咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

84.人になりたかった人形(リナリア視点)

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 自分が消えると知って、私というものが全てがグチャグチャになってしまったのに、今は清清しく心穏やかで、満ち足りている。
 それは私が何者かという事実よりも、一番知りたかった記憶を、ようやく取り戻せたからなのかもしれない。
 

 全ての記憶を辿り終えると、流れていた景色が止まってしまった。
 輝き続ける日の光と、揺るがない木漏れ日を落とす青々とした木々。
 まるで絵本の中に迷い込んでしまったような世界に、私は恒久的で不変なものになったような気がした。
 誰もいなくなった橋の上、せせらぎが聞こえてきそうな小川を眺めていると、動きのない世界で空気が震えた。それに、私以外の存在がいたことを思い出させる。

「これは間違いなく、貴方の記憶なのですか」

 背後からフォニがどこか腑に落ちないような口調で、私に尋ねてくる。

 むぅ、そっか。
 フォニもいたんだよね。
 
 没入していた一人の世界から抜け出し、小川から視線を外す。手すりから離れ、彼がいた場所を愛おしさを込めて見つめる。
 大切な記憶をフォニと共有したことが口を噤ませるけど、でもこれで確かに私が生きたいと思ってたって証明できたよね。

「……そうだよ。ここでヴァンが、私に言ってくれたの。生きていれば必ず、希望になる人が現れるって。だから私は、生きる希望を持ったの。そしてあの人とヴァンを守るって、約束したんだから」

 私は自分の繭の中でも分かっていた、いつか消えてしまう日が来ると。
 その宿命を受け入れていたからこそ口を開かず、感情を持たない人形のようにしてただ世界を眺めていた……でもどこかで本当は、私として生きていたいと願っていたと思う。
 
 その道を、ヴァンが示してくれた。
 そう私の希望に、彼がなってくれたの。

 記憶を失っても貴方にもう一度会いたいと、その思いだけはずっと消えずに残っていた。
 約束を果たすために、そして貴方の優しさに触れたあの時から私は、恋心を抱いていたのかもしれない。
 なんて甘い思いが胸にふわふわと漂うが、フォニのうんざりしたようなため息に吹き飛ばされる。
 振り向くと、頭が痛いといったように首を振っているので、顔をしかめる。

「なに」
「貴方はただ、お兄さんを守りたいだけなのだと僕は思っていましたが、特別な感情まで抱かされているのですか」
「特別?」
「好ているのですか」
「なっななっ!」

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
 好き、大好きだけど、なんで、フォニとそんな話しないといけないの。

「なんで貴方に、そんなことを話さないといけないの」
「複雑に絡まった陰謀の結果なのでしょうが、偽りだとしても貴方が、お兄さんに好意を寄せていることを父さんが知れば、妬ましく思うでしょうね。いえ、逆に憎悪を抱くでしょうか……それとも、喜びですか。お兄さんは、父さんの血が流れていますから」
「ヴァンはヴァンだよっ! 勝手に悪魔と一緒にしないでっ! それに、私が生きたいと思う希望をくれたのは誰でもない、彼なんだから。あと、偽りって言わないで」
「ふふ」
「なにっ!」
「いえ、貴方自身が確かに生きたいと思えた……そうですか」

 フォニはフードの裾を摘み上げ、空を仰ぎ見る。
 それに夕暮れのような瞳に光が差し込み、まるで朝を迎えるように輝きが宿る。

「僕は、大きな勘違いをしていたのかもしれません」
「ふぅん。やっと分かったの」
「えぇ」

 適当にあしらうような言い方に、モヤモヤする。
 上を見上げながら不敵な笑みをするフォニの意識は、今はここになく、この空の上。
 私も同じ空を見る。
 日の輝きも雲の流れも止まってしまい、輝きだけを残すこの世界に溶けてしまいたい……っ、てそんな呟きが胸の中にポツリと落ちた。

