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岩手は遠野の河童退治
束の間の安らぎ
今の状況を表すならばピンチといって間違いないだろう。先程の運転手の言葉では、源三という名のライフル銃を持った変な老人が森にいるという。
その話を聞いた百人の内、九十九人が目の前の老人を件の源三だと判断するはず。そして残りの一人は頭のネジが飛んでるとしか思えない。
さて、噂では変だと称される人物なのだが、変人という定義を、美憂は常人には理解できない行動をする人物だと結論付けた。
それならば常人が躊躇う、人に銃をぶっ放すという行動を、息を吸うようにあっさりするのではと先程から冷や汗が止まらない。
そんな美憂を顔を見て源三であろう老人が驚いた様に目を開いてポツリと呟いた。
「愛子、なのか……?」
「え?」
愛子。老人は美憂を見て確かにそう呼んだ。人違いではあるのだが、その勘違いのお陰で老人が持つライフル銃は僅かに下げられた。
ならば次に何を言えば助かるのか。必死に頭をフル回転させる美憂に、老人はフッと自嘲するような笑みを浮かべるとライフル銃を完全に取り下げる。
「何を言っているんだ私は。愛子が生きている訳がない。仮に生きていたとしても、こんなに幼くないだろうに」
愛子と名を呼んだ時の老人の顔は、最初の鋭い雰囲気が嘘の様に優しげな表情をしていた。
そんな老人の口から出た悪意のないであろう幼いという言葉。その言葉にコンプレックスを刺激された美憂は、思わず頬がひくつきそうになるのを必死で我慢する。
「あの。間違ってたら申し訳ないんですが貴方は源三さんですか?」
本当は社交性のある恵麗奈に会話を任せたい所だが、老人の態度を軟化させたのは自分の容姿のようだ。それならば自分が話しかけるのが筋だろうと美憂が声をかける。
「如何にも。儂が源三だ。お嬢さん達はこんな場所に何しに来た。ピクニックならばこの森はやめておけ。命が惜しいのならな」
話では変と聞いていた源三だったが、実際に会ってみると会話はしっかりとしていて、随分と矍鑠としている。
「ここには仕事で来てますの。源三さんなら分かりますわよね? わたくしたちは河童を殺しに参りました」
河童と聞いた源三の眉がピクリと動いた。もうライフル銃を向けられることはないが、その代わりに抜き身の日本刀のような鋭い視線を向けられる。
その視線を恵麗奈は一歩も引くことなく受け止める。しばらく見つめ合う二人だったが先に折れたのは源三の方だった。
「着いて来い。話は聞いてやる」
そう言うと背を向けて森の中へと歩き出す。どこかに案内してくれるようだと二人が着いていくと、あれだけ鬱蒼としていた木々が突如開けた場所へと出た。
そこには丸太で作られた小さなログハウスがポツンと建てられている。そこに源三がズカズカと入っていったので、どうやらこの建物は源三の家のようだ。
森に暮らす変な老人という話に、美憂はホームレスのような人間を想像していたのだが、実際には中々に良い生活をしている。
ずっとここで一人きりというのは遠慮願いたいが、たまに来て息抜きをするくらいであればピッタリな物件だろう。
そんなことを考えながらしばらく待ってみたが、源三は一向に家から出てこない。これは入って良いということなのかと入口に向かうと、扉になにやら赤い貼り紙が付いているのに気付いた。
なんだろう?そう思い何気なく見てみると、それは市からの退去命令が書かれた紙だった。それを呆気に取られながら見ていると、源三が出てきて鼻を鳴らすと張り紙を勢い良く引っぺがした。
「貴方、それ……」
「ふん。何度も何度も暇なことじゃて」
その言葉から退去命令は以前から出ているものなのが分かる。森の入口に河童の森と書かれている辺り、市が管理している場所だとは薄々気付いていたが、源三はそこに無断で家を建てたらしい。
これは変な老人だと言われても仕方がないと顔を引き攣らせた二人は、無言のまま家の中へと入っていった。
「お邪魔します」
小屋ともいえる小さなログハウスには最低限の物しか置かれていない。寝るためのベッドにテーブルと椅子、テーブルの上にはカセットコンロが置かれている。
ふと木の優しい香りの中に覚えのある匂いを感じた。その匂いに思わず源三を見ると、手作りらしい木で作られた無骨なテーブルをアゴでしゃくる。そこには飾り気のないマグカップが三つ並んでいた。
「まずは飲め。夏が近いとはいえ、この森は冷えるだろう。若い女が体を冷やすのは良くない」
言われるがままにテーブルに着くと、マグカップには黒々とした液体が注がれていた。やはり先程感じた匂いはコーヒーだったらしい。
せっかくの好意なのだが、どうしても気になるのは毒のような物が入っていないかと衛生環境だ。
「気になるならどれか一つ選べ。まずはそれを儂が飲んでやろう。それとほれ、水道は通ってないが飲料用の湧水を汲んだものが向こうに置いてある。今朝に汲んだばかりの綺麗な水じゃ」
