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五章 権謀術数と戦う者達

第51話 敵と味方

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 「……来たな。入れ」

 学長室の前。俺のノックも待たず、学長の低い声が中から聞こえた。

 「失礼します」

 「失礼します。何のご用でしょうか?」

 廊下で合流したヒナと共に扉を開ける。彼女も珍しく緊張した様子だ。

 「ミヅカの坊主と嬢ちゃん……お前達には失望したよ」

 俺達の顔を見るなり、学長は溜息を零した。俯くその顔は険しい。

 「私に対しては構わん。失望したのは偽らざる本音だがな。しかし、実の親に恩を仇で返すとは……」

 威圧感。絞め殺すような空気が部屋を支配する。

 「シオンを――お前達を産み、育てた母を裏切り、ウンディーノ家に付いた。シオンは確かに己の仕事や立場を隠していたが、それでも筋は通していた。こうして私を頼ってお前達の世話をさせようとするくらいにはな。だというのに……どういうつもりだ」

 静かに怒りを露わにする学長に肌が粟立つが、答えは既に用意してある。大丈夫だ。

 「……裏切られたのは、こっちですよ」

 「なんだと……?」

 「母さんは、極東軍の幹部だ。それはいいです。でも、母さん達がやろうとしている事は……戦争を始めるなんて事には、絶対に協力できない。それだけです」

 「それは敵対する理由にはならん。協力できないならそう言えば良い。極東に帰るというなら許されるだろう。親を裏切る事など、断じて許さん」

 俺の巫女の能力についてどこまで知っているかは分からないが、学長は俺がウンディーノ家に入った事は知っているようだ。忠義を重んじる彼女が、こう言ってくるだろうとはリギスティアさんに言われていた。

 「親、というならウンディーノ家も俺達にとっては親と同じです。それに、身内の舵も取れていない学長に言われたくありませんね」

 「っ……貴様ッ!!」

 激しい剣幕で声を荒げた。地面が揺れているのは気のせいではないだろう。彼女の力が感情によって漏れているのだ。部屋が軋む音は彼女の怒りそのものである。
 予想通りだ。俺も無策で煽った訳ではない。これもまた、揺さぶりをかけるようにとリギスティアさんに指示されているのだ。

 「シオンを呼んでこよう。お前達は退学だ。極東に送り返して――」

 バタン。感情を抑えて宣言した学長を遮るように、扉が開けられた。打ち合わせの通りだ。

 「ヴィオ、そこまでです」

 「……リジー」

 満を持したリギスティアさんが登場に、学長は顔を顰める。だが、再び溜息を吐いた。

 「……ああ、そうだ。お前は昔から用意周到な奴だったよ。最初から全部、お前の差し金か。こいつらを従わせたのもお前か?」

 「いえ。二人には自分から選んでもらいましたよ。その結果、二人の身を保証するためにウンディーノ家に迎え入ただけです。退学処分は認めませんよ」

 「……」

 火花を散らす二人。だが、怒り心頭の学長に対してリギスティアさんは落ち着いた様子だ。

 「それと今聞こえたのですが……シオン殿は公国にいるとでも? そのような話は聞いておりませんね。他国の軍人を秘密裡に招聘した理由についてはどう説明なさるのですか?」

 「フン、いると言うなら調べてみろ」

 追及するリギスティアさんだが、一転して学長は余裕の態度だ。どういう事だ? 母さんをすぐにでも呼ぶような口ぶりだったが。

 「まあよいでしょう。二人の扱いは今までと変えぬように。あとの事は、次の当主会議で説明頂きましょうか?」

 「いいだろう。決着を付けてやる」

 では失礼します、と言ってリギスティアさんは部屋を出て行った。それに続く俺とヒナに、学長は最後に声をかけた。

 「母親の気持ちを考えろ。次に会う時までに態度を改めておけ」

 「……失礼します」

 はいともいいえとも言わず、俺達は部屋を後にした。



 「ふむ……ヴィオは、シオン殿が近くにいるような言い方をしていましたね。ですが、国内では見つからない自信がある。どこかに潜伏している? もしくは、公国の領外に……」

