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お兄ちゃん
アーシュ様との出会いは、俺がまだほんの小さな子供だった頃まで遡る。
子供の頃、遊び場にしていた川や森で遊んでいるとフラッとやってくる綺麗な男の人がいた。女の人のように美しい顔をしたその人は小さな子供の俺にとても優しくて、薬草や木の実採りといった面白い遊びを俺に教えてくれた。五つになったばかりのチビすけに出来ることなんて限られているのに、「君はいい子だ」といつだって俺のことを褒めてくれる。俺はその人のことをすぐに大好きになって「お兄ちゃん」と呼んだ。
お兄ちゃんは俺が転んでケガをした時や、お腹が痛いと泣いている時には、すぐにその部分に手を当ててくれた。お兄ちゃんの手には不思議な力があって、触れられると痛かったところがすぐによくなってしまう。学校の友達と喧嘩をしたりおやや先生に叱られたりして一人で泣いている時も、お兄ちゃんは俺の側にやって来て「よしよし」と頭を撫でてくれた。内気で泣き虫だった俺はいつだってお兄ちゃんに救われていた。
「お兄ちゃん、ありがとう。あのね、お兄ちゃんが痛い時や悲しい時は、俺が撫でてあげるからね」
お兄ちゃんは大きな目でパチパチと何度か瞬きをした後、「君は珍しい子だな」と不思議そうにしていた。
「俺って、変?」
「……みんな、私から力を……。私の持っているものを分けて貰おうとするばかりだ。私に何かを与えようとしたのは君が初めてだ」
お兄ちゃんの言葉の意味はよくわからなかった。でも、お兄ちゃんの持ち物がみんなに狙われているってことだけはわかったから、俺がお兄ちゃんを絶対守らなきゃ! とその時の俺は本気でそう思っていた。
お兄ちゃんがこの国で誰よりも力のある魔導師だと知ったのは十歳の時だった。
一緒に町を歩いているといろんな大人がペコペコするし、両親からは「絶対に失礼のないように」としつこく言われるから、どうしてなんだろう? と不思議に思っていた。お兄ちゃんのことについては、俺の暮らす家の三軒隣の家に住むおばさんが教えてくれた。「ぼうや、あの人はそりゃあエラーイ魔導師様なんだよ。若くしてあんなり立派な魔導師になるなんて、普通じゃ考えられない。あの人がいるから、魔術というものでこの国がどんどんよくなっていくんだよ」と。
でも、俺にとってお兄ちゃんは、偉いとか偉くないとか、そんなのは関係無しに大好きで大事な人だった。
二人でいると、お兄ちゃんが時々何かを一生懸命祈っていることがあった。そういう時は俺もお兄ちゃんの側で目をつぶってひたすら祈った。
「……シシィ、何をしている?」
「お兄ちゃんこそ。何をお祈りしてるの?」
「べつに何も……。願いたいことがなくても、ただ私が祈るという行為に意味があるからしょうがなくそうしてる」
「へー……。俺はね、お兄ちゃんのことをお祈りしたよ。お兄ちゃんはみんなのためにお祈りをしてるんでしょう? だから、俺はお兄ちゃんの幸せを祈ってるんだ」
「シシィ……」
お兄ちゃんはなぜか綺麗な顔をぐしゃっと歪めてから俺のことをぎゅっと抱き締めた。お母さんが使っている石鹸よりももっと複雑でドキドキするような香りがする。
「私は……、私もシシィのことだけを祈って生きていきたい」
「……むう」
嬉しいけど、たぶんそれは、とっても困ることだ。だってみんな、お兄ちゃんのことを尊敬していてありがたがっている。でも、お兄ちゃんはなんだかとっても悲しそうだ。俺まで泣きたくなってしまう。どうしよう、と悩んでから俺は口を開いた。
「お兄ちゃん、俺、俺だけはずっとお兄ちゃんのことを祈ってるね。だから、大丈夫だよ。お兄ちゃんに願い事が出来たら、その時は俺が叶えてあげるからね」
誰かの願いを叶えられるような不思議な力が自分にないことはわかっていたけど、でも俺は必死だった。スッとお兄ちゃんの身体が離れていく。長い睫毛で縁取られた綺麗な目でお兄ちゃんは俺のことをまじまじと見つめた。
「……シシィ、私にもたった今願いが出来た」
「えっ、ほんとう?」
「ああ。シシィ、私はね、君がもう少し大きくなったら君の何もかもが欲しい。何もかもだ」
「へえ……?」
真剣な顔をしているから何を言うんだろうとドキドキしていた、俺はお兄ちゃんの言葉に思わずニコニコと笑みを浮かべていた。
「なんだあ……。もちろんいいよ。お兄ちゃんの欲しいものはみんなあげる。鶏小屋のニワトリも、大事な絵の具も何もかも。もちろん、大きくなったらお兄ちゃんの役に立てるような仕事をするし、心はいつでもお兄ちゃんの幸せを祈るね」
お兄ちゃんは、酸っぱいものを食べた時のように綺麗な顔を一瞬だけ歪めて、それから真顔になり最後はクククと笑っていた。
「私は一生君にはかなわないな」
もう一度だけ俺をぎゅっと抱き寄せてから「約束だ、シシィ」と言った。思えば、お兄ちゃんに抱き締められたのはこれが最後だったかもしれない。温かくて懐かしい感触が恋しい。こんなことを未だに思っているなんて使用人失格だ。側に置いてもらえるだけで幸せなのに。だから、俺は何も欲しがってはいけないし、望まない。俺の願いは、お兄ちゃん……アーシュ様の幸せだけなのだから。
