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22.椋太の家

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平日なのに珍しく若い夫婦と小さい子供という、三人家族が店にやってきた。
「今日はお休みですかー?……へえー、いいなー!家族でお出かけですか」と他愛もない話をしている間に、二歳になったばかりだという女の子が俺を気に入ったのか、ものすごく懐いてくれた。
 
結局、旦那さんが服を試着して、ああでもないこうでもない、と夫婦で相談している間、女の子をずっと抱きかかえることになった。
店にいる間に50回はいないいないばあをさせられたし、小さな子供が好きそうな歌を記憶の隅っこからなんとか引っ張り出してきて「糸まきまき」だとか「きらきら星」を小さな声で歌ってやった。
 
二歳児の言葉は「いや」と「やったー」くらいしかロクに聞き取れなかった。何か一生懸命訴えているようだけど、そのほとんどは赤ちゃん語だったからだ。
「こんにちは」は「とんちや」にしか聞こえないし、「ハヤト」は何回教えてもニコニコしているだけで、一度も言えなかった。
 
喜んでいると思ったら、「いや!」と全力で拒否されて殴られもしたけど、次に何をして欲しいのかは観察していればなんとなくわかった。
 
「……若いのに子供と遊ぶの上手ですね」
 
奥さんの方が、片手で女の子を抱いている俺を不思議そうな顔で見ていた。
 
「甥も姪も二人ずついて、よく遊んでたので……まあ、こんなにお利口じゃないですけど。とくに甥っ子の方は」
 
「いやー」という叫び声の後に、今は私と遊んでるだろうが!と言わんばかりに腹パンされた。土下座する勢いで奥さんが謝ってくるから、「ダイジョブっすダイジョブっす」と俺の方も焦った。
 
「家にいる時は、もっと暴れん坊で「いや」しか言わなくて大変なのに…今日はずいぶんご機嫌だね。毎日こうだったらいいのになあ」
 
ヘトヘトになりながら奥さんの方がそう言って、俺が抱いている子供の頬を指でつついた。
「かっこいいお兄ちゃんに遊んで貰えて良かったね」と奥さんが尋ねると、「はいっ!」と元気よく返事をしてぎゅっとしがみついてくる。
「パパの方がかっこいいよねー?」と俺が聞くと、女の子は「パッパ!」と嬉しそうな声で叫んだ後、自分の父親を捜すかのようにキョロキョロと周囲を見渡している。
「はーい」と試着室から旦那さんの声が聞こえると、嬉しそうにバタバタと小さな手足が動いた。
 
「こんなにゆっくり服を選べたのは久しぶりです。ありがとう」と若い夫婦はものすごく喜んでくれた。選んでいた服に合いそうな靴と、新作のシャツを勧めたら迷わず買ってくれた。

バイバイと短い両腕を振る女の子を見送った後、自分がどっと疲れているのに気が付いた。
小さな子供と遊んだからということが原因では無くて、ここ数日はずっと疲れている。
大学は休みだしバイトがキツイというわけでもないのにしんどい。というか、気分が落ち込んでいる。ダルイ。今日だってバイトでいろんな人に会っているからなんとかテンションを保っていられる。
 
 
 「ハヤトさあん、ほんと誰にでもベタベタするの好きっすよね。あざとすぎい」
「いや、相手二歳の子供だし……。あざといって何?というか、リョーちゃん見た瞬間すげー泣いてたよね」
「……俺の圧倒的存在感に怯みましたかね」
「赤ん坊なりにこの人ヤベエっていうのを察知したんじゃない。ウケる」
 
 ウケる、と言いながらも自分がそれほど笑っていないことに気が付いた。いつもだったらリョーちゃんがキレるくらい笑うというのに、ほんの一瞬ニヤっと笑った後は顔が強張ったようになって、それでそのまま真顔に戻った。
 
 
 
 
 
閉店後にデパートの裏口から外に出た瞬間「ハヤトさん」とリョーちゃんに呼び止められた。「ハ、ヤ、ト、さ、ん」と一音一音区切った言い方は、子供が近所の友達を「遊びましょー」と誘う時みたいな、楽し気で明るい響きがあった。
 
「……先に帰ったと思ってた。ビックリしたあ」
「ハヤトさん、なんだか元気がないからここでずっと待ってたんすよ」
 
独特な残り香がした。どう考えても側にある喫煙所でタバコを吸っている時にたまたま俺が出てくるのを見かけたから声をかけたとしか思えなかったけど、一応「えっ?そう?ありがとー」とお礼は言っておいた。
 
