37 / 37
ミーナ編
ニコライ、若いふたりに困惑する
しおりを挟む
その日、ニコライはチャーリーを連れてリバーの家へと向かう……つもりであった。まずは店にて待ち合わせた後、もう一度空き地を通って確認し、リバーの家を訪問する予定を組んでいたのである。ニコライは店で、チャーリーの来るのを待っていた。
ボリスはというと、奥の部屋にいる。今日もまたリムルが来ていた。あの大男は、世話に夢中なのだ。
「あいつ、まさか幼女が好きとかないよな」
ボソリと呟いたニコライ。その時、扉の開く音がした。チャーリーが来たのだろう。
しかし、予想外のことが起きる──
「あ、あのさあ……」
店の中で、チャーリーはもじもじしている。申し訳ないような、恥ずかしいような、それでいて嬉しいような……それに対し、ニコライは困惑した表情を浮かべていた。
しかし、それも当然であろう。店の中にはもうひとり、チャーリーと共に来た客がいるのだ。しかも、若い女の子である。身長は高く、百六十センチ前後のチャーリーとほぼ同じくらい。金色の髪と白い肌、そして彫刻のような掘りの深く綺麗な顔立ちだ。この店には、明らかに似つかわしくないタイプの女の子である。
「チャーリーくん、こちらの美人さんはどなた?」
言いながら、ニコライは娘を見つめる。ボリュームのあるロングヘアーは本当の金色だ。すらりとした体型で、手足も長い。目鼻立ちは美しく整っている。とぼけたユーモラスな顔立ちのチャーリーとは、完全に真逆だった。
「そんな、美人だなんて……あたし、ソーネチカです。チャーリーくんの友だちなんですよ」
そう言って、娘は微笑んだ。つられて、ソーネチカの隣にいるチャーリーもヘラヘラ笑っている。もともと締まりの無い顔つきではあるが、今はさらにだらしない表情になっている。
そんな若いふたりを前にしては、ニコライも笑うしかなかったのだ。店の中は、なんとも微妙な笑い声に包まれていた。
しかし、このままでは埒があかない。他の客の邪魔にもなる。客など来ない可能性の方が高いが、万が一ということもあるのだ。ニコライは仕方なく、ふたりに声をかけた。
「ふたりとも、ちょっと外で話そうか」
「ねえチャーリーくん、ソーネチカちゃんに俺のことを喋ったの?」
外に出ると同時に、チャーリーの耳元で囁いた。少年はつまみ食いを見つかった子供のような表情で、ニコライにペコペコ頭を下げる。
そんな両者の間を流れる空気から、いろいろ察したのだろう。ソーネチカも、神妙な顔つきで頭を下げた。
「す、すみません。あたしがどうしても、と言ったからです。ニコライさんが不思議な力をお持ちだと聞いたんで……チャーリーが悪いんじゃありません」
その言葉に反応したのは、ニコライではなくチャーリーだった。
「な、なに言ってんの。ソーネチカちゃんは悪くないよ。悪いのは、俺だからさ。ニコライさんに、君をきちんと紹介すべきだったよ」
「違うよ。悪いのはあたしだよ。あたしが言ったから、チャーリーは──」
チャーリーとソーネチカがそんな会話をしている間、ニコライはボケーッとした顔で佇んでいた。ふたりの会話には、微妙なイチャつきが感じられる。こんな青春真っ只中のふたりの間にいなくてはならないのか、などと考えながら、仕方なく両者の会話を見守っていた。
「あ、あのさ、話を進めていいかな?」
十分ほど待ってみたが、チャーリーとソーネチカの話は一向に終わりそうもない。なので、ニコライは横から口を挟んでみた。
すると、ふたりはようやくこちらを見る。
「あっ、ゴメンよ。で、どうなのかな?」
恐る恐る、といった様子でチャーリーは聞いてきた。今さら、邪魔だから来るなとも言えない。仕方なく、ニッコリ微笑んだ。
「俺の邪魔さえしなければ、付いて来てもいいよ」
「ほ、本当ですか?」
すっとんきょうな声を上げるソーネチカ。嬉しくてたまらない、という思いがあらわになった表情だ。素直な娘である。この美貌に加え、無邪気な態度。チャーリーのようなうぶな少年では、抵抗すら出来ずに撃沈であろう。もっとも、そこにはソーネチカの計算もあるのかもしれないが。
「あの、どうかしたんですか?」
ソーネチカの声音には、不安が感じられる。仕方ないので、ニコライはニコニコしてみせた。今さら彼女を不安がらせても、何の意味もない。
「いや、何でもないよ。それより、まずは昨日の空き地に行ってみようか」
そう言って、歩き出した。すると、チャーリーが案じ顔で近づいて来る。
「ねえ、ソーネチカちゃんのこと、どう思う?」
耳元で尋ねてきた。ニコライも声をひそめる。
「うん、可愛い娘だね」
「でしょー」
一瞬にして、だらしない表情になる。ニコライは思わず苦笑いしていた。
やがて三人は、空き地に到着した。風景そのものは、前回と全く変わっていない。周囲にはロープが張られ、立ち入り禁止の看板が設置されている。
ただ、前回とはひとつだけ異なる点があった。ひとりの少女が、空き地の中で佇んでいたのだ。
「あ、あれは……」
言いながら、ずんずん早足で近づいて行くニコライ。チャーリーとソーネチカは、慌てて後を追った。
しかしニコライは、足を止める。彼の方を向き首を振った。
「駄目だよ。悪いけど、君たちはそこで見てて」
そう言ったニコライの表情は、先ほどとはうって変わって厳しいものだった。ふたりは、反射的に立ち止まっていた。
一方、ニコライは少女を見つめる。恐らく、チャーリーたちと同じくらいの年齢であろう。もっとも、彼女は既に死んでいる。したがって年齢など意味はない。
少女もまた、じっとこちらを見ている。どこにでもいる平凡な顔立ちの娘だ。特に美人というわけでもない。ただ、好奇心旺盛な感じの大きな瞳は印象的である。美人ではないが、男女を問わず相手に好感を与える顔立ちだ。
突然、少女は満面の笑みを浮かべた。
「あんた、あたしが見えてるの?」
弾んだ声で、彼女は尋ねた。
「うん、見えてるよ」
「ほんと!? よかったあ!」
言いながら、ニコライに抱きついてくる。彼は面食らいながらも受け止めた。
「いやあ、熱烈だね。こっちも嬉しいよ。ところで君、名前は?」
ニコライの問いに、少女は動きを止めた。困惑したような表情で頭を掻く。
「うんとね、忘れた」
「わ、忘れたぁ?」
「うん、そうなんだよね。あたし生きてた時のことは、なんーにも覚えてないんだよ。自分の名前も、何をやってたかも……」
とぼけた表情で、少女はそう言った。これには、さすがのニコライも頭を抱えるしかない。
「な、名前も覚えてないのかい!? それは困ったもんだね。こりゃあ、どうしたもんかなあ」
一方、その様子を離れた場所から見ているふたりは唖然となっていた。
「俺には、ニコライさんがひとり芝居してるようにしか見えないよ。ソーネチカちゃんには、何か見えるの?」
呆然としながら、ソーネチカに尋ねるチャーリー。彼の目には、激しいリアクションとともに、ひとりで空き地に向かい話しかけているニコライの姿しか見えていない。
「あたしにも見えないよ。なんか凄いね、ニコライさんは」
これまた目が点になった状態で、ソーネチカが答える。
「そっか、ソーネチカちゃんにも見えないのか。けど、あれはちょっと問題だよね。知らない人が見たら、危ない人に間違えられるかもしれない」
そう言って、顔をしかめる。ただでさえ、ニコライは会話中のリアクションが激しい男だ。今も空き地に向かい、身振り手振りを交え真剣に語りかけている。そのうち、怖い人たちが出てきてトラブルになるかもしれない。
チャーリーは、声をかけてみることにした。邪魔をするなとは言われているが、このまま放っておけない。
「あのう、ニコライさん。ちょっといいかな?」
後ろからの声に、振り返るニコライ。見ると、チャーリーが恐る恐るといった感じで手招きしている。
「どうしたんだ?」
「あ、あのさあ……俺たちも横にいた方がいいと思うんだけど。このままだと、ニコライさん頭おかしい人かと思われて通報されるよ。その……幽霊さんさえよければ、だけど」
チャーリーのその言葉に反応したのは、ニコライではなく名無しの少女であった。プッと吹き出す。
「それもそうだね。そこの人も、こっちに呼びなよ。あんた、変な人かと思われるよ」
「うん、わかったよ。それで君、名前は?」
尋ねるニコライに、少女は首を傾げた。
「うーん、名前も覚えてないからね」
