俺のすべてをアーシュ様へ

サトー

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アーシュ様のため


 両親は一週間の猶予をアーシュ様に許して頂き、俺に簡単な料理と洗濯を教えた。それから、言葉の使い方を直して行儀をよくしないといけないと言って、俺のことを村外れに住んでいる偏屈ですごく怖いお婆さんの家へ通わせた。

「おお、おお。ロクな教育を受けていない顔だね、こりゃ。叩き直すには十年はかかりそうだ」

 腰が曲がっていて、髪が真っ白なお婆さんは、何百年も生きているようにも見えた。お年寄りには優しくしなさい、と両親や学校の先生から教わってきたけど、下手に話しかけたり手助けをしたりしたら怒鳴りつけられそうな、そういう迫力がある。家のあちこちには古い魔導書が積まれている。もしかしたら本当に二百歳とか三百歳なのかもしれなかった。

 学校の先生やアーシュ様と違ってお婆さんはとても厳しかった。まず、自分のことを「俺」と言っただけでも怒られるし、言葉の使い方や歩き方、食事の仕方まで、何度も同じことを練習させられた。少しでも間違えれば何度も手の甲を細い棒でピシャリと思いきり叩かれる。痛くて痛くて、一週間、俺が涙を流さない日はなかった。

 お婆さんは「あんたみたいなノロマな子供は覚えておいた方がいい」と、薬草のことについてもたくさん教えてくれた。アーシュ様が必要としている薬草が村のどこに生えているか、摘んだ後に長期保存をするにはどうすればいいか、といったことだ。この知識はきっと役に立つと思うと、どんなに叩かれたって俺は諦めなかった。きっと、少しだけ強くなれたと思う。

 厳しい訓練の後、アーシュ様のお屋敷の使用人として俺は送り出された。

 お父さんとお母さんは毎日俺に手作りのお弁当を持たせてくれたし、「いつでも正直で素直でいなさい。あなたの心には、お金に代えられないような価値がある。きっと大丈夫」と大切なことを教えてくれた。

 久しぶりにお屋敷へやって来た俺をアーシュ様は温かく迎えてくれた。たくさん迷惑をかけたのに、「シシィ、私は君が側にいてくれれば幸せだ。ああもう他には何もいらない」「この屋敷を自分の家だと思ってくれていい」と、優しい言葉をかけてくれる。

 いつだって俺を大切にしてくれるアーシュ様のために俺は使用人として精一杯働こう。背筋をピッと伸ばしてからアーシュ様に改めてご挨拶をした。

「本日よりお世話になります、シシィと申します。不束者の私ですが、精一杯勤めさせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします」

 使用人として雇われるということは、幼い頃の関係は一切持ち込めないということだ。それを寂しくも感じるけど、アーシュ様の側にいられるなら我慢出来る。いつかきっとアーシュ様も、思いやりではなくて心から俺のことを使えると思ってくれるかもしれない。
 両親やお婆さんとの特訓を経験し、少しだけ自信のついた俺は「頑張ります」という決意を込めてアーシュ様のことをじっと見つめた。お兄ちゃんと呼んで纏わりついていた頃に比べればずっと丁寧に話せるようになっているのに、アーシュ様は俺が挨拶をしている間ずっと無表情だった。そして、「お兄ちゃんに続いて、私はまた大切なものを失ってしまったのか……」と、力のない声で呟いた。

「アーシュ様?」
「……シシィ、私にその堅苦しい喋り方はやめてくれ。昔と同じように話せばそれでいい」
「ですが……」
「シシィ、これは命令だ」

 命令、という強い口調にぎゅっと心臓を直接掴まれたようだった。普段話している言葉を使っていい、と言われているのだからこれはいいことだ。だけど、なんだか寂しい。もう二度とあの頃には戻れない……そうじゃなくて、最初から俺とアーシュ様の間には絶対に埋められない身分の差があったんだ。

「わかり、ました……」

 厳しい訓練を受けてきたため、すぐに言葉遣いを代えるのは難しいことを伝えるとアーシュ様は「少しずつでも構わない」とあっさり許してくれた。それで、俺の言葉遣いは何年経っても、「完璧ではないけど馴れ馴れしすぎるというわけでもない」という中途半端なものになっている。


「おいで、シシィ。手袋を外して私に手を見せなさい」

 いいのか迷ったけど、さっき言われた「命令」という言葉を思い出して慌てて傷だらけの両手をアーシュ様に見せた。

「なんてことだ……。酷い、なんてかわいそうなことを……」

 優しいアーシュ様は俺の手の甲にある真っ赤なみみず腫れに本気で心を痛めているようだった。それから、小さい頃に転んだ時と同じように手をかざして傷を治してくれた。

「申し訳……、えっと、ごめんなさい、アーシュ様。俺なんかのために大切な魔力を使わせてしまって……」
「シシィ。私にとって君は何よりも優先するべき存在だ。だから、どうかそんなことは言わないで。お願いだ」
「はい……」

 アーシュ様の手はすべすべしていて、温かかった。もっと触っていて欲しかったなんて思う俺は、きっとまだまだ一人前の使用人にはなれない。


 使用人としての仕事は魔導師の修行よりもずっと俺に向いていた。魔力はいつまで経っても操ることが出来なかったけど、家事や庭仕事は努力すれば少しずつ上達していく。やることはそれなりにたくさんあるけど、三日働くと一日休みが貰える。

 買い物や薬草採りであまり遠くに言ってはいけないと言われているくらいで、屋敷での過ごし方についてアーシュ様は俺の自由にさせてくれる。「シシィの絵がまた観たい」と言ってくださるから、俺は時々絵を描くことだって出来た。

 アーシュ様はいつも忙しそうにしていて、一日中部屋にこもって何かお祈りをしている時もあるし、お城には三日おきに行かなければならない。だけど、時間を見つけては俺にいろいろなことを話してくれた。「王という生き物は孤独だ」「戦が起こらないようにすることが王の仕事だと言うのに、なぜ魔術に頼らないとそんなこともわからないのか……」と、王室でのことについてボヤいたり、王様の飼っている金の卵を産むニワトリや長靴を履いて城で働く猫等、珍しい生き物のことも教えてくれる。

「金の卵……。それって、茹でたら食べられるんでしょうか?」
「さあ、どうだろうか……。普通は食べないから。シシィも欲しい?」
「えっ! いえいえ、俺は普通のニワトリで充分です……」

 アーシュ様は俺のことを「君は面白いな」と言って笑うけど、俺には金の卵を産まなくなったニワトリが「え? 私が産むんですか? あなたが産んでくださいよ」と王様に言い返したというアーシュ様のお話の方がよっぽど面白かった。
 アーシュ様はいつだって俺に欲しいものがないか気にかけてくれるけど、俺はアーシュ様とお話が出来るだけでも充分すぎるくらいだった。

 俺が使用人として雇われ始めてから数年が経つ頃、アーシュ様は弟子をとり始めた。「本当は弟子なんて一人もいらないんだ」とアーシュ様は言い、王様の命令だから仕方がないないと渋々受け入れているようだった。
 アーシュ様からは目も合わせてはいけない、例え屋敷の出入り口ですれ違っても挨拶はするなと言われているからジーノ以外の人のことは誰も知らない。でも、俺はすごくホッとしていた。俺は何の役にも立てなかったけど、国の試験を受けて選ばれたこの人達は違う。アーシュ様がもっともっと王様にも認めてもらえると思うと嬉しかった。
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