「……なんかありました?」
「いや、何も?」
「……さては、彼女と別れました?」
「………………別れてないよ」
「あー、わかった。「ハヤトになんかもう会いたくない!」とか言われたんでしょ?」
「えっ!」
 
ほんの一瞬驚いたのをリョーちゃんが見逃すはずもなく、その後はどう誤魔化そうと無駄だった。俺が落ち込んでいる理由も、俺とリョーちゃんの言う「彼女」との間に何があったのかも、何でもお見通しだ、とでも言うように何度も深く頷かれた。
 
「はいはいはい…。まったく、どうせそんなことだろうと思いましたよ。ハヤトさんってば、どうせ電話もラインも全シカトされてるんでしょ?あーあ、かわいそうに…」
「……なんでわかんの?」
「……どうやったら返事してもらえるか知りたいっすか?」
「え……?そんなことまでわかんの?」
「まー、俺からすればね、楽勝ですよ。俺はそのままフェードアウトして全力で逃げることをオススメしますけど、ハヤトさんがよっぽど入れ込んでるみたいなんで、もう一発最後に抱かせてやろうかと思って……。ハヤトさん、俺いいこと思いついたんすけど…」
 
リョーちゃんがニコッと笑った。口角が綺麗に上がっているけど、目は全然細くなったりしない。シフトの交代を頼む時によくする笑い方だった。

「俺んち来ます?……ついでに慰めてあげてもいいっすよ」
「いやいい。本当に遠慮しときます」
「え?なんで?どうかしました?」
「貞操の危機を感じる」
「……ハヤトさん、バカなのに貞操なんて言葉は知ってるんだ。でも、絶対漢字で書けないでしょ?てか、ハヤトさん、俺実家住みだからその辺は大丈夫ですよ」
「ええ……」
「フツーに親いるんで。はい」
 
それでも「急だし」という理由で何度かは断った。けれども、「大丈夫ですって!ほんとに!」とグイグイくるから「わかったよ!しょうがないなあ」と最終的には頷いてしまった。
正直言って一人で家にいると気が滅入るからリョーちゃんといた方がいいのかもしれなかった。「慰めてあげてもいい」という言い方に言葉ではうまく表現できない危機感を感じたけれど、俺はリョーちゃんが好きな美少年ではないからきっと大丈夫だ、と自分を無理やり納得させた。




 
リョーちゃんの実家は電車で30分程離れた場所にあった。駅から15分程歩いたところにある、静かな場所だった。
キレイに舗装された道路、一戸建てや低層マンションが余裕をもって立ち並んでいる。高層マンションやアパートがひしめき合っている都会とは全然違う。「閑静な住宅地」のお手本みたいな所だった。



「……ビバリーヒルズ?」

その中でも一際大きい、オフホワイトで外装がまとめられている高そうな建物がリョーちゃんの家だった。石畳のアプローチや、奥まった目立たない場所に玄関があるところが「いかにも金持ちの家」という雰囲気を醸し出していた。

「こんなど田舎に来てなに言ってんすか。全く」
「え、いや、だってすげーデカイじゃん!家!」
「……地価が安いから家に金かけただけでしょ。たぶん、この変なら一坪千円とかで買えるんじゃないっすか?」
「いやいや、こんな家、普通の工務店じゃ絶対建てれないでしょ…」
 
照れ隠しなのか本気で言っているのかはわからないけれど、リョーちゃんは「ふん」と呆れたように鼻で笑うだけだった。もしかしたら、今まで何人もの友達を家に連れてきて皆同じような反応をするから、もう慣れているのかもしれなかった。

「……ハヤトさん、俺タバコ吸ってから家入るんで、先に行ってて貰えません?鍵開いてるんで」
「え?いやいやいや、無理でしょ、どういうこと?」
「普通にドア開けて入って、二階にある俺の部屋に行ってて欲しいっす。母親いるとは思いますけど、気にしないでいいんで」
「いや、気にするでしょ。俺、初対面だし…」

「本当に大丈夫っすよ」と言ってタバコを吸い始めてしまったので、仕方なく一人で玄関のドアの前に立ちインターフォンを鳴らした。家の中は明かりがついているし、誰かがいるのは明らかだったけど、なんの反応も無かった。

