上 下
1 / 1

フェリシアお嬢様の日記

しおりを挟む

 私はクランゼリア伯爵家に仕えるメイドのアンナです。

 今朝お屋敷に向かう途中でアレク坊ちゃまとフェリシアお嬢様をお見かけしました。どうやらこれから学園へと向かうご様子。仲睦まじく歩く姿は美男美女ということもあり、兄妹と知らなければお似合いのカップルだと思うでしょう。

 アレク坊ちゃまは十四歳で旦那様に似て背が高く真っ赤な髪がよく似合う凛々しいお顔をしており、フェリシアお嬢様は十三歳で奥様に似てウェーブのかかった長い金の髪に優しげな目元が特徴的な、妖精のように可愛らしい方です。

 お二人は容姿だけでなく人格も優れていて、私のような平民のメイドにも気さくに話しかけてくださいます。

 特にフェリシアお嬢様は私をよく気にかけてくださり、私はクランゼリア家にお仕えすることができて本当に幸せ者です。

 朝から良いものが見れた。ルンルン気分でお屋敷で仕事をしていた私は奥様に呼び止められました。

「ちょうどよかったわ。フェリシアの部屋を見てきてもらえるかしら? あの子は真面目だから大丈夫だとは思うけど、万が一汚ければ掃除をよろしくね」

 そう言った奥様から合鍵を渡されましたが本当にお嬢様の許可なく入っていいのでしょうか? そんな不安が頭をよぎりますが奥様の言うことに逆らう訳にはいきませんし。

「失礼いたします」

 部屋の主がいないのを知りながら声をかけ鍵を開けて中へと入りました。さすがと言うべきかフェリシアお嬢様は部屋を綺麗にしていて、特に掃除が必要だとは思えません。

 奥様には掃除は必要ないと報告しよう。部屋から出ようとした私の目に気になるものが映りました。

「あれはなんでしょう」

 綺麗に整頓されたお嬢様の勉強机。その上に一冊のノートが開かれたままの状態で置かれています。もしかして日記でしょうか?

 見てはいけない。そう思う自分の心とは裏腹に私の足は机へと向かっていきます。優しくて聖女のようなお嬢様は普段なにを考えているのだろう。そんな悪い好奇心が私の頭を埋め尽くしました。

「ほんの少し。数ページだけ」

 誰に対してか分からない言い訳を呟くとノートを手に取り最初のページを開きます。

『最近お兄様の様子がおかしいです』

 可愛らしい文字で書かれていたのはアレク坊ちゃまについてでした。仲の良いお二人らしいと微笑ましい気持ちになりつつ続きに目を通します。

『お兄様は最近考え事をするように遠くを見て、その後に小さくため息をつくことがあります。悩み事でしょうか? フェリシアはお兄様の力になりたいです』

 なんて健気なんでしょうか。私は口を押さえて込み上げる気持ちを堪えます。日記とは自分だけが読むもの。私だったら嫌な人の悪口や下世話な話を書くでしょう。それなのにフェリシアお嬢様は日記の中までお優しい。そしてお嬢様、日記の中では一人称はフェリシアなんですね。色々と知れたことでウキウキとした気持ちのままにページをめくります。

『今日のお兄様はどこか嬉しそうです。そんなご様子になにかあったのかと尋ねても、何でもないとはぐらかされてしまいました。隠し事をされているようでフェリシアは少し悲しいです』

 あぁ。なんておいたわしい。何度か消した跡のある悲しいの文字に、フェリシアお嬢様の奥ゆかしさを感じてしまいます。きっと日記でさえアレク坊ちゃまを非難するような悲しいという言葉を書くのを躊躇ためらったのですね。

 この気持ちはなんでしょう。以前同僚のエミリアが巷で流行っている恋愛小説を読んで尊いと言っていましたが、これがその尊いという気持ちでしょうか。

『今日の学食に私の苦手なピーマンが入っていました。どうしても食べる気が起きずに他を食べ進めていましたが残るはピーマンのみ。覚悟を決めて食べようとした所に、なんとお兄様がやってきてコッソリ食べてくれました。お兄様ありがとうございます』