「僕が何故、貴方に真実を話そうと思ったのか分かりますか」

 空へ向けていた顔を戻すと、含みのある笑みをするフォニが私を見ていた。
 相変わらず蟠りをつくるこの笑みは、私を消化不良にさせるけど、確かにそう言われるとなんでだろう。
 フォニの目的は悪魔と同じで、もう一度ルゥレリアに会うこと。
 次悪魔がこの世界に現れ、私を殺しさえすれば結界は解かれ、ルゥレリアはきっとこの世界に現れる。
 だから私が真実を知っても知らなくても、目的を果たす上で関係ない。それは、フォニ自身も言っていた。
 むしろ私が浄化してもらう道を選べば、ルゥレリアに力が戻って、悪魔を倒せるようになってしまうのに……自分を追い詰めることをするフォニの真意は分からない。

 私はこのまま知らなかったら、最後どうしていたのかな。

 悪魔が来て、何も知らずに足掻いて……最後の時私は、何を思っていたのかな。

「……分からないよ。気まぐれ?」
「いいえ、ちょっとした復讐心です」
「ふっ復讐!? なにそれ!」
「貴方にではありませんよ。イラエノへです」
「ミツカゲに……どうして」
「イラエノを、傷つけてやりたかったのです。理由は知りませんが、彼は貴方に真実を話すつもりがなさそうでしたので。意に反したことをすれば彼は、心乱されるかと」
「な、嫌な人っ!」
「これは父さんの思いです。ルゥレリアに仕え、常にそばにいるイラエノのことを、父さんは嫉妬していたのですよ。なにより彼は、ルゥレリアのお気に入りでしたしね」
「え……お、お気に入り?」

 私の半分である神様がミツカゲを気に入っているというのは、生理的嫌悪に似たなんとも複雑な思いになる。
 だって私はミツカゲのことを父親のように思っているから、その表現には言葉が詰まるけど、なんにせよミツカゲは悪くない。

「でも、それはミツカゲは悪くないでしょ。逆恨みで、そんな嫉みを持たないでよ」
「まぁ、そうですね。それとは別に、貴方が不憫に思えたのですよ。何も知らない貴方は、消えてしまう覚悟をつくることができませんが、知っている僕はつくることができます」
「覚悟……貴方にそんな、感情があるの」

 私はフォニに対して、かなり厳しい言葉を放つ。
 だって、フォニのせいでカイトさんは死んじゃって、ヴァンもキルも深く傷ついて、そうやって他の世界の人たちの命もたくさん奪ってきた。
 理由は外道であったけど、真実を知れたことは良かったと思っているけど、だからと言って、いくら会話を交わしてもフォニへ歩み寄ることはできない。
 フォニはフードの裾を一度整えるように触ったあと、黙り込む。食い入るような瞳で下を見出したと思ったら顔を上げ、私に小首を傾げる。

「覚悟というのは、おかしな表現でしたでしょうか。当たり前を受け入れている……そう、思っていましたが」
「そう」
「そして今はマリャを消したあと、貴方が何になるのかを知りたいのです。マリャが消えれば、お兄さんを貴方に守らせようとした縛りが消える。それでも貴方は、お兄さんを守りたいと思えるのか、それとも刃をむけるのか。これは僕個人の疑問です」
「まだ、そんなこと言ってるの? 分かってくれたんじゃないの」
「ルゥレリアは、父を憎んでいます。ならば本来、貴方もお兄さんに対して同じ想いを抱くはずです。貴方が異性に思われるのを、嫌悪するのと同じように」
「……なんでそれを、知ってるの」
「少しマリャから、読み取りました」

 なにそれ!
 もっと他に、知らなきゃいけないことあるんじゃないの。神様を拒絶する特別な力は、分からないのに!

「貴方が特別お兄さんを守ろうとするのは、マリャが都合のいいようにそう思わせているからだと、僕は思わずにいられません」
「今の記憶を見ても、そう思うの? 今の出来事は本当にあったことなんだよ」
「確かに、驚きました。まさかお兄さんと貴方との間に、あのような出来事があったとは。それでも、信じられないのですよ。僕にとって愛は希望ではなく、絶望の始まりなのです。ルゥレリアへの愛が父さんを闇へ堕とし、マリャはお兄さんの為に父さんを裏切った。カルディアは愛する人の為に世界を壊し続け、その愛する者が、元は父さんの封印を解いたのです。愛は必ず破滅を導く」

