さらば真友よ

板倉恭司

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取り調べ(6)

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「三番、調べだ」

 聞き慣れた声に、明彦はのろのろと立ち上がる。いつもと同じく手錠をかけられ腰縄を巻かれ、警察署内を歩いていく。



「おはよう。また、一段と顔色が悪くなったね」

 日村の挨拶に、明彦は愛想笑いを浮かべつつ会釈した。
 だが、直後に放たれた言葉に、表情は一変する。

「昨日は、弁護士が来てたみたいだね。何を話したんだい?」

 そう、昨日は弁護士が来ていた。
 接見禁止措置を取られていても、弁護士とだけは面会できる。普通、面会の際には警官が同行する。しかし、弁護士との面会だけは警官が同行しない。したがって、裁判の際にどのような作戦でいくか、また取り調べでどのような供述をするか、といった「作戦会議」をすることが可能なのだ。また、他の用事を頼むことも出来る。場合によっては、証拠の隠滅を頼むことも可能なのだ。
 にこやかな表情を浮かべてはいるが、日村は弁護士の来訪に警戒心を抱いているらしい。ならば、その警戒心を解いてもらおう。明彦は、とぼけた表情で答えた。

「とりあえずは、接見禁止を何とかしてもらうよう言っておきました。それと、保釈で出られないか相談しました。長期間のお務めの前に、どうにか保釈で出たいですからね」

 言った途端、日村の口からププッと声が漏れる。笑い声だ。

「保釈? 無理に決まっているだろ。許可はおりないよ」

 確かに、無理だろう。
 保釈は、検察の許可が降り、保釈金を裁判所に納めた場合に成立する。しかし、殺人事件のようなケースには、まず許可されない。明彦とて、それはわかっている。
 だが、今はバカのふりをする。明彦、動揺したふりをして言い返した。

「そ、そんなこと、やってみないとわからないじゃないですか」

「そうかい。まあ、好きにしなよ。ただし、絶対に許可は降りない。これは、俺のクビを賭けてもいい」

 自信たっぷりの表情で、日村は言葉を返す。途端に、明彦は表情を歪めた。 

「そんなこと言わないでくださいよ。僕は、これから刑務所行きです。十年以上、シャバとはお別れですからね。だったら、最後に美味いもの食って酒でも飲んでイイ女を抱いて、それから刑務所に入りたいですよ。でなきゃ、やりきれないです」

 惨めな姿で訴える。もっとも、これは演技だ。とにかく、今日のところは惨めなバカを貫き通すのだ。
 一方、日村は冷酷な目を向けてきた。取るに足らないもの、そんな目つきだ。

「あのね、俺を甘く見てもらっちゃ困るよ。保釈で出たら、君は確実に逃げるだろう」

「何言ってるんですか。逃げないですよ。ちゃんと期日には出頭しますから」

 真面目な顔で返したが、日村は鼻で笑った。

「それを信用しろと言うのかい? 無理だね。こっちは、口で殊勝なことを言いながら、外に出た途端に行方をくらます奴を腐るほど見てきたんだよ。とにかく、保釈は諦めるんだ」

「それは悲しいですね。これから刑務所に行くってのに、何とかならないんですか?」

 またしても、惨めったらしい声を出す。すると、日村は勝ち誇った表情で答えた。

「仕方ないよ。まあ、いずれ検事のところに行くことになる。その時に頼んでみたらどうだい?」

「検事さんに頼めば、保釈させてくれますか?」

「決定権を持っているのは検察だからね。だけど、無理だと思うよ」

「じゃあ、僕はこのままずっと拘禁生活が続くんですか? そりゃあ、ひどい話だな」

 その時、日村の顔つきが変わる。思わずビクリとなるくらい、恐ろしい表情だった。

「死ぬよりはマシだろう。君らの組織に殺された被害者は、その拘禁生活すら味わうことが出来ないんだよ」

 声そのものは静かだった。だが、こみあげてくる感情を必死で抑えているように見えた。殺意に近いものすら感じる。やはり、この男には何かある。個人的な恨みがあるらしい。
 その辺りについて聞いてみたかった。が、口から出たのは違う言葉だった。

「そうですね。すみません」
 
 素直に謝ると、日村の顔つきが僅かに変わった。こいつは完全に落ちた、と判断したらしい。

「なあ、ひとつ教えてくれ。チンは、どんな奴なんだ? 近くにいたならわかるだろう」

 口調が優しくなっていた。態度も軟化している。演技の部分はあるだろうが、心に隙が生まれているのも間違いない。こちらの反応が素直すぎて、逆に疑われるのでは……という不安はあったが、上手くいっているらしい。
 そんなことを思いつつも、素知らぬ顔で答えた。

「うーん、ちょっと不思議な男でしたよ。上級国民の家に生まれた殺人鬼って感じですかね」

「上級国民? チンはそんな奴なのか?」

 日村の目が細くなった。興味を持ったのだろうか。

「あくまで僕の想像ですが、あいつの実家は、かなりの金持ちだと思うんですよ。日本のヤクザや半グレとは違いますね。いい学校も出てそうですね。お坊ちゃん特有の人の良さ、みたいな部分もありました」

 それは間違いない。
 チンは、自分たちとは明らかに違う人種だ。日本のヤクザや半グレとも、根本から異なる。裏の世界の住人は、ほとんどが恵まれない環境で育っている。親のいない者も多い。仮に両親が揃っていても、まともな常識を持ち合わせていない人格破綻者であったりする。
 チンは、そういった者たちとは違う。恐らく、上流階級で育った男だ。上手く言えないが、身のこなしや細かい仕草や喋り方や生活スタイルのひとつひとつが、体に染み付いている気がした。成金が付け焼き刃で身につけたテーブルマナーとは異なるものを感じるのだ。
 あれは、幼い頃から培われたものだろう。

「お坊ちゃん、か。そんな奴が、なんで殺人サークルなんか開催してるんだ?」

「チンは、異常者なんですよ。それもマジもんです。人を殺すのが好きなんですよ。あれはもう病気ですね」

 そこも間違いない。
 チンは、掛け値なしの異常者だ。頭はキレるし、商売も上手い。実家も太い。にもかかわらず、中国にいられなくなった理由は、悪い癖があるからだ。

「で、君はその現場を見たのか?」

「直接は見ていませんが、映像は見ました。チンが人を殺す場面を撮影してたんですよ」

 これは嘘だった。
 明彦は、チンが人を殺す場面を間近で見た。何度も何度も見てきた。さらに、手を貸しもした。
 結果、いつのまにか自分も怪物と化していた──
 
「ならば、裁判でそれを証言してくれるかい?」

「それは、刑事さん次第ですね。十年以下の有期刑、その保証がなければ証言はしません」

「保証、か。それは難しいな。まあ、どうするかは検事に相談してみるよ」



 昼食の時間になり、明彦は独房へと帰された。いつもと同じパンをかじりながら、今の状況について考える。
 今のところ、全てがこちらの思惑通りに動いている。後は、無理をしないこと、こちらの思惑を気付かせないことだ。
 明彦は、午後からの取り調べに備え作戦を練った。



「三番、調べだ」

 留置係の声とともに、明彦は起き上がった。観念したような表情を作り、警察署内を歩いていく。
 取り調べで待っていたのは、やはり日村だった。明彦が椅子に座ると同時に話し始める。

「ところで、チンとはどうやって連絡を取り合ってるの? やっぱりスマホ?」

 いきなりの質問である。どうやら、心を許してくれたらしい。理想的な展開だ、などと思いつつ答える。

「あのう、僕はスマホ持ってないんですけど」

 とぼけた表情で答えると、日村は苦笑した。

「今さら、そんな嘘つかなくていいよ。どうせ持ってるんでしょ」

「ええと、じゃあ持っていたと仮定しましょう。これは僕の予想ですが、あいつは大事な話はメールだのLINEだのは使わないんじゃないですか。記録が残りますからね」

「なるほどね。ところで、君とチンはどのくらいのペースで会っていたんだい?」

「その時によって異なります。ただ、イベントがある時は必ず会います」

 言った途端、日村の表情が変わる。これは演技ではなさそうだ。
 この男、間違いなく餌に食いついた。

「イベントというのは何だ? 詳しく聞かせてくれ」

「言わなくても、わかっているでしょう」

「念のためだ。君の口から、詳しく聞きたい」

「じゃあ、ここからは想像の話ということにしてください。チンはガキの頃から、金持ちの家で何不自由なく育ち、両親からも愛情を注がれていた。でも、あいつには重大な欠点があった。人殺しが好きで好きで仕方ない、という性癖です」

「それは、先天的なものなのかな。それとも、後天的なものかな」

 おかしな言葉が飛んできた。これは捜査には関係ない。純粋に、日村の感情から発せられた疑問なのではないか。
 そんなことを思いつつ、明彦は答えた。

「わかりませんね。あいつは、そこまで詳しくは話してくれませんでした。恐らく、先天的なものだと思いますよ」

「そうか。まあ、そうだろうな。両親がいて、裕福な家庭に育ち、何不自由のない生活をしている。にもかかわらず、罪を犯す奴もいる」

 口調は静かだが、奥底には抑え切れぬ怒りがあった。
 怒りは、行動を起こす際の強力なエネルギー源になるのは間違いない。ただし、心は冷静でなくてはならない。怒りに支配されると、視界が狭くなりやすい。結果、思わぬミスを犯す。
 この日村も、視界が狭くなっている。

