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前章
馬鹿々々しい事ばかり!
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私に礼をする人を無視して、執務室に飛び込む。ぴたりと閉じたドアに背を預けると、浅い呼吸を幾度も繰り返す。
「誰の所為でもない。好きになるのは、誰の所為でもない。選ばれるのは一人だけ、分っているでしょう?」
言い聞かせるように、呟いて唇を噛む。
二つを同時に選べない事があるのは、私だってよく知っている。
「私だって選んだんだ。これからだって、きっと何かを秤にかけて選んでいく。ソフィアが選ばれた事は、悪い事じゃない。レナート王子に代償を求めても、ソフィアに求めたらいけない」
行き場のない想いを叫ぶ代わりに、両手で二度頬を強く叩く。
頬がじんじんと痛む。でも、かわりに心の痛みは、すこしだけ遠くなった。
執務室の机を見えれば、既にジャンによって整えられたと思われる書類が綺麗に積まれているのが見えた。
ドアから背を離すと真っ直ぐに机に向かう。
やるべき事が目の前に示されているのは有難い。余計な事を考えずに済む。
椅子に座ると、最初に決済が必要な書類が三つの山に分けられていた。『決済可能』『要確認』『決済に疑問あり』と綺麗な字で書かれたメモが載っている
きっとジャンが私の時間を節約するために、ここまでしてくれたのだろう。私には政の知識はあまりないから助かる。
最初に『決済可能』なものに目を通す。十分に議論がされていて、私でも必要と思えるもだから、手早くレナート王子の紋が入った印を『承認』のところに押していく。
次に『決済に疑問あり』を手に取る。こちらも議論がされ尽くして否決の流れだから、『不承認』に印を押す。
最後に『要確認』のものに目を通す。数は三件で多くはないが、私が判断するには難しい内容だった。
人差し指でこめかみを抑えて唸る。私がレナート王子だけど、私にレナート王子と同じ事は出来ない。
頭を抱えていたら、小さくノックの音がした。入室を許可するとジャンが部屋に入ってくる。
「失礼します、レナート様。各方々との調整が整いました。グレゴーリ公爵はいつでも参上されます。ストラーダ枢機卿についても同様です。ただ、アベッリ公爵については、レナート王子に足をお運び頂きたいとおっしゃられています」
申し訳なさそうにジャンが一礼する。
シストの件からも、アベッリ公爵とレナート王子の力関係は推察できる。
「いつもの事ですね?」
何となくそうだろうと思って尋ねると、ジャンが仕方ないというような笑顔で同意する。
とりあえず、今の段階ではアベッリ公爵に会うのは一番最後のつもりだ。だから、会える状況さえ整っていればいい。
「わかりました。ご苦労様です、ジャン。『承認』『否承認』の書類は印を押しましたが、『要確認』は今日一日時間をください」
「畏まりました。後ほど各部門に届けさて頂きます」
頷いて、『要確認』の書類を机の端に寄せる。そして、漸く私の事に関わる書類を手に取る。
『リーリア・ディルーカによる聖女襲撃』『聖女襲撃事件の取り調べ・論議』『ディルーカ伯爵家の捜索』。物々しい題が着けられた書類のページをめくると、苛立たしいぐらい嘘だらけの内容が並んでいた。
予想はしていたけど、あまりの酷さに腹立ちを通り越して呆れてくる。
『リーリア・ディルーカによる聖女襲撃』には、中庭での私の証言は載っていない。
襲撃が発生したのは、東棟が騒がしいと思った時。その時間は中庭で木を炎上させた私は青くなっていたから、当然ソフィアを襲えるわけがない。
東棟から私を追って捕縛した隊の騎士の名を見れば『教会派』の名前がずらりと並ぶ。もみ消されたのは明白だった。
意識を失う魔法を受けずに、もっと多くの人の前で潔白を証明するべきだった。悔やんでも悔やみきれない。
