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重油狂騒曲
総督
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「なるほど、ルアン共和国の私掠船団を無血で突破したと。それはなかなか、大したものです」
総督は俺たちの話を聞きながら、口だけはニコニコと笑う。しかし目線は、片時もその鋭さを崩さず。
むしろ話が進むほど、俺たちを推し量るようなその目は険しくなる一方だった。
狸め。と俺は心の中でひとりごちる。
「よく分かりました。そのうえで、もう一つだけ確認のために伺いたい。あなた方がジルル嬢と巡り会ったのは、回廊を通って異世界に来たしばらく後、というのは間違いないですかな?」
「そうなりますが… 総督はジルルのことを?」
聞くと総督は、わずかにほくそ笑んでジルルの方を見る。
鋭いままの視線に見つめられたジルルは、小さく怯えて肩をすくめた。
「海に携わる者ならば、回廊の伝承は皆存じております。その鍵となる少女、当代のジルルがモルト公国に生まれたことも、その手の情報筋には常識となって久しい」
そのジルルが共和国の手に落ち、次いで異世界から来た船に保護されているとは予想外でしたが。と総督は付け加え、「しかし」と会話にくさびを打つ。
「理解できないのは、その鍵が回廊を見つけてすらいない段階で、あなた方が回廊を通過してきたことです。伝承の記述とは異なる」
言われてみればそうだ。
今まで深く考えてこなかったが、言い伝えはあくまで「回廊を見つけ、その扉を開ける者が鍵となるジルルである」とある。
だが現に俺たちはここに居る。
ジルルにせよ、私掠船に襲われるといった事態こそあったが、それ以上に、自分自身や周囲の環境に異常があったということはない。
というより。
「前に回廊が出現した際の記録は、ないんですか?」
伝承が残るほどなら回廊とは過去何度も開いているはずだ。
それは、以前海鵜丸の乗員で会議して結論が出た予測でもある。
しかし、総督はそれを聞かれると難しい顔をした。
「前回の出現はたった200年ほど前なのですが… 実は、その時唯一回廊に接触したのは組合の前身たる亡国でして。エリーシャ船長からお聞きになりましたか、我が組合の歴史については」
かつて天災によって一夜にして滅亡したという、組合の母体となった亡国。その国が、前回の回廊開通に立ち会っていたと。
「もしや、国を滅ぼした天災というのは…」
「ええ。回廊、と言われています。最も、回廊がいかに開いたか、それによって国に何が起きたのかは、公文書の全てが散逸した今となっては知りようがありませんが」
総督は不意に立ち上がって、海鵜丸のいる海の方を見る。
船を見る彼の目線はやはり険しい。それに、口元も笑わなくなっていた。
「正直に言いますと、私ども組合は、回廊に良い印象を持っていません。今お話しした通り、回廊の性質、そしてその正体はまったく未知なものでありながら、使い方を誤れば国を亡ぼすものとなり得る。組合と契約する冒険船の皆さんや、他の国々は回廊を宝島かなにかと思っているようだが…」
総督は手に持つティーカップの茶を一口啜ると、ふうとため息をついた。
「私に言わせれば、あれは悪魔の残した遺産です。いずれこの世界の全てを滅ぼす、巨大な爆弾なのですよ」
総督は再び席に着くと、カップを置いて「すこし現実的な話をしましょう」と話題を切り替える。
会話に夢中になっていた俺たちは茶に口をつけることも忘れていて、すっかり冷めてしまったそれを、給仕が淹れなおしてくれた。
まだ暖かいうちにそれを口に含むと、エルハロの船内で味わったものよりも上品な味がする。
「ご要望でした油と食料については、すぐに補給の手配ができそうです。我々が灯に使うものよりも、いくらか等級の低いもの、でよろしかったですかな?」
「ええ。ただ油の種類については、実際にいくらか現物を見て決めようと思います」
「分かりました。商会には試供品を用意させましょう」
海鵜丸が燃料油に使うのは、国内規格ではA重油という呼称のされ方をする重油だ。
