよ」

 そうして、昼に食堂で三人が集まった。最近は色々とありすぎて久しぶりのような気がするな。

 「んで、お兄ぃが改まって相談って?」

 「ああ、説明するのは難しいんだけど……なんかさ、自分が今まで知らなかった事をいきなり知らされて。それで自分にしかできない色んな事を頼まれたとしたら、どうする?」

 ものすごく曖昧な言い方になってしまったな。ヒナは察したらしいが、対するトーヤはちんぷんかんぷんだ。

 「あはは、難しいね。僕も委員長だし、兄さんから色々と仕事は頼まれるけど……」

 「うん、そんな感じので良いから。他の人だったらどうする……いや、どう考えるかなって」

 「僕だったらかぁ。そうだね、まずは身近な人に相談して……ってのは今やってるね。まあ、気負い過ぎないのが良いんじゃないかな? 最低限自分が困らない範囲の行動、納得できる答えってのがあれば、なんとかなると思うよ」

 「最低限、納得できる答え、か……うん。参考にする。ありがとな」

 「うんうん、お兄ぃは考えすぎじゃないかなー」

 「いいって。リオ、なんか大変そうだし」

 楽観的なヒナも今は頼りになるな。それにトーヤも事情を少し知ってるようだ。

 「詳しく僕から聞くのは良くないから黙ってるけど、巫女家の事……何かあったらまた相談してよ。力になれるかは分からないけどね」

 「ああ、ありがとう。その時はまた頼むよ」

 やはりこんな俺の相談にも乗ってっれるトーヤは良い友人だ。そんな彼や、学園に通う人のためにも――戦争だけは、起こしたくないな。



 「すまん坊主、来週から休業だ」

 その日のバイトが終わった後。食器を拭いていると、マスターが唐突に言い出した。

 「休業、ですか……」

 「ああ、巫女家の方から目ぇ付けられてな。おっと、坊主の知り合いの悪口になったら悪い。だがこうも監視されちゃあ客も入らんのさ。それにまたティフォの奴が問題でも起こしたら堪ったもんじゃねえからな」

 そう言ってチラリと店の外に目をやる。今も監視がいるらしいが、俺が知らないのであれば恐らくノーミオ家だろう。

 「てな訳で、また目処が立ったら連絡を寄越す。それまでに金に困ったら、他の店でも紹介してやるよ。ほい、今月の給料だ」

 「は、はい。ありがとうございます……ってこれ、全然多いじゃないですか!」

 渡された封筒には、今月働いた量の倍近い金額が入っていた。七月は残り半分もあるのに。それにマスターだって店を開けなくて困るはずだ。

 「なに、本来働いてもらったらそんなもんだろ。ガキがこっちの心配までするもんじゃねえよ」

 グリグリと頭を撫でられ、片付けが終わった俺は店から出されてしまった。

 「じゃあな坊主。もしティフォに会ったら連れて来い。ガツンと言ってやるからよ」

 「はい、マスター。また戻った時はよろしくお願いします」

 「おうよ、その時はキッチリ働いてもらうよ」

 頼りになるおおらかな店主だ。俺は封筒をしっかりと握り、家路を急いだ。



 「――そんな事があってさ。また時間も取れるし、修行でもしようかな」

 「ふーん、まあティフォ先輩もいないし、お金は問題無いでしょ」

 ヒナが委員会の仕事があった日の放課後、たまには一緒にご飯食べようと誘われたのだ。まあ、作るのは俺だけどな。

 「それもそうか……なあヒナ、最近学校の様子はどうだ?」

 「んー、ちょっと雰囲気が違うかも。ほら、放送委員って先生とかが使う書類の管理もしてるじゃん? なーんか、二十年前の戦争の時の資料とか、実戦に使うような精霊術の実験記録とか……ちょっときな臭いのが増えた感じがするんだよね」

