ロルスの鍵

ふゆのこみち

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転移陣編

Lv.63 無知を絡め取った悪意

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 騎士たちは王にのみ膝を折る。そのため貴族や商人などは兵士を雇うのが常だった。
一つの家や組織に対し長く勤める兵士を私兵、単発的な依頼を(条件付きで)こなす場合は傭兵といった具合に分けられる。どちらも騎士とは違い、報酬さえ用意すれば誰にでも雇うことが出来た。

 騎士とは国、引いては王の持ち物である。騎士団を授けられるのは信頼の証、または期待の表れとされ、優秀な者や目覚ましい成果を挙げた貴族に対し与えられる栄誉だった。
ただしどこへ居ようとも「王の臣下」であることが前提なので、全ての命令に従うとは限らない。王からの不興を買う、采配が揮わなかったなど、資格なしと判断されれば剥奪されることもあった。

 このような経緯から「騎士在るは栄光の象徴なり」とまで言われ、特別視されるようになる。中でも異常なまでに騎士の存在を持ち上げ、過ぎる権力を持たせようと暗躍しているのが騎士派貴族というわけだ。
 歴史を紐解いた学者によれば、王以外の主を得た騎士というのも過去には存在したらしい。生涯仕える自分だけの騎士。格別の誉れであったろうことは予想に難くない。

 と、このように本来であれば歓迎され、誇らしいとまでされる騎士ではあるが、所属によっては真逆の待遇を受ける。そもそもの話になるが、各地に常駐する騎士は既に存在しているのだ。
……無いものとして数えられているようだが。


 “憲兵隊騎士”。構想当初取り締まりの対象は騎士だけに留まる予定だったが、当時の警吏廃止に併せその対象範囲は貴族を含む全ての人民にまで広がった。廃止理由は買収による腐食、治安の悪い地域での相次ぐ警吏襲撃などが挙げられる。抑止力になるどころか義務すら果たせなくなったために王は警吏解体を宣言。職務内容などを引き継ぐ形となった憲兵隊は、王直属の独立機関となった。

 発足時は組織の規模が小さく警吏よりも下に見られていた憲兵隊騎士だったが、徐々にその数を増やし国内各地へ派遣されるようになる。監獄塔は足掛かりとしての役割が大きく、重要な位置付けだった。
 所属は視察部・捕縛部・管理部の三つに大別され、憲兵隊騎士は国内のどこでも調査可能な権利を持つ。一口に憲兵隊と言っても、所属部が違えば大きく役割が異なった。

 視察部。前もって王や領主、貴族や商会などを相手に依頼を受け、指定された団体へ潜入する。所属している騎士の素性は明らかになっておらず、首席でさえ名前や性別などの情報が伏せられている。
 捕縛部。視察部などから与えられた情報を元に動く。普段は少数精鋭だが、大規模な組織相手の討伐(または捕縛)作戦時にのみ他騎士団から人員を募る。
計画や作戦ごとに部隊を編成するのだが、内容に適した能力の者で固めるためその場限りとなることが多い。
 管理部。公共施設の管理や警備を行う。特に監獄塔や牢舎、獄舎へ携わり、裁判待ちの人間や刑罰執行を待つ囚人の監視を中心に活動している。


 カレディナ監獄塔に勤めるバルセルゲン騎士とバゲル騎士は、管理部所属の憲兵隊騎士だ。

「それで、視察部は何と言ってきたんだ」

 捕縛部や管理部の憲兵隊騎士よりも上の権限を持つ視察部。彼らから要請があれば他二部門は従うしかない。丁寧に封蝋のされた手紙を見た瞬間から、バゲル騎士は嫌な予感がしていた。

