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三章

舞台と終わりの日 キャロル15歳

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 どうして? これまでに見落としが無かったかを帰邸した部屋で考える。いくら考えてもクロードとルナが親しくなる要素は見つからない。
 以前のように私の勘違い? ただ、怪我をしたクロード介抱して、躓いたルナを受け止めただけ。
 絶対に違うとわかっているのに、都合の良い事ばかりが頭に浮かぶ。

「ノエル様、旦那様がお戻りです」

「わかりました。隠し部屋でお話したいと伝えて下さい」

 一度、ルナとクロードの事は中断する。まずは、ラヴェル伯爵家の状況を父上に伝えなくてはいけない。父上の支度が整ったとクレイが迎えに来る。
 隠し部屋につくと父上が席について、既に美味しそうなお菓子と温められた茶器が並べられていた。クレイの手で温かいお茶が用意される。ジルの紅茶より少し濃いめの味は父上の好みで、柔らかい香りは私の好きな種類のお茶。

「さて、大切な話って何かな?」

 父上は室長になってから本当に忙しい。帰宅時間が遅く、休みも少ない。祝杯以降は改革の速度を上げているせいか、顔を合わせない日が増えていた。

「ドニ・ラヴェルから国政管理室室長宛です。まず聞いてみてください」

 机の上に黒い箱の魔法具を差し出す。父上が、魔力を流し込もうとして止める。

「ジル、悪いがこれを解除してみてくれ」

 一礼してからジルが魔力を流し込む。魔法具には属性や血脈を合わせないと解除できないものもある。多分、これは属性を合わせるのだろう。
 程なくして、ドニの明るい声が聞こえてくる。舞踏会の楽団の音色が聞こえた。
 いくつも舞踏会での会話が流れる、出てくる家名をクレイが書きとめていく。
 音声が後ろに行くにつれて、低い声が会話に交じるようになって父上が眉を上げる。
 その低い声の主がジルベールなのだと理解する。
 ぞっとするぐらい感情の乏しい低い声は、語らう貴族の不満を掘り起こす。不安を煽り、憤りに同調し、周到に進められる会話は、改革に対して優位性を失う事への憂慮と怒りを相手の口から引き出す。
 ジルベールが上手く会話を運んだ日、ドニの歌はいつも悪魔の誘惑に打ち勝つ乙女を称える歌だった。繰り返される歌に、ドニが抱え込んでいた苦しみの期間を知り胸が痛い。
 温かかった紅茶がいつ冷めたのか分からない頃、テラスで交わされたドニの言葉が流れる。そして、私の歌声が小さく残り、ドニの決意の歌声が流れた。

「ドニがこれを君に託したので間違いないね?」

「はい。ジルベール・ラヴェルについて父上たちはどうお考えですか?」

 父上が人差し指で机をたたく。話せることを確認するかのように、ゆっくりとしたリズムを刻む。最後に二度、素早く刻んでから音が止まった。

「不穏な動きをする者達の存在は掴んでる。録音に出てきた人物が、ほぼ合致するのは確かだな。騎士団が冬には忙しくなる」

 冬には騎士団が忙しくなる。それは謀反に対する粛清が予定されているのだろう。
 父はまだ何かを考えていようで、冷めたお茶を見つめて顎を撫でる。

「処分はラヴェル伯爵家全体に及びますか?」

「ああ、今のラヴェルなら処分は免れないだろう。……だが、実力主義を唱えて一族を一連托生も収まりが悪いと思わないかい? 身近な者を失う以上は復讐の意志を持つ者は野放しにはしないがね」

 唇の端を上げて父が笑う。再び、刻まれる机を叩く音は私に考えることを促す。戦う友の為に私が出来ることは少ない。出来るのは父上の言葉から国政管理室が何を望んでいるかを引き出すことぐらいだ。

「ラヴェル家が派手に分裂した場合は、処分は変わりますか?」

「ラヴェルは有名な旧家だし、恥になるお家騒動なら隠したがるだろうね。でも、人の醜聞はおもしろい。発覚すれば周囲の注目を派手に集めて、目立つんだろうねぇ」

 狸がにやりと口元の笑みを深める。多分、間違っていない。粛清の後は淀んだ空気を掃う美談が必要だ。大きな舞台と役者が面白ければ、あっという間に広がる。演じる者は見つからなければ、あの人たちが作るのだろう。