『聖女襲撃事件の取り調べ・論議』も酷い。ストラーダ枢機卿と第二隊長が一度来ただけなのに、第二隊長は何度も足を運んだ事になっている。しかも、自白はしてないけど、襲った事は仄めかしたって書かれている。私の処罰や扱いについての議論は、私情を挟むのを排する名目で『旧国派』の人がことごとく外されている。
これじゃあ、『教会派』のやりたい放題だ。
『ディルーカ伯爵家の捜索』に至っては、もう呆れるしかない。証拠として見つかった書類は、私がレナート王子を操る事を画策して怪しい薬を買い求める内容と、新しい女の影に苛立ち暗殺を企てる内容のもの。私の字と九割筆跡が一致していて、記載のある文脈は確かにそう受け取れる。だけど、『怪しい薬』の名も『暗殺』の言葉は明確にはない。
多分、過去の手紙などからそれらしい文章を選んで、文字をなぞり取って偽造でもしたのだろう。
お粗末極まりない内容に思わず嘆息する。
こんなものは、国王陛下がいたら絶対に通らない内容だ。
きっと『旧国派』が息まくのは、私の身を心配してだけじゃない。こんなものがまかり通る事を許したら、レナート王子が国王になった未来が思いやられるからだ。
でも、『教会派』が押し通すなら、何か確信があっての事だ。『教会派』だって馬鹿ばかりじゃない。
「ジャン。貴方は今の状況をどう思っていますか?」
何か裏の事情の手掛かりが得られないかと、ジャンに水を向ける。
第二従者だったジャンが知る事には限界があるだろうが、私よりはレナート王子の周囲を見ている筈だ。
流石に言いづらいのか、ジャンが気まずそうに小さく首を振る
「私には口を出せる内容ではありません」
返事が『分からない』ではなかった事に僅かに期待を持つ。
「私は迷っています。だからこそ、別の立場の者の意見が知りたい。咎める事は決してしない。だから、私を信じて思う事を述べて欲しい」
真っすぐに希う様に見つめると、ジャンが何かを振り払うような息を吐いて口を開く。
「書類をまとめていて、私も馬鹿なと思ってしまいました。しかし、考えてみると三か月前のシャンゼラの訪問以来、何かが変わってしまった気がします」
シャンゼラには、三本の指に入るであろう立派な修道院がある。祭りの時期に合わせてレナート王子も年に一度は訪問している。
三か月前の訪問では、ソフィアはレナート王子の目の前で奇跡を起こした。
「何かとは何でしょうか?」
促すと、言葉を途切れさせたジャンが再び口を開く。
「聞いた事もない『聖女様』が現れて、何代も離れる事のなかった国王陛下が王都を離れた。そして、この異様な状況にお戻りになれない。王が『奇跡』を手放したかのようで恐ろしく思えた。……口にしてみますと、子供のように偶然を気にしすぎている気が致します。戯言とお忘れください」
誰よりもレナート王子を気にかけていたジャンの言葉だ。見過ごしてはいけない気がした。
「有難うございます。大変参考になりました。貴方に聞いてよかったです。ところで、一つ追加で資料を出して頂けますか? 国王陛下たちの今の状況が知りたいです」
王が戻れない。たった今ジャンははっきりと口にした。廊下で噂話に興じていた者達も、それらしきことを言いかけていたと思う。
国王様の遠征は、北の領で隣国グリージャの民が盗賊行為を繰り返しているのを治める為だ。一週間前に出立して、片道五日で本来ならば拠点を構えるキュールの街についていてもおかしくない。
大騒ぎになってはいないから、命にかかわる事ではないのだろう。それでも同行しているお父様を思うと、不安で胸がいっぱいになる。
ジャンが山のように書類が詰まれた棚から、一つの書類を手に取って戻ってくる。
「こちらです。明日にはタルヴォルタ川の増援部隊が到着予定です。それでも、治水には数日は掛かる見込みなので、リーリア様の処刑に国王陛下、ディルーカ伯爵がお戻りになるのは厳しいかと存じます」
資料を捲って、状況を確認する。
