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強すぎる癖 ※ホラー風味強めなので御注意ください
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僕は、一軒家に住んでいる。
とは言っても、両親からは既に独立している。嫁も子供もまだいないのだが、一軒家を借りて生活しているのだ。古い木造の平屋であり、家賃は安い上に住み心地も悪くない。引っ越してきてから、もう三ヶ月になる。
「ひとり暮らしなのに、広い一軒家に住んで寂しくないか?」
知人からは、よくそんな風に言われる。だが、寂しいと思ったことはない。なぜなら、僕は大切な友だちと同居しているから。
うちには、猫が二匹いる。雄のジョニーと、雌のヴァネッサだ。どちらも雑種であり、知人からもらい受けたものである。まだ一歳にもなっていないはずだ。
雌のヴァネッサはとてもおとなしく、のんびりとした性格だった。家の中をのそのそと歩き、気が向くと喉をゴロゴロ鳴らしながら僕に擦り寄ってくる。「ナアナアナア」と僕に話しかけてくることもあった。もっとも、何を言っているのかは分からないが。
とにかく、ヴァネッサは人懐こく、本当に可愛い奴である。
しかし、雄のジョニーの方は気の荒い性格だった。あちこちで喧嘩をして歩き、時には虫や小動物のような獲物を捕まえてくることもある。死んだ蛇をくわえ、勝ち誇った表情で帰って来たりもしたのだ。その度に、僕が始末をしなくてはならなかった。
このジョニーだが、おかしな癖がある。
普段、ジョニーは僕のことを無視していた。僕が名前を呼んでも、ほとんどが知らん顔である。遊ぼうとして撫でても、迷惑そうにとことこ離れていく。ご飯をもらう時以外、ジョニーが自分から寄って来ることはない。
ところが、僕が部屋でストレッチや筋トレをしている時に限り、向こうからちょっかいを出してくる。
僕が座った状態での前屈なんかをしていると、ジョニーは離れた場所から、じっとこちらを見ている。「あいつ、またやってるよ」とでも言わんばかりの様子で。
僕はジョニーを無視し、長座前屈を続ける。するとジョニーはとことこ近づいて来て、僕の背中に猫パンチを打ってくるのだ。「コラ、何してんだ」という感じで。
それでも無視してストレッチを続けていると、ジョニーの攻撃もだんだん激しくなってくる。しまいには僕の足を己の前足でがっちりロックし、猫キックの連打をくらわしてきたりするのだ。
また別の日のことだが、僕は腹筋をしていた。すると、またしてもジョニーがじっと見ているではないか。「またやってるな、こいつ」とでも言いたげな表情で、じっとこちらを見ているのだ。
そんなジョニーを無視し、僕は腹筋を続ける。すると、ジョニーはつかつかと近寄って、腹に猫パンチを食らわせてくるのだ。僕が上体を起こすタイミングに合わせ、ペチンと叩いてくる。「コラ、無視するな」とでも言いたげに。
かと思うと、日によってはゴロゴロ喉を鳴らしながら、頬を擦りつけてくることもある。「そんなのやめて、俺と遊ぼうよ」とでも言わんばかりに。
そんな時は、ちょっと戸惑ってしまう。普段は絶対にしない行動なのだが、なぜかストレッチや筋トレをしている時に限り近づいて来ていた。
こんなジョニーであるが、最近もう一つ奇妙なことをやり始めた。週に二回くらいの割合で、屋根裏の探検をするようになったのだ。
先ほども書いた通り、僕の家は古い木造の平屋である。押し入れの天井には、屋根裏に通じている入り口があった。もっとも、普段は板でふさがれており猫が入ることは出来ない。
しかし、ジョニーは気が向くと、天井裏に通じている押し入れの周囲をうろうろと徘徊するのだ。
僕がそちらに行くと、ジョニーは「ナア」と鳴く。分かってるだろ、とでも言いたげに……まあ、僕も何をすればいいかは分かっている。仕方なく、板を外してジョニーを屋根裏へと送り出してやるのだ。
すると、ジョニーは小一時間ほどガサゴソと屋根裏を探索し始める。探索、と書いたが……実際に何をしているのかは不明だった。
