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第四章 Last Dinosaurs

#35 リヒト=モルゲンシュテルン

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 リヒト=モルゲンシュテルンの記憶のはじまりは、旅の道中より始まる。

 血の繋がらない軍人崩れの殺し屋・寡黙な男トロイエに連れられて、幼き日のリヒトは世界中を転々と回っていた。

 なぜ旅をするのか。
 両親の消息は。
 この殺し屋と自分の関係性は。

 当時のリヒトが抱いた疑問に対して、殺し屋トロイエは何一つ答えることはなかった。

 それでも、自身の境遇にリヒトは何ひとつ不満を抱かなかった。
 都市。村。街。廃墟。戦場。森林。海岸。荒野。雪原。砂漠。花。星空。夕焼け。動物。人。

 目に写る光景が目まぐるしく変わる日常に退屈はなく、いつも好奇心が踊らされた。
 義父が留守の間は現地の人間たちが親代わりとなり、様々な文化や価値観、技術を教えてくれた。
 リヒトはそれらの呑み込みが頗る早く、学習意欲も旺盛だった。また芸術に対しても並々ならぬ関心を示し、特に絵画は時間さえあればよく描いていた。
 そんな彼に、トロイエは様々な本と画材を与え、心行くまで勉学と創作にのめり込ませてくれた。
 殺し屋という血生臭い稼業についていたせいか、多少の護身術は身に付けさせられたものの、リヒトが稼業の手伝いをすることはなかったし、ましてやトロイエが共同生活の中で殺し屋としての残忍さや暴力性を垣間見せることは一度たりともなかった。

 素朴で不器用で物静かな、心優しき義父。
 それがリヒトにとっての、トロイエの真実だ。

 十歳になる頃、
 追跡者は、所属不明の高度な訓練を受けた特殊部隊。なぜ追われているかもわからぬまま、血相を変えたトロイエと共に隠れ、潜み、警戒しながら、終わりの見えない恐怖を彷徨う。

「リヒト、私はこの世界がどんなに残酷だったとしても、決しておまえをひとりにはしない」

 それが、トロイエの最期の言葉だった。
 、リヒト=モルゲンシュテルンはなんとか匿ってくれることとなった聖十字教H.C.A.の教会にたどり着く。
 そこで待っていたのは、トロイエの友人を名乗る老獪な神父。
 名を、と云った。
「待っていたぞ、世界の宿敵。その血に呪われた忌まわしき子供よ」
 神父は、不敵に嗤っていた。

        ◆◆◆

 アドルフ=ヒトラー。
 第二次世界大戦時の国際連合最大最悪の敵・ナチスドイツを率いた、国家元首にして大総統。
 リヒト=モルゲンシュテルンは、かの人物の13番目のクローンだった。
 トロイエはナチス残党勢力の構成員であり、追ってきた特殊部隊は世界警察・アメリカ。
 ナチス復活を恐れる彼等は、リヒトの抹殺を謀っていた。

 世界は――――。
 自分が愛したこの世界は。
 自分のことなど、微塵の欠片も愛していなかったのだ。

「だが我々は貴君に慈悲を与えよう。
 世界警察アメリカから逃れる手段はただ一つ。神の洗礼を受けることだ」
 かくして、リヒトは聖十字教H.C.A.に入信することとなった。
 この出来事により、世界中に散らばるナチス残党勢力の大半が超国家ヴァチカンに与することになるのだが、その事実を当時の彼はまだ知る由もない。
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