 ぶつぶつと考え込むリギスティアさんだが、どの考えも納得がいかないようだ。しばらくして考えを止めた彼女が、俺達に向き直った。

 「リオさん、ヒナさん。申し訳ありません。我々と関わったばかりに、学園が居心地の悪いものになってしまうかもしれません」

 「いえ。覚悟はしていました。寧ろまだ通えることがびっくりなくらいですよ。ありがとうございます」

 「うん、おばあちゃんが守ってくれるんでしょ?」

 彼女が言った通り、俺達の意思でウンディーノ家に付いているのだ。気に病む話ではない。

 「それに、イレアだっています。安心して下さい」

 「……そうですね。分かりました。何かあればすぐにソージアに伝えてください。力になります」

 「お願いします。それではまた」

 「ばいばーい」

 教員棟の玄関で別れて俺達は授業へと戻った。何か考え込むような仕草をしたヒナも、思う所があったようだ。



 その日の放課後。

 「――放送委員を、辞めると?」

 「うん」

 人気のない放送室には二人の女子生徒。ヒナがエスメラルダを呼び出したのだった。

 「それは何故かしら?」

 「わたしの事情は委員長も知ってるでしょ? だから、辞めた方がいいかなって。巫女家から独立した中立の組織、それが放送委員じゃないの?」

 「ええ、その通り。貴女の立場も耳にしてるわ」

 「だからそういう事で。今までお世話になりました」

 そう言ってお辞儀をするヒナだったが、

 「お待ちなさい」

 「あ、最後に何かやる事ある? じゃあそれだけ――」

 「いいえ。辞める必要は無いですわ。ヒナさん、放送委員に残りなさい」

 「……理由を聞いてもいい?」

 強く引き留めるエスメラルダに、ヒナは出会った当初の強引さを思い出していた。

 「そもそも、放送委員を辞めるようにと誰かに言われましたの?」

 「ううん、誰にも。でも、立場的に辞めた方がいいでしょ?」

 「その必要は無いと言っているのですわ。貴女が言う通り、この組織は巫女家から完全に独立した組織……という建前ですわ。つまり、巫女家のしがらみによって影響される必要も無いということ。分かります?」

 「屁理屈じゃん」

 「ええ、屁理屈で結構。そもそもわたくしだって完全に中立とは言えませんし。ですから、唯の委員である貴女が巫女家に属していようと関係無いのですわ。しかもこちらが先でしてよ」

 「んー……なんか納得いかないような」

 「納得なさい。今でさえ人数がギリギリの委員で、優秀な貴女に抜けられるとこちらも困りますわ。それに……」

 「それに?」

 「ヒナさん。わたくし、貴女の事は気に入っていますの。ですから委員長命令です。放送委員に残りなさい」

 豪奢な金髪を夕焼けに煌めかせ、エスメラルダは優雅に微笑んだ。

 「……そっか、命令なら辞められないなぁ」

 これにはヒナも折れる他ない。もっとも、最初から辞めたいと思っていた訳ではないのだ。

 「それからもう一つ」

 今度は打って変わって真面目な表情でエスメラルダは続けた。

 「先程、貴女の立場は耳にしていると言いましたけど……正確には、の事情は把握してるわ。だいたいね」

 ヒナ達の事情。ウンディーノ家だけでなく、今起こっている様々な事件についても知っていると言うのだ。

 「わたくしの立場からは、協力するとは言えないわ。でも貴女のする事を妨げはしない。放送委員の権限を行使する事については全て黙認するわ」

 「委員長……」

 「放送委員が中立なのは、あくまで国の機関としてですわ。国そのものが窮地にあるのなら、守るために戦う。当然でしょう? 中立のリーダーであるわたくしに直接はできませんが、ヒナさんに協力することは惜しみませんわ」

 やや声を潜めて言ってから、エスメラルダは仕切り直すようにパンと手を叩いた。

 「さ、用事は終わりですわね。わたくしは優秀な委員を引き留めただけですわ。いいかしら?」

 「……うん、分かった。これからもよろしくね」

 そう交わして、ヒナは引き続き委員として務めるのだった。エスメラルダがそうであるように、ヒナもまたこの委員長を気に入っているのである。


■□■□


 「ドラヴィドからの手出しが早まった上に失敗に終わったことで、向こうは攻めあぐねているのかもしれません」

 学園が再開してから五日。初週ということで警戒していたものの、ノーミオ家の動きが無かった事をリギスティアさんはそう評した。

 「ですが、明日は邪霊イビル討伐演習。できる限りの警戒をして下さい」

 「不参加……って訳にもいきませんかね」

 「ええ、邪霊の討伐の方針には当家も賛同していますから。貴方達が当家の者と知れた以上、義務とも言えます。それに、向こうが動くというのにみすみす見逃すことはしません」