ともかく、ジョニーは僕に向かい「屋根裏に行かせろ」とばかりにナアナア鳴き、僕は屋根裏へと上げてやる。ジョニーは屋根裏を徘徊し、気が済むと降りて来る。こんなやり取りが、週に二度くらいの割合であったのだ。
ジョニーは、いったい何をしているのだろうか。気になり、一度だけ懐中電灯を手に屋根裏を覗いてみたことがある。中にネズミでもいるか、あるいはトイレ代わりにされていたら悲劇だからだ。
しかし、中は綺麗なものであった。ひょっとしたら、虫の類いはいたのかもしれない。だが、ネズミなどの害獣のいるような気配はなかった。まあ、奴らも僕なんかに見つかるほど愚かではないだろうが。
いずれにしても、ジョニーの屋根裏探索の目的が何なのか、当時の僕には分からなかった。
ところが、謎が解ける日が来てしまった。
その日は休日であり、僕は昼間に目を覚ました。あくびをしながら、周りを見回す。しかし、猫たちの姿は見えない。どうやら、外に遊びに行っているらしい。僕は起き上がると、顔を洗い歯を磨いた。
その時、ナアと鳴く声が聞こえた。猫が帰ってきたらしい。
玄関を見ると、猫専用の出入口からヴァネッサが入って来ていた。ヴァネッサは「ナア」と僕に挨拶をした後、とことこと歩いていく。
ヴァネッサは奥に進んで行くと、ある部屋で立ち止まり天井を見上げた。そして「ナア、ナア」と鳴き始めたのだ。まるで、親しい友人に語りかけるかのように。
僕は首を傾げた。ヴァネッサは人懐こい猫である。しかし、言うまでもなくそこには何者もいない。ヴァネッサは、いったい何をしているのだろうか?
僕は近づいてみた。しかし、ヴァネッサは僕を完全に無視している。何もない空間に向かい、なおも「ナア、ナア」と鳴き続けているのだ。
ようやく僕は気づいた。ヴァネッサは、そこに何かの存在を感じ取っているのだ。それも、彼女が親しげに挨拶するような何者かの存在を……。
背筋が寒くなり、僕は思わず後ずさっていた。確かに、そこには何かがいる。ヴァネッサは、その何かを見つめているのだ。
形容の出来ない感覚に襲われながら、僕は天井を見上げた。その時、ある考えが頭に浮かぶ。
天井の板を外し、僕は屋根裏を覗きこむ。中は暗くて見えない。しかし、間違いなく何かがいる……。
手にした懐中電灯で、中を照らしてみた。
そこには、ひとりの女がいた。
死んだはずの、あの女が──
・・・
彼女の名は恵《メグミ》。かつては、僕の彼女だった。
恵は天使のように美しい顔と、モデル顔負けのスタイルの持ち主である。僕は初めて見た時から、彼女に強烈に惹かれていた。
僕は、共通の友人を介して恵に近づいていく。恵はおとなしく引っ込み思案な性格であったが、そこも当時の僕にとっては魅力であった。
時間をかけながら、僕は恵との距離を少しずつ縮めていく。恵は、僕のアプローチに初めは戸惑っているようだったが……徐々に、心を開くようになっていった。
やがて、僕と恵は付き合い始める。だが、当時の僕は何も分かっていなかったのだ。
恵の美しい顔に潜む、恐るべき狂気に。
恵は、僕を束縛するようになった。常に行動を監視され、一時間ごとにスマホに連絡してくる。何をしているのか、いちいち聞いてくるのだ。
その返信が少しでも遅れると、彼女はブツブツ文句を言ってくる。遠回しに僕を責めるような言葉を、スマホを通じて浴びせかけてくるのだ。
だが、それくらいならまだ良かった。
やがて恵の存在は、僕の生活を侵食し始める。いや、それは侵食などという生易しいものではなかった。
ある日、恵は何の相談もなしに、僕の家に自分の荷物を運びこむ。そして、半ば強引に住み着いてしまったのだ。
その時は、さすがの僕もキレた。なぜ相談もせず、こんなことをしたのかと怒鳴り付ける。すると恵は、しくしく泣きながら僕に言ったのだ。
「私のこと、愛してないの?」
愛してるとか愛してないとか、そういう問題ではないだろう。せめて一言、相談して然るべきではないのか。
この時、僕は理解したのだ。
恵はまともではない。
その後、僕は恵と何度も話し合った。無論、別れるための話し合いである。
だが、この会話は平行線を辿るだけだった。僕は別れたいが、恵は別れたくない……しかも、恵は僕の言うことに耳を傾ける気配がないのだ。