出立の二週間前にインテンソ河が氾濫して先遣隊が治水を進めていた。遅れて国王陛下たちが出立したが、治水が予定より長引きシャンゼラに足止めされる事になった。その滞在中に王都側のタルヴォルタ川が決壊して王都との連絡が取れない状況に置かれてしまう。
机の下で拳を握りしめる。こんな都合のいい出来事が起きる訳がない。タルヴォルタ川の決壊は、婚約破棄の前日だ。これだけで『教会派』が無理を通すとは思えないが、布石の一つであることは間違いない。
「ジャン。タルヴォルタ川の決壊の早馬の到着はいつですか?」
「舞踏会の翌日の夕方に到着いたしました。翌日には増援部隊を出しております」
早馬よりも先に、私は婚約破棄という事態に巻き込まれて囚われた。それは『教会派』が事前にタルヴォルタ川の決壊を知っていたに他ならない。
「至急、グレゴーリ侯爵を呼んでください!」
ジャンが一礼して、慌ただしい足取りで部屋を出ていく。
窓を見れば既に日が傾いて、空が茜色に染まりだしていた。今日できるのはグレゴーリ公爵との面会と、そして『私』との対面までだろう。
間に合うだろうか、幾つかの小さな糸口は見つけたけれど、引き寄せる事は簡単じゃない。
暫く、棚にある書類から目ぼしい情報を集めていると、慌ただしい足音がしてドアがノックされる。
ドアが開くと、長身の整った顔立ちをした壮年の騎士が入室してきた。
「レナート王子。お呼び出しに応じアレッシオ・グレゴーリ参上いたしました」
低い声で名乗ると、無駄のない動きで私の前に一礼する。
栗毛色の髪と稲穂色の瞳にはジュリアの面影がある。だけど、意識がはっきりした状態で改めて向き合うと、全く雰囲気が違う。騎士団長に相応しい風格に、思わず圧倒されそうになる。
ジャンに接するようにやや甘えた気持ちで対応する訳にはいかないと、気持ちを引き締める。
「よく来て頂きました。まず、ディルーカ伯爵の部屋を移して頂いたと聞いています。感謝しています」
騎士らしい身のこなして一礼すると、グレゴーリ公爵が鋭い眼差しで先の言葉を促す。
「シストはそちらに出頭いたしましたか?」
「はい。レナート王子のお目覚めの後に、こちらに参りました。現在、言葉の真偽を確認する為に拘束させて頂いております」
一瞬、細めた眼差しに背筋がすっと冷たくなる。眼差しが持つ意味は一体何なのだろうか。
お父様の言葉から信頼できる人物だと期待していたから、眼差しが敵意であれば後の流れが大きく変わりかねない。
「結構です。何か分かり次第連絡を下さい。まず、お願いしていた件の報告を」
「ディルーカ伯爵令嬢は、西棟の一室にいらっしゃいます。体に異常はありませんが、医師の報告では必要以上の言葉を話さない様子です。強い衝撃を受けた事をご懸念でしたので、取り調べはご指示通り控えております」
その言葉に思わず小さく息を吐く。あの晩は目を閉じたままだったから、見えない所に傷でも負っていたらと心配していた。
「私の個人的な我がままの部分が多かったのに、よく対応してくれました」
改めて礼を言うと、グレゴーリ公爵が小さく首を振って言葉を続ける。
「襲撃の件については、私から報告をする前にレナート王子から詳細をお伺いしたいのですが如何でしょうか?」
あの状況を知る者は私と『私』しかいない。グレゴーリ公爵に調べて貰っている以上、知る限りの事は話すべきだろう。
「かまいません。あの晩、私は……『元婚約者』を憐れんで外に連れ出しました。外苑は懐かしい場所だから、そんな気持ちで選んだのでしょうね。処刑の前にせめて一度だけでも、外で自由に手足を伸ばさせてあげようと思った……」
推測と飾事であの日の理由を作る。
罪滅ぼしと言ったから、憐れんだのだろう。外苑の扉の前で『昔みたいに』といったから、懐かしんだのだろう。だけど、結果的には傷つけられた。
「わざわざ忍んだのは何故ですか? 貴方なら堂々とできたでしょう?」
