ヤンデレ好きの俺の隣の子はヤンデレだったようで

2話

　晴れて俺は、生まれて初めての彼女ができた。
　入学初日に、しかもタイプの容姿、タイプの性格の子と。
　こんなうまい話がある訳ないとは思ったが、頬をつねろうが飯を食べようが、痛かったし味もした。

　あの後、つまり俺が告白してオーケーをもらった後。
　生まれて初めて、女の子と手を繋いで帰った。手を繋ぎたいと言い出したのは重士からだった。
「て、手を繋ぎたいです……」
　重士の顔は、茹でダコのように真っ赤になっていて、それも可愛かった。恥ずかしそうに繋がれている手をチラチラ見ては、にへらと顔を緩ませていた。
　初めて女の子と手を繋いでみて、色々と驚いた。
　手の柔らかさ、強く握れば壊れてしまいそうなほどの細さ、その手の温かさ。
　胸に広がる、言葉にしようのない幸福感。
　なにを話したかもよく覚えてないのに、それだけは明確に覚えていた。
　
　自分の部屋のベッドに寝転んで、手のひらを見つめる。
　まだ彼女の、重士の手の温もりが残っているように感じる。ぼふん、と手をベッドに下すと、言葉が漏れた。
「可愛かった……」
　手を繋いでいる時のことをもう一度、思い返してみる。
　手をもっと絡めようとしてくるが、恥ずかしがっているのか、最後までしっかりと手を絡めてくることはなかった。
　そんな様子を見ていると、可愛い以外の感想が出てこなかった。
「会いたい……」
　今すぐにでも会いたい。なんだかあの子とは、初めて会った気がしないほど一緒にいて居心地がよかった。
　まぁ、明日にはまた会える。さっさと雑用済ませて寝よう……。

　スマホを取り出してアラームでもつけようとすると、ボイスレコーダーがまだオンになっていた。
　慌ててオフにしておく。スマホの容量、思ったより少ないからな……。
　……待てよ、これには重士の声が録音されてたりしないか？
　スマホにイヤホンを挿して、再生ボタンを押してみる。

『こ、子供、今作ろ……？』

　無言のガッツポーズをあげて、俺は音量ボタンを連打した。
　やった、やったぞ。今夜はこれを聞きながら寝よう。
　意気揚々としているが、洗濯とか色々あるんでね。雑用、雑用っと……。
　……その前に試し聞きということで。

『宇和神くーん！』

　ふおおぉ！　最高だぁこりゃ！
　音量を耳が痛くない程度にギリギリまで上げた。仰向けになって目を瞑り、耳に精神を集中させる。
　耳と頭に響く重士の声を聞きながら、ニヤニヤしていると。
『可愛すぎるだろがあああ！！』
「ああああぁああ！！」
　耳がぁ！　耳がぁ！
　イヤホンをベッドの上で転げ回りながら耳からはずし、一時停止にした。まだキンキンする！　幽霊いないのに耳鳴りする！
　ひどい目にあった。なにバカでかい声で叫んだりしてくれてるんだ俺は。
　まぁ、気持ちはわかる。あんな可愛いことされたら叫びたくもなるよな。許してあげよう……過去の自分を許すことが大切なんだよ。



