ロルスの鍵

ふゆのこみち

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Lv.144 足掻き

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「きゃっ!?」

 シーラの驚いた声を聞き、すぐ傍の部屋へひょいと顔を覗かせた。バノさんの手伝いで一緒に野菜を運んでいたから、虫でも出て来たのかと思ったのだが。
シーラは台に置かれた野菜ではなく、窓の方を見ている。僕が来たとわかった途端、泣きそうな顔をして駆け寄ってきた。

「キサラ、外に何か居るっ」

 調理場は食材に日が当たらないよう、よろい戸を閉じてある。そのよろい戸の隙間からカリカリと音がして、時折ドンドンと揺れていた。
シーラに部屋から出るよう促し、窓際へ寄る。ジリジリと足を進めている間も、何者かが侵入を試みていた。

 こんな時にはイヴァを頼りたいものだが、最近起きた変調に体力を奪われているらしく揺すっても声をかけても起きない。いや、一瞬目を開けはしたのだが「魔物は朝起きれねぇ」と言い残して再び寝息を立て始めた。勿論そんなものは嘘である。

(コルラス、外に誰が居るのか見たい。近くには寄らずに、姿が確認出来る位置へ移動してくれる?)
〔わかたー!〕

 ピュンと廊下へ飛び出したコルラスはすぐに同調を始めてくれた。
まずは神官宿舎の上空が広がり、白の壁を視線が滑って行く。予想していたのは食べ物の匂いに釣られてやって来た動物か強盗目的の悪人だったのだが、そのどちらにも当てはまらなかった。
 思わず脱力しながら同調を切り、盛大に漏れる溜息をそのままによろい戸を押す。すてんと地面を転げるこれに、果たして言葉は通用するのか。

「スチュマァラがどうしてこんな所に?」

 窓枠から身を乗り出しわっさわっさと揺れる魔草を見下ろすものの、返事には期待していない。
ひとまず野菜たちの間に入ってもらい、食糧保存に一役買ってもらうことにした。

「キサラ、その子と知り合い?」
「顔見知りかな、多分。草ごとの見分けがつかないから断言は出来ないけど」
「なんだか煙みたいなのが出てるよ?」
「魔素を吸って冷気を出してるんだって。魔草の一種らしいよ」
「だからおめめがあるの?」
「目? どこどこ」
「ほら、茎のところ。この子はここがお顔なのね」

 スチュマァラは上から見ればただの苔だが、横から見ればその形はまるで茸のようだ。
苔部分が傘にあたり、顔部分と思われる茎の下には細い葉が無数に生えていた。ここがわさわさと音を立てているのである。
攻撃時に伸びる蔓や根っこは全く見えないが、葉の下に隠れているのだろう。

(そうか、顔にナイフを当てたからあんなに慌てたんだ)

 改めてなんてことをさせたんだ。イヴァを睨んだところで起きる気配もなく、苛立ちに任せ鼻を摘まんだが、「ふがっ」と言っただけで依然気持ちよさそうに寝ている。

「シーラ、この魔草が何て言ってるかわかる?」
「え? うーん、植物な上に魔物だから、ちょっと難しいけど何となくなら」
「シュシュシュシュ」
「ごめんね、もう一度最初からお願いして良い? 今度はゆっくり」
「シューシュシュッ、シューシュ」

 苔(というか頭)がゆらゆらと揺れ、身振り手振りを交えた主張が始まった。無数の葉が動く度にわさわさと揺れるので、この子は今後ワサワサと呼ぼう。他のスチュマァラに混ざったとき、見分けられる自信はないが。

「えーっと、森、危ない。危険。って言ってる」
「ラスタールさんからの伝言かな」
「ううん、そのラスタールって人? を助けて欲しいみたい」

 ワサワサの話によると、少し前から濃霧の森には異変が起きていたようだ。だからイヴァが攻撃を仕掛けたとき、ラスタールさんはすぐに駆け付けることになった。常に警戒している状態が続いているらしい。
 濃霧の森はダードクリア陛下の植えた魔植物の集合体。濃い霧のために普通の植物は育たない他、寒さに強い動物しか生息出来ないということがわかった。

「皆仲間なら危険なんてなさそうだけど」
「侵入者、現れた。って言ってるよ。種を持ち込んだって」
「種? 聞いてる限り蒔いたところで育ちそうもないけど」
「そうだよね。……え?」