これは原油を蒸留する過程で得られる粗悪油、つまりC重油と、もう少し上質な軽油のブレンドである。
別に船は純粋な粗悪油たるC重油でも動くのだが、排出ガス規制だったり、あとは単純に取り扱いが面倒なので、近頃の練習船ではA重油しか使っていない。
というのも、C重油というのは正に言葉通りの粗悪油で、アスファルトの出来損ないみたいな粘度と燃えにくさを持つ油なのだ。いや、油というのもおこがましい。
燃料タンクには蒸気を通して常に加熱しないと流動性を得ないし、燃やすにしてもただでは燃焼しないから、結局A重油でパイロットバーナーを点火してやるしかない。
おそらく組合と商会が手配してくれる油にそういったブレンド油はないだろうから、船に詰め込む前に自分たちで実験をして、混合する手間が必要になるだろう。
「購入代金についても、今回に限っては組合が肩代わりしましょう。皆さんがこの世界で経済力の基盤を持つまでは、我々が皆さんを保護します」
「それはまた……」
ありがたいことこの上ないが、俺にはちょっと、引っかかるものがある。
隣の高三原も同じようで、怪訝な表情をこちらに向けてきた。
少々、俺たちにとって虫が良すぎやしないかと。
「詳しい補給の手筈については組合の事務員から致しましょう。では、私はこれで」
総督はそう話を切りあげて立ち上がるが、ふと思い出したように俺と高三原の方を見て言う。
「ああ、船長と機関長には、もう少しお話をよろしいですかな?」
俺は補給の手続きを永井に、ジルルの面倒を村田に任せ、高三原と共にまだ何か言いたげな総督に向き直る。
彼の口元にあった作り笑いはすっかり消えていた。
「お二方は、この世界の船を見てどう思われましたか」
と、突然投げかけられた質問の意図を理解しかね、俺たちは思考が飽和して立ち尽くす。
高三原はそのまま、どんな回答を期待されているのか判断しかね立ちつくしてしまっていたが、俺はしばらくその言葉を反芻し、思いついたことを口に出してみる。
「似ている、と思いました。私たちの世界に、かつてあった船と」
俺は沖に居る海鵜丸と、隣の港湾区画に停泊するエルハロを見比べながら思う。
おそらくは同じ数学と物理学を共有する文明の生み出した産物。
船体の構造、風を推進力に転じる帆、前装式の火砲… それだけでなく、船を構成するひとつひとつの部品や港町の様子までもが、かつて産業革命直前まで存在していた俺たちの世界のそれに、あまりにも酷似している。
「いずれこの世界の技術は俺たちの世界と同じ進化を辿る… お求めの答えはそんなところでしょうか?」
言うと総督はフッと笑う。いかにもその通りだと、口ではなく態度でそう言っていた。
「私たちが回廊を忌避していることは先ほど申し上げましたが、その理由は回廊そのものの危険性だけではありません」
総督はティーカップの茶を勢いよく飲み干した。
「回廊の向こうに繋がる世界は、私たちの世界とよく似ていながら、その文明水準はずっと先を行っている。そのことが何を意味するか、あなた方ならお分かりになるのではありませんか?」
そう問いかける総督に、俺は遭遇した私掠船団や、ジルルのことを思い出した。
年端も行かない幼女を国の手駒にする倫理観。それでいて、高度に組織化され、体系化した暴力。
「………我々と同じ科学の延長線上に創られた技術ならば、それを理解して扱うことも、やりようによってはそれを複製することもできる。それが争い合う国々の手に渡ればどうなるか」
天候に左右されることなく進める船。
これが武装していれば、他国の帆走軍艦に対してどれだけ有利に立ち回れるかは想像に難くない。
「公国と共和国の仲は、決して良いものではありません。いや、むしろ最悪と言ってもいい」
それはジルルの語った彼女の経緯を思い起こしても分かる。
きっとお互いが長年の仮想敵国なのだ。それこそ正規軍の艦隊を、私掠船が襲撃することが“小競り合い”で済んでしまうほどの。
「我々があなた方に対して、これほどの優遇措置を取る理由はご理解いただけるでしょう。回廊を通って元の世界に戻りたい、というのも、こちらの出来る範囲でご協力させていただきますよ」
