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124.ノエさんの話を聞く(6月24日)

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「イトー君起きてる?」

そうノエさんが話し掛けてきたのは、満天の星空を荷台に並べたシュラフに包まって見上げていた時だった。
本来なら夕方にはアルマンソラに辿り着き宿屋で一泊するはずだったのだが、このままフェルを連れて街には入らないほうがいいという判断のもと、街道を少し離れた河原で野営することにしたのだ。
そのフェルはといえば、アリシアが持っていた鹿革のプレートを編み込んだパラコードの首輪をつけて、アイダと一緒にテントで寝ていることだろう。
鹿革のプレートの裏には大きめの黒い魔石をはめ込み、その魔石を囲むように魔法式を彫り込んだ。彫り込んだ魔法式は極めて単純だ。

“Goddess Calypso.Hide the Magical Powers of this”

「こんな魔法式でいいの?女神の名前と、やって欲しいことしか書いていないけど」

アリシアを含め全員が半信半疑であったが、いざ発現させてみると効果は絶大だった。
フェルはまだ幼い事もあってか、その放つ魔力は成獣の一角オオカミと比べればかなり弱いものではあった。だがこの首輪をつけることで、これが魔物であるとは至近距離からでも判断できなくなったのだ。
あとは見た目だけの問題だ。アイダが抱いた灰色の毛玉は、今は誰がどこから見ても子犬としか見えないだろう。この首輪がやがて生えてくるかもしれない角も隠してくれればいいのだが。

野営の支度を終えてフェルの首輪を作った頃には、すっかり深夜だった。
テントは生憎2張りしかなく、俺達は7人と1匹だ。
誰がテントを使うのかと揉めるまでもなく、俺とノエさんが馬車の荷台で寝る事を申し出た。
男性陣と女性陣で分けるという選択肢もあったし、俺と誰かが1張り使って、残りの女性陣がもう1張りを使うという選択肢もあった。だがどちらにせよ女性陣が窮屈な思いをするのが目に見えていたから、3人娘を含めて誰からも異論は出なかった。
そのお詫びというわけでもないだろうが、見張り番は女性陣が手を挙げてくれた。おかげで今夜は満天の星空の下でゆっくりと休めそうだ。

この世界に来て良かったと思う事は幾つかある。
3人娘に出会えた事もそうだが、こういった星空を見上げる事ができるのも、その1つだ。

「起きてますよ。眠れないんですか?」

「ちょっと考え事をしていてね。ねえイトー君。ここから遥か遠く、西方の国で最近流行ってる教えというか神様って知ってる?」

はい??いきなり宗教への勧誘か?
生憎と俺は物心ついた事から特定の宗教に関わった事はない。いや、クリスマスにはケーキを食べるし、正月には初詣に行く。節句には柏餅を食べるし、夏祭りと言えば子供の頃は心が踊ったものだ。だが日本で生活している人の大半はそうだろう。

「西の国の宗教ですか?いえ。聞いた事もないです」

「そっか。ボク達が暮らしているタルテトス王国も、西のオスタン公国と北のノルトハウゼン大公国も多神教だ。“天上にも地上にも地下にも大勢の神様がいて、僕達の営みを見守り、時には試練を与えられたり害を為したりもする。その試練を乗り越え、より良く生きるための力の一つが魔法だ”ってのが、まあボク達の宗教観であり人生観だ」

「そうですね。それは知っています。神殿に行ったことはないですし、教会に行ったのもイリョラ村での戦闘時だけですが」

「一応、神様達への信仰心がないと、魔法って使えないはずなんだけどね」

そう言われても使えてしまうものは仕方ない。もしかしたら俺が本来持っていた雑多な宗教観があっさりとこの世界の神様達を受け入れてしまったのかもしれない。

「これは君達がカディスに行っている間に、馴染みの商人から聞いた話なんだけどね。西のテリュバン王国で信奉されている神様が奇跡を起こすらしい。もっとも実際に神様が降臨されたというより、その神様を信じて布教している聖職者達が起こした奇跡なんだけどね。その商人が言うには、その聖職者が祈りを捧げながら水を魔物に掛けると、その魔物が死んだらしいんだ」