「私はあなたを愛してる。なのに何故、別れなければならないの? あなたを失ったら、私は生きていけない……」
僕は、心底嫌になった。もう、彼女とはやっていけない。
ある日、恵が留守の間に僕は夜逃げ同然に家を出た。もちろん、彼女に行き先は言っていない。ただただ、彼女と縁を切りたかったのだ。
引っ越した時、僕はホッとした。恵は頭がおかしいのだ。あんな女とやっていくのは不可能だろう。
だが、僕は甘かった。
引っ越してから一月も経たぬうち、恵は僕の家を探し当てたのである。
あの時の恐怖は、今も忘れていない。仕事が終わり家に帰ったら、目の前に恵が立っていた時のことを──
「お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする?」
まるで新妻のように、エプロン姿で僕を出迎えた恵……本当に嬉しそうな表情であった。
「お前、ここで何してんだよ」
僕は、そう言うのがやっとだった。すぐに警察に電話すべきだったのだが、とっさに頭が回らなかったのだ。
しかし、恵は全く怯まない。微笑みながら言葉を返す。
「だって、あなたのいるところが私の家だもん。だから……来ちゃった」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けとんだ──
無言のまま、恵を殴りつけた。女性を殴ったのは、この時が初めてである。いや、そもそも人を殴ったこと自体が初めてであった。
生まれて初めての、他人に対する暴力。だが、それは予想外の結果をもたらす。スマートな体型の恵は、ひ弱な僕のパンチを浴びて後ろに倒れた。
結果、テーブルの角に頭を打ち、死んでしまったのである。
幸いなことに、僕の実家の裏には山があった。その山には、古井戸がある。恐ろしく深く、既に水は枯れている。かつて、見つかったらヤバいものを沈めたことがあったのだ。
その時と同じことをした。恵の死体を運びこみ、古井戸へと落とす。下までは、十メートル以上あるだろう。こんな場所を、いちいちチェックする者などいない。
あとは、虫が全てを片付けてくれる。万一、死体が見つかっても事故で処理されるだろう。
残酷だ、と思うだろうか? だが、僕にはそうする以外になかった。あんな狂った女のせいで、殺人犯として残りの人生を過ごさなくてはならない……そんなのは御免だ。
死体さえ見つからなければ、ただの行方不明である。警察に調べられたりはしない。
・・・
確かに、恵は死んだはずだった。その上、死体を切り刻みバラバラにして海に捨てたのだ。生きていられるはずがない。
なのに今、僕の目の前には彼女がいる。その顔には、傷一つない。いつの間に盗んでいたのだろう……僕の服を着て、ほこりだらけの暗い屋根裏で照れくさそうに笑っている。
「もう、サプライズのつもりだったのに……見つかっちゃったね」
恵は、そう言って上目遣いに僕を見つめた。てへっ、という声が似合いそうな表情を浮かべて。
その時、僕はようやく理解する。ジョニーは、屋根裏を探検していたのではなかった。
屋根裏に潜んでいた恵と遊んでいたのだ。
翌日、僕は朝食を食べていた。
二匹の猫は、隣の部屋にいる。恵と一緒に、仲良く遊んでいるらしい。
ジョニーとヴァネッサは、恵の同居をあっさりと受け入れているようだ。どう考えても、まともな人間ではないはずの恵を。
もっとも、二匹はだいぶ前から恵の存在を知っていたのだろう。
時間になり、僕はいつも通り出勤するため扉を開ける。
「行ってらしっしゃい」
恵の声がした。振り返ると、彼女はニコニコしながら僕を見ている。
こうなった以上、もはや諦めるしかないのだ。今の恵が、何者なのかは分からない。だが、殺した後にバラバラに解体したにもかかわらず、こうして僕の前に出てきている。
今の僕には、何も出来ない。恵から逃れる方法はないのだ。
「ちょっと待って」
恵は、立ち止まっている僕にスッと近寄って来た。
「こらこら、ご飯粒ついてるぞ。もう、しょうがないんだからあ」
言いながら、僕の頬に唇をつける。
端から見れば、僕たちはバカップルに見えるのだろうか。それとも若き新婚さんだろうか。
