凶気の呼び声~狭間の世界にうごめく者~

板倉恭司

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武志、殺しを持ちかける

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「やあ杏子、調子はどうだい? そう言えば、前々から疑問に思ってたんだけど……ここでの生活はどんな感じなのかな? お菓子とか食べられるのかな?」

 殺風景な部屋の中でベッドの端に座り、にこやかな表情で話しかける大和武志。
 だが、傍らの鈴木杏子は何も答えようとしない。前に来た時と同じく、黙ったまま前方を凝視している。
 武志の表情がわずかに歪む。だが、彼は話し続ける。まるで、それこそが自分に残された、たったひとつの大切な義務であるかのようだった。

「いやあ、参ったよ。ついに体重が六十キロを割ったんだ。五年前は八十キロ近くまでいって、杏子に腹の肉をつままれてたのにね……今じゃあ、杏子よりウエスト細いんじゃないの?」

 言った後、立ち上がり細くなったウエストを見せる。武志のウエストは確かに細いが、他の部分も細い。顔の肉はすっかり削げ落ち、腕は枯れ枝のようだ。お世辞にも健康的とは言えない。夜の街を歩いていたら、ヤク中に間違われることだろう。
 そのまま杏子を見下ろしていたが、ややあって口を開く。

「俺は決めたよ。もう、全てを終わらせることにした。南部の奴は結局、前歯と鼻をへし折っただけで終わらせたよ。俺は半端者だね。復讐すら、きっちりと遂げることができないんだな」

 そこまで言った時、武志の顔が歪んだ。涙がこぼれ落ちる。

「俺は、君と出会えて……本当に幸せだった。ありがとう、本当に……ありがとう。俺は幸せ者だったよ」

 どうにか言い終えた時、扉から声が聞こえてきた。

「おい武志、そろそろ時間だぜ」

 すると武志は、杏子の耳元に顔を寄せた。

「もう、お別れの時間だ。杏子、二度と会うことはないだろうけど、元気でね……」



 暗い廊下を歩いている間、ふたりは一言も口を聞かなかった。ブツブツ呟くような声が扉越しに聞こえてくる。時おり、奇声や何かがぶつかるような音が響き渡ったりもしている。しかし、ふたりは押し黙ったまま進んでいた。

「何やかんやあったが、とりあえずは無事に終わったな。なあ武志、これからどうすんだ? マジな話、もう一度考え直してみないか?」

 帰りの車の中で、士郎は問いかける。武志は訝しげな表情になった。

「考え直すって、何をですか?」

「杏子ちゃんを連れ出すって話だよ。いいか、閉鎖病棟から患者が逃げるなんてのはな、よくある話なんだよ。見つからないまま、行方不明になってるケースも珍しくない。さすがに人殺しでもやってりゃあ、警察も必死で探すだろうが……杏子ちゃんは何もやってないんだぜ。まあ、病院は訴えられた挙げ句、相当の額を払わされるだろうがな。お前の依頼さえあれば、俺はいつでもやるよ」

 士郎の口調は軽いものだった。まるで、近所のコンビニに買い物にでも行くかのような口調だ。知らない人が聞いたら、冗談かと思うことだろう。
 しかし、武志にはわかっている。士郎は、出来もしない事を簡単に口にするような男ではないのだ。自分が頼めば、確実にやるだろう。
 その時、またしても武志の中に疑問が浮かんだ。士郎と接していて、幾度となく感じた疑問だ。

「あなたは何で、こんな仕事をしてるんです?」

「こんな仕事って、お前は本当に失礼な奴だなあ。前にも言ったろ、俺はならざるを得なかった、ってな。俺には、こんな仕事くらいしかできそうにない。それにな……」

 士郎は言葉を止めた。その瞬間、顔つきが変わる。

「俺はな、殺しをやらないでいると……頭の中に霞がかかったようになっちまうんだ。まあ、もって一月くらいかな。それを過ぎると、ぼんやりし始める。そのうち、目の前の映像が歪み出す。そいつが俺の病気さ。恐らくは、一生治らないんだろうよ」

 士郎の口調は淡々としたものだった。だがそれだけに、より一層の真実味が増す。やはり、士郎に対する噂は本当だったのだ。
 そんな士郎だからこそ、この仕事を頼みたかった。

「士郎さん、最後にひとつお願いがあります」

「何だ? やっと杏子ちゃんを逃がす気になったのかよ?」

「違います。あなたに頼みたいのは殺しです。俺を殺してください」

 だが、士郎は黙ったまま言葉を返さない。武志はもう一度、口を開いた。

「あなたに、新たな仕事を頼みたいんですよ。俺はもう、何もかも嫌になっちまったんです。この先、何もしたいことがないんです。生きるのも面倒くさい。本当に嫌になりました」

「ちょっと待て。その前に……明日、ちょいとした用事がある。付き合ってくれないか? 会わせたい人がいる」



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