 カルディア?
 知らない人の名前に、意識が止まる。

「カルディアって、誰?」
「父さんの心臓ですよ」

 幻想の生物を、目の当たりにしたような驚き。
 それほど遠くに感じていた存在に私は触れようと、どこか俯瞰する物言いをしたフォニに尋ねる。

「……心臓は何処にいるの」
「そうですね。いいものを見せてくれたお礼に、少し教えてあげましょうか。カルディアはお兄さんの事をずっと見てます。ずっと、ずっとね」

 底知れない恐怖で、息が止まる。
 血流がめぐり出した体が、また温もりを失い冷たさに指先が震え、私の中で微笑む大好きな彼に黒が纏い出す。

「どういう、こと」
「貴方達には見つけても何もできないでしょうけど、カルディアの居場所について僕が言えるのは、ここまでです」
「フォニっ! カルディアはヴァンの近くにいるの!? その人は、ヴァンに何かしようとしているの!?」
「さぁ、僕にもカルディアの考えていることが、今だに理解できていません。もともと、あの人は父さんとは別ですから」
「別? 悪魔の心臓じゃないの」
「媒体に使っているのですよ。父さんの封印を解いてしまった、世界のある人間を」
「へ……ひ、人……」
「えぇ」

 平然と返事をするフォニに対して、怒りをぶつけることすらできない、この身の毛のよだつグロテスクな悍ましさは、以前にも感じた事がある。それは瘴魔しょうまが、他の世界の人たちの成れの果てだと知った時。その人の命を奪うだけでなく、尊厳を踏み躙り、骸を弄ぶ非道な行いは、私にどろどろとした黒い感情を抱かせる。

「どうして、そんな酷いことをするのっ」
「個を持たれ、扱えなくなると困るからですよ」
「意味が、分からないよ。もともと人だったなら、その人にも人格があったでしょ。その人が自分を殺したら、悪魔も死ぬんだよね」
「それは、さっき僕が言ったことを思い出して下さい」

 さっき?
 なんだっけ?
 えぇと、確かカルディアは、愛する人のために世界を壊しているって言っていたかな。ならこの蹂躙行為は全て、愛する人のためだっていうの?

「悪魔はその人に、何をしたの」
「父さんは愛というものを、妄信しています。それは自身がそうだからなのでしょう。ですから、カルディアの大切なモノを父さんは、手にし続けているのです」
「人質をとってるってことなの!? 最低だよっ! 卑怯者っ! 悪魔っ!」
「とは言ってもカルディアは従順ではありませんから、頭を悩まされることも多々あります。そして、僕のようなものが現れたということは、父さんの畏れは杞憂ではなかった……そんなことよりも、貴方はどうしますか? 何を愛するかで、貴方の選択もきっと決まります」

 ピクピクと顔を引き攣らせながら、涼しい顔をしているフォニを見る。私の渾身の悪口は、フォニにはちっとも効いていない。

 いいよっもう!
 もともと卑劣な悪魔と、まともに話ができるとは思ってないからねっ!
 
 真っ直ぐに私を見据える、フォニの目を見返す。

「貴方に言われなくても、私の選択は決まってる」
 
 初めから分かっていたのだから、エリン様に浄化してもらい、ルゥレリアと一つになる以外他に選択肢なんてないのに……愛という言葉に、未練がましくヴァンのことを思い出してしまう。
 だから考えるのはやめて、違う話をしよう。

「私のことばかり聞くけど、結局貴方は何がしたいの」
「僕は……貴方にきっと、答えを見せて欲しいのです」
「私が、貴方に? なんの答え?」

 フォニは、空の声で笑った。それはまさに自分でも何を言っているのか、といった思いを感じたのは不可解。

「僕は父さんの声。父さん自身を分けた、一つに過ぎません。それは、ルゥレリアが魂を分けた貴方も同じ。そして、貴方の中にはマリャもいる。本当の自分が何か、今貴方には分かりますか」
「……」

 異性の目も世界に焦がれた夢も、もしかしたら私の半分であるルゥレリアの影響を、受けているのかもしれない。
 でも私はこの世界が好きだし、ヴァンを守りたいって、彼が好きと言う思いは、間違いなく私のものだって言える。