　何事もなく、翌日。
　家の前で彼女が待っていました。

　単純に、なんで？　という気持ちで頭にはてなマークが大量に浮かぶ。
　一緒に帰った時に、途中で別れたから家がわかるはずもない。家の住所を教えたりはしてないし、ここに来れるわけないんだが。
「なんでここにいるんだ？」
　別に怒るわけでもなく、ただ理由を聞いてみるとビクッとしながら重士は俯いた。
「ご、ごめんなさい。迷惑だったかな……？」
　鞄の持ち手を握りしめて、不安そうに言った。それを慌てて否定する。
「いや、迷惑じゃない。むしろ嬉しいよ。ただな、家の住所を教えた覚えが俺はなくてな……」
　それを聞くと、重士は少しだけ顔を上げ、自然となった上目遣いでこう言った。うあ、可愛い。俺の心臓にクリティカルヒットするからやめて。やっぱやめないで。
「えっとね。宇和神くんと別れたあと、宇和神くんの後をついていったの」
「……はい？」
　なんだ？　つまり尾行されたってことか？
　……やることが読めんなぁ。出会って二日で何言ってんだって話だが。
「あのなぁ、重士……」
　ため息をついて顔をしかめると、重士がビクビクと怯える。
　別にそんなにビビらせるつもりはないんだけどな……。けど、言っておきたいことがあるんでね。
　大変ご立腹な様子（に見える）俺に、重士は涙を目に浮かべた。
「ご、ごめんなさい。嫌なことしないから、直すから……」
「え？　嫌じゃないけど」
「ふぇ？」
　嫌なことはされてない。けれど、まったくもって許せない。ビシッと言ってやらないと、たぶんまた同じことをするだろうし。
「重士」
　名前を呼ぶと、重士はビクリと肩を跳ねさせた。大きな瞳には涙が浮かんでいる。
　……そんな顔されると決意が鈍るんだけど。
　ごめん、重士。だけどな、絶対に言っておきたいんだ。
「そんな遅い時間に帰って、誰かに襲われたらどうするよ！？」
　俺は怒った。目をかっ開いて、猛烈に。
　そりゃそうでしょ！？　こんな可愛い子が出歩いてたら襲われかねないでしょ！？
「俺に声をかけてくれれば送ってたし、てか言ってくれりゃ住所の一つや二つ教えるわ！」
「え？　えっ？」
　重士は混乱しているようだった。自分が怒られているのか怒られていないのかよくわからない。そんな感じの顔をしていた。
「で、でも！　宇和神くんに迷惑かかっちゃう……」
「迷惑じゃない！　おまえと一緒に居られりゃそれだけでご褒美だよ！」
　なんか気持ち悪いこと口走ってしまったが、言ってしまっては後の祭りだ。嫌われてもしゃあないね。……嫌われないよな？
「ふぇぇ？」
　案の定、重士も顔を赤くしてますます混乱している。混乱してる顔も可愛い……なんて思うくらい、俺は重士にゾッコンらしい。
「ほんっとに……今、スマホ持ってるか？」
「え？　えと、うん。あるよ」
　俺はそれを聞くと自分のスマホを操作して連絡先を表示させ、重士に見せた。
「ほら、これが俺の連絡先だ。いつでもどこでも、どんなときでも連絡していいからさ」
　そう言うと、重士はさっきまでの涙はどこへやら、パァッ！　と顔を輝かた。
　取り出した自分のスマホをものすごい勢いで操作し、俺の連絡先を登録する。俺のスマホに登録の申請が来たので、認証しておいた。
「ありがとう！　宇和神くん！」
　俺の連絡先がちゃんと登録されたのを確認し、心底嬉しそうに礼を言った。
　ニコッと笑うその姿はとても眩しくて、でも抱きしめたくなるような、そんな愛おしさを感じさせた。



　放課後。
　二日目なのでそこまでたいしたこともせず、すぐに放課後となった。近々テストがあるらしいが、まぁ受験の延長戦だと思えばいいか。
　
「ご、ごめんなさい。その、今日は用事があって……」
　重士が、心底申し訳なさそうにそう伝えてきた。
それぐらいで別に怒ったりしないのだが、重士にとってはとても大事なことらしい。
　まぁ、一緒に帰れないのは残念だが、毎日一緒に帰ってたら愛菜之も息が詰まるだろうしな。
　いつかは、俺と一緒にいると安心するって言ってくれるぐらいには進展したい。
「本当に、本当にごめんなさい。嫌いに、ならないで……？」
　涙目になりながら、尻すぼみな声でそう言ってきた。何言ってるんだか、それぐらいで嫌いになるわけがないのに。
　しかしなんでも、か……。
　いけない、良からぬことを考えてしまった。なんせ高校男児。そっちの欲は真っ盛り。
　俺は生きてきた中で一番と言っていいほどに悩んだ。バランス、ナイスなバランスを見極めるんだ。どれぐらいのお願いをすれば、俺の好感度が下がらず、かつ、重士の罪悪感を拭い、重士との関係を進められるか。
　だが一つのイレギュラー。それは俺が高校生の男子であること。理性が雑魚中の雑魚だった。欲が勝ってしまったのだった。
「抱きしめてほしい」
　下心がバレないように、せめてもの悪あがきで、冗談めかした口調で言ってみた。そんなところが死ぬほどダサい。
　内心、どうしようどうしようと焦り、逃げたい気分でいっぱいだ。気持ち悪い目で見られたらもう死ねる。困ったような顔で笑われるのが一番、心に来そうだけど。
　だが、そんな心配は全て杞憂だった。
「ほ、ほんと！？」
　前のめりの勢いで、俺に聞き返してきた。若干引き気味に、俺はさっきと同じ言葉を繰り返す。
「ほ、本当。俺が満足するまで抱きしめてくれたら嬉しいなぁー……なんて」
　最後まで聞くと愛菜之は、パァッと顔を明るくさせた。さっきまでの泣きそうな表情が嘘みたいだ。
　……これは、成功？
「じゃ、じゃあ！　いきます！」
　ふんふんと鼻息荒く、待ちきれんとばかりに俺に抱きつく。
　急に来るね。いや別にいいけどさ、一瞬ビクッてなっちゃったよ。周りに人がいなくて良かった。
　……ていうか、こういうことするの見越して重士は人通りの少ない道を通ったのか？　この道、やけに人が少ないなって思ったけど。そんなはずないか。