知る限りで一番正しそうな答えを想定しながら、肩をすくめて曖昧に答えを返す。
「国王代理と言っても、私が思う通りにならないのはご存知でしょう?」
「グレゴーリ公爵ですか? 確かに、いい顔をするとは思えませんね。シストを見張りに立たせて、二人で外苑に入った。そして、何者かに襲われた」
あの晩の事をゆっくりと思い出す。僅かな月明かりに照らされた野原と、闇に飲み込まれたような白樺の林、はっきりとこちらに向かって撃たれた弓の風を切る音。
「襲撃者は林の中で姿や位置を正確にはとらえられませんでした。得物は弓です。弓が射られる間隔から人数は一人、または二人だと思います。逸れた弓が何本か大地に刺ささりましたが、きっと回収されているのでしょうね。残念ながら、私が把握できたのはここまでです。正直、襲撃された理由も検討がつきません」
今度はグレゴーリ公爵の報告の番だ。促すように見つめると、鋭い眼差しと視線が交錯する。
「お倒れになった後、直ぐに信頼できる部下を林に走らせました。ご指摘通り矢は全て回収されておりました。小さく草に焦げ跡があり、ガラスの欠片が残っていました。心当たりはありますか?」
「弓の標的になるのを避けるために、手持ちのランプを投げ捨てました。その跡でしょう」
私の言葉にグレゴーリ公爵が小さく頷く。
「木の枝には何カ所か折れた場所がありました。襲撃者のいた場所だと推測できます。それ以外には痕跡は残っていません。シストは、中の事態に気づいていなかった主張しています。中に入った時には痕跡も消えていたと言っています。アベッリ公爵から釈放を求められています。貴方様も望まれますか?」
再びグレゴーリ公爵が私を計るような眼差しを向ける。
グレゴーリ公爵の事をお父様は『公正で実直な人物』と言った。その言葉を信じて、私は一つの賭けをする。
「誰の所為でもない。好きになるのは、誰の所為でもない。選ばれるのは一人だけ、分っているでしょう?」
言い聞かせるように、呟いて唇を噛む。
二つを同時に選べない事があるのは、私だってよく知っている。
「私だって選んだんだ。これからだって、きっと何かを秤にかけて選んでいく。ソフィアが選ばれた事は、悪い事じゃない。レナート王子に代償を求めても、ソフィアに求めたらいけない」
行き場のない想いを叫ぶ代わりに、両手で二度頬を強く叩く。
頬がじんじんと痛む。でも、かわりに心の痛みは、すこしだけ遠くなった。
執務室の机を見えれば、既にジャンによって整えられたと思われる書類が綺麗に積まれているのが見えた。
ドアから背を離すと真っ直ぐに机に向かう。
やるべき事が目の前に示されているのは有難い。余計な事を考えずに済む。
椅子に座ると、最初に決済が必要な書類が三つの山に分けられていた。『決済可能』『要確認』『決済に疑問あり』と綺麗な字で書かれたメモが載っている
きっとジャンが私の時間を節約するために、ここまでしてくれたのだろう。私には政の知識はあまりないから助かる。
最初に『決済可能』なものに目を通す。十分に議論がされていて、私でも必要と思えるもだから、手早くレナート王子の紋が入った印を『承認』のところに押していく。
次に『決済に疑問あり』を手に取る。こちらも議論がされ尽くして否決の流れだから、『不承認』に印を押す。
最後に『要確認』のものに目を通す。数は三件で多くはないが、私が判断するには難しい内容だった。
人差し指でこめかみを抑えて唸る。私がレナート王子だけど、私にレナート王子と同じ事は出来ない。
頭を抱えていたら、小さくノックの音がした。入室を許可するとジャンが部屋に入ってくる。
「失礼します、レナート様。各方々との調整が整いました。グレゴーリ公爵はいつでも参上されます。ストラーダ枢機卿についても同様です。ただ、アベッリ公爵については、レナート王子に足をお運び頂きたいとおっしゃられています」
申し訳なさそうにジャンが一礼する。