「父上は殺伐した空気の後の、弱き者の忠心なんて美談はお好きですか?」

「凋落する者の意地とか嫌いじゃないな。上手く演じる道化師がなかなかいないけどね」

 旧家ラヴェルのお家騒動ならいい舞台になる筈だ。ドニの父である現当主対ジルベール。醜聞と罵られても、顛末の最期にドニの父が残ればいい。でも、それだけじゃ足りないと父上は言っている。当主である限り責任は免れないからだ。

「ジルベールは廃嫡の撤回を希望してますね。まさか、通さないですよね?」

「そういえば、懲りずにまた提出されてたな。今は国政が忙しいから審議ミスもあるかもしれないね」

 廃嫡の撤回は通してもらえる。謀反派に当主の座を追われてた憐れな道化師。社交界は旧家の醜聞を面白おかしく騒ぎ立ててあっという間に広がる。派手に戦ってくれたら、父上の目に叶う筈だ。
 粛清が終われば、舞台は次の幕になる道化師は、窮地でも意志を曲げなかった忠臣に変わる。あっという間に広がっていく新しい噂。同じ火の粉を恐れる中立派は顛末を重ねて、こちらになびく。狸が探してる物語の筋書きはこんなところだろう。

「君は上手に友達を誘導できるかな? 芸術以外は得意としない現当主がどこまでやれるかは怪しいよ。道化師が下手なら、物語の舞台には上げることはできない」

 笑う狸は狡い。もう一つ底があるような気がする。でも、何か分らなくて不満げに私が口を尖らすと、面白そうな顔でクレイに新しいお茶の入れ直しを指示した。
 新しいお茶を一口すする。それから気持ちを入れ替えて、今度は私の話を始める。

「キャロルとしてワンデリアに行くのは次を最後にします」

 その言葉に珍しく本気で父上が慌てて、音を立てて茶器から手を放す。父上と母上が私の為にと終わりの時期を先延ばしにしている事を、私は理解している。そして、甘えていた。
 いつも人は見たいものしか見ない。私も同じ。
 幸せな日々に甘えて、終わった後の結果を理解していて、逃げてきた。

「事業も安定しています。サミーは立派な工房長です。新しい職人もしっかりついてきている。ヤニックとマノンも結婚して、二人揃って支えています。私がいなくても大丈夫です」

 春先にヤニックとマノンが結婚式を挙げた。少し前、冬の寒い日にマノンが綺麗な指輪を見せてくれた。マノンの為だけの指輪。ヤニックがその指輪を捧げて愛を告白しそうだ。その話になるとヤニックは真っ赤になって、マノンは嬉しくて泣きだしてから笑う。
 私も小さなネックレスを貰った。小さいけどアネモネ石の素晴らしい細工。ヤニックがデザインして、サミーが彫った、チェーンはマノンが発案したビーズの新作だ。
 三人がそれぞれ関わった私への贈り物を見た時、私にはもう何も口出しすることがないと思えた。
 私の顔を見つめて、小さなため息を父上が落とす。そして、椅子を立つと側に来て頭に手を乗せる。

「わかった。君が望むなら次が最後で構わない。今のワンデリアは以前よりずっといい、よく頑張った」

 頭をくしゃくしゃに撫でる。いつからか父上は抱きしめるよりも、こうやって頭をくしゃくしゃにすることが増えた。寂しいよりも、一人の息子として認められる気がして嬉しかった。

「ただ、領民への正式な通達は来年の夏まで時間が欲しい。一年は粛清の事で、皆に十分な対応が取れない。かなりの大騒ぎになりそうだし、心配かけるが当面は療養の扱いでいいね?」

 かなりの大騒ぎの時に僅かに父上が顔を引き攣らせたのが、気になるが私は頷く。心配をかけてごめんなさい。本当に最後のさよならです。

「わかりました。来年の夏には、私がついた嘘で傷つける人への配慮を出来る限りお願いします」

 ノエルとして簡単にワンデリアに戻るわけにはいかないから、これからの運営は父上に任せることになる。何だか体の中から何かが抜け落ちていく気がした。私は最後の日はどんな顔で、どんなふうにしたらいいのだろう。