 「学園はノーミオ家の影響が強いからな。また今週末も邪霊イビルの討伐演習があるし、嫌な風潮だな」

 「そうだね。あーあ、学園に来た時はこんな事になるとは思って無かったのになあ」

 俺だってそうだ。それに、戦争が終わってから二十年間はこの国は平和だったはずだ。状況が変わったのは……

 「なあヒナ。こんな事になったのはさ、今年の春……俺が、ここに来てからだよな。最近思うんだ。俺が原因で、色んな事が起こってるんじゃないかって……」

 包丁を持つ手が震える。最近ずっと考えているのだ。もし、俺がいなければ、何も起こらなかったのでは――

 「お兄ぃ!」

 ソファーに寝転がっていたヒナが立ち上がり、大声で言い放つ。手から滑り落ちた包丁が、シンクへ音を立てて落ちた。

 「あのさ、お兄ぃは戦争がしたいの?」

 「へ? いや、したくないよ。だからずっと悩んでて、」

 「じゃあ大精霊エレメントをぶっ壊して、精霊術をなくしたい? それともドラヴィド国と争ったり、邪霊を街に放ったりしたい?」

 「待て待て、急に何言い出すんだ!」

 怒ったように捲し立てるヒナ。話が唐突過ぎて訳が分からない!

 「違うでしょ? お兄ぃはそんな事がしたいんじゃないでしょ?」

 「そうに決まってるだろ。そのために色々考えてるんだよ!」

 一人で急に色んなものを負わされて。それでも戦争は起こしたくないし、大精霊の謎も知りたい。だから……!

 「――うん。なら大丈夫。お兄ぃのせいじゃないから」

 「っ! ヒナ……」

 「こんな事になってるのは、お兄ぃが原因な訳無いじゃん。だから、そんなに難しい顔しないでよ」

 ヒナが言いたいのは。俺が思ってた事は。

 「ね、委員長さんも言ってたよ。お兄ぃが困らないような、まずお兄ぃだけでも納得できるようにすればいいって」

 「……そうか。まず、俺が納得できれば。それで、良いのか?」

 「良いに決まってるじゃん。お兄ぃのせいじゃないんだからさ!」

 何度も繰り返される言葉。俺のせいではない。責任を感じるなと。

 「スッキリした? うん、いつものお兄ぃの顔だよ」

 「ヒナ、ありがとう。やっぱちょっと気負い過ぎてたな」

 マスターの言葉も今更になって身にしみる。ガキが心配するなと。

 「えへへ、やっぱお兄ぃは心配性だね! でももう大丈夫でしょ? わたしお腹すいたからご飯食べたい!」

 「ああ、兄ちゃんはもう大丈夫だ。今から作るから待ってろよ! マスターの所で鍛えたから味は期待しろよ?」

 こんなに気分が晴れたのは久しぶりだ。俺はヒナに感謝しながら、自信作を振舞うのだった。


■□■□


 そして来たる邪霊討伐演習の日。国境の門に集められた俺は、いつもとは違う雰囲気を感じていた。それを放つのは前に立つ学長だろう。学長室を訪れてもずっといなかった彼女の姿を見るのは久しぶりだ。

 「――これより、邪霊討伐演習を開始する! 諸君の大きな成果に期待する!」

 いつもと同じ説明が終わり、学長の号令がかかる。生徒達は一斉に動き始めた。



 「よし、俺達は今日は少し遠くまで行こう」

 「うん。を見に行くんだね」

 「大丈夫なの?」

 「ご当主様に確認はしました。何かあれば報告するようにと」

 イレア、ヒナ、ソージア先生も集まり、邪霊に注意しながら草原を進む。向かうのは――ドラヴィド国の軍隊が発見されたと言われている、公国の東。

 「急ごう。時間は長くない」

 方角を確認しながらまっすぐに進む。途中で邪霊の襲撃もあったが、今の俺達は難なく制圧できる。フォーメーションは俺が前衛、イレアとヒナは中衛、ソージア先生が後衛で殿しんがりだ。



 「お兄ぃ、あれって何?」

 日が高くなった頃。定期的に空中から遠くを見渡すヒナが何かを見つけたようだ。

 「大きさ、数、他に分かる事があれば言ってくれ!」

 「大きさは……高さは人の背くらい。数……分かんないけど、いっぱい!」

 「本当にドラヴィド国の軍隊なんですか!?」

 「いえ、この気配は――まさか?」

 意識を集中させるソージア先生は何かを感じ取ったようだ。

 「嘘――こんな数の、邪霊イビルの大群……!?」
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