シストの件からも、アベッリ公爵とレナート王子の力関係は推察できる。
「いつもの事ですね?」
何となくそうだろうと思って尋ねると、ジャンが仕方ないというような笑顔で同意する。
とりあえず、今の段階ではアベッリ公爵に会うのは一番最後のつもりだ。だから、会える状況さえ整っていればいい。
「わかりました。ご苦労様です、ジャン。『承認』『否承認』の書類は印を押しましたが、『要確認』は今日一日時間をください」
「畏まりました。後ほど各部門に届けさて頂きます」
頷いて、『要確認』の書類を机の端に寄せる。そして、漸く私の事に関わる書類を手に取る。
『リーリア・ディルーカによる聖女襲撃』『聖女襲撃事件の取り調べ・論議』『ディルーカ伯爵家の捜索』。物々しい題が着けられた書類のページをめくると、苛立たしいぐらい嘘だらけの内容が並んでいた。
予想はしていたけど、あまりの酷さに腹立ちを通り越して呆れてくる。
『リーリア・ディルーカによる聖女襲撃』には、中庭での私の証言は載っていない。
襲撃が発生したのは、東棟が騒がしいと思った時。その時間は中庭で木を炎上させた私は青くなっていたから、当然ソフィアを襲えるわけがない。
東棟から私を追って捕縛した隊の騎士の名を見れば『教会派』の名前がずらりと並ぶ。もみ消されたのは明白だった。
意識を失う魔法を受けずに、もっと多くの人の前で潔白を証明するべきだった。悔やんでも悔やみきれない。
『聖女襲撃事件の取り調べ・論議』も酷い。ストラーダ枢機卿と第二隊長が一度来ただけなのに、第二隊長は何度も足を運んだ事になっている。しかも、自白はしてないけど、襲った事は仄めかしたって書かれている。私の処罰や扱いについての議論は、私情を挟むのを排する名目で『旧国派』の人がことごとく外されている。
これじゃあ、『教会派』のやりたい放題だ。
『ディルーカ伯爵家の捜索』に至っては、もう呆れるしかない。証拠として見つかった書類は、私がレナート王子を操る事を画策して怪しい薬を買い求める内容と、新しい女の影に苛立ち暗殺を企てる内容のもの。私の字と九割筆跡が一致していて、記載のある文脈は確かにそう受け取れる。だけど、『怪しい薬』の名も『暗殺』の言葉は明確にはない。
多分、過去の手紙などからそれらしい文章を選んで、文字をなぞり取って偽造でもしたのだろう。
お粗末極まりない内容に思わず嘆息する。
こんなものは、国王陛下がいたら絶対に通らない内容だ。
きっと『旧国派』が息まくのは、私の身を心配してだけじゃない。こんなものがまかり通る事を許したら、レナート王子が国王になった未来が思いやられるからだ。
でも、『教会派』が押し通すなら、何か確信があっての事だ。『教会派』だって馬鹿ばかりじゃない。
「ジャン。貴方は今の状況をどう思っていますか?」
何か裏の事情の手掛かりが得られないかと、ジャンに水を向ける。
第二従者だったジャンが知る事には限界があるだろうが、私よりはレナート王子の周囲を見ている筈だ。
流石に言いづらいのか、ジャンが気まずそうに小さく首を振る
「私には口を出せる内容ではありません」
返事が『分からない』ではなかった事に僅かに期待を持つ。
「私は迷っています。だからこそ、別の立場の者の意見が知りたい。咎める事は決してしない。だから、私を信じて思う事を述べて欲しい」
真っすぐに希う様に見つめると、ジャンが何かを振り払うような息を吐いて口を開く。
「書類をまとめていて、私も馬鹿なと思ってしまいました。しかし、考えてみると三か月前のシャンゼラの訪問以来、何かが変わってしまった気がします」
シャンゼラには、三本の指に入るであろう立派な修道院がある。祭りの時期に合わせてレナート王子も年に一度は訪問している。
三か月前の訪問では、ソフィアはレナート王子の目の前で奇跡を起こした。
「何かとは何でしょうか?」
促すと、言葉を途切れさせたジャンが再び口を開く。