 シーラは驚いたように肩を揺らし、次いで縋る様に僕の裾を掴んだ。ブルブルと手が震え、顔色も悪い。
上から手を握り、しゃがんで顔を覗き込んだ。

「ワサワサは何て?」
「え、わさ……、うん、この子が言うにはね、種は水を奪ってるんだって」
「空の管か、こっちも把握してるよ。この辺に起きてる魔力的な干渉はその侵入者の仕業ってことかな」
「『害をなす者として仲間が排除に当たった』……かな? そんな感じ。ただ枯れた子も居るにはいるんだけど、ほとんど養分にされたって言ってる。侵入者の、養分」

 確かに聞いていて気持ちの良い話ではない。つらそうにしているシーラの背を擦り、残りはイヴァに任せるからと促すが首を横に振られた。ここからが重要だと。

「侵入者は持ち込まれた種の苗床になったって」
「うっ、取り込まれたってことか」
「元は死骸だったみたいだから」
「……不死者かな」
「『呪いを持った“穢れ”。不死者とは違う。辺りの水を奪ってどんどん大きくなってる』」
「それなら神官に頼んで浄化してもらうか、魔術師に頼るしかないかもね」
「さっきからこの子、ずっと『芽吹いた』って言ってるの」

 ゾッと悪寒が走った。侵入者、苗床、養分、芽吹く。持ち込まれた種が芽を出したってことじゃないか。
あんな寒い森の、日も当たらないような場所で周りから水を奪ってでも成長しているような植物だ。まともなモノが出てくるわけがない。それは確かに魔草も心配だろう。人間からしたらワサワサも似たようなものだが。

 問題は濃霧の森のみならず川からもごっそりと水を抜いていることか。種は前からあるようだし、どれくらい成長しているかもわからない。
ワサワサによると、ラスタールさんもこの事態を放置していたわけではないようだ。ただ苗床こと侵入者に魔草が取り込まれたせいで異物を認識出来ないとか。どこまで凶悪なんだ。

 僕らが現れたときに一斉に攻撃を仕掛けてきたのは、ついに侵入者が行動を起こしたと思ったから。紛らわしくて申し訳ない。

「もしかしてかなりマズい状況なんじゃ」
「『森の仮面ラスタールを助けて』」
「勿論」

 またあの森に入るなら防寒対策が必要か。イヴァを無理矢理起こし、早速準備を始める。今回は儀式のこともあるので手を貸すことに否やはないはず。
 シーラに後のことを任せ、ワサワサと共に調理場を出る。(流石に冷たすぎて持ち上げられないので)後ろについてもらうと、茎や葉を駆使して移動し始めた。苔(頭)が動いていないところを見ても、中々器用という印象だ。

 さて、空にある管については既に兄さんとジェリエくんが動いている。シュヒは別件、儀式関連について学者に問い合わせるとかで、既に宿舎を出た。ファリオンさんは何か別のことに苦心しているようで、交渉材料を揃えているらしい。
現時点で手を回してくれるのは恐らく兄さんとジェリエくんくらいのものだろう。


 と、思っていたのだが。

「タスラから聞いたよ、濃霧の森に行ったんだって?」
「プラック。どうやってここに?」
「兄貴たちから探り入れて来いって言われてさ。タスラに頼んで連れて来てもらったんだ」
「それ僕に言って良いの」
「俺そんなに賢くないから駆け引きなんて無理だし、お前たちは恩人だ。割り切って色々出来る程大人にはなれない。だから直接聞くことにした」
「結構思い切りが良いよね」
「俺のことはいいよ。キサラはどうしてあんな所に行ったんだ? 危ないから近寄んない方が良いぞ」
「儀式場の戦士に会いに行った、って言ったら信じる?」

 プラックは目を丸くして、それからニッと笑った。

「それこそ俺たちを頼れば一発だ。今の戦士は姐さんの弟だからな」





「―――っていう流れから盗賊団、じゃない、視察部・ヴェロデスが手伝ってくれることになったよ」
「こっちの言い分を信じたのか?」
「直接ジェティさんに会いに行ったんだ。ワサワサを見せたらすぐに指示を出してくれたよ。今はガッタルさんが中心になって動いてる」
「例の弁護人は何て言ってるんだ」
「結果によっては堂々とジェティさんを牢舎から出せるって。協力も惜しまないとかで、弁護人イパスの助手として一人呼び寄せたみたい」
「そいつを使えってことか」
「多分」

 例の管は水脈や水源にまで伸びていると予想されている。なのでその位置を特定し、守る必要があった。
何らかの種が芽吹き成長し続けていることを考えれば、管は直ちに排除もしくは無効化するのが望ましい。しかし本体はラスタールさんを以ってしても未だ発見出来ず、叩くことも出来ない。
供給源を断ち消耗を待つのが定石といったところか。