　俺は恥ずかしさと照れで胸がいっぱいだが、重士は大丈夫なのだろうか。経験豊富だから別に恥ずかしくない、とか……ありそうでなんかやだ。うわー、女々しい。
　だが重士も恥ずかしくない、というわけではないらしい。顔がみるみるうちに赤くなっていった。だけど、俺の後ろ手に回した手を離そうとはしない。ガッチリホールド決められてしまった。レフェリー、カウント頼む！　耐えられそうにない！　ギブ！
「宇和神くんの体温……好き」
　……好き、そんな二文字の言葉。
　その言葉はまるで、紅茶に入れた角砂糖のように俺の心に溶けていく。幸せで満たされていく。
　その言葉に俺は調子に乗ってしまった。
　恐る恐る、俺もされるがままじゃなく、腕を重士の背中に回してみた。
「……！？」
　ビクッとした後、なにをされたか理解したのか、すぐに脱力して俺の胸に溶けていった。柔らかい彼女の体は抱き心地が良くて、彼女の匂いは俺を安心させてくれた。

　時間にしてはほんの数分。
　満足した。もうすでに、満足していた。だけど、手放したくなかった。思いっきり抱きしめて、ありったけの思いを伝えたい。
　だが重士には用事がある。離れなくちゃいけない。
「重士」
　俺が名前を呼んで、肩を掴んで離す。
　その華奢で細い肩に、思わず手が強張る。ほんの少しの力で壊れそうな繊細さに、庇護欲を煽られる。
　そして驚いているのは俺だけではなかった。重士も、驚いていた。重士を引き離したことに。
「ご、ごめんなさい！　嫌だったよね？　ごめんなさい！　ごめんなさい……！」
「いや、めちゃくちゃ嬉しかったんだけど」
　重士が慌てて何度も謝り、そしてなにも考えていなかった俺は思っていたことをベラベラ話す。
「……う、嬉しかったの？」
「好きな子とハグできりゃ、嬉しいに決まってる」
「す、好きな子……えへ、えへへ……」
　顔を真っ赤にして、だけど嬉しそうに頬を緩ませる重士が愛おしい。今度は俺から抱きしめたくなる。だけど時間が時間だ。我慢しなきゃな……。
「宇和神くんは満足、できた？」
「もちろん」
　もう胸が幸せでいっぱいだ。スキップしたいぐらいに脳内バラ色だ。
　帰ったら、またこの感触を思い出して浸るか……。
「嘘はダメだよ？」
　……見抜かれていた。
　実のところ、もっと抱きしめていたい。抱きしめられていたかった。
　女の子特有の甘い匂い。柔らかな感触。胸に広がる温かいもの。……押しつけられる大きな胸。
　こんなのを知ってしまったら、ずっとハグしていたいに決まってる。人生でこんなに幸せを感じたことなんて、今までなかった。
「……本当だよ」
「ほんと？　でも顔が、その……」
　え？　顔？　……いけないな、俺は顔にものが出やすいらしい。周りからずっと言われてたけど、こればかりはどうにも治らない。
「……正直に言うと、まだ満足してないです」
「で、ですよね！？　ごめんなさい！　私が不甲斐ないばかりに……」
　なんで謝るんだ？　別に重士のせいじゃないのに。ていうか、俺の敬語がうつってるし。
　自己肯定感、ってやつが低いのか？　前にテレビかなんかで見たことがある。……なんか、励ますとかなんとか言ってたっけ。
　励ます───なんて、俺にはできない。うまい言葉を見つけられるほど賢くないんだよ。
　俺は、ただ思ったことを話すだけだ。
「いや、満足してないとかじゃなくて……ああいやっ、満足してない。満足できない」
「……！　ご、ごめんなさっ……」
「違う違う。その、謝らないといけないのは俺だ。ごめん」