「聞いた事もない『聖女様』が現れて、何代も離れる事のなかった国王陛下が王都を離れた。そして、この異様な状況にお戻りになれない。王が『奇跡』を手放したかのようで恐ろしく思えた。……口にしてみますと、子供のように偶然を気にしすぎている気が致します。戯言とお忘れください」
誰よりもレナート王子を気にかけていたジャンの言葉だ。見過ごしてはいけない気がした。
「有難うございます。大変参考になりました。貴方に聞いてよかったです。ところで、一つ追加で資料を出して頂けますか? 国王陛下たちの今の状況が知りたいです」
王が戻れない。たった今ジャンははっきりと口にした。廊下で噂話に興じていた者達も、それらしきことを言いかけていたと思う。
国王様の遠征は、北の領で隣国グリージャの民が盗賊行為を繰り返しているのを治める為だ。一週間前に出立して、片道五日で本来ならば拠点を構えるキュールの街についていてもおかしくない。
大騒ぎになってはいないから、命にかかわる事ではないのだろう。それでも同行しているお父様を思うと、不安で胸がいっぱいになる。
ジャンが山のように書類が詰まれた棚から、一つの書類を手に取って戻ってくる。
「こちらです。明日にはタルヴォルタ川の増援部隊が到着予定です。それでも、治水には数日は掛かる見込みなので、リーリア様の処刑に国王陛下、ディルーカ伯爵がお戻りになるのは厳しいかと存じます」
資料を捲って、状況を確認する。
出立の二週間前にインテンソ河が氾濫して先遣隊が治水を進めていた。遅れて国王陛下たちが出立したが、治水が予定より長引きシャンゼラに足止めされる事になった。その滞在中に王都側のタルヴォルタ川が決壊して王都との連絡が取れない状況に置かれてしまう。
机の下で拳を握りしめる。こんな都合のいい出来事が起きる訳がない。タルヴォルタ川の決壊は、婚約破棄の前日だ。これだけで『教会派』が無理を通すとは思えないが、布石の一つであることは間違いない。
「ジャン。タルヴォルタ川の決壊の早馬の到着はいつですか?」
「舞踏会の翌日の夕方に到着いたしました。翌日には増援部隊を出しております」
早馬よりも先に、私は婚約破棄という事態に巻き込まれて囚われた。それは『教会派』が事前にタルヴォルタ川の決壊を知っていたに他ならない。
「至急、グレゴーリ侯爵を呼んでください!」
ジャンが一礼して、慌ただしい足取りで部屋を出ていく。
窓を見れば既に日が傾いて、空が茜色に染まりだしていた。今日できるのはグレゴーリ公爵との面会と、そして『私』との対面までだろう。
間に合うだろうか、幾つかの小さな糸口は見つけたけれど、引き寄せる事は簡単じゃない。
暫く、棚にある書類から目ぼしい情報を集めていると、慌ただしい足音がしてドアがノックされる。
ドアが開くと、長身の整った顔立ちをした壮年の騎士が入室してきた。
「レナート王子。お呼び出しに応じアレッシオ・グレゴーリ参上いたしました」
低い声で名乗ると、無駄のない動きで私の前に一礼する。
栗毛色の髪と稲穂色の瞳にはジュリアの面影がある。だけど、意識がはっきりした状態で改めて向き合うと、全く雰囲気が違う。騎士団長に相応しい風格に、思わず圧倒されそうになる。
ジャンに接するようにやや甘えた気持ちで対応する訳にはいかないと、気持ちを引き締める。
「よく来て頂きました。まず、ディルーカ伯爵の部屋を移して頂いたと聞いています。感謝しています」
騎士らしい身のこなして一礼すると、グレゴーリ公爵が鋭い眼差しで先の言葉を促す。
「シストはそちらに出頭いたしましたか?」
「はい。レナート王子のお目覚めの後に、こちらに参りました。現在、言葉の真偽を確認する為に拘束させて頂いております」
一瞬、細めた眼差しに背筋がすっと冷たくなる。眼差しが持つ意味は一体何なのだろうか。
お父様の言葉から信頼できる人物だと期待していたから、眼差しが敵意であれば後の流れが大きく変わりかねない。
