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さーん
しおりを挟む「うん、何にも秘密はないわね」
己を客観的に分析してみても、特殊な家庭環境と生い立ちと婚約者ではあるが、その全ては周知の事実であるし、知られたくないようなこともなかった。
「秘密、ではなくて誰が、を探った方が良さそうね」
フィネの私室に出入り出来る者が直接カードを置いたことは間違いない。
カードを置いた者を特定出来れば、何を秘密と呼んでいるのかも分かるだろうと、フィネは踏んだ。
まずは侍女。
専属侍女のドロテアはフィネの乳母の娘で、乳兄弟でもある。五歳年上で、フィネが生まれた時から側にいてくれている。
フィネ自身以上にフィネのことを知るのがドロテアである。
ドロテアならばもちろんフィネの私室にも出入りするし、フィネのプライベートも把握しているだろう。
でも、ドロテアはないな。
そうフィネはすぐに否定した。
コン、コンコン……ゴン。
独特のリズムと強さでドアがノックされた。
誰か聞かなくても分かる。ドロテアである。
「フィネ様、お茶をお持ちしましたよ」
丁度ドロテアのことを考えていたフィネは、苦笑いしてしまった。どうぞ、と返事をすると、ドロテアがワゴンを押して入室してきた。
「どうしたんですか? 変な顔して」
そう、ドロテアは一緒に育ってきた乳兄弟で、フィネに何の遠慮もないのである。表も裏も中も外もドロテアはドロテアでしかない。
フィネはドロテアにカードを見せた。
「え、なんすか、コレ?」
「そうよね、そう思うわよね。まあ、私の部屋にあったから私宛なんじゃないかしら」
「え、部屋? 誰か勝手に入ったってことですか?」
「机にあったのよ」
「ええー……警備ぃ」
ドロテアはこの後の邸内の警備体制の確認を思うと頭が痛くなった。
使用人が何らかの意図でこのカードを置いたとしても、誰かが侵入したとしても、あってはならないことなのである。
「ねえ、それでね、私の秘密って何か考えてみたんだけど……思い当たらなくて。誰が置いたか、誰なら置けたか考えてたところなの。で、ドロテアも置けるな、って」
「ああ、それで変な顔」
「そう」
二人は同時に笑い出した。
フィネにとって、やはり気心の知れたドロテアは、ないのである。ドロテアにとっても、フィネにそんなことをするのは、ないことである。
「そんなこと、言った方が早いしぃ」
「あなたはね」
では、次は誰だろうとフィネは考えた。
侍女のドロテアではない。同じ理由で乳母と庭師、庭師見習いもない。
乳母と庭師は夫婦でドロテアの両親、庭師見習いはフィネと同い年のドロテアの弟である。
この一家は、ずっと一緒にいたフィネの家族同然である。
そのため、何かあっても全員直接フィネにズバズバ言ってくる。
フィネに対して全くと言っていい程遠慮が無いため、秘密なんて見つけようものなら、黙ってられる人たちでもない。
現に、フィネの唯一と言っていい趣味というか能力が見つかった時も……。
「あ」
「あ」
フィネとドロテアが同時に声を漏らした。
「フィネ様の秘密……って、あのことじゃないですかぁ?」
「ええ、でも……別に今では隠してもいないし、恥じてもいないわよ?」
「秘密ではないかもですがぁ」
「誰にも迷惑かけてないわよ」
「いや、先日の騒ぎを忘れちゃってんですか? ダメだって言ったのに、なんで描いちゃったんですか? 無駄に神の性質が現れて絵が動き出してぇ、騎士団が出動してましたよね?」
「だってドラゴンが格好良かったのだもの……」
フィネは神の性質をその血に確かに受け継いでおり『神還り』ほどではないが、特定の条件下で神の性質が発現したのである。
強く心を動かされた時に絵を描くと、絵が実体となって動き出し、勝手にその辺を闊歩してしまうという、得にも害にもならない非常に稀な能力をフィネは持っていた。
実体化した絵は、実際に描いた大きさのままもあれば、高天井に届くくらい大きくなることもあり、これはフィネの感動などの気持ちの大きさに比例しているようである。
そして、何を描いても闊歩。蝶を描いても鳥を描いても闊歩。植物を描いても闊歩。
しかも実体化した絵には厚みがない。真横から見たら線でしかない絵が、足が無くても身体をくねらせてドヤァと闊歩するのである。
もちろん、この能力について、現在は国に申告している。
フィネが描いた絵が動き出すのは幼い頃からのことだが、兄二人が『神還り』であり、フィネまでもそうであったならば伯爵家が(心労で)潰れてしまうと幼心に警戒したため、誰にも言わずにひたすら隠していたのである。一生、誰にも言うつもりもなかった。
まさしくフィネの秘密であった。
しかし、その秘密は既に露見している。
フィネのその能力がバレたのは、二年前のことだった。
フィネは、十四歳の誕生日を祝ってもらったお返しに、家族やドロテアたちにハンカチを贈った。
一つずつその人をイメージした花を刺繍で刺した。心を込めて、刺したのである。
今までたくさんの刺繍を刺してきて、神の性質が現れたことはなかった。だからフィネは油断していたのかもしれない。
ハンカチを贈る相手に渡した途端、刺繍の図案がそのままフィネくらいの大きさとなり、邸内を闊歩し始めたのである。
伯爵家には守りの結界が張られているというのに、どうやって次々に見たこともない正体不明の魔物が何体も入り込んだのかと、伯爵家に緊張が走った。
花たちは兄や護衛騎士に切られると、ひょんと消えていった。
物々しく騎士たちが警戒し、邸内を巡回している中、ドロテアの弟マテューが気付いた。
あれ、さっきの魔物たち、もしかして花っぽい? あれ? さっきもらったハンカチに同じような刺繍が……と。
さすが植物に詳しい乳兄弟である。
マテューが確認すると、先程の倒された魔物がフィネからもらったハンカチに刺繍されていた。
魔物がハンカチに封印された?
どういうことかと皆疑問に思ったが、事実は逆である。そして魔物でもない。
魔物魔物と言われ、フィネは冥い瞳ですっかり口を閉ざし、存在を消していた。
フィネの能力で発現した絵は、小一時間で自然消滅する無害な現象だった。
また、傷付けられれば瞬時に戻る。
残るハンカチはダリウスのために刺したものだけ。
皆がフィネが持つそのハンカチに注目した。
ダリウスが伯爵家に呼ばれ、この力を誰にも言うつもりがなかったフィネは、諦めてハンカチをダリウスに渡した。
天井いっぱいに青くて丸くてビラビラした何かがハンカチから出現し、邸内を闊歩し始めた。
もちろん、ダリウスに渡す前に皆が柄の確認をしている。
闊歩しはじめた何かは、刺繍されていたのと変わらぬ何かであった。
花です……。
フィネが呟いた。
ここではじめてフィネの神の性質が露見し、またしてもフィネに我慢させていたことを知ると伯爵夫妻は泣き伏した。
兄妹とダリウスは別のことに衝撃を受けていた。
花?
魔物じゃなくて?
待って……さっきのは緑色の歪な四角に黄色い毛がまばらに生えていたわよ。そんな花なんてある?
……青くて丸いのは、なんか可愛いな……?
マテュー以外、ハンカチの刺繍が花であることに気付いていなかった。
そう、フィネの絵心は皆無。
フィネは絵を描くことが好きだったが、いわゆる下手の横好きであったのである。
その実力はぶっちぎりにセンスなしであった。
ちなみに、フィネはダリウスのハンカチには、ダリウスの目の色と同じデルフィニウムを刺繍したつもりである。
フィネの能力が公にされると、世の画家たちは挙って自分の絵を模写して欲しいとフィネに願い出た。
実体化するなど、芸術家にとっては夢のような能力である。
フィネは快諾し、どの絵も全力で取り組んだ。
その結果、芸術とは何か……と呟きながら肩を落とす者のほか、一周回って爆発した芸術として、フィネの絵にニッチなファンがついたのである。
「ドラゴンが格好良かったんなら、その通り格好良く描いてくださいよ。騎士団になんて言われたか知っています? 『スキップするイノブタが出たぞ!』ですよぅ? 爬虫類系としてすら認知されてませんでしたよぅ」
過去を思い返していたフィネに、ドロテアがお茶を出しながら文句を言った。
ドラゴンが人里の上空を飛ぶことは珍しい。その雄姿を見たフィネはとても感動して、つい描いてしまったのである。
ドロテアには描かずに見るだけですよぅ、と言われていたので、こっそりと。
フィネのドラゴンはスケッチブックからあっという間に飛び出して、巨大化しながら窓から出て行った。楽しそうにツーステップを踏みながら。
……外の阿鼻叫喚には耳を塞いだフィネであった。
「でもね、やっぱり『秘密』ではないでしょう? 絵が歩くことだって、ちょっと……絵が下手なことだって、皆知っていることだわ」
「いや、ちょっと、って。……ま、そのイノブタも高値で売れたから良しとしましょう」
フィネの描く絵は小一時間うろうろした後、元の場所に戻る。スケッチブックならスケッチブックに、ハンカチならハンカチに。そしてもう動かない。一度きりなのである。
動き出した絵はその後オークションにかけられて、中々に良い値で売れ、領地の道路整備や水路整備にあてられていた。そのため、領民たちもフィネの絵を見かけると、暴れもせずに襲いもしない何かが闊歩するだけなので、また領地が潤うと好意的である。
絵を売ったお金が領地に使われることについては嫌ではない。まもなく嫁いで出てしまう生まれ故郷に恩を返せるのであれば、これほど嬉しいことはない。
ただ、フィネには一つ不満があった。
フィネの絵が町を歩くと、子どもたちから絵を指差され「絵獣さまだ!」と言われるのが腑に落ちないのである。
確かに上手な絵ではない(かもしれない)けれど、かわいい花を描いても丸い動物を描いても町並みを描いても何を描いても「獣」と括られることには不満だった。
ああ、この不満が『秘密』なのだろうか。
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