「例えルゥレリアの片割れでも、マリャが私の中にいても私は、私だって言える」
「そこまで迷いがないなんて……少し、羨ましいです。やはり貴方は、強い人だ」

 そう言ってフォニは、眉を下げながら胸元のネズミの絵を見つめ、そこを包むように握る。

「僕は、この服を与えてくれた人に、まだ答えることができない」
「えっ!? その服、もらったの?」
「えぇ、そうですよ。貴方はこれを略奪したか盗んだと思っていたでしょうが、これは紛れもなく僕の物です」

 そうなんだ。この服、もらったんだ。
 その人はなんで、フォニに……でも、ならあの時私は、酷いことを言ったんだね。
 だから、あんなに悲しそうにしたの。
 
「……そう」
「これを羽織ると僕個人が存在するような、そんな不思議な気持ちになります。彼は僕に、自分というものを死ぬ前に示してくれた。だから、僕も消える前に示したい……勝手ですが、それがせめてものお礼にしたいのです」
「フォニ……」

 何を言ってるの……って、言いたかった。
 なのに喉元が蓋をされたように閉じられ、出したい言葉が奥で重く沈澱してしまうのは、やっぱりその哀愁を纏う瞳が私に重なるから。
 
 やっぱりフォニにとってこのオレンジの服は、私のお守りと同じなんだね。
 
 フォニは歩き出す。
 私はついてはいかず、橋を降り川路まで歩いていくのを視線で追っていく。
 水たまりに足をつけるように立ち止まり、振り返りかえったフォニは、両手をオレンジの服のポケットに入れて私に微笑む。
 その笑みはこの空のようで、ちくりと走った胸の痛みに自然と眉間を寄せてしまう。
 
「貴方は僕と同じ、最後消える運命です。それでも、貴方自身が悔いのない幕下ろしを選べる事を、願ってます。貴方が最後、笑えるように」

 まるで雷にでも打たれた衝撃に、唖然としてしまう。
 
 笑う……そんなこと、考えてもみなかったよ。
 
 消えてしまうのに私は最後、笑うことができるかなと想像して無理だと首を振らせたのは、やっぱり一つの心の残りがそうさせた。
 落胆の色を見せる目で、フォニは胸の息を全て吐くような深いため息をする。
 ななな、そんなに呆れられてもしょうがないでしょっ!不服、不服だよっ!
 私の異議が届いたのか、フォニは苦笑し肩をすくめる。そして、記憶を思い起こすような遠い目に空を映す。

「父さんがルゥレリアに、花を贈った話を覚えていますか」
「えっ……うん。リナリアの花でしょ」
「あの時、あの人は受け取った花を見て、とても美しく笑ったのです。それがずっと、父さんの心に残り続けている。だから父さんはもう一度、花のように笑ったあの人に会いたいだけ、なんだと思います」
「なら争いなんてやめて、お互い」
「もう、全てが手遅れです。世界を壊し、神の力と人間の命を喰らい続けてきた父さんは、壊れてしまっている。それは、カルディアも同様。たくさんの人格を吸収し、その人間のように振舞ってきたあの人も、壊れてしまった。ただ今この話をしたのは、貴方だけは笑っていて欲しいと、これを着た僕が思ったのです」
「そんなの……なら貴方は、笑えるの」
「ふふ、確かに、どうでしょうかね。では、そろそろ行きます。貴方の最後を、見届けることができると良いですが」
「えっ?」

 フォニの体に突然黒が覆い出し、曖昧に見えていた体が、更に脆くなる。
 もう会うことはないって思った瞬間、これだけは伝えないといけないと何故か思った。

「待ってフォニっ! 貴方はルゥレリアは、悪魔になった神様を恨んでいるって言ってたけど、でも私はさっきの記憶で矢を放った時……わざと、外したの」

 フォニは初めて、驚いた表情をした。
 それは本当に人らしい素直なものだったから、私も目を開いてしまう。
 確かめるように瞼を落とし、柔らかく口角を上げ、闇に包まれ霧散する前にそうですか、っと言ったのが聞こえた。
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