「尊い!!!」

 ピーマンが苦手なんてお子様みたいなフェリシアお嬢様も、そんな妹のピンチを助けるアレク坊ちゃまも尊いです。

 お嬢様が食べ物を残すところを私は見たことがありません。つまり出されたピーマンを我慢して食べていたんですね。

 ピーマンが苦手なことをアレク坊ちゃまはなぜ知っていたのでしょうか。もしかして気づくほどに普段から見ているとか? これは妄想が捗ります。

 その時私は鼻に熱いものを感じ慌ててティッシュで拭くと真っ赤になっていました。どうやらあまりの尊さに鼻血が出てきたようです。鼻にティッシュを詰めてから手を見て、血で汚れてないのを確認した後に私は日記を読み進めます。

『授業が終わり学園を出ると雨が降っていました。鞄を見ても傘は入っていません。このまま濡れて帰るか雨が止むのを待つか悩んでいると頭上に影が。見るとずぶ濡れのお兄様が私に傘を差していました。どうしてと呟くとフェリシアが濡れたらダメだと思って家から傘を持ってきたと笑っています。そのまま二人で一つの傘に入って帰りました。ありがとうございますお兄様。もしお兄様が風邪を引いたらフェリシアが看病しますね』

「あー! これはダメ! ダメですよアレク坊ちゃま!」

 自分のために雨に打たれながら傘を取りに行くなんて。こんなことされたら女は好きになってしまいます! 私は真っ赤になったティッシュを鼻から引き抜いて新しいティッシュに替えながら、心の中でそう叫びました。

『どうやらお兄様は本当に風邪を引いたようです。フェリシアが看病しようとしても移るからダメだと断られてしまいました。元はといえばフェリシアが原因なのに。だから深夜にコッソリお兄様のお部屋に忍び込んでしまいました。お兄様は熱が下がってきたのかスヤスヤと寝ています。酷くないようで良かった。そう安心しましたがフェリシアは悪い子です。だって寝ているお兄様の唇を見ていたら』

「ちょっと! そこで終わらないでくださいよフェリシアお嬢様!」

 まさか兄妹禁断のキ、キス!? どうやら見ていたらの続きは消してしまったようでほんのり跡が残っています。どうにか解読できないかと筆跡を指でなぞりますが、フェリシアお嬢様の筆圧は弱く不可能でした。

『今度はフェリシアが風邪を引いてしまいました。お兄様は申し訳なさそうに謝っていましたが悪いのはフェリシアの方です。だってフェリシアは昨日の夜にお兄様の。やっぱりフェリシアは悪い子です。だってお兄様が看病してくれるのが嬉しいんですから。寝るまで手を握っててと言ったらお兄様は笑顔で手を握ってくれました。こんな時間がずっと続けばいいのに』

 あーっ! これはやってます! 確実にフェリシアお嬢様はキスしていますね! 聖女みたいに思っていたお嬢様の小悪魔な姿に、私は興奮を隠しきれません。

「推せる……」

 そんな謎の言葉が私の脳裏に浮かびました。その言葉の意味は分かりませんが、とにかく私の推しはこの二人に決定です。

『目を覚ますとベッドの横でお兄様が座りながら寝ていました。私が寝るのを待っていたらお兄様も寝てしまったのでしょう。その手はフェリシアと繋がれたまま。一晩繋がっていたという事実になんだが照れてしまいます。そのまま寝顔を見ながらこっそりとお兄様の赤い髪を撫でていると目を覚ましてしまいました。最初はボンヤリとした顔をしていたお兄様ですが、意識がはっきりしてきたのか元気になったか聞いてきます。フェリシアはお兄様の寝顔から沢山元気を貰いましたよ』

「ちょっと待って」

 許してくださいフェリシアお嬢様。このままだと私、出血多量で死んでしまいます。何もかも尊い。甘酸っぱすぎてもう! もう!