示された先には半透明のポリタンクが置かれている。その近くには美憂も知っている洗剤も置かれていて、どうやら源三は完全に俗世を絶って森篭りしているわけではないようだ。
「すいません。失礼なことを考えて」
「気にするな。むしろそっちの方が好感が持てるというもの。最近の若者にしてはしっかりしておるようじゃの」
招いて貰った立場にも関わらず、疑ってコーヒーに中々口をつけない。そんな失礼な態度に気分を害してもおかしくはないはずなのに、源三は気を使うようにそう言って薄く笑った。
その笑みは不思議と落ち着くもので、美憂は運転手が言っていた「男前で物腰も柔らかいってことで、女から大層モテていたみたいだ」という言葉を思い出した。
三つ子の魂百までという言葉があるが、なるほど。人との関わりが極端に減り、周りから変人扱いされても本人の気質は変わらないらしい。
よく見れば深いシワが刻まれた顔も中々に整っているようだ。これが五十年くらい前なら、確かに周りの女性が放ってはおかなかっただろう。
「あら。中々いけますわね」
美憂が色々と考えている間に隣に座った恵麗奈はコーヒーを啜って、満足そうな声を上げた。柔らかな笑みを浮かべており、その様子からお世辞で言ったわけではないことがよく分かる。
「口にあったなら良かった。無為徒食と長い時間を過ごした儂の、唯一の趣味と言えるのがそのコーヒーじゃ。それを褒めて貰えるのはいつぶりかのう」
無為徒食。ただ何もせずに無駄に毎日を過ごしたと笑う源三の言葉には、とてつもなく重い感情が込められているのを感じた。噂では源三は失った家族のために河童を探しているのだという。
それがどこか自分の境遇と重なった。きっと自分だって、年老いても由里を救う手立てを探し続けるのだろう。
ただ美憂と違うのは源三は最愛のものを取り戻せないということだ。その事実が重く美憂の心にのしかかる。
「いただきます」
その重さに同情した訳ではないが、何十年も追い続ける源三の生き方には真摯さを感じる。決して褒められた生き方ではないが、その愚直さを美憂は好ましく思った。だからだろうか、先程まで疑っていたコーヒーにも素直に口をつけることが出来た。
「……美味しい、です」
「はっはっは! そんな渋い顔で言われても説得力がないわい! ブラックは苦手なようじゃな。どれ、ミルクと砂糖を持ってこよう」
出されたコーヒーフレッシュと砂糖を入れてもう一度飲んでみる。今度は素直に美味しいと思うことができて、それを見た源三も嬉しそうに笑顔を見せた。
「さて、このまま時間の許すまで会話するのも構わないが、お嬢さん達はそのために来たのではあるまい? 話を聞かせてくれ」
「はい。では」
退魔衆という存在は語らずに美憂は仕事について話をする。おかげで情報が虫食いの様になって不恰好ではあったが、それを源三は真剣に聞いてくれた。
最後まで聞き終えた源三は天井を見上げると、固まったように動かない。それは空にいる何かを見ている様で、もしくはその先の何かを見ているのかもしれなかった。
「話は分かった」
「良かった。なら私達はここで」
「だがならん」
「えっ」
先程までの優しかった表情を形をひそめ、源三は険しい顔でこちらを見ている。
「河童は儂が何十年と追い続けた、生涯をかけた宿敵。それを横から攫おうなどと簡単に頷くことは出来ん」
「河童は危険です。ですが深くは言えませんが私達には戦う力がある。お気持ちは分かりますが任せてもらえませんか? 必ず倒しますので」
「それでもだ。儂はもう人が目の前で川に引き摺り込まれるのは見とうない。話は終わりだ、お嬢さん達は頃合いを見て帰るがいい。それまでこの家で好きにしてくれて構わん」
そう言って源三は家を出ていってしまった。その時に小さく何かを呟きながら。
「どうしましょうか」
「うーん。源三さんに悪いけど、帰れと言われて分かりましたと素直に引き下がれるほど、私達には余裕がないからね。コーヒーを飲み終わったら捜索に出よう」
「そうですわね。ってあら?」
「どうかした?」
恵麗奈はベッド脇に置かれた小さな棚を見て声を上げる。美憂もそちらに向かうと恵麗奈はそこにある小さな写真を見ていた。
「嫌に年季の入った写真ですわね。白黒ですし経過した月日のせいか汚れてもいますし。……この子、ちょっとだけ美憂に似てますわ」
「え? 本当?」
古ぼけた写真には幸せそうに寄り添う夫婦と、嬉しそうに笑っている可愛らしい女の子がいた。自分では分からないが恵麗奈が言うには、この女の子と自分は見た目が似ているらしい。
その写真を手に取って裏を見てみる。そこには薄れてきている達筆な字で「久恵。愛子。すまない」と書いてあった。
「急ごう。嫌な胸騒ぎがする」
「そうですわね」
温くなったコーヒーを一気飲みすると、二人はログハウスから飛び出した。聞き間違いかもしれないが、源三は出て行く時にこう言っていたような気がする。
散るのは老いぼれからで良い。
そんな嫌な胸騒ぎが的中したように遠くから銃の音が一発、二人の戦いを告げる様に鳴り響いた。
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