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月曜日はこうして幕を開ける
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月曜日。
特に何かしたわけではないが、休日が終わるのはいつも寂しい。
平日もいつも通り早く起きる。休日との違いは、家事をやるかどうかだ。必要以上に入念に歯を磨き、顔を洗ってソファに腰を落ち着ける。インスタントコーヒーを飲みながら、今日やることを考える。あれやってこれやって、考えているうちに10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分が過ぎ、家を出る時間になる。皴が入ったパンツを履き、色が薄れたジャケットを着て家を立つ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」とは言われないけれども、出発の挨拶をするのが僕の日課だった。
「おはようございます」
「おはよう」
職員室に着くと、隣の猪又先生がすでにいらっしゃった。定年を迎えた後、再任用教員として働いている大ベテランの先生だ。再任用教員とは、退職した先生が正規職員ではない雇用形態で働くシステムである。とは言っても正規の職員と同じぐらいの業務があるし授業もある。ただ、勤務時間と同時にでしっかり退勤できることが多いので、パートタイマーというのがしっくりくるかもしれない。
猪又先生は小柄で瘦せていて、髪の毛はほとんどないが、どことなく正岡子規を思わせる風貌には貫禄がある。以前、「正岡子規の生き写しのようですね」と尊敬の念を込めて言ったことがあるのだが、「それは禿げてるってこと、有川先生?」と柔和な笑顔で言われて以来言葉に気を付けるようにしている。
「有川先生、後で時間があるときに見てほしいものがあるんだけどいいかな」
「いいですよ、何ですか?」
「この俳句を今日授業で扱うんだが、自分の感性が生徒に合っているかわからなくてな。この表現で生徒に伝わるか見てほしいんだ。有川先生はまだお若いから生徒とも感性が近いだろうから」
「わかりました、感性が近いかどうかはわからないですが見ておきます」
そう言ってプリントを受けとると、ぎっしり赤入れされてコメントがされていた。なかなか時間がかかりそうだと思い、ひとまず後回しにして今日の準備に取り掛かる。今日は授業が4コマあるから、プリントの準備や何やらで朝は忙しない。僕に限らず、月曜日の朝はどの先生方も忙しなくなるのが常なので、印刷室の2台の製版機戦争を勝ち抜かなければならないのだ。
「おはよー、ラッキー空いてるわ」
そう言いながら本宮先生が印刷室に入ってきた。同い年で英語科の担当、僕と同じタイミングで赴任した先生だ。所謂同期ってやつで、何でも口に出す明朗快活な先生である。長身瘦躯で顔立ちは薄く、今風の若手俳優を思わせるので、女子高生には大変人気がある。「27歳の陽と陰」と生徒が僕らのことを話していたらしいと聞いたが、怒りよりも納得したことを覚えている。
「おはようございます、本宮先生」
「いつも思うけどさ、なんでそんな丁寧なの?おれたち同期だよね?たしかに親しき中にも礼儀はあるというけど、この距離感は敬遠を感じちゃうよ」
「そんなことはないです。癖みたいなものなので、気にしないでください。本宮先生は親しみやすいので、やっぱり同期の仲だと感じています」
「いやいや、これ聞いてる人の誰もがそうは思わないって。まあ有川先生のそんなところが良いところなんだけどさ」
僕としては本当にそう思っているのだが、なかなかうまく伝わらないらしい。国語科の教員として自分の考えを他人にうまく伝えられないのは非常に致命的かもしれないが、こんな調子でもう5年近く経っている。
プリントの準備が終わり席に着くともう朝礼の時間に差し掛かっていた。連絡事項が各先生方から交わされ、最後に持ち回りで朝のスピーチがある。教頭先生の進行で本日の連絡事項が始まった。体育祭、PTA総会、各行事についての連絡事項について交わされたあと、生徒指導グループの川下先生が「ちょっといいですか」と席を立った。
「近頃本校の生徒の頭髪が乱れています。校則では染髪は禁止です。先生方、厳しい指導をお願いします。自分のクラスの生徒だけではなく、学校全体で取り組まなければいけません。校内で髪の明るい生徒がいたら必ず呼び止めて注意をしてください。お願いします」
耳が痛いなと思った。僕のクラスにも校則を守らず茶髪や金髪に染めている生徒が数名いるからだ。
「それでは他の先生方何もなければ、今日の朝の打ち合わせはこれで終わります」
朝の打ち合わせが始まり、皆が席を立つ。出席簿を持ち教室に向かう。職員室を出ると、茶髪の生徒が前で待っていたが、何も言えずに通り過ぎるだけだった。川下先生、ごめんなさいと心の中で呟き、自分のクラスに向かう。
2年2組。南棟三階の端から2番目の教室。
さあ、今日も一日が始まる。
「おはようございます」
