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32.歩いていく
「大昔、本当にここへたくさんの星が降ってきたのかもしれないね。それとも、地球へ落ちるならこの場所がいいって星が思っていたのかな? よくわからないけれど、伝説は本当なんだって思う。だって星が、こんなに近い」
エリオの言葉に頷きながら空を見上げる。遅くまで灯りが消えない港町では星なんてほとんど見えない。昔に比べると観光地となっているとはいっても、星凪島はひっそりとした小さな島だ。夜になると大昔の伝説の名残を感じさせるような星空が広がっていた。
せっかく来たのだからと、夕食の後、星を見にエリオと外へ出た。お腹は空いていたのに、食事の後部屋に戻ることを意識しすぎたせいなのか、実は二人ともそれほどたくさん料理を食べられていない。お互いそれに気が付いていて、「夜中にお腹が空くかも」となんとなく笑った。俺達って単純でわかりやすいよな、ということがおかしくて、それから、このまま進んでいく関係を大切に思う気持ちが隠しきれていないことについて俺は照れ臭くもあった。
手を繋いでぷらぷらと外を歩いてから、防波堤に腰かけて星を眺める。きれい、と純粋に感動する気持ちと、星はずっと近くにあったのだと俺は感じていた。町の明かりで見えなくなっていただけで、本当はずっと地上を照らしていたのだと。
そっと側にいるエリオの横顔を眺める。何もかもに絶望して、希望や祈りといったものを忘れていた時も、エリオのことをずっと思っていたから、心を保っていられた。エリオが好き、という気持ちを失くしていたら、たぶん俺は今とは全く違う人間になっていたかもしれない。もっと母のことを憎んでいただろうし、世界中を恨んでいた。遠くに見える星の光を信じて暗い闇の中を歩くように、エリオとの記憶が俺を導いていた。
「なあ」
「うん?」
「……なんで、俺が女のふりをしていたことについてエリオは何も聞かない? 普通、変に思うだろ」
しげしげとエリオは俺の顔を見つめてから、小さく首を傾げた。
クレアなんだよね? と問いかけてきたあの日。エリオはすでに俺についての何もかもを受け入れていた。俺自身でさえも蓋をして隠しておきたい、心の中の暗い部分でさえも全部。
「そりゃあ……何か事情があったのかなっていろいろ考えたよ。いっぱいいろんな記憶を引っ張り出して、それこそ考えなかった日はないくらいに……。クレアのことは女の子だって思っていたから、もしかしたらフィンがクレアなんじゃないかって感じた時にはすごく混乱した」
エリオが黙り込んで、静かな波の音だけが聞こえる。あの頃について話そうと口を開くものの、なかなか話始めることの出来ない俺の肩をエリオが抱いた。
叩かれていたんだ、女の恰好をしていないと母に。そう言葉にすることは出来なくて、無言のまま俺はエリオにしがみついていた。
「どんなことよりも、エリオと離れ離れになったことが俺は何よりも悲しかった。生きていたくないと思うくらいに……」
「うん、俺も。あんなに悲しい別れは、あの時が初めてだったよ……どれだけ考えたって、きっと俺はフィンの気持ちのほとんどをわからないままでいるのだろうけど……。フィンが一生懸命生きてきたんだってことだけは、ちゃんとわかっていたから。今はそれだけでもフィンの側にいていいんじゃないかなって思うんだ。いつか、何か話したいとフィンが思う時が来るまで……」
それじゃダメかな? と俺の顔を覗き込んでから、エリオが可愛く笑う。本当は、エリオは何もかもをわかっているんじゃないかという気持ちになった。そうじゃないと、こんなに温かい手で俺に触れるわけがない。そうじゃないと、俺の今日までの日々をこんなふうに包み込むわけがない。
もちろん家の中で俺が母に何をされていたかなんてエリオにわかるはずがない。でも、「いろんな記憶を引っ張り出して」と言った時、惨めで悲しかった子供の頃の記憶は俺一人だけが抱えるものではなくなり、誰かに寄り添ってもらえる出来事になった。
「エリオが好きなんだ。本当に。誰よりもずっと。姿形が変わっても、それだけはずっと変わらな……」
全部を言い終わる前に、頬に手を添えられてエリオから深く口づけられる。幸福でうっとりと目を閉じるというよりは、何かに怯えるような気持ちで俺はぎゅっと目を閉じていた。エリオが好きだ。好きだから、フィンとクレア両方の自分を結び付けて「愛して欲しい」と望むことが怖かった。