 湧き上がるパトスのままにお屋敷の庭を走り回りたい気分ですがもっと読み進めたい。気がつけばすごい時間が経っている気がしますが部屋を掃除していたことにしましょう。

『今日はバレンタインデーです。フェリシアもチョコレートを作ってお兄様に渡しました。お兄様は人気者です。毎年沢山の女の子からチョコレートを貰います。でも一番気持ちを込めているのはフェリシアのはず。そう思っていたのに私は見てしまいました。たまたま通りかかったお兄様のお部屋、わずかに開いた扉の隙間からお兄様が嬉しそうにチョコレートの入った箱を見ていたのを。それはフェリシアが作ったものではありませんでした』

 ニッコニコで日記を読んでいた私。しかし最後の一文で心臓に氷を入れられたようにヒュンとなりました。

 ページに残る水滴の跡。それがなんなのかは鈍い私でもすぐに気づきます。この件に関してアレク坊ちゃまは悪くありません。ただフェリシアお嬢様が大好きな私は悲しくて胸が張り裂けそうです。

『さっき見たのはなにかの間違い。そう思おうとしても無理で昨晩は眠れませんでした。軽くお化粧をして目の下のクマを誤魔化しましたが、他でもないお兄様に気づかれてしまいます。どうしたの? そう優しく聞いてくれるお兄様になんでもないと答えるので精一杯です。お兄様。体調の変化にはすぐ気づいてくれるのに、どうしてフェリシアの気持ちには』

 一旦落ち着こう。とりあえずさっきから滝のように流れる涙を拭いて、鼻血の代わりに止まらない鼻水をちーんしよう。

 ごめんなさいフェリシアお嬢様。本来綺麗にしなきゃいけないメイドの私が、先程からお嬢様の部屋のゴミ箱の中身を増やしています。最後はしっかり回収しますからもう少し読ませてください。

『やっぱり睡眠は大事ですね。運動の授業でフェリシアは貧血で倒れてしまいました。医務室のベッドで目を覚ますと枕元には心配そうにこちらを見ているお兄様がいます。あの夜と同じように手を握っていてくれて、フェリシアが目を覚まして良かったと嬉しそうに笑うお兄様。そのクシャッと笑う顔が大好きだったはずなのにどうしてでしょう。今日は胸がチクリと痛みます』

 先程からフグフグと変な声が聞こえると思っていましたが、どうやら発生源は私だったようです。あまりの切なさに嗚咽が漏れていたようでした。もしも神様がいるのならお願いします。フェリシアお嬢様を幸せにしてください。

『部屋で勉強をしていると珍しくお兄様がやってきました。どうしたのかと思ったら小腹が空いたからなにか作って欲しいようです。料理長がいるのにフェリシアに頼んできたのが嬉しくてパンケーキを焼きました。フェリシアの作ったパンケーキが一番美味しい。そう笑うお兄様にどうして良いか分からなくなってしまいます』

 そういえばお二人がパンケーキを食べている日がありました。あの時は料理長が作ったのだと思っていましたが、お嬢様が作ったものだったんですね。幸せそうな雰囲気に私も嬉しくなっていたのに、お嬢様の心の中でそんな葛藤があったなんて。

『最近ではお兄様よりもフェリシアが変になってしまいました。気がついたらお兄様のことを考えていて、自然に目で追ってしまいます。お友達からはお兄さんが大好きなのねと笑われますが、心の中にこんなにもドロドロした感情を持っているとは夢にも思わないでしょう。どうして兄妹なんでしょうか。そうでなければ悩まずに済んだのに』

 あぁお嬢様。この頃には自分の感情を自覚していたのですね。先程の甘酸っぱかった日記にビターチョコレートのような苦味が混ざり始めました。食べた者を惑わせる禁断の味に、私の読む手が止まりません。願わくば二人の行く先が幸せでありますように。

『お兄様が知らない女の人と仲良くしている姿を見てしまいました。あのリボンの色はお兄様と同じ二年生の方でしょう。背が高くモデルのように美しい彼女はお兄様と並んでもお似合いです。フェリシアとは真逆といってもいい彼女の容姿に、お兄様はそういう方が好みなんだと悲しくなります。気がつけば涙が流れていて、この場にいられなくなり逃げ出しました。後ろからはお兄様の呼ぶ声が聞こえた気がします』

 この日の日記は長いようで次のページに続いていました。どうか幸せであってほしい。私は祈るようにページをめくり目を通します。

『どれだけ走ったでしょうか。疲れきったフェリシアは近くに思い出の木が生えた丘があることを思い出しました。その木の下でまだ小さかったフェリシアとお兄様は結婚の約束をしたことがあります。その時にお兄様がくれた玩具の指輪は今でも宝物です。最後にあの木を見てお兄様への気持ちを押し殺そう。そしてあの女の人との間を祝福しよう。そう思って丘を登ると木の下にはお兄様が待っていました』

「あああああああ!」

 グッジョブ! アレク坊ちゃま超グッジョブです! 首の皮一枚繋がりましたよ! 期待していいんですよね? 私はハッピーエンドが好きなんです。だからどうかお願いします!