それほどまでに、この世界にとってお前たちは危険因子なのだと。新たな厄災の火種たり得るのだと。
その鋭い視線は暗にそう言っていた。
総督は俺たちの話を聞きながら、口だけはニコニコと笑う。しかし目線は、片時もその鋭さを崩さず。
むしろ話が進むほど、俺たちを推し量るようなその目は険しくなる一方だった。
狸め。と俺は心の中でひとりごちる。
「よく分かりました。そのうえで、もう一つだけ確認のために伺いたい。あなた方がジルル嬢と巡り会ったのは、回廊を通って異世界に来たしばらく後、というのは間違いないですかな?」
「そうなりますが… 総督はジルルのことを?」
聞くと総督は、わずかにほくそ笑んでジルルの方を見る。
鋭いままの視線に見つめられたジルルは、小さく怯えて肩をすくめた。
「海に携わる者ならば、回廊の伝承は皆存じております。その鍵となる少女、当代のジルルがモルト公国に生まれたことも、その手の情報筋には常識となって久しい」
そのジルルが共和国の手に落ち、次いで異世界から来た船に保護されているとは予想外でしたが。と総督は付け加え、「しかし」と会話にくさびを打つ。
「理解できないのは、その鍵が回廊を見つけてすらいない段階で、あなた方が回廊を通過してきたことです。伝承の記述とは異なる」
言われてみればそうだ。
今まで深く考えてこなかったが、言い伝えはあくまで「回廊を見つけ、その扉を開ける者が鍵となるジルルである」とある。
だが現に俺たちはここに居る。
ジルルにせよ、私掠船に襲われるといった事態こそあったが、それ以上に、自分自身や周囲の環境に異常があったということはない。
というより。
「前に回廊が出現した際の記録は、ないんですか?」
伝承が残るほどなら回廊とは過去何度も開いているはずだ。
それは、以前海鵜丸の乗員で会議して結論が出た予測でもある。
しかし、総督はそれを聞かれると難しい顔をした。
「前回の出現はたった200年ほど前なのですが… 実は、その時唯一回廊に接触したのは組合の前身たる亡国でして。エリーシャ船長からお聞きになりましたか、我が組合の歴史については」
かつて天災によって一夜にして滅亡したという、組合の母体となった亡国。その国が、前回の回廊開通に立ち会っていたと。
「もしや、国を滅ぼした天災というのは…」
「ええ。回廊、と言われています。最も、回廊がいかに開いたか、それによって国に何が起きたのかは、公文書の全てが散逸した今となっては知りようがありませんが」
総督は不意に立ち上がって、海鵜丸のいる海の方を見る。
船を見る彼の目線はやはり険しい。それに、口元も笑わなくなっていた。
「正直に言いますと、私ども組合は、回廊に良い印象を持っていません。今お話しした通り、回廊の性質、そしてその正体はまったく未知なものでありながら、使い方を誤れば国を亡ぼすものとなり得る。組合と契約する冒険船の皆さんや、他の国々は回廊を宝島かなにかと思っているようだが…」
総督は手に持つティーカップの茶を一口啜ると、ふうとため息をついた。
「私に言わせれば、あれは悪魔の残した遺産です。いずれこの世界の全てを滅ぼす、巨大な爆弾なのですよ」
総督は再び席に着くと、カップを置いて「すこし現実的な話をしましょう」と話題を切り替える。
会話に夢中になっていた俺たちは茶に口をつけることも忘れていて、すっかり冷めてしまったそれを、給仕が淹れなおしてくれた。
まだ暖かいうちにそれを口に含むと、エルハロの船内で味わったものよりも上品な味がする。
「ご要望でした油と食料については、すぐに補給の手配ができそうです。我々が灯に使うものよりも、いくらか等級の低いもの、でよろしかったですかな?」
「ええ。ただ油の種類については、実際にいくらか現物を見て決めようと思います」
「分かりました。商会には試供品を用意させましょう」
海鵜丸が燃料油に使うのは、国内規格ではA重油という呼称のされ方をする重油だ。
これは原油を蒸留する過程で得られる粗悪油、つまりC重油と、もう少し上質な軽油のブレンドである。