母から叩かれながら、女のふりをして生きていたことについて「よしよし、辛かったんだね」と言って欲しいわけではなかった。ただ、子供の頃にずっと女だと言ってエリオを騙していたことについて、俺自身も上手く気持ちを処理出来ないでいる。気持ちは通じ合っているのに、このまま自分という存在をエリオに受け入れてもらっていいのかとフッと迷うことがある。何も話すことは出来ないのに、エリオはそれを知るべきだと思っている。そういう捻じれの中に俺はいた。
「知ってる。だからもう二度と離さない。約束する」
深い口づけの後、エリオは俺のことを黙って抱きしめていた。くっついているのに、不思議と性的な感じはほとんどしなかった。どちらかというと、子供の頃、「裾大丈夫? 足元に気をつけて」と長いドレスにもたついている俺を気遣ってくれた時や、「日陰に座って」と強い日差しから守ろうとしてくれた時に似ていた。
差し出されるものを、あの頃と同じように受け取ってもいいのだとエリオの腕の中で俺は感じていた。変わってしまったものや忘れてしまったことはたくさんある。けれど、母の言葉や暴力で傷ついた心やエリオに女のように大切にされていた日のことだって、消えないし忘れない。でも、それが俺なのだろう。上手く言葉に出来ないようなものをなんとか抱えながら、俺は自分を形作って来た。
「……エリオがいたから俺は今自分がここにいるんだって思う」
「俺も、すごく辛かった時、そんなことを思ったよ。……時々、前の自分に戻りたいって思って、悲しみに負けそうになると、わあーって、心が壊れそうになる。でも、フィンがいたから、俺は俺でいてもいいんだって思えた」
フィンが俺に教えてくれたんだよ、と言うエリオの身体を今度は俺が思いきり抱き締めた。子供の頃よりずいぶん長くなった腕や広くなった肩幅も、今こうしてエリオの身体をすっぽりと包み込むためにそうなったのだと思えた。
あの頃のことはほとんど話せていないけれど……、俺の心は少しだけ軽くなっていた。「離さない」と言ってくれたエリオの側に捻じれた心のままでいたいのだと、自分の望みがはっきりとわかったからだろうか。
「戻ろう、フィン」
エリオの言葉に頷いてからゆっくりと立ち上がる。いっそうエリオが大切に感じられたし、自分自身も大切に思われているということに胸がいっぱいだった。
帰り道は砂浜から遠出をしてきたカニを見つけたり、鳴き声だけが聞こえる猫の姿を「どこだ?」と二人で探したり、笑顔の多い時間となった。俺にとってすごく大事な日だ、と歩きながら今日という日を俺は噛みしめていた。実際に記憶をするのは頭の中の仕事なのに、胸の中に大切にしまいこむイメージが浮かんでくる。たぶん、寝る前も何度も思い出して、きっと夜はエリオの夢を見るだろう。そんなことを考えながら部屋へ戻った。
「フィン」
「うん?」
「あの……、身体をきれいにしてきたいから、先にフィンの方からお風呂に入ってきてくれる? 時間がかかるかもしれないから……」
エリオからそう言われて俺はなんと返事をしただろう。もしかしたら「あ」とか「う」とか、意味のない音を発しただけだったのかもしれない。ただ、エリオの言葉を聞いて「誘われている?」と感じて動揺したことだけは確かだったし、「フィンの方がいっぱいいろいろ知っているんだから、さらっと受け流さないとダメでしょう」と真っ赤になって言うエリオもそれを察しているようだった。
「……いいのか」
「そうじゃなかったら、こんなこと言わない。……それに、船に乗ってどこかへ遊びにいこうって誘った時からずっと、そのつもりだったから……」
エリオはああ言っていたけれど、今の俺はほとんど何も知らないに等しい状態だった。ずっと我慢していたし、そのためにエリオと抱き合うことはなるべく想像の中でも禁止していたからだ。
「フィンが俺のことを大切に思ってくれているように、俺もフィンを大切に思っていて、大好きだってちゃんと今夜伝えたい。……いい?」
ぎくしゃくと頷いた後、俺はエリオに指一本触れずに風呂場へ向かった。二人きりの部屋の中で一瞬でも抱き寄せてしまったら、そのまま止められなくなる。それが自分でもわかっていたからだった。
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