21 / 73
陽一、勝利に酔いしれる
しおりを挟む
気が付くと、既に夜が明けていた。
西村陽一は昨夜から、寝よう寝ようとしていた。だが、どうしても眠れない。時が過ぎ、いつのまにかこんな時間になっていたのだ。
昨日、生まれて初めて人を殴った。
自分に絡んできた男の顔に、何発もパンチを叩きこんだ。男のピアスだらけの顔が苦痛に歪み、鼻と口から血が吹き出る。しまいには尻もちをつき、顔を両手で押さえ、何やら呻きながら頭を下げてきた。
そこで陽一は我に返り、その場を離れた。出て行く時、変なサラリーマン風の男とぶつかりそうになり謝ったのを覚えている。
家に着いた後、陽一は異様な興奮を感じていた。衝動のままに他人を殴り、初めて他人を暴力で屈服させたのだ。全身が奇妙な恍惚感に包まれていた。
違う。
あれは、運が良かっただけだ。
僕が強かったんじゃない。
そう、あれは不意討ちに近いものだった。
まず公衆便所に入ると同時に、ピアスの男が何やらベラベラと勝手なことを言い始めた。もっとも、陽一の耳にはほとんど入っていなかった。
陽一はピアスの男をじっと見つめながら、教わった通りにゆっくりと両の拳を上げる。心臓は壊れてしまうのではないかと思うほど高鳴っている。体は震え、呼吸は荒い。
「何……何その態度? マジ殺すよ?」
ピアスの男は、ヘラヘラ笑いながら近づいて行く。その顔には、警戒する様子など欠片も感じられない。彼は何の迷いもなく、両手をだらりと下げたまま陽一に向かっていき、右の拳を振り上げた──
格闘技経験のない者が人を殴る場合、フックのような大振りの、廻すような動きのパンチを放つのが普通である。ピアスの男もまた、右の拳を振り上げて殴りかかろうとした。
しかし、右の拳を振り上げた瞬間、陽一の左ジャブが顔面に当たった。次いで、体重を拳に乗せた右ストレートが炸裂、ピアスの男はよろよろと後ずさる。
ストレート系のパンチは、最短距離で相手に当たる。フックのような大振りのパンチと同時に打った場合、ストレートの方が先に命中するのだ。
パンチを受け、ピアス男の動きが止まった。驚愕の表情を浮かべて陽一を見ている。殴られた痛さよりも、殴られた驚きの方が勝っているようだ。
もっとも、それは一瞬だった。
「いってえな!」
吠えると同時に、ピアス男は怒りを露にし、再び殴りかかろうとする。
その瞬間、またしても陽一のジャブ、ストレートが炸裂する。ピアス男は、激痛のあまり反射的に顔を背ける。
陽一は、容赦なくパンチを放っていく。左でジャブ、右でストレートを叩き込む。
ピアス男は、ついに両手で顔を覆った。呻きながらしゃがみこむ。
「い、いでえ……もうやめで……」
陽一は、目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。ふと、あの喧嘩は夢の中の出来事だったのではないだろうかという考えが頭をかすめる。
しかし、両方の拳を痛みが襲う。その痛みは伝えている。あの出来事は紛れもない現実だったことを。
食事を終えた陽一は、パソコンに向かう。小説投稿サイトのランキングをチェックしてみると、やはり上位は異世界に転生する作品に占められている。一方、陽一の投稿した作品の昨日のアクセス数は八だ。人気の作品は一日で数万アクセスを叩き出すというのに……もはや、比べるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、そんなことはどうでもよくなっていた。ふと気がつくと、陽一は昨日の出来事を思い出していた。
もちろん陽一にもわかっている。あの勝利はラッキーパンチによるものだ。そもそも、ピアス男は陽一が殴ってくるとは思っていなかった。完全に油断していたのだ。
素人同士の喧嘩は、殴り合う意思の有無で決まってしまう部分がある。自分には、殴り合う意思があった。ピアス男には、一方的に殴る意思はあったが、殴り合うという意思は希薄だった。
さらに言うと、あの男にはまともな喧嘩の経験がほとんどないように思われた。まず、ピアスだらけの顔で威嚇する。大声を出し、周りの物を蹴飛ばすなどして威圧し、相手の戦意を失わせる。そうやって恐怖感を煽った上で、暴力を振るう。奴は今まで、そうやって戦わずして勝ってきたのだろう。現に自分も、そんな目に遭わされた。
条件付きの強者、それがピアス男の正体だ。体格的にも痩せこけていた。そんな者を相手に、幸運に恵まれて勝った。自慢にはならない。
僕が強かったんじゃない。ただ、あいつが弱すぎただけだ。
僕は弱いんだ。調子に乗るな。
自分に言い聞かせ、書きかけの小説に取りかかる。
だが、あの感触が忘れられない。拳が相手の顔に命中した瞬間の、えもいわれぬ快感。相手の流す血の匂い。自分の前で顔を歪め、無様にしゃがみこむ男。
そして、勝利──
陽一はこれまで、誰かと何かを競ったことなどなかった。ましてや、こんなはっきりした形での勝利などなかった。
形容のできないドス黒く熱い何かが、陽一の全身を駆け巡るのを感じた。
