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第10話 レジーナとチェルシー2
しおりを挟む「ふふ、兄妹っていいよねえ」
レジーナもクリフのことは大好きだ。子供の頃はいつもクリフの後をついて回り、年の差があることと早くに母を亡くしたこともあって、よく世話を焼いてくれるクリフは親に近い存在だった。
「そういえば、お前も妹側だったな。クリフ副隊長に世話を焼かれている姿が目に浮かぶ」
「あはは、やっぱり? そうなんだよねえ、お兄ちゃんはよく面倒を見てくれてたよ」
「面倒見よさそうだもんな、クリフ副隊長は」
「まあね。でもそういうアルヴィン君だって、面倒見がいいと思うよ。こうして案内もしてくれるし」
「お前が頼ってくるから仕方なくだ」
「仕方なく!? えー、ひっどーい」
むうと頬を膨らませるレジーナに、アルヴィンはふっと笑って紅茶を飲む。
そんな和やかな雰囲気の二人を、
(あの二人、何を話しているのかしら……なんだか楽しそうだけど)
と、建物の陰からチェルシーがこそこそと見つめていた。レジーナを見るその目は憎々しげで、嫉妬の炎に燃えている。
(身の程を弁えなさいって言ったのに……何よ、あの女)
アルヴィンが笑うところなんて、チェルシーだって滅多に見られないのに。レジーナはいとも容易くアルヴィンの笑みを引き出した。そのことが悔しくてたまらない。
今すぐアルヴィンからレジーナを引き離したいところだが、わざわざ二人をずっと尾行していたことがバレたらアルヴィンに呆れられるかもしれない、と思うとできない。アルヴィンに嫌われたら……と、考えるだけで怖い。
だったら、嫌われるような行動は慎むべきなのではないか、と第三者がいたら突っ込むところかもしれないが、チェルシーは上手く感情をコントロールできなかった。
そんなわけで黙って二人の様子を窺っていたチェルシーの頭上から、
「きゃっ!?」
突然、冷たい汚水が降ってきて、チェルシーは頭から被った。その時の悲鳴がアルヴィンとレジーナの耳に届いたのだろう。振り向いた二人はチェルシーの姿に気付いたようで、ひどく驚いた顔をしていた。
「え、チェルシーさん?」
「チェルシー? 何をしているんだ、そんな所で。……って、どうした、ずぶ濡れじゃないか!」
レジーナとアルヴィンは席から立ち上がり、急いでチェルシーの下へ向かう。が、チェルシーは尾行していたことがバレるのが怖くてその場から逃げ出した。
「おい、待て! どうして逃げるんだ、チェルシー!」
一目散に駆け出したチェルシーを追いかけるアルヴィンの後ろを、レジーナも追いかけながら、ふむと考えた。
(もしかして、私とアルヴィン君が二人で出かけることをどこかで知って、ついてきた?)
逃げ出したことから、そうとしか考えられない。これは本当に重度のブラコンだ。というか、仕事はどうしたのだろう。
結局、兄妹の鬼ごっこは兄であるアルヴィンの勝利だった。精霊騎士団本部に戻る途中でアルヴィンに捕まったチェルシーは、洗いざらい白状した。
話を聞いたアルヴィンはチェルシーがどうして尾行をしていたのか理解できないといった顔だったが、それでも多少呆れた顔をしただけで上着をチェルシーの肩にかけた。
「とりあえず、営所に戻って着替えよう。このままじゃ風邪を引く」
「……はい」
「レジーナ、すまないが今日は王都の案内は終わりだ。このまま営所に戻るぞ」
「うん。分かった」
サンドイッチをあまり食べられなかったのは残念だが、ここまで来て喫茶店に戻るというのもどうだろうと思い、レジーナは了承する。
そうして三人で精霊騎士団本部の敷地前まで帰った、ところで。
「あれ? お兄ちゃん、ダグラスさん」
何故かクリフとダグラスが待ち構えていた。クリフの表情はやや険しく、ダグラスもいつもの飄々とした表情と打って変わって真面目な顔つきだ。
三人は立ち止まった。レジーナは首を傾げる。
「どうしたの、こんな所で」
「チェルシーの帰りを待っていました」
「何か用があったの?」
「まあ、用と言えばそうですね」
クリフの厳しい視線が、俯いたままのチェルシーに向いた。
「チェルシー。許可なく仕事を抜け出すのは軍律違反だと、ご存知ですよね?」
その言葉にアルヴィンは、まさかという顔でチェルシーを見た。
「お前……まさか、仕事をサボったのか!?」
「う……その、ちょっとくらい抜け出してもバレないだろうと思って……」
「このバカ! そういう問題じゃないだろう!」
「その通りです。サボるのなら、具合が悪いから病院に行くとでも言って休みなさい」
「クーちゃん? そういう問題でもないからね?」