「誰かとさよならする時って、どんな風にするべきなのでしょう」

 呟いた言葉に父上が戸惑う。答えにくい問いだとは理解してる。でも、誰かの言葉が聞いてみたかった。答えじゃなくていい、私ならこうするって教えてほしかった。

「レオナール様、ノエル様。僭越ですが、私の意見を述べても宜しいですか?」

 クレイが一礼する。父上とジルが一斉に嫌な顔をした。
 私も回答は不安だ。従者として外では完璧なのに、身内と認めると容赦なく毒を挟むし、意地悪してくる。クレイなりの親愛の表現だけど、私の従者は絶対にジルがいい。父の許可を得ずにさっさとクレイが言葉を続ける。

「レオナール様は狡猾ですが生粋のお坊ちゃまで、痛みは大して語れません。ジルは過酷過ぎて適しません。この二人は人生を語るのには、重くなりがちで全く役に立ちません。私は二人に比べて山と谷も平凡な人間でございますので、軽く助言するには適役かと存じます」

 父上とジルが口を唖然とあけている。完璧な従者の見た目で、よくすらすらと毒が混ざるなと感心する。ついでに、クレイも絶対平凡じゃないと思う。

「ノエル様は、私が高い高いをして差し上げたのは覚えておりますか? 小さい頃はお会いすればしていた筈なのですが?」

 随分小さい頃の話だ。抱き上げる黒い執事服が高く、高くと言って、私を持ち上げた記憶はとても薄い。

「あまり覚えていません。ただ、クレイがほっとした顔で笑って、一緒に私も笑っていたことだけはうっすらと覚えています」

 記憶の中のクレイは若くて、少し残念だけど安心したような笑顔で落ちてきた私を捕まえてた。
 満足げにクレイが笑う。父上が少し驚いた顔をして、ジルが話の終着点を訝しむ。

「実は毎回泣いてらっしゃったんですよ。小さくて簡単に上がるので高く投げ過ぎたから、怖かったんでしょうね。でも泣くのに毎回、寄ってくる。そして大泣きして逃げる」

 多分、私も今口をあんぐりと開けている自覚がある。毎回寄って行って、泣かされてたのは全然覚えていない。

「案外嫌なことは忘れるものです。小さいとか大きいとかありますけど一緒ですよ。私たちに傷や嫌な思い出がない奴は一人もいません。生きていれば皆、苦痛まみれです。でも、見つめ続けて立ち止まる奴は少ない。生きていけませんからね。気持ちにも生活にも立ち止まる余裕なんてありません。だから、嫌な思い出は片付けて、楽しい思い出だけを永遠に胸に飾る。その方が生きやすいでしょ?私はそうしてます」

 少し強い眼差しと端々に乱れた言葉でにやりと笑うのは、素のクレイだ。ジルとも父上とも違う。でも、いろいろなものを見てきた人の達観したような笑顔。

「まあ、平凡な私の周りは皆そんな感じでございます。何でもない顔をして、嫌な事と楽しい事を日々抱え込む。それでも、生きてまた笑ってる。平凡な私は、気にせず楽しくお過ごしくださいと申しましょう。互いに心に飾れる思い出が残れば宜しいかと存じます」

 意地悪ばかりいうクレイはいつも正直だ。言わなくてもいい事も言う、でも彼は自分の心に嘘は言わない。
 言い終えた後の、美しい従者の一礼は信頼厚く有能なアングラードで最高の執事の姿だ。顔をあげた完璧な笑顔は真実だけを伝える。

「楽しい思い出は人それぞれです。私は貴方様の泣き顔しか覚えておりません。貴方は一度だけ笑った日を覚えてた。綺麗に残そうと背伸びは必要ありません。ありのままで貴方が愉しめば勝手に思い出が出来ていくはずでございます」

 繰り返された筈の恐怖の高い高いの記憶には笑顔だけが残った。私もクレイもお互い都合よく楽しかったことしか覚えていない。与える傷がもっと大きいのは分かってる。
 でも、傷みを残して消える前に、最後の日は笑って楽しく過ごそうと決めた。いつか、キャロルを思い出した時に楽しい思い出が心にちゃんと飾ってもらえるように。
 それから、キャロルとしての最後の我儘を願い出る。理由は聞かずに父上は、少しだけ寂しそうに笑った。