「学者に位置を特定させるみたいなんですよねー。それは良いんですけどー、これからで間に合いますかー?」
「結果を待ってたらいつになるかわからないな」
「神官の立場から言えばー、今すぐにでも対処に当たりたいですねー」
「待てよ? 川の妖精なら水の流れくらいは辿れるんじゃないか?」
「何か当てでもあるんですかー」
「俺に精霊魔法を授けたのが居る。呼びかければ何かしら反応があるだろ」

 コルラスやロッドさんやボルダロさん、ウィバロが頭を過る。皆僕たちに友好的だが、妖精は基本種族単位で人間を嫌っているハズ。
いや、もしかして天使の血が流れているからマシな扱いになっている、とかなんだろうか。
 僕が唸っている間に兄さんは着々と準備を進め、何の躊躇もなく呼び掛け始めた。妖精は、拍子抜けする程あっさりと返事を寄越す。

「ほほ~う? もしや呼び出し方がわからず困っているのでは、なんて思っていたが何とかなったようだな。流石はレイルの息子」
「水を張るだけだろ。忘れる方がどうかしてる」
「父さん、妖精と知り合いだったんだ」
「む、それなるは癒しの力を受け取った者か。レイルにもテイザにも似ていないな」
「キサラは母親寄りの顔だからな」
「惜しい。だが風の気配を感じる。妖精と契約した点においては高く評価しよう。賢きことよ」
「巻き付くな。離れろ」
「テイザ、いい加減我らも契約を交わそうではないか。こうして呼び出したのもそういうことなのであろ?」
「違う。ここ一帯の水源を探して欲しいだけだ」
「何を言うか、そのための契約だ。加護を渡した私に更なるものを求めるなど、対価なくしてはあり得ない。それとも、何か報酬を用意してあるのか」

 兄さんの呼び出した川の妖精は人型の女性体だった。
皿から出た体は水で出来ていて、動く度に髪がぱしゃりと揺れる。服は着ているのだが、布をそのまま引っかけたようなそれでは心許無い。
水で出来た体は肩や胸元の曲線、腰回りまでハッキリとしていて正直目のやり場に困る。下半身が皿に浸かり足が見えないようになっているだけマシだろうか。

「報酬は形の無いものでも構わないのか」
「ああ、何なら結婚という手もあるぞ」
「お断りだ。代わりに穏やかな冬を捧げよう」
「どこをどう聞いても求婚なのだが。良いぞ、まずは口付けを交わそう」
「年中水の中に居るから耳が詰まってるらしいな」
「何を言う。水中は陸上より余程音の通りが良い。ああ、わかったぞ。陸、引いては己の傍に居ろという要望か。情熱的だな」
「その振りきれた前向きさは尊敬に値する」

 それまで髪の毛を纏わせていた妖精が、ぐんと伸び上がって兄さんの首に手を回した。どうにも居た堪れないので顔を逸らすと、ジェリエくんが熱心にイヴァの手を揉んでいるのが目に入る。兄さんたちのやり取りにはまるで興味なさそうだ。

「俺と戯れていて良いのか? ここでは川から流れが奪われ、滝は姿を消した。今は良いだろうが、そのうち無視出来ない程の影響が出るぞ」
「何……?」
「お前の同胞、気配はあるか」

 スッと目を細め、次には目を僅かに開く。妖精は兄さんから体を離し、皿に戻って行った。
表情からして一応状況はわかってもらえたらしい。

「流るる我らは巡る者よ。此度に置いては協力を惜しまぬ」

 曰く水脈は複数あり水源も豊富。ただ大地に行き渡る間もなく管に吸い上げられているので、ほとんど枯れかけているようだ。
街の井戸から水を汲み上げられるのも後数日が限界だと断言された。

「この地に棲まう水の民は最早虫の息。早う助けてやっておくれ」
「言われなくてもそのつもりだ」
「今すぐ助ける方法とかないんですかー? 例えば、契約を結んで延命するとかー」
「それは現実的とは言えぬな。私のようにこうして、流れの無い水へ留めてやるしかないであろう」
「桶取って来る」
「そんなんで応急処置になるのか?」
「最後の手段と言って差し支えない、これは非常時であるからこその対処だ。でなければ到底、受け入れられるものではない」

 桶を運ぶと川の妖精は皿から移って姿を消した。この土地に宿った水の民たちを連れて来ると意気込んでいたので、きっと上手くやってくれるだろう。

「妖精にまで影響が及ぶなんてな」
「魔植物たちを吸収してるんですよねー? 討伐隊を編成しないと駄目かもしれませんー」
「儀式の成立と管の切除。これって、どっちも成功させないと僕ら生き残れないよね」
「そうは言ってもな……」