いずれにしても、恵の強すぎる癖の前に、僕は為す術なく屈したのである。
これから永遠に、恵と同居していくしかないのだ。
とは言っても、両親からは既に独立している。嫁も子供もまだいないのだが、一軒家を借りて生活しているのだ。古い木造の平屋であり、家賃は安い上に住み心地も悪くない。引っ越してきてから、もう三ヶ月になる。
「ひとり暮らしなのに、広い一軒家に住んで寂しくないか?」
知人からは、よくそんな風に言われる。だが、寂しいと思ったことはない。なぜなら、僕は大切な友だちと同居しているから。
うちには、猫が二匹いる。雄のジョニーと、雌のヴァネッサだ。どちらも雑種であり、知人からもらい受けたものである。まだ一歳にもなっていないはずだ。
雌のヴァネッサはとてもおとなしく、のんびりとした性格だった。家の中をのそのそと歩き、気が向くと喉をゴロゴロ鳴らしながら僕に擦り寄ってくる。「ナアナアナア」と僕に話しかけてくることもあった。もっとも、何を言っているのかは分からないが。
とにかく、ヴァネッサは人懐こく、本当に可愛い奴である。
しかし、雄のジョニーの方は気の荒い性格だった。あちこちで喧嘩をして歩き、時には虫や小動物のような獲物を捕まえてくることもある。死んだ蛇をくわえ、勝ち誇った表情で帰って来たりもしたのだ。その度に、僕が始末をしなくてはならなかった。
このジョニーだが、おかしな癖がある。
普段、ジョニーは僕のことを無視していた。僕が名前を呼んでも、ほとんどが知らん顔である。遊ぼうとして撫でても、迷惑そうにとことこ離れていく。ご飯をもらう時以外、ジョニーが自分から寄って来ることはない。
ところが、僕が部屋でストレッチや筋トレをしている時に限り、向こうからちょっかいを出してくる。
僕が座った状態での前屈なんかをしていると、ジョニーは離れた場所から、じっとこちらを見ている。「あいつ、またやってるよ」とでも言わんばかりの様子で。
僕はジョニーを無視し、長座前屈を続ける。するとジョニーはとことこ近づいて来て、僕の背中に猫パンチを打ってくるのだ。「コラ、何してんだ」という感じで。
それでも無視してストレッチを続けていると、ジョニーの攻撃もだんだん激しくなってくる。しまいには僕の足を己の前足でがっちりロックし、猫キックの連打をくらわしてきたりするのだ。
また別の日のことだが、僕は腹筋をしていた。すると、またしてもジョニーがじっと見ているではないか。「またやってるな、こいつ」とでも言いたげな表情で、じっとこちらを見ているのだ。
そんなジョニーを無視し、僕は腹筋を続ける。すると、ジョニーはつかつかと近寄って、腹に猫パンチを食らわせてくるのだ。僕が上体を起こすタイミングに合わせ、ペチンと叩いてくる。「コラ、無視するな」とでも言いたげに。
かと思うと、日によってはゴロゴロ喉を鳴らしながら、頬を擦りつけてくることもある。「そんなのやめて、俺と遊ぼうよ」とでも言わんばかりに。
そんな時は、ちょっと戸惑ってしまう。普段は絶対にしない行動なのだが、なぜかストレッチや筋トレをしている時に限り近づいて来ていた。
こんなジョニーであるが、最近もう一つ奇妙なことをやり始めた。週に二回くらいの割合で、屋根裏の探検をするようになったのだ。
先ほども書いた通り、僕の家は古い木造の平屋である。押し入れの天井には、屋根裏に通じている入り口があった。もっとも、普段は板でふさがれており猫が入ることは出来ない。
しかし、ジョニーは気が向くと、天井裏に通じている押し入れの周囲をうろうろと徘徊するのだ。
僕がそちらに行くと、ジョニーは「ナア」と鳴く。分かってるだろ、とでも言いたげに……まあ、僕も何をすればいいかは分かっている。仕方なく、板を外してジョニーを屋根裏へと送り出してやるのだ。
すると、ジョニーは小一時間ほどガサゴソと屋根裏を探索し始める。探索、と書いたが……実際に何をしているのかは不明だった。
ともかく、ジョニーは僕に向かい「屋根裏に行かせろ」とばかりにナアナア鳴き、僕は屋根裏へと上げてやる。ジョニーは屋根裏を徘徊し、気が済むと降りて来る。こんなやり取りが、週に二度くらいの割合であったのだ。