 ワンデリア最後の日は、それからしばらくして訪れる。長い銀の髪を揺らして、今日はズボンを用意してもらう。午前中はみんなの為に出来るだけたくさんのお手伝いをするためだ。

 工房で用意してきたデザインをヤニックに確認してもらう。いくつか手直ししてもらったら、集会場でビーズを作る女性たちに混ざって、マノンに教えてもらいながら彫っていく。失敗作は、女性たちが笑いながらビーズに直してくれた。出来上がった品を、サミーのところに持っていくと渋い顔をしながら褒めてくれた。

「工房をお任せしますねサミー工房長。ヤニック、マノンはしっかり仲良く支え合ってください」

 私の顔に三人が自信たっぷりに頷く。もう、最初に出会った頃のバラバラの感じはどこにもない。

 次は農作物のお手伝い。岩場ばかりで土が少ないからうまく育たない。それでも小さな村が食べて行くのには困らないという。教えてもらいながら、熟れた果実を摘んでいく。暫くして、小さい子供のお世話係を任されたのは、私が不器用だからではない。子供と遊ぶのが上手だからだ。

「キャロルさま! すき! あとで、おいしいのとってあげる」

「はい! 私もだーい好きです! 楽しみにしてます」

 青い空の下で小さな体を抱きしめる。私が最初に来た時にはいなかった子。新しい命が生まれて、大きくなって生きる。それはとても素敵なことだと思う。覚えていてね、一緒に笑ったことを。

 採掘地にも行く。ここは、新しい施設にする計画がある。宿を作って、アクセサリーを作るお客様を泊めると皆が張り切っている。家具は石を掘り出して作る工夫も私が考えた事じゃない。
 月明かりに照らされるこの村は神秘的でどこよりも美しい。明るい光の下の村は居心地がいい。きっと観光事業も上手く行く。頑張れ。頑張れ。私がいなくても、もう大丈夫。

 泣くなら笑う。悲しむなら楽しむ。そのままの私で、今日の世界で一番幸せな時間を作る。

「キャロル様? どうかしましたか?」

 私の顔を覗き込むじいじに首を振る。たくさんお世話になった人。高齢のオレガ村長の代わりに村をよく支えてくれる。旅人だったせいか博識でビーズの流通は彼の発案だった。
 綺麗な紫の瞳が、昔はきっと女性にもてただろうなと思う。今だってとても粋でお洒落なお爺さん。

「いいえ。とても楽しくて。じいじ、これからも村の事は頼みますね。旅に行かずにずっと守ってと言ったら我儘ですよね?」

「……お望みなら。貴方様が次は何をやるかが楽しみですから」

 笑うじいじに笑い返しながら、心の中でもう来られれないと謝る。
 オレガ村長の家でお昼を一緒に食べる。素朴な料理は優しい味。お代わりをしてたくさん食べる。前世を思い出して、オレガとじいじの肩を叩いたら泣かれてしまった。でも、喜んでもらえたからいいんだ。
 忘れないように、心に飾る大切な思い出を増やす。

 お昼を過ぎて、遠くで狼煙が上がったと報告がきたので領主の館に戻る。

「ユーグ様がお見えになりました」

 テラスからシュレッサー伯爵領の方を眺めると、従者と護衛らしき人を今日はちゃんと連れたユーグがこちらに馬でかけてくるのが見えた。キャロルとしてのただ一人の友達。
 従者と護衛の前には出られないから別室で休んでもらって、ユーグとは領主の部屋で会う。

「ひさしぶり、キャロル」

 笑って腰に向かって伸ばされた手を躱す。油断も隙も無く相変わらず距離が近い。

「ユーグ、お久しぶりです! 三年振りですか?」

「君はね。僕は何度も来てるのに、君がいないだけ」

 僅かに目を細めて責めるように言う。睨んだ目さえ艶っぽくて困った人だと思う。
 今日はお願いした調べ物の答え聞くと約束して来てもらった。

「結果をとても楽しみにしていました。ユーグの探求は凄いから」

「本当に? いつも返事もくれないのに?」

 ちゃんと読んでいた証拠にこれまでのお手紙に書かれていたことを諳んじる。完全に研究レポートでしかない手紙。近況はいつも一行。時折交じる精霊の子に関する記述。そして、まってての言葉。
 返したい事はたくさんあったけど、返して近くなるのは怖かった。