「鍵は開いているから大丈夫」とさっき言われた言葉を信じておそるおそるドアノブに手をかけると普通に開いた。……ビバリーヒルズにも関わらず、信じられないくらいセキュリティがザルだった。

「……こ、こんばんはー」
 
マジで大丈夫なんだろうか、通報されたりしない?とドキドキしていると、奥から女の人がパタパタと歩いてきた。小柄でふくよかで見るからに優しそうだった。

「椋太の友達?」
「えっ、あっ、はい。こんばんは、はじめまして。椋太君の友達の高瀬です」

そうか、外でタバコを吸っているあの人は、ここでは「椋太」なのか、と今更ながらリョーちゃんの本名を思い出していた。
 
「椋太が好きなあの男の子…あのジャニーズの……。あー、ダメ、名前が出てこない。とにかくソックリだね。ヤダー、本人だと思った」
 「ははは……」
「ちょっと食べるもの準備しようね。さあ、入って入って。はー、何か若い人が食べるものあったかなー」
「あっ、全然大丈夫です。おかまいなく」

お母さんについてキッチンまで歩く間に、頭の中でリョーちゃんの顔をよく思い出していた。目の前を歩く女の人とはあまり似ていなかった。強いて言えば、目元がほんの少し似ているくらいで、「この女性からどうしてあの息子が?」と首を捻りたくなる程だった。
 
リョーちゃんの顔はものすごく整っていて濃い。絵の上手い漫画家に「椋太」というキャラクターをデザインさせてそのまま人間にしたような顔と体格と雰囲気を持っている。
私服のセンスは個性的とか独特とかいうのを飛び越え、最早”難解”の域に達していて、性格はあの通りキョーレツだ。

一方のお母さんはこんな豪邸に住んでいるにも関わらず、普通にスーパーでよく見かける女性…うちの母親や友達のお母さんと似たような雰囲気の素朴で庶民的な人だった。
例えるなら、息子が高校生の頃に着ていたジャージをそのまま部屋着にするとか、すっぴんでゴミ出しにいくとか…失礼かもしれないけどそういうことを勝手に思っていた。

「どっから来たの?」「大学は?」「兄弟はいる?」とお母さんは俺にどんどん質問した。母親という生き物は息子の友達に何か質問をするのが好きなんだろうか、と自分の母親やこの間会った先生のお母さんのことを思い出していた。

お母さん自身もよく喋った。お母さんが俺の通ってる大学の近くにある銀行で昔働いていたことや、バブルの時の思い出話、リョーちゃんが小学生の頃に「今日からママって呼ぶのをやめる」と宣言した時の話等、短い時間であらゆる情報が提供された。
マンゴーを剥いてもらってたら、怒った顔でキッチンにリョーちゃんが入ってきた。

「ハヤトさん!俺の話聞いてました?」
「聞いてたけど、マンゴーくれるって言うから……」
「食べないでいいっ!」
「なんで?」
「椋太、あんたご飯食べたの?なんで友達を連れてくるって言わないの?アンタ、言ってくれたらお母さん巻き寿司作ったり天ぷら揚げたりしたのに…」
「いらねえよっ」
 
お母さんの前でリョーちゃんは反抗期の中学生みたいに不貞腐れていた。俺を自室へと引きずっている時に後ろから「マンゴー剥いたら部屋に持っていくからね」と声をかけられた時も「いらねえよ」と不機嫌そうに言うだけだった。
 
「すげーいいお母さんじゃん」
「はあー?どこが?俺がバイオハザードしてる時なんか信じられないくらいウザいっすからね。
てか、ハヤトさん俺の母親にまでベタベタすんのやめてくださいよ、ほんとに。どうせハヤトさんだって自分の母親には冷たくしてるでしょ?」
「自分の母親と友達の母親は別でしょ」
「ちょっと顔がいいからって誰にでもヘラヘラするんじゃないっ!」


 
今日のリョーちゃんはいつも以上に荒れていた。…たぶん、大好きなアイドルがよくわからない女と週刊誌に写真を撮られたことが昼過ぎにネットニュースで流れていたからだ。
「彼女と連絡をとれるようにしてやる」とは言っていたけど、ちゃんと約束は守ってくれるんだろうかと若干不安に思いながらもリョーちゃんの部屋に押し込められた。
 


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