 ドッシュバル男爵は最初の証言以来口を開いていない。儀式について何かを知っているはずだが、騎士団がどれだけ手を尽くしてもそれ以上の情報を得られなかった。
最悪の場合投薬によって情報が引き出されるだろうとファリオンさんは予想している。その場合は役人の買収や男の殺害など、全ての罪を着せられるだろう、とも。

「ドッシュバル男爵が元気になれば話も違うんでしょうけどー」
「結局何が目的で男爵は濡れ衣を着せられたんだ?」
「あ、そっか。てっきり身代わりにされたんだと思ってたけど、一連の事件が最初から男爵を陥れるために仕組まれたものってこともあり得るんだね」
「でも悪名高き、なんだろ?」
「それもどこまで本当かわからないよ。特に今回のを見てるとね」

 プラックとプレニにしたことは疑いようもない事実だが、一つが本当だからといって全てがそうとは限らない。現に捏造と思われる証拠は全て男爵を指している。
街で起きたことが、ドッシュバル男爵の失墜を狙って計画されていた、と考えるのが妥当だ。
 真っ先に浮かぶのはデンバリッテ子爵だが、彼が男爵をわざわざ殺しにかかった理由は何なのか。彼が疑惑を否定してもそれを証明するものはなく、これまでの悪評からして無実を疑う人間は少ないだろう。先入観を利用すれば彼を罰するなんて簡単だ。

 明るみに出てはならない何かがあったと仮定すれば、危険を冒してまで排除しようとするのも頷ける。そして男爵が唯一言及したのは、儀式についてのみ。

「デンバリッテ子爵が、儀式に関して何か画策していたとしたら……?」
「子爵は確か神官派でしたねー。普通の貴族よりもー、冬迎えの儀式について知識関心があったとしても不思議はありませんー」
「行方不明になったっていう神官も、貴族たちと何か関係が?」
「もしそうなら儀式成立も夢じゃありませんねー。バゲル騎士に付き添いを頼んで話を聞いてきますー」
「じゃあ僕はドッシュバル男爵に会って来る」
「何をするんだ?」

 プレニを会わせるわけにはいかないが、荷馬車に乗せられていた人間が生存していると伝えたらどうなるだろう。

「聞きたいことがあるんだ」





 医院の中は日射しの入りやすい造りになっていた。天窓から見える空は一層高く見える。
整えられた庭の花々は全体的に淡い色合いで目に優しく、目立たない奥の一角で薬草を栽培するなど機能的だ。医院と言われても信じられない程に優雅である。

「ドッシュバル男爵様」

 部屋に現れた男爵は自らの足で歩いていた。手を引いて誘導する必要があるものの、回復したというのは本当らしい。
しかしこちらから声をかけても身動き一つ取らず、やや下がり気味の視線は誰とも交わらないまま虚ろだった。

「何かありましたらお呼びください」

 付き添っていた人員が一礼してから下がるのを見届け、僕は神官見習い役として男爵へ向き直った。兄さんは護衛として後ろに控え、事の成り行きを静観している。
正面から見た顔は肉付きの良い頬がげっそりとこけ、目の下の隈も酷い。

「荷馬車に、何を乗せていましたか」

 ふるりとまつ毛が震えた。声は聞こえているらしい。

「車輪に転移陣が刻まれていました。それだけ重要なモノを積んでいたんですよね」

 ふ、と目線が上がった。瞳が揺れている。

「荷馬車は誰が用意しましたか」
「……」
「男爵様自ら、ということはないはずです。積み荷のほとんどはお酒だったそうですが、中には人も居た。そうですよね?」
「………」
「覚えていないかもしれませんが、半成が乗っていました。女の子です。彼女は、救出されましたよ」

 ヒュ、と喉が鳴り、男爵の顔が見る間に歪んでいく。届いたと確信した次の瞬間には、勢いよく胸倉を掴まれていた。

「もう一人は」

 咄嗟に兄さんを制し、睨み返す。ここで引いたら終わりだ。

「答えてください、荷馬車を用意したのは誰ですか。その人物が何を乗せたのか、ご自身の目で確認しましたか」
「私、は、」
「『もう一人』と仰いました。その方に利用価値があるのなら、連れ去られたのかもしれません。貴方が少女を攫ったように」

 は、は、と息が浅くなる。目の前の瞳は更に揺れ、汗が滲み出した。顔色は酷いものである。

「生きているかもしれません。助け出す意思は、貴方にありますか」




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