冬の呼び声

文字の大きさ
上 下
1 / 1

冬の呼び声

しおりを挟む
 二月の夜空。
 夕方に雨を降らせた濃雲は、和紙の様に薄明かりに透け、僕に夜明けを予感させる。
 ぬらりと光る古びた金属の路線は、電灯の光を星に変えて、垂れ下がった電線から滴る雫は、やがて駐輪場のトタン屋根に触れると、問いかけるかの様にその声を僕だけの夜空に小さく響かせた。
 僕は、駅の黄色い点字ブロックの上に置いた自分の足を見つめ、ホームの先から浮いたつま先を無意味にも忙しなく動かしてみた。電光掲示板に取り付けられた、場違いなアナログ時計は音もなく秒針を回している。
 僕は残りの一分に思い焦がれる。
 高揚なのか、希望なのか、或いは救いか、様々な感情と想いが頭を廻るけれど、秒針は、そんな事には一切の関心も示さない様子で、ふらふらと揺れながらもしっかりとその歩みを進めている。
そして、ふと僕は頭の中でこんな話を思い出した。

 ある日、町を大きな洪水が襲ってきた。
一台の車が青年の家の前に停まり、運転手が「中に入って」と叫んだ。
「神が救ってくれる」そう青年は答えた。
ボートがやってきたときも「神が救ってくれる」と言った。
 青年は、ついに屋根にぶら下がった。
 轟音と共にヘリコプターが助けに来たが、青年は、またしても「神が救ってくれる」と言った。
 青年は溺れ死んだ。
彼は天国で神に言った。 
「なぜ私を救ってくれなかったのですか」
すると神が言った。
「愚か者め。車、ボート、ヘリコプターを送ったではないか」

 遠くから電車の車輪がレールと擦れ、互いの金属を削る音が近付く。
 「なるほど。あの話では、神は電車は送らなかったなぁ。」
 そう思うと僕の頭は、真冬の乾いた空気と同調する様に、えらくスッキリとした。
 小さな一歩を進める。
 空を掴んだその一歩は、残酷なまでに僕を救った。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...