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岩手は遠野の河童退治
三途の川と立ち食いそば
恵麗奈は究極の決断を迫られていた。進むべきか否か、ここを通れば二度と戻ることは叶わないだろう。
距離にすれば数歩進めば良いだけの距離ではある。そんなこと頭では分かっているのだ。ただその数歩が恵麗奈にとって果てしなく遠い。
一度進めば二度と戻れない。ここはもしかすると三途の川なのではなかろうか。手に持つこれは六文銭の代わりだとでもいうのか。
ともするならば戻ろう。幸いなことにまだ引き返せる位置にいる。恵麗奈はそう判断して踵を返そうとすると、何者かが腕を掴んで引っ張った。
まさか渡し船の船頭が、無理矢理あの世に引き摺り込もうとでもいうのか。焦る恵麗奈だが、無慈悲にも掴まれた腕は下に引かれる。
ピピッ。
そんな電子音が聞こえたと思うと背が押される。三途の川にもついに近代化の波がと後ろを振り向くと、怖い顔をした女が立っていた。
ただそれは恵麗奈の服を剥ぎ取る脱衣婆ではなく、昨日パートナーになったばかりの美憂であった。
「ちょっと恵麗奈。後ろがつっかえてるから先進んで」
「美憂? あれ? 三途の川は?」
「なに寝ぼけてるの。ほら、きびきび歩く」
美憂に腕を引かれるまま恵麗奈は駅の構内を歩いていく。どうやら先程腕を引いたのも美憂だったようだ。ならば聞こえた電子音は改札へICカードが触れた音か。
恵麗奈はこの日人生で初めて駅というものに入った。昨日メイド長から改札の使い方を学び、切符代わりとペンギンの描かれたICカードを渡されたまではいい。
いくら箱入りの恵麗奈とて現代人だ。御空の会社に入る時に社員証でタッチするし、最近のホテルは鍵ではなくカードキーが使われていることが多い。
ただ、と後ろを振り返る。
あの瀬戸内海の荒波のような人の流れはなんだと改札を睨みつけた。それを見た際に思考は彼方へ旅立って三途の川まで見えたのだ。
「美憂はなにか特別な訓練を受けたんですの? そうでなければ、あんな人の流れにスムーズに入るなんて出来ませんもの」
「んー。まぁ確かに今は通勤時間だし人通りは多いよね。でも訓練なんてない、慣れだよ慣れ」
一体何年電車に乗り続ければ慣れるというのか。恵麗奈は通勤ラッシュの改札を通る人々に、激流を遡上する鮭の姿を見た。
「というかうちまで迎えに来てもらって悪いね。運転手さんにもお礼を伝えといてほしいな」
「いえ。本当は岩手まで送ってもらおうとしたのですが、うっかり電車の話を両親にしたら父が社会勉強だと言いまして。ここまでしか送ってもらえませんでしたの」
「いやいや。ここまで送ってもらえただけでも本当に感謝だよ」
二人が今いるのは東京駅だった。ここから新幹線で盛岡駅まで向かい、そこから乗り継いで遠野を目指す。
恵麗奈にとっては初めてのこと尽くしで、早くもいっぱいいっぱいだった。最早頼れるのは美憂だけ。ならば決してはぐれるものかと恵麗奈は美憂のウサ耳パーカーの袖を掴んだ。
最も連絡先は知っているので万が一はぐれても電話なりすれば良いのだが、今の恵麗奈はそれに気付く余裕はない。
「ちょっと、袖伸びちゃうから」
「そんなこと言わないでくださいまし! はぐれたら一人では外に出ることもままなりません。わたくし飢え死にしてしまいますわ!」
「そんな馬鹿な」
なにが馬鹿なものか。こんな迷路のような構内では迷うこと必死だ。きっと年に何人かはここで迷い、餓死しているに違いないと恵麗奈は本気で思った。
「まぁいいか。新幹線にはまだ時間があるし、ゆっくり行こう」
「美憂っ! ありがとうございますっ!」
その言葉のおかげか恵麗奈はようやく周りを見る余裕ができた。すると今までの人生では見なかった光景に目を奪われる。
「ねえ美憂。あそこのお店はなんであんなに小さいんですの?」
「ん? ああ。あれは駅ナカのコンビニだね。敷地が少ないから、あのサイズなんだよ」
「そうなんですの。敷地がないなら隣の店も買収すればよろしいのに」
「なにその現代版マリーアントワネットみたいな発言」
恵麗奈にとって見るもの全てが新しい。そんな中でどこからかいい匂いが漂って来た。くんくんと形の良い鼻をひくつかせると、どうやらこの匂いは一軒のお店からしているらしい。
「あのお店は? なにやらいい匂いがしますわ」
「あれは立ち食いそば屋だよ。忙しいサラリーマンの味方ってやつだね」
「お蕎麦屋さんなんですの? ならわたくしあそこで食べてみたいですわ」
「まぁ時間ならあるけど。なら私はここで待ってるから行ってくる?」
「美憂は食べませんの?」
「うん。森の中なら食べれる物もありそうだし」
ナチュラルで野生児のようなことを言う美憂に恵麗奈は衝撃を受けた。それに昨日の自分の説得はなんだったのだと少しだけイラッとする。
「美憂? わたくし昨日食材だと思える物を食べようと言いましたわよね?」
「え? だから山菜でも摘んで食べようかと」
「それまで何時間かかると思ってますの!」
「食べないことには慣れてるから大丈夫だよ」
笑顔で悲しいことを言われ恵麗奈は思わず泣きそうになる。まさか昨晩も何も食べてないなんてことはないだろうか。いや、美憂ならあり得そうだ。
「良いから行きますわよ! これはえーと、あれです! そう! 施しってやつですわ!」
「もしかして奢りって言いたかったの? 施しと言われるとなんか食べにくいんだけど」
奢り。その言葉に恵麗奈は頬をぴくりと動かした。美憂が不思議そうな顔で見てくるが、その視線から逃れるようにふいと横を向く。
だがその頬は赤く染まっていた。
「なにその反応」
「奢りってその。友達っぽくて良いなって思っただけですわ」
恵麗奈にとって同世代の人間とは、鳳凰院という名前を知って、取り入ろうとしてくる者ばかりであった。それゆえに友達なんて呼べる者は居たことがない。仲が良いと思えるのは、使用人や歳の近い従姉妹くらいのものだ。
「私は恵麗奈のこと、パートナーである以前に友達だと思ってるよ」
そんな恵麗奈にとって美憂のその発言はクリティカルヒットだった。夏空のような澄んだ青色の瞳を大きく見開き、唇をわなわなと震わせて、やっとの思いで言葉を吐き出す。
「何十杯でも好きなだけ食べるといいですわ!」
我ながら素直ではないし可愛げもないと思う。ただ友達という言葉に親しみのない恵麗奈にとって、それを言うだけで精一杯だった。
「あはは。ありがとう。ご馳走になるね」
なぜか心がふわふわするように落ち着かない。そんな気持ちを隠すように恵麗奈は大股で店内に入った。
スーツ姿のサラリーマン達に混じって食べた立ち食い蕎麦。普段なら記憶に残らないような味なのに、どうしてか思い出に残るほどに美味しく感じた。
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