あっけらかんとした表情で、少女は言った。それに対し、ニコライは思わず頭を抱える。
「そ、そうなんだよね。君は名前すら記憶にないんだよね。困ったな」
死者の中には、たまにこうした者がいる。生前の記憶も、自分の心残りが何なのかも忘れてしまい、この世をさまようだけの存在となる。いきつく先は、ほとんどが悪霊だ。
事態がよく飲み込めていないチャーリーは、固唾を呑んで見守っている。
少女もまた、しばし考えこむような仕草をしたが……何かを閃いた、とでも言うような表情で顔を上げる。
「とりあえずはさ、ナナシとでも呼んでよ」
「ナナシ?」
「うん。名前がないからナナシ」
そう言って、笑みを浮かべる。ニコライも、つられて思わず笑ってしまった。この少女は、今まで会ってきた死者たちとは根本的に違う。悲哀がまるきり感じられないのだ。
あるいは、記憶が無いせいかもしれないが。
「そ、そうか。じゃあ、これからは君をナナシちゃんて呼ぶよ。ナナシちゃん、君はいつからここに──」
言いかけて、ニコライはハッとなった。重大なことを忘れていたのだ。
「ねえナナシちゃん、前に君のことが見える子供が来なかった?」
「えっ? ああ、そういえば来たよ。うん、来た来た。小さい男の子が、あたしを見てビビった顔してたね」
言いながら、ナナシはうんうんと頷く。
「やっぱり……でさあ、君はその子供を怖がらせたの?」
ニコライの問いに、ナナシは照れたような笑いを浮かべて頷いた。
「うん」
「あのさぁ……何で、そんなことしたの?」
呆れたような表情で尋ねると、少女は急に真剣な顔つきになった。
「それはね……」
「それは?」
「面白かったから」
またしても、あっけらかんとした表情で答える。ニコライは頭を抱えた。この少女、なかなかの強者である。さて、どうしたものか。
ボリスはというと、奥の部屋にいる。今日もまたリムルが来ていた。あの大男は、世話に夢中なのだ。
「あいつ、まさか幼女が好きとかないよな」
ボソリと呟いたニコライ。その時、扉の開く音がした。チャーリーが来たのだろう。
しかし、予想外のことが起きる──
「あ、あのさあ……」
店の中で、チャーリーはもじもじしている。申し訳ないような、恥ずかしいような、それでいて嬉しいような……それに対し、ニコライは困惑した表情を浮かべていた。
しかし、それも当然であろう。店の中にはもうひとり、チャーリーと共に来た客がいるのだ。しかも、若い女の子である。身長は高く、百六十センチ前後のチャーリーとほぼ同じくらい。金色の髪と白い肌、そして彫刻のような掘りの深く綺麗な顔立ちだ。この店には、明らかに似つかわしくないタイプの女の子である。
「チャーリーくん、こちらの美人さんはどなた?」
言いながら、ニコライは娘を見つめる。ボリュームのあるロングヘアーは本当の金色だ。すらりとした体型で、手足も長い。目鼻立ちは美しく整っている。とぼけたユーモラスな顔立ちのチャーリーとは、完全に真逆だった。
「そんな、美人だなんて……あたし、ソーネチカです。チャーリーくんの友だちなんですよ」
そう言って、娘は微笑んだ。つられて、ソーネチカの隣にいるチャーリーもヘラヘラ笑っている。もともと締まりの無い顔つきではあるが、今はさらにだらしない表情になっている。
そんな若いふたりを前にしては、ニコライも笑うしかなかったのだ。店の中は、なんとも微妙な笑い声に包まれていた。
しかし、このままでは埒があかない。他の客の邪魔にもなる。客など来ない可能性の方が高いが、万が一ということもあるのだ。ニコライは仕方なく、ふたりに声をかけた。
「ふたりとも、ちょっと外で話そうか」
「ねえチャーリーくん、ソーネチカちゃんに俺のことを喋ったの?」
外に出ると同時に、チャーリーの耳元で囁いた。少年はつまみ食いを見つかった子供のような表情で、ニコライにペコペコ頭を下げる。
そんな両者の間を流れる空気から、いろいろ察したのだろう。ソーネチカも、神妙な顔つきで頭を下げた。
「す、すみません。あたしがどうしても、と言ったからです。ニコライさんが不思議な力をお持ちだと聞いたんで……チャーリーが悪いんじゃありません」