子供の頃、遊び場にしていた川や森で遊んでいるとフラッとやってくる綺麗な男の人がいた。女の人のように美しい顔をしたその人は小さな子供の俺にとても優しくて、薬草や木の実採りといった面白い遊びを俺に教えてくれた。五つになったばかりのチビすけに出来ることなんて限られているのに、「君はいい子だ」といつだって俺のことを褒めてくれる。俺はその人のことをすぐに大好きになって「お兄ちゃん」と呼んだ。
お兄ちゃんは俺が転んでケガをした時や、お腹が痛いと泣いている時には、すぐにその部分に手を当ててくれた。お兄ちゃんの手には不思議な力があって、触れられると痛かったところがすぐによくなってしまう。学校の友達と喧嘩をしたりおやや先生に叱られたりして一人で泣いている時も、お兄ちゃんは俺の側にやって来て「よしよし」と頭を撫でてくれた。内気で泣き虫だった俺はいつだってお兄ちゃんに救われていた。
「お兄ちゃん、ありがとう。あのね、お兄ちゃんが痛い時や悲しい時は、俺が撫でてあげるからね」
お兄ちゃんは大きな目でパチパチと何度か瞬きをした後、「君は珍しい子だな」と不思議そうにしていた。
「俺って、変?」
「……みんな、私から力を……。私の持っているものを分けて貰おうとするばかりだ。私に何かを与えようとしたのは君が初めてだ」
お兄ちゃんの言葉の意味はよくわからなかった。でも、お兄ちゃんの持ち物がみんなに狙われているってことだけはわかったから、俺がお兄ちゃんを絶対守らなきゃ! とその時の俺は本気でそう思っていた。
お兄ちゃんがこの国で誰よりも力のある魔導師だと知ったのは十歳の時だった。
一緒に町を歩いているといろんな大人がペコペコするし、両親からは「絶対に失礼のないように」としつこく言われるから、どうしてなんだろう? と不思議に思っていた。お兄ちゃんのことについては、俺の暮らす家の三軒隣の家に住むおばさんが教えてくれた。「ぼうや、あの人はそりゃあエラーイ魔導師様なんだよ。若くしてあんなり立派な魔導師になるなんて、普通じゃ考えられない。あの人がいるから、魔術というものでこの国がどんどんよくなっていくんだよ」と。
でも、俺にとってお兄ちゃんは、偉いとか偉くないとか、そんなのは関係無しに大好きで大事な人だった。
二人でいると、お兄ちゃんが時々何かを一生懸命祈っていることがあった。そういう時は俺もお兄ちゃんの側で目をつぶってひたすら祈った。
「……シシィ、何をしている?」
「お兄ちゃんこそ。何をお祈りしてるの?」
「べつに何も……。願いたいことがなくても、ただ私が祈るという行為に意味があるからしょうがなくそうしてる」
「へー……。俺はね、お兄ちゃんのことをお祈りしたよ。お兄ちゃんはみんなのためにお祈りをしてるんでしょう? だから、俺はお兄ちゃんの幸せを祈ってるんだ」
「シシィ……」
お兄ちゃんはなぜか綺麗な顔をぐしゃっと歪めてから俺のことをぎゅっと抱き締めた。お母さんが使っている石鹸よりももっと複雑でドキドキするような香りがする。
「私は……、私もシシィのことだけを祈って生きていきたい」
「……むう」
嬉しいけど、たぶんそれは、とっても困ることだ。だってみんな、お兄ちゃんのことを尊敬していてありがたがっている。でも、お兄ちゃんはなんだかとっても悲しそうだ。俺まで泣きたくなってしまう。どうしよう、と悩んでから俺は口を開いた。
「お兄ちゃん、俺、俺だけはずっとお兄ちゃんのことを祈ってるね。だから、大丈夫だよ。お兄ちゃんに願い事が出来たら、その時は俺が叶えてあげるからね」
誰かの願いを叶えられるような不思議な力が自分にないことはわかっていたけど、でも俺は必死だった。スッとお兄ちゃんの身体が離れていく。長い睫毛で縁取られた綺麗な目でお兄ちゃんは俺のことをまじまじと見つめた。
「……シシィ、私にもたった今願いが出来た」
「えっ、ほんとう?」
「ああ。シシィ、私はね、君がもう少し大きくなったら君の何もかもが欲しい。何もかもだ」
「へえ……?」
真剣な顔をしているから何を言うんだろうとドキドキしていた、俺はお兄ちゃんの言葉に思わずニコニコと笑みを浮かべていた。
「なんだあ……。もちろんいいよ。お兄ちゃんの欲しいものはみんなあげる。鶏小屋のニワトリも、大事な絵の具も何もかも。もちろん、大きくなったらお兄ちゃんの役に立てるような仕事をするし、心はいつでもお兄ちゃんの幸せを祈るね」
お兄ちゃんは、酸っぱいものを食べた時のように綺麗な顔を一瞬だけ歪めて、それから真顔になり最後はクククと笑っていた。
「私は一生君にはかなわないな」
もう一度だけ俺をぎゅっと抱き寄せてから「約束だ、シシィ」と言った。思えば、お兄ちゃんに抱き締められたのはこれが最後だったかもしれない。温かくて懐かしい感触が恋しい。こんなことを未だに思っているなんて使用人失格だ。側に置いてもらえるだけで幸せなのに。だから、俺は何も欲しがってはいけないし、望まない。俺の願いは、お兄ちゃん……アーシュ様の幸せだけなのだから。
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