「話を戻しますと、チンは日本に来る前から人を殺していたようです。犠牲者の中には、華僑のお偉いさんの関係者もいたとか。それで中国にいられなくなり、日本に逃げてきたらしいです」

「そのまま華僑に消されてくれていれば、日本も平和だったのにな」

「とにかく、奴は日本に逃げて来ました。でも、金は持っています。その上、知り合いも多い。中国にいた時、金持ちならではの顔の広さで広範囲な人脈を作っていたんですよ。その人脈を上手く活かし、日本でも手広く商売をしていました。その中でも、一番のヒットがスナッフフイルムです」

「スナッフフイルム? 何だそれは?」

「知ってるでしょう」

「知ってはいる。だがね、俺の口からベラベラ喋ったら、誘導したことになるんだよ。だから、君の口から聞かせてくれ」

 この期に及んで、まだそんなことを言うとは。明彦は思わず笑いそうになったが、顔には出さず語り出した。

「殺人の模様を録画した映像ですよ。奴はまず、若い日本人女性を拉致しました。散々痛め付けた挙げ句に殺したんですが、その一部始終を録画していたんですよ。しかも、その映像を知り合いの前で公開したそうです。すると、そういうのが好きな連中の間で広まりました。まあ、売上自体は微々たるものだったようですが、本人としては大満足だったようです。何たって、同じ趣味の人間たちと知り合えましたから。それがきっかけになり、イベントが始まったんです。はっきり言えば、殺人ショーですね」

 語り終えると、日村がまたしても身を乗り出してきた。

「ねえ、その映像は残っているのかい?」

「コピーならありますよ」

「それを証拠として、提出してもらえるかな?」

「保証次第ですね。十年以下の懲役で終わらせること、それが条件です。それさえ呑んでもらえれば、証拠の映像が保管されている場所を教えます」

 その言葉に、日村は険しい表情になる。眉間に皺を寄せ、睨むような目線を向けてきた。だが明彦は、目を逸らし下を向く。
 ややあって、日村が口を開いた。

「わかった。検察に掛け合ってみよう。君の協力さえあれば、チンを逮捕できる。そのためなら、俺は出来るだけのことはするつもりだ。だから、君も協力してくれ」

 その口調は、これまでのものとは違っていた。明彦を仲間と認めたような、そんな気持ちの変化を感じさせるものだった。



 やがて夕食の時間になり、明彦は独房へと帰された。
 いつもと、ほとんど変わらないメニューである。似たような内容を、ぐるぐる回しているだけだ。
 どうせ捕まるなら、警察署は選ぶべきだろう。金のある警察署と、ない警察署では待遇に雲泥の差があると聞く。ここの警察署は、どうやらハズレらしい。
 もっとも、ここでの寝泊まりももうじき終わる──

 夕食が終わり、明彦は仰向けになった。
 思わず笑いがこみあげてくる。久しぶりに、声を出して笑いたい気分だった。
 逮捕された時、明彦はまず違和感を覚えていた。あの女が接触してきたタイミング。いかにもに好かれそうな風貌。思わせぶりな態度。わざわざ人気ひとけのない道を行ったこと、などなど……あの女にまつわる全てが、あまりにも出来過ぎている。そんな気がしたのだ。
 明彦の感覚は、間違いではなかった。面会に来た弁護士が、全てを調べてくれていた。その証拠集めに動いてくれたこともわかっている。
 ここ三日ほどの明彦は、日村の目をこちらに引き付けることに集中していたのだ。落ちたフリをして、情報を小出しにしていく。あの刑事は鋭い。こちらが安心したような空気を醸し出せば、すぐに気づいていただろう。警戒され、こちらの思惑に気付かれては終わりだ。
 だからこそ、取り引きに応じたふりをして餌を撒いたのだ。すると、見事に食いついてくれた。日村は明彦を取り調べることに集中し、足元がおざなりになっていたのだ。
 その間、弁護士と組織の人間が動く。自分を釈放させるための材料集めをしてくれた。
 ここまで来れば、自分の勝利は確定だ。警察も、もはや自分に手出しできまい。後は、この留置場で数日過ごせば釈放である。出たら、海外に高飛びだ。それだけの金の蓄えはある。こんな日のために、前もって用意していた。
 チンは、いつも言っていた。全戦全勝はありえない。いつか、負ける時が来る。裏の世界で生きる者ほど、負けた時に備えておかねばならない。
 確かに、その通りだった。






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