「盗賊の目撃情報があったらしい。現在は追跡中だが、どうも罠を張るようだ」
「それが俺たちと何の関係が?」
「確認されたのがこの近辺だった、と言えばわかるだろう。管理部からも人を寄越せとのお達しだ」
「まさか。連中は現状を理解していないようだな、ここは建て直しの真っ最中だぞ」
「そう言うな、バゲル。魔物の襲撃については上層のごく一部しか把握していない。箝口令が敷かれたこともまた事実だ」
「調査をするのが本分だろう、視察部は。それしきの情報も得られない時点で担当者の程度が知れるな。老朽化で崩れたわけではないと、現地を見れば一目でわかるだろうに」
「敢えて目を瞑っている可能性もなくはない。管理部の騎士が四人も“死亡”扱いになったことを訝しんでいるのだろう」
「適当な理由をつけて突き返しても構わないのではないか?」
「無用な衝突は避けたい。ただでさえ今は我々に向けられる目が厳しいからな」

 憲兵隊の中で管理部が最も人員を確保しているとはいえ、それぞれの施設に割り振られる人材には限りがある。以前からして傭兵を雇っていたというのに騎士を四人も失った今、慢性的な人手不足であることは容易にわかるはず。
ここで捕縛部発足のために人員を割くというのはあまりにも手痛いが、そこに狙いがあるとしたら厄介だ。

 とはいえ、バルセルゲン騎士には一つ気がかりなことがあった。

「結界用の魔導具が盗難未遂にあっただろう。あれは、件の盗賊による仕業ではないだろうか」
「ッ、もしその予想が当たっていたとしたら、捕縛されるのはマズい。未遂とはいえ結界が破られたのは事実だ、露見すればここは立ち行かなくなる」
「この要請を逆手に取ることは出来ないだろうか。確か、侵入者が内部の地図を持っていたはずだ。入手経路について調べなければ今後も同じことが起こる」
「ならば視察部からの要請は俺が受けよう。これでも事態を悪化させたという自覚があるのでな」

 一連の騒動について語るとき、バゲル騎士は思いつめたような表情を見せる。勿論監獄塔を離れる理由がそれだけではないことを、バルセルゲン騎士は理解していた。

「あの魔族の情報を、俺は必ず持ち帰る」
「バゲル」
「今更何をと思うだろうが、任せてくれないか。バセ」

 思わずと言った風に零れ出た愛称に、バルセルゲン騎士は目を見張る。妻や家族、親しい間柄の人間との遠い日々。まるで今その場へ居たかのような錯覚がしたのだ。
 貴族然とした喋り方が剥がれ、憑き物が落ちたように翳りの消えた友。考えて見れば「俺」とはまた、随分と気安い距離に戻ったものだと目を細める。去って行った旅人たちへの感謝の念は、このようにして湧き上がり続けるのだ。

「何を笑っているんだ」
「状況の深刻さは理解している。が、何とも不思議な心地だ。どこまでも余裕がある」
「楽観的過ぎやしないか」
「今回はお前が全面的に味方側へつくからだろう。転機を与えてくれた彼らにどう恩を返そうか」
「……そういえば、キサラという少年に何か手渡していたな。あれは一体何だったんだ」

 あからさまに話題を逸らされたが、それ以上の追及はしない。
妻や家族を知っている人間は、病によって多く失われた。だからこそ思い出を語り合える相手というのはバルセルゲン騎士にとって殊の外重要な意味を持つ。
ラヴァヌの奪還こそ叶わなかったが、確かに前進したという自負があった。

「大魔術師と呼ばれる人物を知っているか?」
「ん、ああ。その間抜けな呼び方はどうかと思うが、確かアルストロフェ侯爵家の」
「ご当主だ。以前顔を合わせた」
「いつの間に。貴族の俺でも簡単には接触出来ないような大物だぞ」
「爵位授与の際にな」

 瞬間、バゲル騎士は体を強張らせた。バルセルゲン騎士がハドロニアと家名を与えられ、“ハドロンの槍”と呼ばれるきっかけになった悪魔討伐は、同時にバゲル騎士を狂気へと落とした原因でもある。
顔を俯かせるには充分な話題だった。