 「任せて下さい、お婆様」

 イレアは自信を持って宣言した。その目は決意を宿している。

 「ウンディーノ家の一員として、戦います」

 「ええ。でも危険な時は自分の命を最優先するように。それが貴方達の一番の役目ですからね」

 「はい!」

 気負い過ぎるなと暗に伝えた彼女は微笑み、俺達は明日の準備をすることになった。



 ――雰囲気が、違う。

 「これより、邪霊討伐演習を開始する。長期休暇明けだからといって気を抜かないように!!」

 いつも通りの学長の挨拶。集まっている生徒も同じ顔触れだ……いや、違う。いつもより多い? 人数はさして変わらない。だが、存在感を放つグループがニ、三個ある。見た事の無い生徒だ。しかも……

 「リオ、あの人達って」

 「うちの生徒じゃないな」

 格好は俺達と同じ制服姿だ。しかし新品の服を着ている彼等は見慣れない生徒である。俺とヒナ以外には。

 「極東から連れてきたのかな。あの黒髪の人とか、まんまそうじゃん」

 「知ってるの? 向こうにいた時に会った事あるとか?」

 「いや、面識は無い。でもな、雰囲気が違うんだよ。多分軍の学校……それも、その中でもトップクラスの所だな。留学とかいう名目だろうけど、厄介だ」

 「あー、お兄ぃもどっかから推薦来てたっけ? 公国こっちに来るからって辞退したけど」

 「来る予定が無くてもお断りしてたよ。あんなの学校じゃない。軍人の養成機関だ」

 極東軍のエリートコースの一歩目とも最難関とも言われる、軍直属の高等学校。その内の一つは母さんの出身校でもある。そこに進む同級生も何人かいたが、彼等の雰囲気を更に凝縮したような……殺気すら感じる。

 「極東軍とノーミオ家の差し金でしょうね。できるだけ関わらない方向で行きましょう」

 ソージア先生が言う通り、十中八九ノーミオ家の学長と極東軍からの手配だろう。恐らく、いや確実に俺達の監視もされているはずだ。

 「じゃあ行きましょうか。彼等から距離を取りつつ、今日はできるだけ国境の近くに陣取りましょう」



 「はぁぁあああっ!」

 一刀両断。膝の高さくらいの巨大なダンゴムシのような邪霊は、背中を真っ二つに割られて動かなくなった。これで最後だ。やはりというか、国境の壁が見える範囲の邪霊は弱いものが多かった。