水で魔物を倒す?カトリックのエクソシストのようだな。

「それだけじゃなくってね。その聖職者が使う水、“聖水”っていうんだけど、魔物を倒すだけじゃなくって、信者の傷や病気を癒したり、農産物の収量をあげたりと、まあとにかく霊験あらたかというか万能らしいんだよね。しかも聖水は聖職者の手を離れても一定期間は効果が持続するようでね。テリュバンじゃカサドールの護衛役はほとんど廃業状態らしいよ」

それはまあそうだろうな。その聖水さえあれば、旅の護衛として魔物狩人を雇う必要もない。魔物に出くわしたらその聖水を掛けて逃げればいいし、ケガや病を患ったらその聖水を飲めばいい。確かに狩人は必要ないのかもしれない。

「そんな便利なものがあるのなら、他の国にも広まりそうなものですが」

「そうだね。ただ問題があってね。その聖水ってのは、テリュバン王国で広まっている神様、名前を確かジルバ?とか言ったかな。その神様を信じるものにしか教会が売ってくれないみたいなんだよね。ちなみに、これぐらいの壺で金貨1枚らしいよ」

ノエさんが持ち上げて見せたのは、皆に渡しているペットボトルだ。最初はペットボトルのまま腰からぶら下げたりリュックに入れたりしていたのだが、流石に無色透明の水入れが目立つということで、ついさっきアリシアが革紐を籠状に編んでくれたのだ。

「その量で金貨1枚?それはぼったくりますね」

「はっはっは。それでも身の安全には変えられないということだよ。もっとも資金力のある商人や国相手には、もっと大口で売っているみたいだけどね」

「そのジルバ教の教会は国相手にも商売をしているのですか?」

「そうだね。国というより、有力な貴族達を相手にしているんだろう。貴族だって病気にはなるし、私設軍の兵士が怪我をしたり死んだら補償金も必要だ。もちろん国軍や騎士団にだって需要はあるだろうからね」

「その件をノエさんに教えてくれた商人さんは、その聖水を購入できたんですか?」

「いいや。買いたければ改宗をと迫られたらしい。そうそう、改宗といえば、テリュバン王国はこの世界から魔物を一掃して、世界統一を果たすって意気込んでいるらしいよ。そのためにまずは全ての国がジルバ教に改宗しなければって、国を挙げて布教活動を行うことにしたらしい。まったく、一神教というか唯一絶対神を崇める人達は、自分達が絶対正しいと思い込むからたちが悪い」

ノエさんが珍しく怒っているようだ。宗教絡みで何か苦い思い出でもあるのだろうか。

ノエさんの個人的な事情はともかく、国際情勢ってやつがそうなるのも時間の問題か。すごく良い物を手に入れた人間が、他の誰かにも分け与えたいと考えるのは純粋に善意だと思う。だがそこに金銭が絡めば単なる押し売りやマルチ商法の臭いがし始めるものだ。更には国家が宗教を使って同じ事を行い始めれば、それは信ずる神の名を借りた他国への侵略に繋がっていく。

「タルテトス王国の北方、ノルトハウゼン大公国との国境近くに双方の軍が動員されているのは知っているよね。いつもならノルトハウゼンと呼応して軍を東へ動かすオスタン公国の動きが鈍い。もしかしたら軍を西に張り付けているかもしれない。イトー君ならこの意味がわかるんじゃないか?」

「テリュバン王国がオスタン公国に侵攻する可能性がある」

「そのとおり。布教活動という名の侵略行為。もしかしたら“魔物から世界を救う”なんてお題目を掲げているかもしれない」

ノエさんの口から語られる言葉は、どこか御伽話のような、それでいて妙に説得力がある。似たような話ならば、歴史の授業を思い出すまでもなく世界中のいたる所で起きていたはずだ。
星空はこんなに綺麗なのに、世界はどうしてこうも血に染まっているのだろう。

「もしイトー君達が西に、オスタン公国にまで足を伸ばすのなら、その事を頭の片隅に留めておいて欲しい」

狩人の先輩からの有難い忠告だ。心に留めておこう。

「それでね、その聖水なんだけど。イトー君の魔法で生み出す水と、よく似てると思わない?金貨1枚で売れるかな?」

そっちかよ……
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