「アルストロフェ卿へ渡るよう、少年に託したのか」
「かの侯爵家は魔術師の家系としても有名なのだろう?」
「社交界では必ず話題に上る程だ。異彩を放つ一族ではある」
「私は庶民出身だからな、その辺りには疎い。ご当主の存在感は確かに群を抜いていたが、それは貴族としてというよりも魔術師として秀でているが故だった」
「なるほど。知らないだろうが、あの一族は逸話も凄まじいぞ。特に当代は王族とも懇意にしている。付き合いがあるのなら慎重になった方が良い」
「残念ながら手遅れだ。私たちが関わりを持ったのは、ご当主が魔術師だったからに他ならない。彼は研究者として魔術師協会に所属し、ご自身の力であらゆるものを検分なさるお方だ。ただの在籍であれば私と出会うこともなかっただろう」
「……待て、例の悪魔の死骸はもしや」
「アルストロフェ卿が買い取った」

 「病魔の化生」と呼び称された悪魔。討伐後、死骸が忽然と姿を消したことで領地一帯が一時混乱状態に陥っていたのだが、実は当時アルストロフェ侯爵が直接買い取りの交渉に現れたのだとバルセルゲン騎士は語る。

「ご当主の研究主題は『瘴気の浄化』。ただし神官の行う浄化とは違い、瘴気に侵された人間から毒素を吸い出すのが目的だ。ここだけの話、魔法や魔術の無効化を最終段階として目標にしているらしい」
「そんなことが可能なのか?」
「不可能だからこそ実現の道を探されているのだ。私が討伐した悪魔は死骸と成り果てても瘴気が漏れ出し、毒素の検出値が異常だったらしい。最高の素材だと言われたよ」

 それがきっかけでしばらくは魔物の死骸を提供するようになった。バルセルゲン騎士が監獄塔へ捕えられた後は当然、音信不通になったのだが。

「『瘴気に関して得られた情報があれば私に』と手紙を添えておいた。キサラくんへ渡したのはいわば取引材料と言える」
「どこが取引だ。卿から情報を得るのが目的だろう? 向こうに何の得がある」
「瘴気解明は研究の要だ。人間が瘴気を出すなど、前例が無いだろう」

 魔人製造の手記を魔術師に渡す。それは研究材料としてラヴァヌを差し出すのも同義だった。
バルセルゲン騎士には魔術がわからない。魔物の生態など、牢の中でどれ程学んでも理解の及ぶ領域ではなかった。
だから託す。大魔術師とまで呼ばれた魔術の頂点に。

「私はこう伝えるだけで良い。『魔人は完成した』と」

 一見すれば表情は変わらない。全身に力が入り、握られた拳が震えていることに気付かなければ非情な父親に見えたことだろう。
バルセルゲン騎士は、何も相手が最高峰の魔術師だからという理由で頼ったわけではない。その人間性に信頼を寄せているが故の決断でもあった。

 アルストロフェ侯爵家が治めるアガファルエ領には、人々が足を踏み入れない地域が存在する。
かつては緑豊かな平原があったとされる一帯は瘴気に侵され、神官による浄化が施されるもその後三百年以上経った今でも草木一つ生えない。
 領地を憂う侯爵家の命題は、瘴気を取り除いて尚影響が出続ける理由を解明し、緑を取り戻すこと。
奇人変人と言われる当代当主は特にその思いが強く、バルセルゲン騎士が心を動かされるほどに心血を注いでいた。

「ラヴァヌを魔核に依存しない方法で延命させる」

 研究が完成すれば魔人なる異形も人間に戻り得るかもしれない。そんな期待から、一縷の望みに賭けることにした。仮に魔核の除去が不可能だったとしても、神官に頼る以外の方法で瘴気浄化が行えれば、人間界にあって魔人が忌避されることもない。
どうあっても侯爵の研究はバルセルゲン騎士にとって必要不可欠だった。

 あの手記や手紙を通常の手段で送った場合、まず間違いなく「紛失」するだろう。巧妙に入り込んだ研究者の男がバルセルゲン騎士の動向を警戒していないわけがない。要は握り潰されてしまうのだ。
よって、自分の手で直接渡す・身近な人間が送るといった手段は使えない。幸いキサラの傍には常に魔物が控えており、彼に友好的な魔女も背後についている。確実に届くという確信があった。