別に船は純粋な粗悪油たるC重油でも動くのだが、排出ガス規制だったり、あとは単純に取り扱いが面倒なので、近頃の練習船ではA重油しか使っていない。
というのも、C重油というのは正に言葉通りの粗悪油で、アスファルトの出来損ないみたいな粘度と燃えにくさを持つ油なのだ。いや、油というのもおこがましい。
燃料タンクには蒸気を通して常に加熱しないと流動性を得ないし、燃やすにしてもただでは燃焼しないから、結局A重油でパイロットバーナーを点火してやるしかない。
おそらく組合と商会が手配してくれる油にそういったブレンド油はないだろうから、船に詰め込む前に自分たちで実験をして、混合する手間が必要になるだろう。
「購入代金についても、今回に限っては組合が肩代わりしましょう。皆さんがこの世界で経済力の基盤を持つまでは、我々が皆さんを保護します」
「それはまた……」
ありがたいことこの上ないが、俺にはちょっと、引っかかるものがある。
隣の高三原も同じようで、怪訝な表情をこちらに向けてきた。
少々、俺たちにとって虫が良すぎやしないかと。
「詳しい補給の手筈については組合の事務員から致しましょう。では、私はこれで」
総督はそう話を切りあげて立ち上がるが、ふと思い出したように俺と高三原の方を見て言う。
「ああ、船長と機関長には、もう少しお話をよろしいですかな?」
俺は補給の手続きを永井に、ジルルの面倒を村田に任せ、高三原と共にまだ何か言いたげな総督に向き直る。
彼の口元にあった作り笑いはすっかり消えていた。
「お二方は、この世界の船を見てどう思われましたか」
と、突然投げかけられた質問の意図を理解しかね、俺たちは思考が飽和して立ち尽くす。
高三原はそのまま、どんな回答を期待されているのか判断しかね立ちつくしてしまっていたが、俺はしばらくその言葉を反芻し、思いついたことを口に出してみる。
「似ている、と思いました。私たちの世界に、かつてあった船と」
俺は沖に居る海鵜丸と、隣の港湾区画に停泊するエルハロを見比べながら思う。
おそらくは同じ数学と物理学を共有する文明の生み出した産物。
船体の構造、風を推進力に転じる帆、前装式の火砲… それだけでなく、船を構成するひとつひとつの部品や港町の様子までもが、かつて産業革命直前まで存在していた俺たちの世界のそれに、あまりにも酷似している。
「いずれこの世界の技術は俺たちの世界と同じ進化を辿る… お求めの答えはそんなところでしょうか?」
言うと総督はフッと笑う。いかにもその通りだと、口ではなく態度でそう言っていた。
「私たちが回廊を忌避していることは先ほど申し上げましたが、その理由は回廊そのものの危険性だけではありません」
総督はティーカップの茶を勢いよく飲み干した。
「回廊の向こうに繋がる世界は、私たちの世界とよく似ていながら、その文明水準はずっと先を行っている。そのことが何を意味するか、あなた方ならお分かりになるのではありませんか?」
そう問いかける総督に、俺は遭遇した私掠船団や、ジルルのことを思い出した。
年端も行かない幼女を国の手駒にする倫理観。それでいて、高度に組織化され、体系化した暴力。
「………我々と同じ科学の延長線上に創られた技術ならば、それを理解して扱うことも、やりようによってはそれを複製することもできる。それが争い合う国々の手に渡ればどうなるか」
天候に左右されることなく進める船。
これが武装していれば、他国の帆走軍艦に対してどれだけ有利に立ち回れるかは想像に難くない。
「公国と共和国の仲は、決して良いものではありません。いや、むしろ最悪と言ってもいい」
それはジルルの語った彼女の経緯を思い起こしても分かる。
きっとお互いが長年の仮想敵国なのだ。それこそ正規軍の艦隊を、私掠船が襲撃することが“小競り合い”で済んでしまうほどの。
「我々があなた方に対して、これほどの優遇措置を取る理由はご理解いただけるでしょう。回廊を通って元の世界に戻りたい、というのも、こちらの出来る範囲でご協力させていただきますよ」
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