「いつもありがとうございます。本当に楽しかったです。とても楽しみで何度も読み返しました」

 ふーん、と短く言って、目を細めると舌で唇を湿らせる。私の手を掴むと、慣れた様子で領主の館を歩き出す。

「話すなら、また屋上にいこ? 昼間でも景色がいい場所だし」

 手を引かれて三年前と同じ屋上に出る。見える景色が昼間になるとまた随分と違う。真っ白な岸壁が眩しいくらいに日差しを照り返す。
 あの時と全く同じ位置に座っると、私の手を引いて自分の膝の間に納め抱きしめてしまう。

「ユーグ!!」

「ん? ちょっとだけね。キャロルだなって確かめたいからね?」

 艶のある声で囁いて、後ろから首筋に顔を寄せる。楽しむような吐息がかかって、慌てて私がバタバタするとようやく手を放してくれた。

「あーあ。折角楽しいのに」

 残念そうに上目遣いに見つめる目が、見た事ない程ずっと色っぽくて焦る。普段ノエルでいる時も艶のある人だとは知っていたけど、キャロルの時は全然違う。危険と判断して、二人分の間を空けて座りなおす。

「ダメです! ユーグは危険です。私は未婚の令嬢ですから、べたべたされては困ります」

「そう? じゃあ、報告のご褒美にキスして?」

 頭の中が真っ白になる。何をどうするといきなり、その発言につながるのか。空けた筈の距離をつめるように、ユーグが体を乗り出して頬に触れる。

「前も言ったけど、見つけたい気持ちがあるんだ。触れるとね、どきどきする」

 そっと優しく顎を撫でる。掴まないのはいつかそれを私が否定したからだろうか。

「ダメです。ユーグの欲しがってる精霊の子の秘密は……」

「いらない。知りたいのは、僕の気持ちの答えと君の気持ちの答えだから」

 唇を拒むように、両手で口を押える。勘違いじゃなければ、ユーグが私を思ってくれている。でも、私にとってユーグは友達だ。どきどきはさせられても、甘く胸を締め付けられることはない。

「ごめんなさい。届かない人ですが、好きな方がいます」

 それ以上近づくのを止めると、金の眼がどこか遠くを見るように私の顔を覗く。何かを考える時のユーグの瞳は私の向こうで答えを探す。それから一度目を瞬いて、まっすぐ覗き込む。

「そっか、アレックス殿下でしょ?」

「どうして……」

「カミュ様もノエルもクロードも教えてくれないから、本人に聞いた。すごく嬉しそうに話してくれた特徴で、すぐに君だって分かった」

 自分の気持ちを誰かから指摘されるのは、こんなに恥ずかしいものなのか。顔も手も熱くなる。
 ユーグが身を引いて、空を仰ぐ。

「あーあ。君の気持ちは簡単に解けちゃった。どうしようか、もう少しで届く答えもあるけど」

 金の瞳が僅かに笑って、それから少しだけ口の端を舌で舐める。

「今はやめておくよ。もう一つの大事な場所に戻れなくなるのは嫌だし。答え合わせはもっと後だね」

 その言葉でユーグが私の抱える理由以外はに気づいている事を知る。口に出さないのは彼が戻るもう一つの大事な場所が私が選んだ場所と同じだからだ。居心地のいい友達として、あの場所でまた会おう。
 彼の答えが私を少しだけ救ってくれて、私は深く礼をする。溢れた思いの名前は、感謝だと思う。

「ところで、あの術式はどこで手に入れたの?」

「それは秘密です」

 秘密が多いと、口を尖らせて言ってから、ポケットから紙を一枚取り出す。ルナが書いた術式によく似た文字がつづられている。

「この文字……」

「古式文字だよ。今使われている文字は250年前から使われ始めて、定着したのはアルノルフ王の時代。それより前に使われていたのがこの古式文字。」

 過去について正確な記録が残るのは今の文字になってからだと言う。だから、古式文字が使われていた時代の記録はとても少ない。残る記録もおとぎ話のような不思議な世界の話ばかりらしい。