西村陽一は昨夜から、寝よう寝ようとしていた。だが、どうしても眠れない。時が過ぎ、いつのまにかこんな時間になっていたのだ。
昨日、生まれて初めて人を殴った。
自分に絡んできた男の顔に、何発もパンチを叩きこんだ。男のピアスだらけの顔が苦痛に歪み、鼻と口から血が吹き出る。しまいには尻もちをつき、顔を両手で押さえ、何やら呻きながら頭を下げてきた。
そこで陽一は我に返り、その場を離れた。出て行く時、変なサラリーマン風の男とぶつかりそうになり謝ったのを覚えている。
家に着いた後、陽一は異様な興奮を感じていた。衝動のままに他人を殴り、初めて他人を暴力で屈服させたのだ。全身が奇妙な恍惚感に包まれていた。
違う。
あれは、運が良かっただけだ。
僕が強かったんじゃない。
そう、あれは不意討ちに近いものだった。
まず公衆便所に入ると同時に、ピアスの男が何やらベラベラと勝手なことを言い始めた。もっとも、陽一の耳にはほとんど入っていなかった。
陽一はピアスの男をじっと見つめながら、教わった通りにゆっくりと両の拳を上げる。心臓は壊れてしまうのではないかと思うほど高鳴っている。体は震え、呼吸は荒い。
「何……何その態度? マジ殺すよ?」
ピアスの男は、ヘラヘラ笑いながら近づいて行く。その顔には、警戒する様子など欠片も感じられない。彼は何の迷いもなく、両手をだらりと下げたまま陽一に向かっていき、右の拳を振り上げた──
格闘技経験のない者が人を殴る場合、フックのような大振りの、廻すような動きのパンチを放つのが普通である。ピアスの男もまた、右の拳を振り上げて殴りかかろうとした。
しかし、右の拳を振り上げた瞬間、陽一の左ジャブが顔面に当たった。次いで、体重を拳に乗せた右ストレートが炸裂、ピアスの男はよろよろと後ずさる。
ストレート系のパンチは、最短距離で相手に当たる。フックのような大振りのパンチと同時に打った場合、ストレートの方が先に命中するのだ。
パンチを受け、ピアス男の動きが止まった。驚愕の表情を浮かべて陽一を見ている。殴られた痛さよりも、殴られた驚きの方が勝っているようだ。
もっとも、それは一瞬だった。
「いってえな!」
吠えると同時に、ピアス男は怒りを露にし、再び殴りかかろうとする。
その瞬間、またしても陽一のジャブ、ストレートが炸裂する。ピアス男は、激痛のあまり反射的に顔を背ける。
陽一は、容赦なくパンチを放っていく。左でジャブ、右でストレートを叩き込む。
ピアス男は、ついに両手で顔を覆った。呻きながらしゃがみこむ。
「い、いでえ……もうやめで……」
陽一は、目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。ふと、あの喧嘩は夢の中の出来事だったのではないだろうかという考えが頭をかすめる。
しかし、両方の拳を痛みが襲う。その痛みは伝えている。あの出来事は紛れもない現実だったことを。
食事を終えた陽一は、パソコンに向かう。小説投稿サイトのランキングをチェックしてみると、やはり上位は異世界に転生する作品に占められている。一方、陽一の投稿した作品の昨日のアクセス数は八だ。人気の作品は一日で数万アクセスを叩き出すというのに……もはや、比べるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、そんなことはどうでもよくなっていた。ふと気がつくと、陽一は昨日の出来事を思い出していた。
もちろん陽一にもわかっている。あの勝利はラッキーパンチによるものだ。そもそも、ピアス男は陽一が殴ってくるとは思っていなかった。完全に油断していたのだ。
素人同士の喧嘩は、殴り合う意思の有無で決まってしまう部分がある。自分には、殴り合う意思があった。ピアス男には、一方的に殴る意思はあったが、殴り合うという意思は希薄だった。
さらに言うと、あの男にはまともな喧嘩の経験がほとんどないように思われた。まず、ピアスだらけの顔で威嚇する。大声を出し、周りの物を蹴飛ばすなどして威圧し、相手の戦意を失わせる。そうやって恐怖感を煽った上で、暴力を振るう。奴は今まで、そうやって戦わずして勝ってきたのだろう。現に自分も、そんな目に遭わされた。
条件付きの強者、それがピアス男の正体だ。体格的にも痩せこけていた。そんな者を相手に、幸運に恵まれて勝った。自慢にはならない。
僕が強かったんじゃない。ただ、あいつが弱すぎただけだ。
僕は弱いんだ。調子に乗るな。
自分に言い聞かせ、書きかけの小説に取りかかる。
だが、あの感触が忘れられない。拳が相手の顔に命中した瞬間の、えもいわれぬ快感。相手の流す血の匂い。自分の前で顔を歪め、無様にしゃがみこむ男。
そして、勝利──
陽一はこれまで、誰かと何かを競ったことなどなかった。ましてや、こんなはっきりした形での勝利などなかった。
形容のできないドス黒く熱い何かが、陽一の全身を駆け巡るのを感じた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる