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カツ丼礼賛
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いけないと思っていても、つい、やってしまう。あるいは、やらずにいられない。人間だれしも、そんな葛藤を一つや二つ、抱えているのではないだろうか?
私にとって、カツ丼がそれに当たる。
こう言うとたいていの人は、「カツ丼?」と怪訝な顔をする。
しかし、世の中にはさまざまな人がいる。
美少女キャラのフィギュアや、トレーディングカードを大量に集めるオタク、結婚後も彼氏との恋愛を続ける人妻、レアアイテムを集めるために何百時間もオンラインゲームを続けたり、アイテムに何万円もつぎ込んだりするネット廃人。他人から見れば理解に苦しむような行為でも、当人にすれば何物にも代えがたい、かけがえのない快楽なのだ。それが私の場合、たまたま「カツ丼を食べる」という行為だったにすぎない。
カツ丼。なんと素晴らしい言葉だろう。
「カツ」という音は、どちらも無声破裂音で構成されており、サクサクとした揚げ衣のように鋭く涼しげな響きをもたらす。また、続く有声破裂音の「ド」は重々しくも勢いよく、丼の持つボリューム感を想起させる。それらの音が鼻音の「ン」で締めくくられることで、一層引き立ち、一つの料理の名前として完成し、完結するのだ。
カツ丼の具はシンプルであらねばならない。カツと玉ねぎと卵。あとはせいぜい、色どりとして三つ葉を少々散らすくらいで十分であり、グリンピースを散らすなどもってのほかだ。
カツ丼は、カツを割り下でしっかり煮込んで味を含ませるものが主流だろう。しかし私は、カツを丼飯の上に乗せ、その上から割り下で軽く煮た溶き卵をかけてとじる、大阪風のやり方が好みだ。なぜなら、この方法であれば最初はサクサクしていたカツが、食べ進めるうちにしっとりとしてくる、その変化を楽しめるのだ。
卵は軽く溶き、白身と黄身がわずかに混ざり合うくらいにする。固すぎず柔らかすぎず、ふんわりと半熟の状態でカツをとじたものが望ましい。
豚カツはロースが良いが、あまり分厚すぎず、さりとて薄すぎず、噛みしめたときに脂と肉汁がほとばしる程度が良い。とはいえ、あまりに分厚くて、ツユの味がまるでしみ込まないようでは、カツをご飯に乗せて食べているのと変わりはなく、「カツ丼」として食べる意味がない。肉の旨味と割り下の味わいが程良く調和するところに、カツ丼の理想形がある。
カツ丼を目の前にしたとき、私はまず、全体をじっくりと眺めまわす。この作業には、食べる前にカツ丼の先味を楽しむことはもちろんだが、カツと卵の配置、ご飯と卵の分量、バランスなどを確認し、食べるペース配分を考えるという、重要な意味があるのだ。
カツ丼に限らず、丼物において最大の悲劇といえば、具、ないしご飯を食べ進めるバランスを失し、具を残したままご飯を食べきってしまったり、ご飯を残したまま具を食べきってしまったりするところにある。そんな悲劇を回避するためにも、勝負は箸を取る前からすでに始まっていると言っていいだろう。
さあ、ペース配分を決めたら食べ始めよう。
まずは卵がほとんどかかっていない、端のほうのカツを取り上げ、一口かじる。サクサク、ザクザクした衣と肉の味わいを楽しみながら、卵のかかったご飯を立て続けにほおばる。トロリとした卵が、カツの衣で刺激された口の粘膜を優しく包み込むと同時に、ご飯に染み込んだ割り下のカツオダシの風味と、甘辛い味わいが舌の上にフワリと広がる。それを無心に咀嚼し、味わい尽くして飲み込む。と同時に、さらなるご飯を口の中に追加する。
このとき、ご飯は同じ場所を縦に掘り進めるようにして食べていく。こうすることで、底に溜まったツユが見えるようになる。このツユを使って、味のついていないご飯に味をつけたり、カツに味を含ませたりするのだ。最初の何口かは、カツと卵の味がなじんでいないので、特にこの作業が重要になる。食べ進めるうちにこのツユはご飯に吸収されていくため、早いうちに「発掘」しておくことが重要なのだ。
一枚目のカツを食べ終わったら、タップリと卵がかかり、ツユのしみ込んだ二枚目のカツに取りかかる。
一口かじるだけで、肉と卵とツユの濃厚な旨味が混然一体となって口中を満たす。
このあたりから、食べ手の性格によってご飯の食べ進め方が変わってくる。代表的なものは、たっぷりツユのかかったカツとたっぷりツユのかかったご飯を食べて、濃厚な味わいを満喫するタイプと、たっぷりツユのかかったカツにあまりツユのかかっていないご飯を合わせて、味のバランスを取るタイプだろう。私は言うまでもなく、後者である。前後不覚、一気呵成に丼メシをかき込むならともかく、一口ごとに味わいを楽しみたい時には、常に慎重さを忘れず箸を進めねばならない。
カツ丼を楽しみ、味わいつくすため、過ちを犯してはならないのだ。
無論、一口ごとにバランスを考えて食べているようでは素人である。私のような「カツ丼の達人」ともなると、こうした手順はほぼ無意識、かつ自然に進められるようになるのだ。
カツもご飯も半分くらいになってきたところで、七味唐辛子を取り出す。このあたりで七味唐辛子をふりかけて刺激を追加し、気持ちも新たに後半へ進むのだ。ピリッと辛い七味唐辛子の刺激は、甘辛いツユと脂の味に疲れた口の中をリセットし、胃袋の活動を活性化して食欲を増進させる。脂で重たくなりがちなカツ丼を食べるうえでは、必須アイテムと言っていいだろう。
ここで初めて、私はご飯をガツガツとかき込むように食べ始める。ここまで慎重に食べ進めてきたのは、すべてこの食欲を全解放し、欲望の赴くままに喰らう瞬間のためでもある。
口中はカツ丼で満たされ、自分とカツ丼が一体化したような心地になる。もはやカツ丼を味わっているのか、カツ丼に味わわれているのかも分からぬ。ただ食欲の権化と化し、ブルドーザーが地面を削るがごとくカツをかじり、ご飯を口に押し込んでいく。無言、無心で、ただひたすら胃袋へ詰め込んでいくのだ。
気がつけば丼はカラとなり、いくばくかの米粒とツユの残滓が張り付くばかりである。熱いお茶で勢いを沈め、満足のため息をつけば、カツ丼による食事はめでたく終了となる。
私は一時期、この快楽が忘れられず、一日五度のカツ丼生活を送っていたことがある。おかげで腹回りは1メートル、体重は100キロを超え、並みの食事では満足できない体になってしまった。
若気の至りで……というひと言で片づけるには、少々やりすぎかもしれない。
カツ丼。実に業の深い食べ物である。
「快楽、過ち、若気の至り」の三題で執筆。
私にとって、カツ丼がそれに当たる。
こう言うとたいていの人は、「カツ丼?」と怪訝な顔をする。
しかし、世の中にはさまざまな人がいる。
美少女キャラのフィギュアや、トレーディングカードを大量に集めるオタク、結婚後も彼氏との恋愛を続ける人妻、レアアイテムを集めるために何百時間もオンラインゲームを続けたり、アイテムに何万円もつぎ込んだりするネット廃人。他人から見れば理解に苦しむような行為でも、当人にすれば何物にも代えがたい、かけがえのない快楽なのだ。それが私の場合、たまたま「カツ丼を食べる」という行為だったにすぎない。
カツ丼。なんと素晴らしい言葉だろう。
「カツ」という音は、どちらも無声破裂音で構成されており、サクサクとした揚げ衣のように鋭く涼しげな響きをもたらす。また、続く有声破裂音の「ド」は重々しくも勢いよく、丼の持つボリューム感を想起させる。それらの音が鼻音の「ン」で締めくくられることで、一層引き立ち、一つの料理の名前として完成し、完結するのだ。
カツ丼の具はシンプルであらねばならない。カツと玉ねぎと卵。あとはせいぜい、色どりとして三つ葉を少々散らすくらいで十分であり、グリンピースを散らすなどもってのほかだ。
カツ丼は、カツを割り下でしっかり煮込んで味を含ませるものが主流だろう。しかし私は、カツを丼飯の上に乗せ、その上から割り下で軽く煮た溶き卵をかけてとじる、大阪風のやり方が好みだ。なぜなら、この方法であれば最初はサクサクしていたカツが、食べ進めるうちにしっとりとしてくる、その変化を楽しめるのだ。
卵は軽く溶き、白身と黄身がわずかに混ざり合うくらいにする。固すぎず柔らかすぎず、ふんわりと半熟の状態でカツをとじたものが望ましい。
豚カツはロースが良いが、あまり分厚すぎず、さりとて薄すぎず、噛みしめたときに脂と肉汁がほとばしる程度が良い。とはいえ、あまりに分厚くて、ツユの味がまるでしみ込まないようでは、カツをご飯に乗せて食べているのと変わりはなく、「カツ丼」として食べる意味がない。肉の旨味と割り下の味わいが程良く調和するところに、カツ丼の理想形がある。
カツ丼を目の前にしたとき、私はまず、全体をじっくりと眺めまわす。この作業には、食べる前にカツ丼の先味を楽しむことはもちろんだが、カツと卵の配置、ご飯と卵の分量、バランスなどを確認し、食べるペース配分を考えるという、重要な意味があるのだ。
カツ丼に限らず、丼物において最大の悲劇といえば、具、ないしご飯を食べ進めるバランスを失し、具を残したままご飯を食べきってしまったり、ご飯を残したまま具を食べきってしまったりするところにある。そんな悲劇を回避するためにも、勝負は箸を取る前からすでに始まっていると言っていいだろう。
さあ、ペース配分を決めたら食べ始めよう。
まずは卵がほとんどかかっていない、端のほうのカツを取り上げ、一口かじる。サクサク、ザクザクした衣と肉の味わいを楽しみながら、卵のかかったご飯を立て続けにほおばる。トロリとした卵が、カツの衣で刺激された口の粘膜を優しく包み込むと同時に、ご飯に染み込んだ割り下のカツオダシの風味と、甘辛い味わいが舌の上にフワリと広がる。それを無心に咀嚼し、味わい尽くして飲み込む。と同時に、さらなるご飯を口の中に追加する。
このとき、ご飯は同じ場所を縦に掘り進めるようにして食べていく。こうすることで、底に溜まったツユが見えるようになる。このツユを使って、味のついていないご飯に味をつけたり、カツに味を含ませたりするのだ。最初の何口かは、カツと卵の味がなじんでいないので、特にこの作業が重要になる。食べ進めるうちにこのツユはご飯に吸収されていくため、早いうちに「発掘」しておくことが重要なのだ。
一枚目のカツを食べ終わったら、タップリと卵がかかり、ツユのしみ込んだ二枚目のカツに取りかかる。
一口かじるだけで、肉と卵とツユの濃厚な旨味が混然一体となって口中を満たす。
このあたりから、食べ手の性格によってご飯の食べ進め方が変わってくる。代表的なものは、たっぷりツユのかかったカツとたっぷりツユのかかったご飯を食べて、濃厚な味わいを満喫するタイプと、たっぷりツユのかかったカツにあまりツユのかかっていないご飯を合わせて、味のバランスを取るタイプだろう。私は言うまでもなく、後者である。前後不覚、一気呵成に丼メシをかき込むならともかく、一口ごとに味わいを楽しみたい時には、常に慎重さを忘れず箸を進めねばならない。
カツ丼を楽しみ、味わいつくすため、過ちを犯してはならないのだ。
無論、一口ごとにバランスを考えて食べているようでは素人である。私のような「カツ丼の達人」ともなると、こうした手順はほぼ無意識、かつ自然に進められるようになるのだ。
カツもご飯も半分くらいになってきたところで、七味唐辛子を取り出す。このあたりで七味唐辛子をふりかけて刺激を追加し、気持ちも新たに後半へ進むのだ。ピリッと辛い七味唐辛子の刺激は、甘辛いツユと脂の味に疲れた口の中をリセットし、胃袋の活動を活性化して食欲を増進させる。脂で重たくなりがちなカツ丼を食べるうえでは、必須アイテムと言っていいだろう。
ここで初めて、私はご飯をガツガツとかき込むように食べ始める。ここまで慎重に食べ進めてきたのは、すべてこの食欲を全解放し、欲望の赴くままに喰らう瞬間のためでもある。
口中はカツ丼で満たされ、自分とカツ丼が一体化したような心地になる。もはやカツ丼を味わっているのか、カツ丼に味わわれているのかも分からぬ。ただ食欲の権化と化し、ブルドーザーが地面を削るがごとくカツをかじり、ご飯を口に押し込んでいく。無言、無心で、ただひたすら胃袋へ詰め込んでいくのだ。
気がつけば丼はカラとなり、いくばくかの米粒とツユの残滓が張り付くばかりである。熱いお茶で勢いを沈め、満足のため息をつけば、カツ丼による食事はめでたく終了となる。
私は一時期、この快楽が忘れられず、一日五度のカツ丼生活を送っていたことがある。おかげで腹回りは1メートル、体重は100キロを超え、並みの食事では満足できない体になってしまった。
若気の至りで……というひと言で片づけるには、少々やりすぎかもしれない。
カツ丼。実に業の深い食べ物である。
「快楽、過ち、若気の至り」の三題で執筆。
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