咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

88.それでも貴方に会いたかった③(リナリア視点)

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 木の根本で座り込み、地へ垂れ落とした手元を虚に見ていた。

 なんだかすごく、疲れたな。
 
 思い返せば、怒涛の日々だった。
 数日前の私はまさかこんなことになるなんて、思いもしていなかったよ。
 
 自分が神様の片割れで、もう時期に消える運命だなんて。
 
 それでも知らなかった真実の中に彼との大切な思い出があって、それが私の覚悟を決めさせた。
 だからみんなの心に綺麗に残り続けられるようにお別れをしようと思ったのに、別れを告げるたびに心がすり減っていく。
 大切な人を守りたくて、救いたかっただけなのに、私いなくなっちゃうのに、どうしてこんな……はは、また笑っちゃった……もう、嫌だよ。
 自分の傷を塞ぐような笑みは随分と上手くなった代わりに、いつもどうやって笑っていたかは忘れてしまった。
 
 くぐもった雷鳴が、空から降ってきた。
 晴れていたはずなのにどうしてと、泥水に浸かっているような頭を上げると、いつの間にか辺りが薄暗く、枝葉の陰から見上げた空は低く垂れ込んだ雲に覆われていた。
 灰色の雲の中に、閃光が走る。
 じめっとした土の匂いが漂い、ポツポツと葉に水滴が落ちる音がし出すと、ざぁっと急に土砂降りになる。
 酷い雨。
 そして、なんて悲しい雨なんだろう。
 これは、ただの雨じゃない。
 一つ雫が頬に落ち、流れ、それを指で掬い見つめる。

「ミツカゲ……泣いてるの」

 ずっと一緒にいたから、分かるよ。
 でも、どうしてこんなに泣いているの。
 また……私のせいなのかな。

「泣かないで……私は大丈夫だから。いつかきっと、貴方も本当に笑える日が来るよ」

 何もできない私は、重い体を幹に預け降り続ける雨を眺めていた。大丈夫、大丈夫だよっ、と祈るように、どこにいるか分からないミツカゲに声をかけながら。
 
 その慰めが届いたのか、しばらくして雨は止んだ。
 安堵と心痛が混濁する心中で、光を透けさせ始めるこの雲の下にいる貴方を憂う。

 ヴァン、雨に濡れなかったかな。

 彼もそろそろ、着くかもしれない。
 花畑へと戻ろうと虚弱な体を起こすと不意に目の前に広がる光景に心奪われ、そこへ誘われるように木の傘から出る。
 湖のような、水たまり。
 こんなことしてる場合じゃないんだけどな、でももう一度だけしてみたい。
 私は泥の道へ一歩足を踏み出し、そのまま駆けそこめがけて躊躇わず飛んだ。
 飛んだ。
 飛んだ。
 飛んだ。
 跳ねる水が面白くて、あの時みたいに泥だらけになってしまったけど、そう、生きてるって感じたの。
 全部無くなって、心もぼろぼろだけど、それでも私はまだ生きているんだ。
 痛いのは生きているからだと、ヴァンに言った。
 痛いよ、すごく胸が痛いよ。
 本当に守りたかった大切な人を傷つけてしまって、そして誰も私に希望を抱いてくれなかった。
 素晴らしい決断だって、誰かそう言って背を押してくれれば楽だったのに、みんな優しい人ばかりで、自分のことよりも私のことを考えてくれた。
 それがね、余計に辛くて、悲しいことはお腹いっぱいで、疲れたよ。
 でももう全部、終わるから。
 
 そうしたらこの苦しみからも、解放されるのかな。
 
 一段と高く飛び、両足を入れた水たまりの泥は大きな水音を立て、跳ねた飛沫が頬を掠めた。踊らしていた足を止め見下ろした水面は大きく揺れ、濁った水は私を映さない。

 同じことをしても、もうあの時とは違うんだね。

 細波のように押し寄せた虚しさが、私にそれ以上跳ぶことをやめさせ、頬についた泥を拭いながら再び森の中へと入る。
 相変わらず嬉々とするような森の中、なんとなく少し散歩しようと思った。
 ジュンちゃんとダイヤと遊んだことや、トワがここには精霊の王が住んでいるからあまり奥へ行っていけないよ、って言われたことを思い出しながら、遠回りをして花畑へ戻る。
 さっき見た時とは違ってキラキラとして見えるのは、水滴のせいかな。
 のたのたと、白い花の群生の真ん中へ進む。
 足が重い、歩いたせいなのかどっと疲れた。
 私はその場に、倒れ込む。
 ぐっしょりと濡れた地面は、じんわりと服を侵食し、肌に不快感を与える。
 冷たいな……でもいいや。
 こうなれば、とことん濡れちゃえ。
 私は風邪を引かないもんね。
 それは、やっぱり人ではなかったからなのかな。
 今の自分の姿は分からないけど、きっと酷い格好。ルゥレリアは泥だらけの私を見たら、びっくりするかな?それで、こんな汚い奴とは一緒になれないからやめるっ!……なんて、そんなことはないね。