ジョニーは、いったい何をしているのだろうか。気になり、一度だけ懐中電灯を手に屋根裏を覗いてみたことがある。中にネズミでもいるか、あるいはトイレ代わりにされていたら悲劇だからだ。
しかし、中は綺麗なものであった。ひょっとしたら、虫の類いはいたのかもしれない。だが、ネズミなどの害獣のいるような気配はなかった。まあ、奴らも僕なんかに見つかるほど愚かではないだろうが。
いずれにしても、ジョニーの屋根裏探索の目的が何なのか、当時の僕には分からなかった。
ところが、謎が解ける日が来てしまった。
その日は休日であり、僕は昼間に目を覚ました。あくびをしながら、周りを見回す。しかし、猫たちの姿は見えない。どうやら、外に遊びに行っているらしい。僕は起き上がると、顔を洗い歯を磨いた。
その時、ナアと鳴く声が聞こえた。猫が帰ってきたらしい。
玄関を見ると、猫専用の出入口からヴァネッサが入って来ていた。ヴァネッサは「ナア」と僕に挨拶をした後、とことこと歩いていく。
ヴァネッサは奥に進んで行くと、ある部屋で立ち止まり天井を見上げた。そして「ナア、ナア」と鳴き始めたのだ。まるで、親しい友人に語りかけるかのように。
僕は首を傾げた。ヴァネッサは人懐こい猫である。しかし、言うまでもなくそこには何者もいない。ヴァネッサは、いったい何をしているのだろうか?
僕は近づいてみた。しかし、ヴァネッサは僕を完全に無視している。何もない空間に向かい、なおも「ナア、ナア」と鳴き続けているのだ。
ようやく僕は気づいた。ヴァネッサは、そこに何かの存在を感じ取っているのだ。それも、彼女が親しげに挨拶するような何者かの存在を……。
背筋が寒くなり、僕は思わず後ずさっていた。確かに、そこには何かがいる。ヴァネッサは、その何かを見つめているのだ。
形容の出来ない感覚に襲われながら、僕は天井を見上げた。その時、ある考えが頭に浮かぶ。
天井の板を外し、僕は屋根裏を覗きこむ。中は暗くて見えない。しかし、間違いなく何かがいる……。
手にした懐中電灯で、中を照らしてみた。
そこには、ひとりの女がいた。
死んだはずの、あの女が──
・・・
彼女の名は恵《メグミ》。かつては、僕の彼女だった。
恵は天使のように美しい顔と、モデル顔負けのスタイルの持ち主である。僕は初めて見た時から、彼女に強烈に惹かれていた。
僕は、共通の友人を介して恵に近づいていく。恵はおとなしく引っ込み思案な性格であったが、そこも当時の僕にとっては魅力であった。
時間をかけながら、僕は恵との距離を少しずつ縮めていく。恵は、僕のアプローチに初めは戸惑っているようだったが……徐々に、心を開くようになっていった。
やがて、僕と恵は付き合い始める。だが、当時の僕は何も分かっていなかったのだ。
恵の美しい顔に潜む、恐るべき狂気に。
恵は、僕を束縛するようになった。常に行動を監視され、一時間ごとにスマホに連絡してくる。何をしているのか、いちいち聞いてくるのだ。
その返信が少しでも遅れると、彼女はブツブツ文句を言ってくる。遠回しに僕を責めるような言葉を、スマホを通じて浴びせかけてくるのだ。
だが、それくらいならまだ良かった。
やがて恵の存在は、僕の生活を侵食し始める。いや、それは侵食などという生易しいものではなかった。
ある日、恵は何の相談もなしに、僕の家に自分の荷物を運びこむ。そして、半ば強引に住み着いてしまったのだ。
その時は、さすがの僕もキレた。なぜ相談もせず、こんなことをしたのかと怒鳴り付ける。すると恵は、しくしく泣きながら僕に言ったのだ。
「私のこと、愛してないの?」
愛してるとか愛してないとか、そういう問題ではないだろう。せめて一言、相談して然るべきではないのか。
この時、僕は理解したのだ。
恵はまともではない。
その後、僕は恵と何度も話し合った。無論、別れるための話し合いである。
だが、この会話は平行線を辿るだけだった。僕は別れたいが、恵は別れたくない……しかも、恵は僕の言うことに耳を傾ける気配がないのだ。
「私はあなたを愛してる。なのに何故、別れなければならないの? あなたを失ったら、私は生きていけない……」
僕は、心底嫌になった。もう、彼女とはやっていけない。