「古式文字の時代は幻の生き物を探したい僕の友達が聞いたら喜びそうな話ばかりだよ。赤い神が争いと混沌を支配して、白い神が平和と安寧をもたらす。神様の長い戦いで白い神が勝って、人に力を与える事にしたからエトワールの泉ができたんだって。今の王は白い神が選んだ王様らしいよ。女神がいて、神様がいて、リュウドラがいて、魔物がいる世界。何人かの探求者がすっかり嵌っちゃって、シュレッサーは大激論中だよ」

 いくつも羅列された古式文字は、文字というよりは絵のようだ。これを大激論できるまで読み解く探求者たちは凄い。

「ユーグも読めるんですか?」

「一応、記録が残って解明できた文字はね。今の字と違って、一つの文字で何かを表す。例えば、これ」

 ユーグの指が指すのは、ダイヤの形の中に渦を巻いてる文字で風だという。続けて下向きの三角の角に丸の文字は生まれるという意味。次々と不思議な絵と形の組み合わせの文字の意味をユーグが口にしていく。

「全く分かりません……」

 思わず呟く。前世の社会科に出てくる地図記号みたいだ。聞けば成程とおもえるけど、答えを聞かなければ何を示すのかが分からないものが多い。しかも一つの文字の意味が広くて抽象的だ。

「使いにくいからね。だから廃れて新しい文字が出来た。記録も少ないから難航したよ」

 以前ルナが書いた術式に使われた文字を探して指さす。

「魔法。大きい。増す。光。強く。溶かす。命。全。限り。極める。獣。王。」

 それ以外にも文字はあったけど、紙には載っていないようだ。首を傾げてユーグをみる。

「術式だね。法則を比べて、光属性の最上位で触れる全ての属性を溶かす魔法だと思う」

「最上位の魔法は王族が契約しないと得られない筈です。 ユーグが何で知っているんです?!」

 使えないけど知識だけならシュレッサーにあると笑う。絶対、正規ルートを踏んで手に入れた訳じゃない知識だろう。

「限り、の古式文字から下の揃っていない文字は術式発動者の名前だよ。この術式を使った人が誰かな?」

 使用者はルナ。古式文字の部分は丸の中に太い波線と丸の中に弧を描く丸の断片。それが三日月に見えるのは私がルナの名を知っているからだろうか。
 何故、ルナはユーグが調べるのを苦戦した文字を使って術式が書けるのか。王族が契約でしか得られない魔法を何故発動できたのか。

「使用者ですが……」

 答えようとして迷う。これを言ったら私がノエルだって宣言することになる。お互いに大事な場所で友として会うために、気付いていても知らないふりを選んでくれたユーグ。だから、言わない方がいい。
 考え込む私の髪を掬って、ユーグが口づける。

「君の口からはいらない……目の前に答えがあるのに踏み込みたくないのは初めてだ」

 髪に口づけて愛しそうに眼を閉じたユーグに、キャロルとして最後のお願いを口にする。

「ユーグ。最後にお願いをもう一つしてもいいですか? 精霊の子を必ず治してあげて下さい。苦しむ人がいます。無理をして精一杯生きている人がいます。だから救ってあげてください。ユーグならできます」

 金の瞳が口に出さないけど、私の全てを理解しようと見つめる。細いユーグの指先に絡められた私の髪はするすると解けていくいく。

「古式の術式で少しだけ、何か掴めた気がするんだ。もう、君に待っててはいらないけど、誰かの為に一日も早く答えを見つけると約束するよ」

 乗り出すと素早く私の頬に唇を当てて、いつもの癖のある声で囁く。

「ご褒美はこれでいいよ。さよなら、キャロル。僕に知らない事をくれた子」

 珍しく頬を染めて切なげな笑顔でユーグが笑う。初めてみる表情を浮かべたユーグの頬にキャロルとして友達のキスを返す。
 さよなら、ユーグ。キャロルの大切な友達。次に会う時は、ノエルとして、友として。



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再掲載 <お知らせ> 
投稿を火曜と金曜の二回で八月は固定させていただきます。
八月は本業が忙しいのと、もう一つ連載したいので、お待ちいただいて本当にすみません。

それから小話は前回より別作品「< 小話まとめ >悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります」として投稿しております。
今回は、カミュの祝杯レポ後編ともう一本です。よかったらお越しください


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