 
 仰向けになり、変わり出す空を空っぽの頭で眺め続ける。
 あぁ、少しずつ青空が戻って来た。
 濃厚な緑の匂いを含む温潤な空気の底に沈澱し、そのまま溶けてしまうような居心地。
 睡魔は訪れないはず……でも、なんだろう今なら眠れそうな気がする。
 平常な状態なら眠くならないはずってフォニが言ってたから、今の私は平常じゃないのかな。
 そうだね、笑い方を忘れた私はもう壊れてる。
 雲の切れ間から刺した光が、疲れ切った顔を照らし、そのまま誰かに抱かれるような温もりに身を任せ瞼を閉じる。
 それを合図に、ふわりと誰かの気配が降りてきた。
 すぐに目を開ける。
 顔を傾けた視線の先、白と黒の調和を保つ人影。

「……マリャ」

 私を見守るように少し離れたところで、白いワンピースを纏ったマリャが朧げな姿で立っていた。それに、不思議と驚きも恐ろしさもなく、ただ懐かしさだけが込み上げる。
 あの時と、貴方は少しも変わらないね。
 彫刻のように整おった美しい顔と、分けた前髪から見える陶器のような白い肌は、触れれば壊れてしまいそう。
 彼と同じ月のような黄金の瞳は、まるで闇の中一人浮いているように寂しげで、切ない影が見えた。
 その目を瞼で覆い、腰まで伸びた夜を滴らせたような黒の髪を揺らしながら、首を横に振る。
 何をダメって言ってるの、消えること?
 ヴァンのことが、心配なんだね。
 でも、大丈夫。
 ルゥレリアと一つになっても、ヴァンのことは必ず守るから。私もね、絶対に守りたいって気持ちは貴方と同じなの。
 約束するから、だから、もうバイバイ。
 あ、そうだ、あとこれだけ。
 貴方は私を利用するつもりで自我を芽生えさせたんだろうけど、おかげで私は私として生きることができたよ。でも、最初からそうさせてくれなかったのも貴方だから、お礼は言わないからね。
 伝わったか分からないけど、言いたいことは全部胸の中で伝えたから、顔を上に向け静かにまた瞼を閉じる。
 
 ……。
 ……。

 うーん、変な感じ。
 何も変わらない。
 こういう時って、ぱっと目が覚めるものじゃないのかな?
 でもぬるま湯に静かに浸るような、穏やかな気持ちは久しぶりな気がする。
 ま、いっか。ミツカゲたちが来るまでこのままでいたい。起こしてくれたら、目も覚めるよね。
 消えちゃう時もこんな感じで、眠るようなものだったらいいな。
 そして叶うなら、最後まで貴方を感じていられたらいい。思い出せばいつでも貴方が、私に笑いかけてくれる。それだけで幸せになれて、忘れてしまった笑みも自然とできる気がする。
 
 ――リナリア――

 不意に名を呼ばれる。
 誰が近くにいる気配。
 誰? マリャなの?
 まだ何か用があるなのかな。
 そう、分かった。私の目を覚させないつもりなんだね。
 言っとくけど、何度呼ばれても私は振り向かないし、何を言われてもこの気持ちは揺るがないから。
 だからって、肩を揺さぶらないでよ。

――こんなところで寝ていたら、風邪ひくぞ――

 そんな心配しなくていいって、分かってるでしょ。
 私は風邪をひかない……って、あれ?声が違う気がする。
 朧げな意識のまま、重たい瞼を開ける。
 さっきよりも少し雲が流れた空、そしてすぐそばで私を見下ろす黄金の瞳と、艶やかな黒い髪が目に映った。
 あぁ、やっぱりマリャ……ううん、よく似ているけど違うね。
 
 そう、貴方だったの。

「……また、変な夢」

 夢なんだろうけど、どうして今、私の目の前に現れるの。
 貴方のことを、思い出していたから?
 それとも。

「なんで貴方の夢を見るのかな。やっぱり会えば良かったって後悔してるのかな」

 ううん、そうだけど、これはそうじゃない。
 マリャは今度ヴァンを使って、私を引き止めさせようとしてきたんだ。流石ずっと一緒にいただけによく分かっている。だって私を見る貴方に心が揺れ、マリャの計略に落とされそうになる。

 本当はね、もう一度会いたかった。
 すごく、会いたかったよ。
 これからだって、貴方が道に迷う時はそばにいたかったのに。
 それも、もう……。

「もう遅いのに。でも、夢ならいいよね?」

 マリャの仕業なんだろうけど、これはもういっそご褒美としてもらっておこう。
 だって私、頑張ったよね。
 壊れた私を更に自分で踏みつけて、頑張ったよね。
 抗うことはもう諦めたのに、それでも貴方を見ると私を取り戻すような喜びが満ちる。

 やっぱり貴方は、私の希望だよ。
 
 その思いを乗せ冷たそうな頬に、手を添える。
 ふふ、ほっぺ触っちゃった。
 現実だったら、こんなことしたら怒られるから絶対にできない。
 丸い目をしてヴァンは、私を見つめてくれる。
 本当に綺麗な瞳。
 私のことを見てくれることはないって思ってたけど、今は私だけを見てくれる。
 嬉しいな、マリャの幻想でも貴方に会えたよね。
 あ、何か喋ってくれる。
 なんて言ってくれるの?

「夢じゃ、ない」
「ふふ、そうなんだ」

 どうせ幻なら好きって言って欲しいなんて、お母さんであるマリャに頼むのは、ちょっと軽率だったかな?
 でも、私は貴方のことが本当に好きだったよ。
 知らなかったでしょ、っと意地悪くほっぺを伸ばしてみる。
 あれ?頬が赤い気がする。
 眉を寄せて口角を線に結び、瞳がちょっと熱っぽい。
 もしかして、照れてるのかな?
 ふふ、無愛想な貴方でもこんな顔するんだね。
 可愛いな、なんて思っていたら、困惑と迷いの色を見せていた目が、急に柔らかくなる。優しく愛しむような視線に、一気に熱を上げてしまう。
 
 へ?私の手を、握ってくれるの?
 
 繊細な指先が、彼の頬に置いている私の手を包み込むように握り、更にすり寄せるように掌に頬を寄せてくれる。
 たまらない幸せに、目頭がじんわりと熱くなる。
 
 あなたの手、お父さんとよく似ているよね。そして、顔はマリャに似てる。
 
 貴方は、二人の愛の証で間違いなく愛されていたよ。
 だからね、私に希望をくれたあの時のこともいつか、思い出してくれたらいいな。
 貴方に会えたから私は……そうか、そうだね。これだけはマリャにお礼を言わないといけないね。
 ヴァンを産んでくれて、ありがとう。
 おかげでね、私は人を好きになることを知れたよ……って、はわわわぁっ、ヴァンの手が私の頬にっ!
 なん、で、ちょっ、ちょっと、マリャったらお礼を言ったから?
 嬉しいけど、いくらなんでも過激すぎる……ん?
 
 これ、本当に夢?

 ヴァンの手を握り返したら、確かにそこにあって温かい。
 緑と土と花の匂いが、呼吸をすれば鼻の奥に広がる。
 背中がじんわりと濡れて、冷たい。
 何より、大好きな貴方の姿がすごく鮮明に見えてるよっ!
 
 んんんんんんっ!?!?

「あれ……夢、じゃないの? 本物、ヴァンなの?」
「あ、その、これは」
「へ? えっ? ……きゃあぁっ!!!!」

 脱兎の如く駆ける。
 重たかったはずの体は雲のように軽く、目についた木の影に滑り込み身を隠し、爆ぜそうなくらい跳ねている胸に手を当て瀕死の息をする。
 
 な、なな!
 なんでヴァンがここにいるの!?
 
 一気に熱が燃え広がる顔と、自然と喜びを表す口元を両手で覆う。
 これから消えちゃうのに、こんなに浮かれちゃって。
 緊張感も何もない。
 本当に、馬鹿。

「その、驚かせて、すまない」

 ヴァンの声に、頭が真っ白になる。
 はわぁぁ、やっぱりそこにいるんだねっ!
 どうしよう、どうしよう、私も何か言わないとっ!

「あ、あのっ!! ご、ごめんなさいっ!! 私、夢かと思って……だからね、あのっ」

 その先の言い訳は、思いつかない。
 夢だからって、こんなことするって思ってるかな?
 思うよね!?
 何を言っても墓穴を掘りそう。
 もう終わり、終わりだよ。
 それにしても、どうしてここにいるのかな?
 ミツカゲ……じゃないよね。
 トワ?ジュンちゃん?それとも、ダイヤ?
 会わないって言ったのに……でも今、誰かを責める気にはなれない。
 だって火が消えていた胸がこんなに弾んじゃちゃって、忘れていた笑みも自然とできて、最も簡単に貴方は私を変えてしまう。
 会えば生きたいと思ってしまうから、貴方と一緒にいたいって、また希望を与えられそうだから会いたくなかった。
 会って分かった。
 それは杞憂じゃなかったって、決心が鈍りそう。
 嬉しくて、嬉しくて、いけないって分かっているのに。
 勇気を出して、覗いてみる。
 おろおろしていた彼も私に気付き、目が合った瞬間限界だと思っていた熱が更に上がる。
 どういう思いで貴方は、私に触れたのかは分からないし、私の気持ちなんて知らないだろうし、伝えることもできないだろうけど。
 
 やっぱり貴方に、会いたかったよ。
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