「結構です。何か分かり次第連絡を下さい。まず、お願いしていた件の報告を」
「ディルーカ伯爵令嬢は、西棟の一室にいらっしゃいます。体に異常はありませんが、医師の報告では必要以上の言葉を話さない様子です。強い衝撃を受けた事をご懸念でしたので、取り調べはご指示通り控えております」
その言葉に思わず小さく息を吐く。あの晩は目を閉じたままだったから、見えない所に傷でも負っていたらと心配していた。
「私の個人的な我がままの部分が多かったのに、よく対応してくれました」
改めて礼を言うと、グレゴーリ公爵が小さく首を振って言葉を続ける。
「襲撃の件については、私から報告をする前にレナート王子から詳細をお伺いしたいのですが如何でしょうか?」
あの状況を知る者は私と『私』しかいない。グレゴーリ公爵に調べて貰っている以上、知る限りの事は話すべきだろう。
「かまいません。あの晩、私は……『元婚約者』を憐れんで外に連れ出しました。外苑は懐かしい場所だから、そんな気持ちで選んだのでしょうね。処刑の前にせめて一度だけでも、外で自由に手足を伸ばさせてあげようと思った……」
推測と飾事であの日の理由を作る。
罪滅ぼしと言ったから、憐れんだのだろう。外苑の扉の前で『昔みたいに』といったから、懐かしんだのだろう。だけど、結果的には傷つけられた。
「わざわざ忍んだのは何故ですか? 貴方なら堂々とできたでしょう?」
知る限りで一番正しそうな答えを想定しながら、肩をすくめて曖昧に答えを返す。
「国王代理と言っても、私が思う通りにならないのはご存知でしょう?」
「グレゴーリ公爵ですか? 確かに、いい顔をするとは思えませんね。シストを見張りに立たせて、二人で外苑に入った。そして、何者かに襲われた」
あの晩の事をゆっくりと思い出す。僅かな月明かりに照らされた野原と、闇に飲み込まれたような白樺の林、はっきりとこちらに向かって撃たれた弓の風を切る音。
「襲撃者は林の中で姿や位置を正確にはとらえられませんでした。得物は弓です。弓が射られる間隔から人数は一人、または二人だと思います。逸れた弓が何本か大地に刺ささりましたが、きっと回収されているのでしょうね。残念ながら、私が把握できたのはここまでです。正直、襲撃された理由も検討がつきません」
今度はグレゴーリ公爵の報告の番だ。促すように見つめると、鋭い眼差しと視線が交錯する。
「お倒れになった後、直ぐに信頼できる部下を林に走らせました。ご指摘通り矢は全て回収されておりました。小さく草に焦げ跡があり、ガラスの欠片が残っていました。心当たりはありますか?」
「弓の標的になるのを避けるために、手持ちのランプを投げ捨てました。その跡でしょう」
私の言葉にグレゴーリ公爵が小さく頷く。
「木の枝には何カ所か折れた場所がありました。襲撃者のいた場所だと推測できます。それ以外には痕跡は残っていません。シストは、中の事態に気づいていなかった主張しています。中に入った時には痕跡も消えていたと言っています。アベッリ公爵から釈放を求められています。貴方様も望まれますか?」
再びグレゴーリ公爵が私を計るような眼差しを向ける。
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……だが、クララベルは五歳の時に思い出していた。
自分は家族に恵まれずに死んだ日本人で、ここはウィラードを主人公にした小説の世界だと。
そして自分は、父である皇帝の差し金でウィラードの弱みを握る為に殺され、小説冒頭で死体として登場するのだと。
「大丈夫。何回も、シミュレーションしてきたわ……絶対に、生き残る。そして本当に、辺境伯に嫁ぐわよ!」
※※※
死にかけて、辛い前世と殺されることを思い出した主人公が、生き延びて幸せになろうとする話。
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