ある日、恵が留守の間に僕は夜逃げ同然に家を出た。もちろん、彼女に行き先は言っていない。ただただ、彼女と縁を切りたかったのだ。
引っ越した時、僕はホッとした。恵は頭がおかしいのだ。あんな女とやっていくのは不可能だろう。
だが、僕は甘かった。
引っ越してから一月も経たぬうち、恵は僕の家を探し当てたのである。
あの時の恐怖は、今も忘れていない。仕事が終わり家に帰ったら、目の前に恵が立っていた時のことを──
「お帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする?」
まるで新妻のように、エプロン姿で僕を出迎えた恵……本当に嬉しそうな表情であった。
「お前、ここで何してんだよ」
僕は、そう言うのがやっとだった。すぐに警察に電話すべきだったのだが、とっさに頭が回らなかったのだ。
しかし、恵は全く怯まない。微笑みながら言葉を返す。
「だって、あなたのいるところが私の家だもん。だから……来ちゃった」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けとんだ──
無言のまま、恵を殴りつけた。女性を殴ったのは、この時が初めてである。いや、そもそも人を殴ったこと自体が初めてであった。
生まれて初めての、他人に対する暴力。だが、それは予想外の結果をもたらす。スマートな体型の恵は、ひ弱な僕のパンチを浴びて後ろに倒れた。
結果、テーブルの角に頭を打ち、死んでしまったのである。
幸いなことに、僕の実家の裏には山があった。その山には、古井戸がある。恐ろしく深く、既に水は枯れている。かつて、見つかったらヤバいものを沈めたことがあったのだ。
その時と同じことをした。恵の死体を運びこみ、古井戸へと落とす。下までは、十メートル以上あるだろう。こんな場所を、いちいちチェックする者などいない。
あとは、虫が全てを片付けてくれる。万一、死体が見つかっても事故で処理されるだろう。
残酷だ、と思うだろうか? だが、僕にはそうする以外になかった。あんな狂った女のせいで、殺人犯として残りの人生を過ごさなくてはならない……そんなのは御免だ。
死体さえ見つからなければ、ただの行方不明である。警察に調べられたりはしない。
・・・
確かに、恵は死んだはずだった。その上、死体を切り刻みバラバラにして海に捨てたのだ。生きていられるはずがない。
なのに今、僕の目の前には彼女がいる。その顔には、傷一つない。いつの間に盗んでいたのだろう……僕の服を着て、ほこりだらけの暗い屋根裏で照れくさそうに笑っている。
「もう、サプライズのつもりだったのに……見つかっちゃったね」
恵は、そう言って上目遣いに僕を見つめた。てへっ、という声が似合いそうな表情を浮かべて。
その時、僕はようやく理解する。ジョニーは、屋根裏を探検していたのではなかった。
屋根裏に潜んでいた恵と遊んでいたのだ。
翌日、僕は朝食を食べていた。
二匹の猫は、隣の部屋にいる。恵と一緒に、仲良く遊んでいるらしい。
ジョニーとヴァネッサは、恵の同居をあっさりと受け入れているようだ。どう考えても、まともな人間ではないはずの恵を。
もっとも、二匹はだいぶ前から恵の存在を知っていたのだろう。
時間になり、僕はいつも通り出勤するため扉を開ける。
「行ってらしっしゃい」
恵の声がした。振り返ると、彼女はニコニコしながら僕を見ている。
こうなった以上、もはや諦めるしかないのだ。今の恵が、何者なのかは分からない。だが、殺した後にバラバラに解体したにもかかわらず、こうして僕の前に出てきている。
今の僕には、何も出来ない。恵から逃れる方法はないのだ。
「ちょっと待って」
恵は、立ち止まっている僕にスッと近寄って来た。
「こらこら、ご飯粒ついてるぞ。もう、しょうがないんだからあ」
言いながら、僕の頬に唇をつける。
端から見れば、僕たちはバカップルに見えるのだろうか。それとも若き新婚さんだろうか。
いずれにしても、恵の強すぎる癖の前に、僕は為す術なく屈したのである。
これから永遠に、恵と同居していくしかないのだ。
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