舞い降りた悪魔

板倉恭司

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九月三日 敦志の電話

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 立島敦志は、車を走らせていた。白土市の国道を、のんびりと進んでいく。しかし、その額には汗が滲んでいた。
 やがて、目指すものが見えてきた。公衆電話の設置してあるコンビニだ。しかし店の駐車場には車が停まっており、入り口にはガラの悪そうな男女がたむろしている。地元の若者たちだろうか、どう見ても、法を遵守する品行方正なタイプには見えない。
 むしろ、その逆の人種に見える。他人に迷惑をかけることを、勲章として捉えているタイプのようだ。
 普段なら、敦志はこの手の若者は避けて通ることにしている。こんな連中と関わり合っても、百害あって一利なしだ。出来るだけ波風を立てず、社会の闇の中でひっそりと動く。それが彼の生き方だ。
 しかし、今の敦志は苛立っていた。車を停め、公衆電話へと歩いていく。
 電話の前でたむろしている若者たちに向かい、静かな表情で口を開いた。

「悪いけど、ちょっとどいてくれないか。電話をかけたいんだ」

 冷たい口調ではあるが、一応は礼儀正しく言った。しかし、この若者たちは礼儀というものを知らないようだ。

「えっ何、おめえスマホも持ってないの?」

 不意に、若者のひとりが叫んだ。同時に、他の若者たちがゲラゲラ笑い出す。
 敦志はため息をついた。彼は身長百七十センチ強、それほど厳つい体格には見えない。顔つきも平凡だ。若者たちから見れば、暇潰しの玩具でしかないのだろう。
 普段ならば、笑みを浮かべて争いを避けるはずだった。そもそも、敦志は飛ばしの携帯電話とスマホを持っているのだ。公衆電話など使う必要はない。
 ただ、万が一の事態を想定し、公衆電話を使うことにしたのだ。今から連絡をする相手は、面倒な男である。自分の携帯電話を使用した場合、厄介な事態を招く可能性もあった。一応、用心するに越したことはない。
 もっとも、騒ぎが起こりそうであるなら、無理に公衆電話を使うこともないのである。いつもの敦志なら、この場を離れて飛ばしの携帯電話を使用したはずだ。
 しかし、今の敦志はとても不快な気分だった。この気分を、どうにかスッキリさせたかった。

「俺は電話をかける、と言ったんだ。失せろ」

 怯む様子もなく言い放つ。すると、若者たちの態度が一変した。

「んだとぉ!」

 若者のうち、ひときわ喧嘩の強そうな男が吠える。直後、勢いよく立ち上がった。どうやら、この男がリーダー格らしい。怒りを露に、敦志に詰め寄っていく。
 だが、その鼻先に速く鋭い左拳が飛んだ。続いて、腰の回転を利かせた強烈な右ストレートが放たれる。
 敦志の放ったワンツーは、相手の顔面にまともに炸裂した。若者は完全に不意を突かれ、その場に膝から崩れ落ちる。体重を乗せた拳がまともにあごを捉え、脳震盪を起こさせたのだ。
 残りの若者たちは、一瞬にして静まり返った。たった二発のパンチで、自分たちの中の強者が倒されたのだ。嘲るような表情が消え失せ、代わりに恐怖が若者たちを支配した。
 一方、敦志は平然とした表情で彼らの顔を見回す。

「電話をかけるから失せろ、と言ったはずなんだがな。聞こえなかったのか? それとも、お前らには日本語が通じないのか?」

 その途端、若者たちは血相を変えて立ち去った。敦志は彼らを見もせず、公衆電話の受話器を取りコインを入れた。
 やがて、相手は電話に出た。と同時に、敦志は語り出す。

「どうも、敦志です。住田さん、厄介なことになりましたよ」

(誰かと思えば、アッちゃんじゃないの。公衆電話でかけてくるなんて、相変わらず用事深いね。で、何事があったの?)

 住田健児の声は、いつもと変わらずのほほんとしたものだ。敦志は、軽い殺意を覚えた。

「今朝、白土市で死体を見つけました。それも三体」



 数時間前、敦志は車で山道を走っていた。すると、道路脇に停められている奇妙な車を発見する。
 敦志は自身の車を脇に停車させると、停められている車にそっと近付いてみた。誰も乗っていない。しかも鍵は付けっぱなしなのだ。だが、それより異様なのは……三つのドアが開けっぱなしになっていることだった。

 一体、どういう訳だ?

 敦志は辺りを見回し、慎重に歩いてみた。妙に静かだ。この車に乗っていた者は、どこに行ってしまったのだろうか。
 さらに慎重に歩く。すると、車から二十メートルほど離れた場所で、目当てのものを発見する。車の持ち主と思われる、三人の死体を。



(おやまあ、死体とは物騒な話だね)

 死体と聞いても、住田の口調は変わらない。受話器を握る手に、妙な力がこもるのを感じた。出来ることなら、この受話器をあの男の頭に振り下ろしてやりたい。

「ええ、物騒な話です。しかも、死体の様子が普通じゃないんですよ。あれは異常です」

 そう、あの死体は尋常ではない。あれは、凄惨な光景だった。
 倒れている三人は、Tシャツにデニムパンツというラフな服装である。まるで、気軽にふらっと遊びに来たような雰囲気だ。
 確認はしていないが、三人とも死んでいるのは間違いない。何故なら、全員の首や腕が有り得ない方向にねじ曲げられているからだ。さらに、首や腕の折れた骨が露出し、そのパックリ開いた傷口からは、おびただしい量の血液が流れ出している。これで生きていられるのは、ゾンビくらいのものだろう。
 人間離れした腕力を持つ何者かが、まるで幼児が人形で遊ぶかのごとく三人の人間を壊してしまったように見えた。
 さらに、三人とも苦悶の表情を浮かべている。その目には、死んでからも未だ消えぬ恐怖があった。



「あれは普通じゃないですよ。あんな死体を見たのは初めてです。もしかして、噂のペドロの仕業ですかね?」

(うーん、どうだろうね。彼は、我々の常識では計り知れないモンスターだよ。まあ、ペドロ氏ならやりかねないだろうね。素手で百六十キロの大男の首をへし折ったらしいから)

 住田は、のほほんとした口調を崩さない。敦志は、僅かに残されている自制心が、徐々に崩壊していくような気分を味わっていた。

「あのですね、この白土市に来て、いきなり爆発事故があったと聞きました。さらに、死体を見つけたんですよ。ここで何が起きてるんですか? 俺はペドロを探すだけでいいんですよね?」

(うん、アッちゃんはペドロ氏を探すだけでいいから。まあ、他のことは気にしないでいいよ。のんびりと探せばいいよ。じゃあ、忙しいから切るね)

 その言葉の後、電話は切れた。敦志は乱暴に受話器を叩きつけ、憤然とした表情でコンビニに入って行った。
 苛ついた表情で弁当とジュースを買い込み、車に乗り込む。
 運転席に座ると、深く深呼吸し気分を落ち着かせた。考えてみれば、昨日からあまり眠れていない。車の中で、僅かな仮眠をとったきりだ。このままでは、不測の事態に対応できない。まずは安い宿を探し、落ち着くとしよう。今後どうするかは、それから考える。

 これは、どう考えても普通ではない。

 車を走らせながら、敦志はずっと考えていた。まずは爆発事故。次いで、三人の死体の発見。この白土市に来てから丸一日も経過していないのに、既にこれだけの事件に巻き込まれている。
 しかも、それだけでは終わるまい。敦志の勘は告げている……この先、さらに良くないことが起きるだろう。
 かといって、今さら放り投げて帰るわけにもいかない。住田は一見すると軽薄な優男だが、敵に回すと恐ろしい人間だ。
 住田健児の正体について、敦志は正確な情報を知っているわけではない。しかし、ヤクザだけでなく公安とも関わりのある人間なのは確かだ。その気になれば、敦志など一瞬で潰せる。
 もっとも、味方にしておけば頼りになる。事実、これまでは上手くやってこれたのだ。
 しかし、このような予期せぬ事態の真っ只中に放り込まれるとは……。





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