僕の中での最大限の声量で教室に入っていく。
月曜日はいつも、こうして幕を開ける。
特に何かしたわけではないが、休日が終わるのはいつも寂しい。
平日もいつも通り早く起きる。休日との違いは、家事をやるかどうかだ。必要以上に入念に歯を磨き、顔を洗ってソファに腰を落ち着ける。インスタントコーヒーを飲みながら、今日やることを考える。あれやってこれやって、考えているうちに10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分が過ぎ、家を出る時間になる。皴が入ったパンツを履き、色が薄れたジャケットを着て家を立つ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」とは言われないけれども、出発の挨拶をするのが僕の日課だった。
「おはようございます」
「おはよう」
職員室に着くと、隣の猪又先生がすでにいらっしゃった。定年を迎えた後、再任用教員として働いている大ベテランの先生だ。再任用教員とは、退職した先生が正規職員ではない雇用形態で働くシステムである。とは言っても正規の職員と同じぐらいの業務があるし授業もある。ただ、勤務時間と同時にでしっかり退勤できることが多いので、パートタイマーというのがしっくりくるかもしれない。
猪又先生は小柄で瘦せていて、髪の毛はほとんどないが、どことなく正岡子規を思わせる風貌には貫禄がある。以前、「正岡子規の生き写しのようですね」と尊敬の念を込めて言ったことがあるのだが、「それは禿げてるってこと、有川先生?」と柔和な笑顔で言われて以来言葉に気を付けるようにしている。
「有川先生、後で時間があるときに見てほしいものがあるんだけどいいかな」
「いいですよ、何ですか?」
「この俳句を今日授業で扱うんだが、自分の感性が生徒に合っているかわからなくてな。この表現で生徒に伝わるか見てほしいんだ。有川先生はまだお若いから生徒とも感性が近いだろうから」
「わかりました、感性が近いかどうかはわからないですが見ておきます」
そう言ってプリントを受けとると、ぎっしり赤入れされてコメントがされていた。なかなか時間がかかりそうだと思い、ひとまず後回しにして今日の準備に取り掛かる。今日は授業が4コマあるから、プリントの準備や何やらで朝は忙しない。僕に限らず、月曜日の朝はどの先生方も忙しなくなるのが常なので、印刷室の2台の製版機戦争を勝ち抜かなければならないのだ。
「おはよー、ラッキー空いてるわ」
そう言いながら本宮先生が印刷室に入ってきた。同い年で英語科の担当、僕と同じタイミングで赴任した先生だ。所謂同期ってやつで、何でも口に出す明朗快活な先生である。長身瘦躯で顔立ちは薄く、今風の若手俳優を思わせるので、女子高生には大変人気がある。「27歳の陽と陰」と生徒が僕らのことを話していたらしいと聞いたが、怒りよりも納得したことを覚えている。
「おはようございます、本宮先生」
「いつも思うけどさ、なんでそんな丁寧なの?おれたち同期だよね?たしかに親しき中にも礼儀はあるというけど、この距離感は敬遠を感じちゃうよ」
「そんなことはないです。癖みたいなものなので、気にしないでください。本宮先生は親しみやすいので、やっぱり同期の仲だと感じています」
「いやいや、これ聞いてる人の誰もがそうは思わないって。まあ有川先生のそんなところが良いところなんだけどさ」
僕としては本当にそう思っているのだが、なかなかうまく伝わらないらしい。国語科の教員として自分の考えを他人にうまく伝えられないのは非常に致命的かもしれないが、こんな調子でもう5年近く経っている。
プリントの準備が終わり席に着くともう朝礼の時間に差し掛かっていた。連絡事項が各先生方から交わされ、最後に持ち回りで朝のスピーチがある。教頭先生の進行で本日の連絡事項が始まった。体育祭、PTA総会、各行事についての連絡事項について交わされたあと、生徒指導グループの川下先生が「ちょっといいですか」と席を立った。
「近頃本校の生徒の頭髪が乱れています。校則では染髪は禁止です。先生方、厳しい指導をお願いします。自分のクラスの生徒だけではなく、学校全体で取り組まなければいけません。校内で髪の明るい生徒がいたら必ず呼び止めて注意をしてください。お願いします」
耳が痛いなと思った。僕のクラスにも校則を守らず茶髪や金髪に染めている生徒が数名いるからだ。
「それでは他の先生方何もなければ、今日の朝の打ち合わせはこれで終わります」
朝の打ち合わせが始まり、皆が席を立つ。出席簿を持ち教室に向かう。職員室を出ると、茶髪の生徒が前で待っていたが、何も言えずに通り過ぎるだけだった。川下先生、ごめんなさいと心の中で呟き、自分のクラスに向かう。
2年2組。南棟三階の端から2番目の教室。
さあ、今日も一日が始まる。
「おはようございます」
僕の中での最大限の声量で教室に入っていく。
月曜日はいつも、こうして幕を開ける。
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