『どうしてお兄様が? 混乱して来た道を引き返そうとすると、後ろからギュッと抱きしめられます。その腕から抜け出そうと暴れていると、お兄様が耳元でフェリシア聞いてほしいと言いました。あの女の人がお兄様の想い人なんて絶対聞きたくないと耳を塞ごうとしますが、お兄様はフェリシアの腕を掴むと無防備になった耳に一言こう囁きました。フェリシア愛していると』

 やったー! 大逆転サヨナラホームランです! ホームランという知らない単語が出てきましたが知ったことではありません。ですがアレク坊ちゃま。例の女の人についてきっちり説明してくれますよね? 納得できるまで私の可愛いフェリシアお嬢様は渡せませんよ!

『嘘。そう叫ぶとお兄様は嘘じゃないとフェリシアの目を覗き込みました。お兄様とは十年以上一緒に過ごしてきて、だからこそお兄様の目が嘘をついていないのが分かります。それならあの女の人はなんですかと聞くと意外な事実が分かりました』

 ほんほん。そんでそんで?

『彼女にも弟がいてフェリシアとお兄様のような関係だったみたいです。偶然にもそれを知ったお兄様は、同じ悩みを抱える友が出来て嬉しかったそうでした。チョコレートはなんだったのか尋ねると、あの箱の中にはチョコレートと一緒に手紙が入っていたようで、手紙には弟に告白して承諾が貰えたと書かれていたみたいでした。それを読んでお兄様は自分のことのように喜んでいたようです』

 おっけーい! それならはなまるをあげますよ! その時を思い出したのかこのページにも水滴の跡があります。でも分かりますよお嬢様。これは先程に比べてあったかい感じがしますから。

『それでも心の底ではもしかして。そんな風に思ってしまいました。そんなフェリシアにお兄様はポケットからあるものを取り出したんです。それは指輪でした。昔のように。だけど玩具じゃない本当の指輪に、フェリシアは恥ずかしながら固まってしまいました』

「エモいーーー!!!」

 小さい頃の再現ってアレク坊ちゃまは女の子のツボを刺激しすぎじゃありませんか!? フェリシアお嬢様の驚く顔が目に浮かびます。きっと愛らしい目から綺麗な涙をぽろぽろと溢したんでしょうね。私の滝みたいな涙とは大違いです。

『その指輪をフェリシアの左手の薬指にはめると、お兄様は顔を近づけてきます。それがなんなのか理解したフェリシアが目を閉じると唇に柔らかい感触がありました。ファーストキスだとはにかむお兄様。ふふ。本当は違うんですよ?』

 やっぱりそうだったんですね! あの夜がファーストキスなんですね! 私の脳内で妖艶に微笑むフェリシアお嬢様が、しーっと人差し指を唇に当てていました。分かりましたお嬢様! 私は死んでも誰にも話しませんから!

『フェリシアとお兄様の関係は誰にも話せません。それでもいつかは皆に祝福してもらえるようになりたいです。お父様お母様。こんな娘でごめんなさい。それでもフェリシアはお兄様が大好きです。誰よりも愛しています』

 そこで日記は終わっていました。私は壮大な恋愛小説を読んだような気分で思わず床にへたり込んでしまいます。

 まさかフェリシアお嬢様とアレク坊ちゃまが恋仲になっていたなんて。それが分かると今朝に見た二人の印象も違って見えますね。兄妹でありながらお似合いのカップルだったんですから。

 確かにお二人の関係は世間では歓迎されないかもしれません。それでも私は応援しますよ! だって私にとって二人は推しなんですから! 

 そんな二人を誰よりも近くで見ていたいんです。だからもし駆け落ちする時は私もついて行きますからね。地獄の果てまでお供しますよ。

 仕事に戻った私はメイド長に死ぬほど怒られたけど、なんで遅くなったかは意地でも話しませんでした。これからフェリシアお嬢様とアレク坊ちゃまはどうなっていくんでしょうか? それが楽しみで仕方ありません。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...