「そのような内容なら代筆など頼みようもないな」
「自分で書いたとも。牢は一人の空間だったからな、集中が続く。おかげでこの通り、書類仕事もこなせるようになったぞ」
「あの部屋にあった手記を理解するためにか」
「無論だ」

 バゲル騎士は内心舌を巻いた。
天使に妄執するあまり愚行を働いていた自分に対し、バルセルゲン騎士は息子を解き放つことを目指して勉学に励んでいたのだ。それも独学で。
文字の読み書きに留まらず魔物の生態についてまで手を伸ばし、いつの間にかその知識は並みの魔術師を凌駕する程にまでなっていた。今後は瘴気に関してまで学ぼうというのだから頭が下がる。

 襲撃後、バルセルゲン騎士の許しを得たことでバゲル騎士の視界は開けていった。冷静になってみると、何度も監視の目を盗み抜け出していたことがわかる。部下の配置は巧妙に変えられていて、それも手助けとなっていた。
 牢の中でひたすら大人しくしているなどあり得ない、打開の策を練っている。まず思い至るべき想定だというのに、当時は可能性すら考慮していなかった。酷い思い違いをしていたのだ。

 天使を得るための実験とその成果を、バルセルゲン騎士こそが望んでいると。

 実験記録を見ないまま過ごしていたのは、心のどこかで「何かがおかしい」と理解していながらも直視するだけの気力がなかったからだ。代償が恐ろしかった。バゲル騎士はどこまでも、失うことに怯えていたのである。

「お前の話を聞いていると自分が情けなくなる」
「仕方がない。天使の伝説の中でも特にアマネスの奇跡は有名だ。縋りたくなるのもわかる」

 “アマネスの奇跡”。天使が死者と言葉を交わしたという伝説である。
死後の世界は三界を含む現世とは異なった次元にあり、生ける者はなんであれ踏み入れることの出来ない領域だ。神様でさえ踏み入れることの出来ないその場所と、原初の七天使・アマネスが交信を果たしたのだという。

「神話に出て来る鍵の逸話がアマネスの助力になったと思うのだが、お前はどう思う」
「鍵。いや、なんと言ったらいいのか」
「らしくないな。はっきり言ったらどうだ」
「神話に関する知識が全くないんだ、貴族というのは」
「意外だな、学びは義務だと聞いていたのだが」
「『国を治めるは神に非ず。我らの上に王在り』だ。王の上に存在する者は無しという、いわば忠誠の表れだな」
「神を信仰しているというのに神話は許されないのか。おかしな話だ」
「……言われてみればそうだな」
「如何に矛盾を抱えていようとも常識だと思い込んでしまえば案外わからないということか」

 神話の中には“原初の七天使”にまつわる伝説も含まれている。有名どころの話だけ聞いたことがあるという可能性も、なくはないだろう。だが。

「“ネメセルの悲劇”を知っているか」
「耳にするのは初めてだ」
「誰から聞いたんだ、“アマネスの奇跡”を」
「それは」

 魔人の実験をしていた研究員が、現れたその日に囁いた。「“アマネスの奇跡”を知っているか」と。
知らぬと返したバゲル騎士に男は夢のような話を紡いだ。死者と会話が出来る、天使の話。

「妹を、天使のようだと言っていたな」
「まだ覚えていたのか。……彼女は不出来な俺に呆れることなく寄り添ってくれた。話に聞く天使と、慈愛深い一面を重ねてもおかしくはないだろう」
「あの男にその話はしたか」

 あまりの剣幕に押され、困惑気味にバゲル騎士が頷く。間を置かずギリ、と鳴ったのはバルセルゲン騎士の歯だ。目には怒気が籠る。


「“ネメセルの悲劇”。天使を愛した者は天使が見えなくなるという伝説だ」


 これを知っていたのなら、バゲル騎士が天使に妄執することもなかったはずだ。カレディナが見えなければ言伝を頼むことは出来ず、見えていればバゲル騎士の想いを貶めることが出来る。実験そのものは偽りだったが、最初から研究員を名乗った男は嘲り笑っていたのだ。

 きっと堕天使を天使に戻す術があってもこう言っただろう。


 「お前に天使は得られない」と。




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