ダグラスは突っ込みを入れた後、腕を組んでチェルシーを見下ろした。
「ちょっと仕事をサボっただけといっても、軍律違反は軍律違反だ。お前には三日間の謹慎処分を申し渡す。頭を冷やして反省しろ。いいな?」
「……はい。すみませんでした」
しゅんとして素直に謝罪するチェルシーに、クリフは表情を和らげた。
「ともかく、営所に行って着替えなさい。風邪を引きますよ」
「俺が今から連れて行きます。ダグラス隊長、クリフ副隊長、妹が仕事を抜け出してしまって、本当に申し訳ありませんでした」
アルヴィンもまた丁寧に謝罪をし、「ほら、行くぞ」とチェルシーの手を引っ張って営所へ向かう。その後ろにレジーナも続いた。
(三人のことを放置してるように見えたけど……なんで抜け出したって分かったんだろ)
と、内心首を捻りながら。
たまたま、なのだろうか。それにしては、いつ帰って来るか分からないはずのチェルシーを、まるで今帰って来るのが分かっていたように待ち構えていたことが不思議でならない。
疑問に思いつつも、レジーナはアルヴィン達とともに営所へ戻った。
営所に戻ると、運悪く大浴場が掃除中で、チェルシーはシャワーすら浴びられずに、ひとまずタオルで体を拭いて着替えるのみになった。
……それがよくなかったのかもしれない。翌朝、朝食の時間になっても起きてこないチェルシーがレジーナは気になって、寝台に横になったままのチェルシーに声をかけた。
「チェルシーさん? そろそろ起きないと、朝ご飯の時間が終わっちゃいますよ」
「うー……」
「?」
苦しそうな唸り声に、レジーナはどうしたのだろうと思って二段寝台の下段を覗く。すると、チェルシーが顔を真っ赤にして頭を押さえながら布団に丸まっている。
「チェルシーさん? どうしたんですか」
「体が怠くて、頭が痛い……」
「え! それ、もしかして風邪じゃないですか?」
レジーナは手をそっとチェルシーの額に当てた。……熱い。熱があるようだ。
「朝ご飯は食べられます?」
「無理……」
「そう、ですか。お兄ちゃんに訊いて氷枕を持ってきますから、待っててくださいね」
そう優しく声をかけ、レジーナは一旦部屋を出た。規則正しいクリフのことだからもう食堂にいるだろうと思い、レジーナは小走りで食堂へ赴く。
その途中で、これから食堂へ向かうのだろうアルヴィンと鉢合わせした。
「あ、アルヴィン君!」
「よお。どうした、そんなに急いで」
「それがね、チェルシーさんが風邪を引いたみたいなの。氷枕ってどこで手に入る?」
「チェルシーが? 氷枕なら食堂のおばさんに言えば、用意してもらえるが……そういえば昨日すぐに風呂に入れなかったもんな。だからか」
やれやれと言いたげなアルヴィンにレジーナは苦笑しつつ、「教えてくれてありがとう」と返して急いで食堂へ向かった。そこには予想通りクリフがいて朝食を食べていたので、氷枕を入手するより先に声をかける。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはようございます。どうしました、息を弾ませて」
「それが、チェルシーさんが風邪を引いたみたいで。氷枕をもらいに来たの。お兄ちゃんには一応知らせておこうと思って」
チェルシーが風邪を引いた。それにはクリフは目を丸くしていた。
「そうなんですか。分かりました。精霊騎士団本部には軍医がいますので、後で具合を診てもらえるように手配しておきます」
「あ、そうなんだ。じゃあお願い。それじゃ、私、氷枕をもらって行くね」
レジーナはクリフの下から去り、食堂の料理人達に事情を話して氷枕を用意してもらえないか頼んだ。彼女達は「そりゃあ大変だね」と気遣わしげな顔をしてすぐに準備してくれて、さらに額に乗せる氷嚢も用意してくれた。
それらを受け取ったレジーナは「ありがとうございます!」と返して、いそいそと食堂を出て行く。その際、ダグラスとすれ違ったが「おはようございます」と挨拶をしてすぐに横を通り過ぎた。
そんなレジーナを不思議に思ったダグラスは、
「クーちゃん。妹ちゃん、どうしたの?」
とクリフに訊ね、クリフは「チェルシーが熱を出したそうですよ」と素っ気なく返す。
「ああ、それで氷枕と氷嚢を持って行ったのか。ありゃりゃ……何をやってるんだか、チェルシーは」
「昨日は全身ずぶ濡れでしたし、風邪を引いても無理はないでしょう」
「……そういう意味じゃないんだけど」
クリフは頭脳明晰で有能だが、どこかズレているんだよなあ、とダグラスは内心苦笑するしかなかった。
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