 「こっちは終わりました! どうしますか!?」

 少し離れた所のソージア先生に大声で尋ねる。

 「みんな、場所を移しましょう。少し南の方に行くわよ!」

 だが、常に周囲に人間がいないか警戒しながら戦うのは、かなりのストレスである。それでいてある程度の成果も俺達の班には求められるのだ。気が重い。

 「お兄ぃ、見張り交代。先生と一緒に先に向こうに行ってて」

 「分かった。今の所は大丈夫そうか?」

 「うん。ホムラ先生が見張っててくれてるからね」

 今のフォーメーションは、ソージア先生が見張りで固定、俺とイレア、ヒナの三人から一人ずつ見張りを交代している。イレアは少し遠くで倒した邪霊の残骸を片付けていた。

 「じゃあ行ってくる。頼んだぞ」

 「うん、任せて!」
 
 俺はソージア先生の声がする方へ駆けていった。



 「国境の門から少し離れてしまったわ。様子を見て最初の場所に戻りましょう」

 「彼等は近くにいますか?」

 「挟まれてるわね。私達より更に南に数人、東に数人いるわ」

 「向こうから手を出してくる可能性はあるんでしょうか」

 「分からないわね……分からない以上、できるだけ距離を取るべきよ」

 納得の意見である。だが、逃げてばかりなのも少々癪だという俺の考えは見透かされたらしい。

 「……こちらから探りを入れようなんて考えはやめなさい。どうせ向こうの目的はほとんど分かってるんだから、無意味に顔を見せてやる必要も無いわよ」

 「いえ、そんな事しませんよ。分かってますって」

 「リオ君は意外と無鉄砲なところがあるからね……イレアさんを任されてるんだから、もっと落ち着いて行動しなさい。先が思い遣られるわ」

 「……はーい」

 藪蛇をつついて説教が始まってしまった。でも先生のいう事は正しいのだ。無鉄砲という評価は以前も聞いたな。

 「婚約の事を公に発表したら自然と注目されるわ。巫女家としての行動を身に付けなさい」

 「わ、分かりました……その、婚約の公表ってもうすぐなんですか?」

 「ええ。ご当主様は学長にあなた達の事を話したのでしょう? 次の当主会議で発表すると思うわ。今月中には国全体に公表されるんじゃないかしら」

 「おお……なんか緊張してきました……」

 「だからもっと振舞いを身に付けなさいと言ってるのよ――っと、邪霊よ。無駄話はおしまいね」

 「行きます!」

 説教を遮った邪霊に少しだけ感謝しつつも、漆黒の剣を手に斬りかかる。敵は四足歩行の人型邪霊だ。

 「『加速』――『硬化』!」

 数体の邪霊が二方向からやってくる。剣を持たない左手でも応戦すべく、二種類の術を発動する。手に馴染んだ剣と精霊術は淀みなく敵へと向かう!

 「はあっ!」

 無手の左側を隙と見たか、前方左の邪霊が先に向かってきた。左腕を構える。

 ガンッ!!

 「邪魔、だっ!」

 激突した袖は鉄鋼のような音を立て、邪霊を跳ね返した。それと同時に剣を水平に振りきる!

 「もういっちょ、『加速』っ!」

 横薙ぎにした勢いを殺さずに、回転して近くの邪霊を切り伏せる!

 ギギィギギギギッ!!

 が、声のような音を立てて、一体の邪霊が地面スレスレにしゃがみ込んだ。そして地から離した両手には十本の長い爪。マズい、背中が!

 「『硬化』っ! ぐぅっ……!」

 間一髪。硬化は間に合ったが、切り裂いた衝撃は背中を通して全身を揺さぶる。

 「させるか、よ!」

 この間、一回転。再び正面に向いた邪霊の頭を、今度は正確に斬る!

 ギギグァガッ!!!

 が、その一瞬前。衝撃波が真正面から襲う。違う、これは何かの術!?

 「っ、ぁぶね!」

 バックステップで回避する。何かが光ったあと、足元の草が徐々に黒く染まった。やや遅れて植物が焦げた青臭さが鼻に届く。

 「熱線かよ! なら――精霊スピリットよ、水流壁!」

 体を覆い隠す水壁を生み出し、すぐに崩壊させる。ずっと維持できる力は無いが、今は水さえあればいい。

 「うおらぁっ!」

 ジュワッという音を立て、水煙が立ち込める。それは邪霊の姿を隠すが、問題無い。迷いなく剣を振り下ろす!

 ギィギッ――

 ザン、と切り裂く音がして剣から抵抗感が消えた。同時にバタリと鉄塊が落ちて地面を揺らす。残心と共にもう一度見渡し、静かになったのを確認した。

 「よし、終わりだな。先生ー!」

 やや離れた場所で常に周囲を警戒している先生を呼ぶ。が、返事が無い。

 「ソージア先生ー?」

 遠目に見える先生はただ立っているだけだ。が、その向こうに人影がある。イレアか? ヒナか? いや、何か違う。

 「先生っ、何かあったん――」

 駆けつけて問おうとした。しかし言葉は出なかった。それより先に目に入ったのは。


 「やっぱり、いると思ったのよね。久しぶり」


 俺と同じ黒髪を一本に括った小柄な女性。影のように身に纏った、地を抉るほどの大太刀。
 しかし、その容姿に注意を向けられないほどに警戒心を駆り立てる、強大なオーラ。恐怖。

 「――母、さん……!」

 なんとか絞り出した声で、俺は母を呼んだ。
 親愛と恐怖と懐かしさがぜになった感情が、俺の体を支配した。
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