　重士の謝罪の言葉を遮り、俺は頭を下げる。俺の言葉と行動に、重士は困惑した様子だった。うん、可愛い。
「俺はその、そのな……」
　こんな時になんでヘタレってんだ、と自分に怒ってしまう。うるせぇ！　と、一蹴して決意を固めて言葉を放つ。やってやるよ、こんにゃろ。
「ずっとハグしていたい、なんて思って……」
　また敬語を使って、逃げようとしている自分に情けなさを感じた。ああ、気持ちの悪いことも言った。
　さぁ、重士は俺をどう思っているか。凶とでるか吉とでるか。
「……ず、ずっと！？　えへえへえへへ……」
　両頬に手をあてがい、嬉しそうにピョンピョンと跳ねる。
　……これも、勝ちでいいのか？
　ホッと息を吐いて、言葉を続けた。
「これが俺の満足しないってか、できない理由。だから悪いのは俺なんだ。その、ごめん」
　俺がそう言いながら、また頭を下げる。側からみれば俺がなにか悪いことして、女の子に謝ってるっていう図である。けれど周りに人はいない。心置きなく、頭を下げられる。
「う、宇和神くんはなにも悪くないよ！？」
　そう言って慌てる重士に、俺は下げていた頭を上げ、重士と目を合わせる。
「愛菜之がそう言ってくれるなら、俺は悪くない。んで、これで誰も悪くないな」
「……あっ」
　どこか納得したように声を漏らし、そして俺に微笑みかけた。
「そういや、時間大丈夫か？　用事あるんじゃないのか？」
　そんな微笑みになんだか少し照れてしまい、俺が早口でまくしたてる。照れてばっかだな、俺。
「そうだった！　じゃ、じゃあね！　またね！」
　重士がそう言ってまた慌てた様子であたふたしだした。今の今まで忘れるぐらいにはハグに夢中になってたらしい。かわいすぎか？
「じゃあ、またあし……」
　明日な、そう言おうとした。けれど言えなかった。
　俺に抱きついた愛菜之に驚いて、俺は何も言えなかった。
　急に抱きつかれたら仕方ない。うん、仕方ない。
「……と、途中まで、一緒に帰りたいです！」
　こんなこと言われて拒否するやつなんて、いると思うか。



　帰り道の道中。
　心はスキップ気分の俺は幸せと幸せと幸せで胸がいっぱいだった。
　しかしこんな幸せでいいのだろうか。こんなに可愛い子と付き合えて、ハグまでできるなんて。
　ありがとう神様、生まれてきた中で今、一番幸せです。
　神様を信じないタイプの俺が珍しく、神様にそうお礼を心の中で言ってみたり。
「じゃあ、ここからはこっち行かなきゃ」
　重士が名残惜しそうに、繋がれた手を見つめる。フッと手から力を抜いたと思うと、俺の小指だけをギュッと握る。
「離れたくないな……」
　そんな可愛いことを言うもんだから、俺も胸が締めつけられて困る。気恥ずかしくて熱い頬と、すべすべの手に握られて熱くなる小指。
　信号は青に変わった。細くて綺麗な手を、繋がれていたい方の手で包み込む。
「また、明日も手繋ごうな」
　そう言うと、重士は嬉しそうな顔をして頷いた。
　
　チカチカと点滅する青信号。もう少しで信号が変わってしまう。また赤になったら、離れるのが辛くなりそうだ。
　振り切るように俺は走り出す。振り返って、手を振ってみた。

「宇和神くんッ！」

　重視の表情が豹変する。まるで叫ぶように呼ばれた名前。笑顔で振り返してくれるかも、なんて思っていたのに。

　ついさっきまで神に感謝し、そして今は神を恨んだ。

　猛スピードで走ってくるトラックは、まるで全てのツケを払わせにくるようだった。