その言葉に反応したのは、ニコライではなくチャーリーだった。
「な、なに言ってんの。ソーネチカちゃんは悪くないよ。悪いのは、俺だからさ。ニコライさんに、君をきちんと紹介すべきだったよ」
「違うよ。悪いのはあたしだよ。あたしが言ったから、チャーリーは──」
チャーリーとソーネチカがそんな会話をしている間、ニコライはボケーッとした顔で佇んでいた。ふたりの会話には、微妙なイチャつきが感じられる。こんな青春真っ只中のふたりの間にいなくてはならないのか、などと考えながら、仕方なく両者の会話を見守っていた。
「あ、あのさ、話を進めていいかな?」
十分ほど待ってみたが、チャーリーとソーネチカの話は一向に終わりそうもない。なので、ニコライは横から口を挟んでみた。
すると、ふたりはようやくこちらを見る。
「あっ、ゴメンよ。で、どうなのかな?」
恐る恐る、といった様子でチャーリーは聞いてきた。今さら、邪魔だから来るなとも言えない。仕方なく、ニッコリ微笑んだ。
「俺の邪魔さえしなければ、付いて来てもいいよ」
「ほ、本当ですか?」
すっとんきょうな声を上げるソーネチカ。嬉しくてたまらない、という思いがあらわになった表情だ。素直な娘である。この美貌に加え、無邪気な態度。チャーリーのようなうぶな少年では、抵抗すら出来ずに撃沈であろう。もっとも、そこにはソーネチカの計算もあるのかもしれないが。
「あの、どうかしたんですか?」
ソーネチカの声音には、不安が感じられる。仕方ないので、ニコライはニコニコしてみせた。今さら彼女を不安がらせても、何の意味もない。
「いや、何でもないよ。それより、まずは昨日の空き地に行ってみようか」
そう言って、歩き出した。すると、チャーリーが案じ顔で近づいて来る。
「ねえ、ソーネチカちゃんのこと、どう思う?」
耳元で尋ねてきた。ニコライも声をひそめる。
「うん、可愛い娘だね」
「でしょー」
一瞬にして、だらしない表情になる。ニコライは思わず苦笑いしていた。
やがて三人は、空き地に到着した。風景そのものは、前回と全く変わっていない。周囲にはロープが張られ、立ち入り禁止の看板が設置されている。
ただ、前回とはひとつだけ異なる点があった。ひとりの少女が、空き地の中で佇んでいたのだ。
「あ、あれは……」
言いながら、ずんずん早足で近づいて行くニコライ。チャーリーとソーネチカは、慌てて後を追った。
しかしニコライは、足を止める。彼の方を向き首を振った。
「駄目だよ。悪いけど、君たちはそこで見てて」
そう言ったニコライの表情は、先ほどとはうって変わって厳しいものだった。ふたりは、反射的に立ち止まっていた。
一方、ニコライは少女を見つめる。恐らく、チャーリーたちと同じくらいの年齢であろう。もっとも、彼女は既に死んでいる。したがって年齢など意味はない。
少女もまた、じっとこちらを見ている。どこにでもいる平凡な顔立ちの娘だ。特に美人というわけでもない。ただ、好奇心旺盛な感じの大きな瞳は印象的である。美人ではないが、男女を問わず相手に好感を与える顔立ちだ。
突然、少女は満面の笑みを浮かべた。
「あんた、あたしが見えてるの?」
弾んだ声で、彼女は尋ねた。
「うん、見えてるよ」
「ほんと!? よかったあ!」
言いながら、ニコライに抱きついてくる。彼は面食らいながらも受け止めた。
「いやあ、熱烈だね。こっちも嬉しいよ。ところで君、名前は?」
ニコライの問いに、少女は動きを止めた。困惑したような表情で頭を掻く。
「うんとね、忘れた」
「わ、忘れたぁ?」
「うん、そうなんだよね。あたし生きてた時のことは、なんーにも覚えてないんだよ。自分の名前も、何をやってたかも……」
とぼけた表情で、少女はそう言った。これには、さすがのニコライも頭を抱えるしかない。
「な、名前も覚えてないのかい!? それは困ったもんだね。こりゃあ、どうしたもんかなあ」
一方、その様子を離れた場所から見ているふたりは唖然となっていた。
「俺には、ニコライさんがひとり芝居してるようにしか見えないよ。ソーネチカちゃんには、何か見えるの?」
