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第三章 Hybrid Rainbow

#27 偉大なる盤上戦

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 東雲しののめ警部補はかつて公安の人間であった。
 当時は品行方正。頼りになる良き先輩。
 悪徳警官ハイエナと呼ばれるような悪行に手を染めることもなく、むしろ優秀であり、警察官としての職務を日々全うしていた。

 彼が身を堕とすキッカケとなったのは、全世界を巻き込んで勃発した【黙示録大戦アポカリプスウォー】。

 日本に迫りくる様々な国家安全保障上の脅威を退け、すべての糸を裏で引いていたCIAの存在を看破。その目論見を阻止することに成功するが、米国との関係悪化を危惧した日本政府の手により真実はうやむやにされ、飼い主である警察組織からも危険と判断され、左遷。
 そのまま徳島県警に島流しにされ、現在は窓際族として自堕落な生活を送っている。

『あのあと桜田門に残った私は警察組織の浄化に取り掛かり、今の地位にまで昇り詰めました。
 だけど、まだ足りない。この国を変えるためには、先輩。貴方の力が必要なんです』

 怪訝そうな顔を浮かべ、東雲しののめ警部補は沈黙する。
 しかし、そんなことお構いないしに黒瀬くろせ理事官の口調には熱が籠る。

『今回の一件、私はものすごくチャンスだと考えています。
 星詠みの巫女抹殺は政治の観点では是としても、倫理の観点では当然、非でしょう。
 全世界規模で行われる情報戦争・【偉大なる盤上戦グレートゲーム】。
 一見、世界という視座でゲームが進行していくため勘違いされがちですが、あくまでゲームマスターを務める一部の上流階級たちも同時に参加者プレイヤーであり、少数派マイノリティ。勝機はそこにあります』

「要するに、星詠みの巫女抹殺計画を世間に暴露して多数派マジョリティを味方につける、と?」

『肯定です。すなわち、星詠みの巫女抹殺計画の阻止。
 私はこの一手で、今後の警察組織の主導権を取りに行くつもりです。
 現在、改革派エクスターナルがゲームの主導権を握っているとはいえ、中枢派セントラルやその支援勢力も水面下で活動しています。
 また改革派エクスターナルも決して一枚岩ではなく、星詠みの巫女暗殺に懐疑的な声があるのもまた事実。ゲームの盤上は意外と脆く、一突きで崩すことも可能だと私は確信しています。
 その下準備を進めている間に、先輩にはに動いて欲しいのです』

「待て待て。公安所属ならともかく、一介の警察官に過ぎない俺がなんでそんなことを…… 」

『今回の一件。どこへ着地しようとも、今後世界は大きく変容するでしょう。
 その先の時代を日本が渡り合っていくには、貴方の力が必要です。
 ですが今の私では、貴方をそこから掬い上げるには力不足。
 そこで先輩には、自力で這い上がっていただきます』

「俺ァ、別にそんなこと望んじゃいねーよ」

『私の望みです。先輩には星詠みの巫女抹殺計画を阻止し、最大の功労者として公安に返り咲いていただく。いいシナリオでしょ? ――― それに私は知っていますよ。先輩がもしものときを想定してをかけていることを』
……… ?」
『とぼけても無駄ですよ。【】の人間を、先輩は手中に収めているではありませんか』

 王手をかける棋士のように、確信をついたと云わんばかりに、黒瀬くろせ理事官は宣言する。

 しかし、
「……… 、だと?」

 東雲しののめ警部補は、まったく心当たりのない手札を名指しされ、正直困惑していた。
 その反応に黒瀬くろせ理事官もまた、動揺する。

『……… アレ、もしかしてご存知ない?』
「おまえいったいなんの話を――― 」
『驚いた。先輩らしくもない。ですがそれなら尚の事、天は私たちの味方をしているのかもしれません。
 私からは以上です。
 先輩。星詠みの巫女の件、頼みましたよ』

 プツン。電話が切れる。
 東雲しののめ警部補は怪訝そうに、携帯端末スマホを睨む。
「チッ、ご都合主義め」
 いつの世も、上の立場のお偉いさんは、下々の生活のことなんて気にも留めない。
 黒瀬くろせ理事官の陰謀に釘を刺すつもりが、いつのまにか思惑に乗せられている。
「――― しかし、まいったな。
 やれやれといった様子で、東雲しののめ警部補は再び煙草を吹かす。

 賽はすでに投げられた。
 あとは丁か半。蛇が出るか鬼がでるか。

 気掛かりなのは、黒瀬くろせ理事官が残した最後の言葉。
 とは、いったい――― 。

「かかりちょー、東雲しののめかかりちょー……… あっ、やっぱここにいた。ダメっすよ、ここ禁煙なんすから。に怒られんの、なんでかアタイなんすからね、もう……… 」

 屋上の扉が開く。気怠そうに現れたのは、若い婦警。 

 荒井涼子あらいりょうこ
 階級は巡査。鳶色の長い髪に三白眼。
 どことなくガサツそうな印象を受ける。
 刑事課雑務処理ザッショ係所属。
 窓際族第二号。東雲しののめ警部補の唯一の部下だ。

 注意された東雲しののめ警部補はめんどくさそうに、「へいへい」とだけ答える。

「で、どした?飯なら好きなときに行きゃあいいっったろ?」

「もうご飯なら食べました。 
 ―――
 さっき目ェ覚ましたみたいっス」
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