呆然としながら、ソーネチカに尋ねるチャーリー。彼の目には、激しいリアクションとともに、ひとりで空き地に向かい話しかけているニコライの姿しか見えていない。
「あたしにも見えないよ。なんか凄いね、ニコライさんは」
これまた目が点になった状態で、ソーネチカが答える。
「そっか、ソーネチカちゃんにも見えないのか。けど、あれはちょっと問題だよね。知らない人が見たら、危ない人に間違えられるかもしれない」
そう言って、顔をしかめる。ただでさえ、ニコライは会話中のリアクションが激しい男だ。今も空き地に向かい、身振り手振りを交え真剣に語りかけている。そのうち、怖い人たちが出てきてトラブルになるかもしれない。
チャーリーは、声をかけてみることにした。邪魔をするなとは言われているが、このまま放っておけない。
「あのう、ニコライさん。ちょっといいかな?」
後ろからの声に、振り返るニコライ。見ると、チャーリーが恐る恐るといった感じで手招きしている。
「どうしたんだ?」
「あ、あのさあ……俺たちも横にいた方がいいと思うんだけど。このままだと、ニコライさん頭おかしい人かと思われて通報されるよ。その……幽霊さんさえよければ、だけど」
チャーリーのその言葉に反応したのは、ニコライではなく名無しの少女であった。プッと吹き出す。
「それもそうだね。そこの人も、こっちに呼びなよ。あんた、変な人かと思われるよ」
「うん、わかったよ。それで君、名前は?」
尋ねるニコライに、少女は首を傾げた。
「うーん、名前も覚えてないからね」
あっけらかんとした表情で、少女は言った。それに対し、ニコライは思わず頭を抱える。
「そ、そうなんだよね。君は名前すら記憶にないんだよね。困ったな」
死者の中には、たまにこうした者がいる。生前の記憶も、自分の心残りが何なのかも忘れてしまい、この世をさまようだけの存在となる。いきつく先は、ほとんどが悪霊だ。
事態がよく飲み込めていないチャーリーは、固唾を呑んで見守っている。
少女もまた、しばし考えこむような仕草をしたが……何かを閃いた、とでも言うような表情で顔を上げる。
「とりあえずはさ、ナナシとでも呼んでよ」
「ナナシ?」
「うん。名前がないからナナシ」
そう言って、笑みを浮かべる。ニコライも、つられて思わず笑ってしまった。この少女は、今まで会ってきた死者たちとは根本的に違う。悲哀がまるきり感じられないのだ。
あるいは、記憶が無いせいかもしれないが。
「そ、そうか。じゃあ、これからは君をナナシちゃんて呼ぶよ。ナナシちゃん、君はいつからここに──」
言いかけて、ニコライはハッとなった。重大なことを忘れていたのだ。
「ねえナナシちゃん、前に君のことが見える子供が来なかった?」
「えっ? ああ、そういえば来たよ。うん、来た来た。小さい男の子が、あたしを見てビビった顔してたね」
言いながら、ナナシはうんうんと頷く。
「やっぱり……でさあ、君はその子供を怖がらせたの?」
ニコライの問いに、ナナシは照れたような笑いを浮かべて頷いた。
「うん」
「あのさぁ……何で、そんなことしたの?」
呆れたような表情で尋ねると、少女は急に真剣な顔つきになった。
「それはね……」
「それは?」
「面白かったから」
またしても、あっけらかんとした表情で答える。ニコライは頭を抱えた。この少女、なかなかの強者である。さて、どうしたものか。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
勇者の隣に住んでいただけの村人の話。
カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。
だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。
その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。
だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…?
才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる