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右往左往【番外編】
マスク・ド・カフェへようこそ!(後)
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カーン、と鐘の音が響く。新しい客が来たらしい。
「マスター、コーヒー。いつものセット」
「おいっす!少々お待ちを~」
マスターは豆の準備を始める。
その様子を幾久は観察したが、まず豆を袋から出して、カップをはかりにのせてコーヒーをそのカップに入れる。
重さを量り終わったら、それをコーヒーミルに入れ、その間にお湯を沸かし始める。
「一々、豆、ああしてるんですか?」
がらがらとやかましい電動ミルの音の中で、幾久は吉田に尋ねると、そうそう、と教えてくれた。
「おれらの飲んでる無料チケットのは、あのコーヒーメーカーのやつで、買ったら一杯百五十円なんだけどさ、いっくんがサービスしてもらったような手で入れる奴は、ここのマスターいちいち豆を挽くところからやるんだよ。金額も違うし、豆も選べる」
あとマッチョのポーズも、と言われてカウンターを見ると、さっきのようにコーヒーが砕けるまでの間、また何度もポーズを取っている。
「ああ……あれデフォルトなんだ」
「マスター曰く、『サービス』らしいけど、いらんサービスだよな」
「意味わかんないっす」
幾久は言うが、吉田が続ける。
「そのマスターのサービスを目当てに来る客も居るってんだから、世の中ってわかんないよな」
「世の中、広いっすね」
「あと、ここのコーヒー、追加でいろいろ入れられるんだけどさ。ミルクとか、ホイップとか」
言いながら吉田がメニューをめくり、そのなかの一つを指差す。
「プロテイン?」
コーヒーに追加で入れられます!とかあるけど、そんなの入れたら味に影響でないんだろうか。
客に対して、ひとつひとつ豆からコーヒーを入れているというのに、変なことをするマスターだな、と幾久は思った。
客が少しずつ増えて来たので、それを見た高杉が、「ぼちぼち帰るか」と席を立った。
マスターが「まいだりー」と挨拶して、高杉も「おう」と横柄にだが挨拶はする。
最後に幾久が店を出ようとしたら、マスターが「いっくん!」と呼び止める。
なんだろう、と近づくと小さな手提げをひとつ渡された。
「これ?」
「中、鶴の子。気に入ったっしょ?」
にこにこと笑いながらマスターが言う。
「いや、貰えないっす」
首を横に振って、マスターは幾久に言った。
「麗子さんへのお土産だから。ついでに皆も食べたらいい」
「……あざっす」
寮母の麗子さんへのものと言われたら、受け取らないわけにはいかない。幾久はお礼を言う。
マスターが、ちょいちょい、と幾久を近くに呼ぶ。
なんだろうと顔を近づける。
「あのさ、コハルと瑞祥のこと、よろしくな」
「え?」
くしゃっと、マスターは笑ってみせた。
「俺さ、あいつらの兄貴がわりだから。ほら、あいつらって癖あんだろ?」
「ああ……まあ、けっこうひどいっすよね、久坂先輩」
するとマスターは一瞬驚いた顔をした。
「酷い?瑞祥が?」
「違うんすか?」
てっきり、久坂の事を言っているのだと幾久は思い込んでいた。
「いや、てっきりコハルがキッツイかもって思ってたんでなあ」
マスターは意外そうに言う。幾久は答えた。
「確かに、ハル先輩のほうが当たりはキツイっすけど、一番気を使ってくれてます、多分。栄人先輩も、すっごいいろいろやってくれるし」
山縣は余計なことしかしていないが。
「うーん、瑞祥は?」
毛利先生と親友というなら、久坂の事はよく知っているだろうから幾久はしっかりと文句を言った。
「久坂先輩はひでーっす。けっこういじめっ子っす。冗談洒落になんなかったり、変な嘘教えてくるし、ハル先輩と投げとばしあいの喧嘩してたし」
「……!そっかー、そっか、そっか」
急にマスターは頷くと、幾久の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なんすか」
「いつでもおいでね。そだ、これあげとこ」
マスターはなにかごそごそすると、チケットを数枚幾久に渡した。
それは、吉田が持っていたこのカフェの無料チケットだった。
「いや、貰えないッス」
「いやいや、そうじゃなくてさ」
マスターは言う。
「あいつらのさ、寮での様子教えてくんない?ホラ、俺嫌われてるし」
「スパイっすか」
「人聞きの悪い」
「でもスパイっすよね」
「……うーん、まあそうかなあ」
幾久は暫く考えて、カウンターの上に貰ったチケットを置く。
「やっぱいらないっす。そんな事できないっすし、先輩達の寮の様子なら、さっきとあんま変わらないし。スパイする意味ないっすよ」
じゃ、失礼します、とぺこっと頭を下げた幾久に、マスターが言った。
「いっくん!報国では『失礼します』じゃなくて、『ご無礼します』って言うんだぞ!伝統!」
へえ、そうなのか、と幾久は店を出る前に「ご無礼します」と言うとマスターが怒鳴った。
「声がちいさいぞぉ!」
思わず幾久は、店内に怒鳴った。
「ご無礼、しまぁす!」
大きな声に、どうだ、とマスターを見ると、びっくりした顔のお客さんたちの中、マスターはまたあのうさんくさいような笑顔で「合格だ!」と親指を立てていた。
店の少し先にある、歩道と車道の間に据えてあるガードパイプに高杉たちは腰をひっかけて待っていた。
「なんか貰ったの?」
幾久の手提げを見て久坂が尋ねる。
「鶴の子。麗子さんにって」
「なるほど」
じゃ、帰るか、と全員が歩き出す。
暫く歩いて、マスク・ド・カフェから遠ざかって、幾久は久坂と高杉と吉田に言った。
「マスターって面白い人っすね」
高杉が言う。
「あいつは馬鹿なだけじゃ」
ふん、と言い放つ高杉に、うん、確かにちょっと馬鹿かもな、と幾久は考えた。
「マスター、ハル先輩に嫌われてるって落ち込んでましたよ」
「はぁ?あいつのあの態度で好かれるわけねーだろ!」
うん、確かにそれもそう思う、と幾久も判る。
大人気ないし、高杉が嫌がる『コハル』ちゃん呼びをするし、負けず嫌いな高杉に向かって、勝負で勝った自慢をするし。
でも、多分、本当に気になっているのだろう。
「マスター、オレにスパイしろって」
「は?」
「スパイ?」
「どういう意味?」
三人が首をかしげているので、幾久は説明した。
「久坂先輩とハル先輩の様子教えろって」
「あんの馬鹿……っ」
高杉先輩が怒っている。だから暫く進むまで教えるのを待ったのだ。
店の近くでそんなこと告げようものなら、絶対に店に怒鳴り込むだろうと思ったけれど、幾久の予想は当たっていたようだ。
「で、いっくんはそれ引き受けたの?」
久坂がそんな事を尋ねる。こういう所が本当に、久坂は人が悪いと思う。
「引き受けてないし、引き受けてたらこういう事言わないし、言ってても正直に『引き受けました』とかいう訳ないじゃないっすか」
全くもう、癖があるのは久坂の方なのに、と幾久は思うが、久坂は幾久に言う。
「だっていっくん、嘘つかないじゃん」
「……!」
「まあそうだよね、いっくん、すげえ真面目だし」
そう言う吉田に、高杉もまあな、と頷く。
「確かに幾久にゃ、嘘をつくなんて芸当はできんじゃろうな」
「そんな人を馬鹿みたいに」
むっとする幾久に、まあまあ、と久坂が言う。
「いいじゃないの。僕ら、信用してるってことだよ?」
「はいはい、ワカリマシタ」
「うわ、いっくん反抗的」
そういう久坂に幾久は言い返す。
「最初にオレを騙したの、久坂先輩じゃ……」
高杉とホモのふりをして、そのせいでこっちは誤解して、高杉先輩もガチで切れてて。
「……あれ?」
でも最初に幾久を騙したのは、久坂じゃない。
「思い出した。最初は栄人先輩じゃん」
「はい、おれでしたー!」
通学路だと騙して、いつも通う道じゃなく、住宅街とはいえ山の上を通るとんでもない道を『通学路』って騙したのは吉田だった。
「すっかり忘れてた。あれひどいっすよ!」
都会育ちで、そんな山が身近にあるとかいう感性のない幾久にとって、『山越え』なんて聞くだけで嫌になるのに。
「お、そうじゃ。久しぶりに山越えするかの」
高杉が言う。
「ああ、いいね。気分転換に歩く?」
久坂が言う。
「さんせーい!」
吉田が両手を挙げて賛成する。
「えー!嫌ッすよ!」
冗談じゃない、と幾久は反対するが。
「じゃ、多数決!山登って、帰りたい人―!」
ばっ、ばっ、ばっと手が三つ上がり、幾久は両手をしっかり下げていたが。
「はい、じゃあ山からに決定!」
「えー……マジっすか……」
がっくりと幾久はうな垂れるが、多数決に負けてしまっては仕方がない。
「貧弱だなあ。たいしたことないじゃん」
吉田は言うが、幾久は首を横に振る。
「先輩らは慣れてるから、そういう事言えるんす。オレ、ほんっとに嫌っす」
「まあまあ、郷に入りては郷に従え、ってね」
楽しげな久坂に幾久は言い返す。
「先輩達が法律じゃないっすか……」
幼馴染の三人コンボなんて、幾久一人で太刀打ちできる相手じゃない。
「一年一人って、不利っすよ」
「しょうがないじゃん。中期に期待しなよ。ひょっとしたら他の一年生が、御門に引っ越してくるかもよ?」
そうだった。
確かこの学校は、学期毎に成績によってのクラスがえもあるが、寮の移動も希望すれば出来ないこともなかったのだった。
「タマちゃんは絶対に、御門に来たがるだろうしねえ」
「うええ……」
苦手な名前を呼ばれて幾久は嫌な顔をする。
タマちゃんとは、一年鳳の児玉のことで、今は別の寮に入っている。
が、昔から『鳳』『御門寮』の二つに憧れていて、とにかく御門寮に入りたくて仕方なかったらしい。
御門寮は鳳クラスでないと入れないという噂があったのに、鳩クラスの幾久一人が所属しているので逆恨みされているのだ。
「でも、児玉君は桂先輩になついてるし」
桂先輩、とは三年鳳の桂 雪充のことだ。
二年生の終わりまで御門寮に居たのだが、問題児をまとめるのが上手いとかで他の寮に引き抜かれてしまった。
本人は御門に戻りたがっているが、難しいかもしれないらしい。
桂は久坂とはまた違ったタイプのイケメンで優しく、他人をまとめるのが確かに上手い。
高杉と久坂を上手にあしらうというのだから、その手腕は相当なものだ。実際、幾久も桂 雪充には懐いている。桂と一緒の寮がいいなと言って高杉を拗ねさせたくらいには。
「提督でも中期までじゃからのう。三年後期なら、いけるんじゃないのか」
提督、とはこれもこの報国院の独特の肩書きで、寮の『寮長』の意味になる。
本来は『寮長』だったのに、いつの時代からか、そういう呼び名になったらしい。
「ま、ひょっとしたら誰かが来るかもだし、来ないかもだし」
やっとこの面々に慣れはじめたというのに、増えたり減ったりがあるのかな、と幾久は考える。
あの御門寮に誰かが、例えば児玉とかが入ってくるのは想像できない。
どんな風になるのかと無理矢理考えたら、山縣と児玉が喧嘩する様子しか浮かばなかった。
「ガタ先輩と喧嘩しそう……」
自分もそれをやらかしたので、幾久が言うと、吉田が教えてくれた。
「喧嘩しないほうが珍しいよ。つか、ガタと折り合い悪くて出て行った奴もいるしねえ」
「はは、らしいというか」
山縣は面倒くさい性格だし判り難いし自分勝手だが、あれはあれで筋が通っているので別にそこまで嫌いじゃない。
確かに余計なことまで言いすぎる感はあるけれど。
「オレ、嫌いだけどそこまでじゃないっすよ、ガタ先輩」
さんざんな目に合わされたけれど、後からお詫びなのか、PSPのモンハンのレベル上げをしてくれた。
よえーわ、最弱だわ、てめえモンハン舐めてのか、と散々な言われっぷりだったが、結局そこそこまでやってくれていた。
「やっぱ一人っ子同士は、なんか繋がるのかなあ」
久坂が言う。
御門寮の中では一人っ子は幾久と山縣の二人だけらしい。
「あ、でも僕今一人っ子じゃん!仲間!」
久坂の笑えないジョークに吉田が言う。
「やめたげ瑞祥。いっくん固まってんじゃん」
「ほんっと真面目だよね、いっくん」
「本当にな」
「真面目真面目うるさいっすよもう」
はあ、と息を吐きながら幾久が言う。
駄目だ、喋りながら誤魔化していたけどやっぱりこの道はキツイ。
家がたくさんあるけど、ここに住んでいる人たちは本当に毎日ここに帰ったりしているのだろうか。
それとも慣れてしまって鍛えられたのかな。
「うう、さっきプロテイン飲んだほうがよかったのかな」
疲れたあまりそんな事を言い出す幾久に、吉田が「やめなよ高いよ、きなこでいいじゃん」と言い出す。
きなこでもプロテインでもなんでもいい、ほんときつい。
そう考えながら歩き続けていく。
もう景色を見る余裕もなく、やっと山が下りになると幾久はほっとした。
さて、やっと寮に帰り、着替えをすませ、疲れたけどまあいいかあ、とごろんと横になった所で、久坂がぼそっと幾久に告げた。
「いっくん、本当に真面目だよね。そんなに山越え嫌だったら、多数決も何も気にせずに、一人でいつもの道から帰ればよかったのに」
「あ」
今更そんな事を言われて、ほっとしたはずの気持ちが急に悔しくなって、思わずごろごろ転がってしまった。
「やっぱり、スパイ引き受けたらよかった!」
余計な事をするのはやっぱり久坂じゃないか、と思って怒鳴ると、久坂が楽しそうに笑っていて、その様子を見ていた山縣が、一旦部屋から出てきて、おびえてそっと扉を閉じた。
久坂には高杉が拳骨をひとつ入れてくれたので、いつかシュークリームをハル先輩にだけ買って帰ろう、と幾久は決心したのだった。
[マスク・ド・カフェへようこそ!]終わり
「マスター、コーヒー。いつものセット」
「おいっす!少々お待ちを~」
マスターは豆の準備を始める。
その様子を幾久は観察したが、まず豆を袋から出して、カップをはかりにのせてコーヒーをそのカップに入れる。
重さを量り終わったら、それをコーヒーミルに入れ、その間にお湯を沸かし始める。
「一々、豆、ああしてるんですか?」
がらがらとやかましい電動ミルの音の中で、幾久は吉田に尋ねると、そうそう、と教えてくれた。
「おれらの飲んでる無料チケットのは、あのコーヒーメーカーのやつで、買ったら一杯百五十円なんだけどさ、いっくんがサービスしてもらったような手で入れる奴は、ここのマスターいちいち豆を挽くところからやるんだよ。金額も違うし、豆も選べる」
あとマッチョのポーズも、と言われてカウンターを見ると、さっきのようにコーヒーが砕けるまでの間、また何度もポーズを取っている。
「ああ……あれデフォルトなんだ」
「マスター曰く、『サービス』らしいけど、いらんサービスだよな」
「意味わかんないっす」
幾久は言うが、吉田が続ける。
「そのマスターのサービスを目当てに来る客も居るってんだから、世の中ってわかんないよな」
「世の中、広いっすね」
「あと、ここのコーヒー、追加でいろいろ入れられるんだけどさ。ミルクとか、ホイップとか」
言いながら吉田がメニューをめくり、そのなかの一つを指差す。
「プロテイン?」
コーヒーに追加で入れられます!とかあるけど、そんなの入れたら味に影響でないんだろうか。
客に対して、ひとつひとつ豆からコーヒーを入れているというのに、変なことをするマスターだな、と幾久は思った。
客が少しずつ増えて来たので、それを見た高杉が、「ぼちぼち帰るか」と席を立った。
マスターが「まいだりー」と挨拶して、高杉も「おう」と横柄にだが挨拶はする。
最後に幾久が店を出ようとしたら、マスターが「いっくん!」と呼び止める。
なんだろう、と近づくと小さな手提げをひとつ渡された。
「これ?」
「中、鶴の子。気に入ったっしょ?」
にこにこと笑いながらマスターが言う。
「いや、貰えないっす」
首を横に振って、マスターは幾久に言った。
「麗子さんへのお土産だから。ついでに皆も食べたらいい」
「……あざっす」
寮母の麗子さんへのものと言われたら、受け取らないわけにはいかない。幾久はお礼を言う。
マスターが、ちょいちょい、と幾久を近くに呼ぶ。
なんだろうと顔を近づける。
「あのさ、コハルと瑞祥のこと、よろしくな」
「え?」
くしゃっと、マスターは笑ってみせた。
「俺さ、あいつらの兄貴がわりだから。ほら、あいつらって癖あんだろ?」
「ああ……まあ、けっこうひどいっすよね、久坂先輩」
するとマスターは一瞬驚いた顔をした。
「酷い?瑞祥が?」
「違うんすか?」
てっきり、久坂の事を言っているのだと幾久は思い込んでいた。
「いや、てっきりコハルがキッツイかもって思ってたんでなあ」
マスターは意外そうに言う。幾久は答えた。
「確かに、ハル先輩のほうが当たりはキツイっすけど、一番気を使ってくれてます、多分。栄人先輩も、すっごいいろいろやってくれるし」
山縣は余計なことしかしていないが。
「うーん、瑞祥は?」
毛利先生と親友というなら、久坂の事はよく知っているだろうから幾久はしっかりと文句を言った。
「久坂先輩はひでーっす。けっこういじめっ子っす。冗談洒落になんなかったり、変な嘘教えてくるし、ハル先輩と投げとばしあいの喧嘩してたし」
「……!そっかー、そっか、そっか」
急にマスターは頷くと、幾久の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なんすか」
「いつでもおいでね。そだ、これあげとこ」
マスターはなにかごそごそすると、チケットを数枚幾久に渡した。
それは、吉田が持っていたこのカフェの無料チケットだった。
「いや、貰えないッス」
「いやいや、そうじゃなくてさ」
マスターは言う。
「あいつらのさ、寮での様子教えてくんない?ホラ、俺嫌われてるし」
「スパイっすか」
「人聞きの悪い」
「でもスパイっすよね」
「……うーん、まあそうかなあ」
幾久は暫く考えて、カウンターの上に貰ったチケットを置く。
「やっぱいらないっす。そんな事できないっすし、先輩達の寮の様子なら、さっきとあんま変わらないし。スパイする意味ないっすよ」
じゃ、失礼します、とぺこっと頭を下げた幾久に、マスターが言った。
「いっくん!報国では『失礼します』じゃなくて、『ご無礼します』って言うんだぞ!伝統!」
へえ、そうなのか、と幾久は店を出る前に「ご無礼します」と言うとマスターが怒鳴った。
「声がちいさいぞぉ!」
思わず幾久は、店内に怒鳴った。
「ご無礼、しまぁす!」
大きな声に、どうだ、とマスターを見ると、びっくりした顔のお客さんたちの中、マスターはまたあのうさんくさいような笑顔で「合格だ!」と親指を立てていた。
店の少し先にある、歩道と車道の間に据えてあるガードパイプに高杉たちは腰をひっかけて待っていた。
「なんか貰ったの?」
幾久の手提げを見て久坂が尋ねる。
「鶴の子。麗子さんにって」
「なるほど」
じゃ、帰るか、と全員が歩き出す。
暫く歩いて、マスク・ド・カフェから遠ざかって、幾久は久坂と高杉と吉田に言った。
「マスターって面白い人っすね」
高杉が言う。
「あいつは馬鹿なだけじゃ」
ふん、と言い放つ高杉に、うん、確かにちょっと馬鹿かもな、と幾久は考えた。
「マスター、ハル先輩に嫌われてるって落ち込んでましたよ」
「はぁ?あいつのあの態度で好かれるわけねーだろ!」
うん、確かにそれもそう思う、と幾久も判る。
大人気ないし、高杉が嫌がる『コハル』ちゃん呼びをするし、負けず嫌いな高杉に向かって、勝負で勝った自慢をするし。
でも、多分、本当に気になっているのだろう。
「マスター、オレにスパイしろって」
「は?」
「スパイ?」
「どういう意味?」
三人が首をかしげているので、幾久は説明した。
「久坂先輩とハル先輩の様子教えろって」
「あんの馬鹿……っ」
高杉先輩が怒っている。だから暫く進むまで教えるのを待ったのだ。
店の近くでそんなこと告げようものなら、絶対に店に怒鳴り込むだろうと思ったけれど、幾久の予想は当たっていたようだ。
「で、いっくんはそれ引き受けたの?」
久坂がそんな事を尋ねる。こういう所が本当に、久坂は人が悪いと思う。
「引き受けてないし、引き受けてたらこういう事言わないし、言ってても正直に『引き受けました』とかいう訳ないじゃないっすか」
全くもう、癖があるのは久坂の方なのに、と幾久は思うが、久坂は幾久に言う。
「だっていっくん、嘘つかないじゃん」
「……!」
「まあそうだよね、いっくん、すげえ真面目だし」
そう言う吉田に、高杉もまあな、と頷く。
「確かに幾久にゃ、嘘をつくなんて芸当はできんじゃろうな」
「そんな人を馬鹿みたいに」
むっとする幾久に、まあまあ、と久坂が言う。
「いいじゃないの。僕ら、信用してるってことだよ?」
「はいはい、ワカリマシタ」
「うわ、いっくん反抗的」
そういう久坂に幾久は言い返す。
「最初にオレを騙したの、久坂先輩じゃ……」
高杉とホモのふりをして、そのせいでこっちは誤解して、高杉先輩もガチで切れてて。
「……あれ?」
でも最初に幾久を騙したのは、久坂じゃない。
「思い出した。最初は栄人先輩じゃん」
「はい、おれでしたー!」
通学路だと騙して、いつも通う道じゃなく、住宅街とはいえ山の上を通るとんでもない道を『通学路』って騙したのは吉田だった。
「すっかり忘れてた。あれひどいっすよ!」
都会育ちで、そんな山が身近にあるとかいう感性のない幾久にとって、『山越え』なんて聞くだけで嫌になるのに。
「お、そうじゃ。久しぶりに山越えするかの」
高杉が言う。
「ああ、いいね。気分転換に歩く?」
久坂が言う。
「さんせーい!」
吉田が両手を挙げて賛成する。
「えー!嫌ッすよ!」
冗談じゃない、と幾久は反対するが。
「じゃ、多数決!山登って、帰りたい人―!」
ばっ、ばっ、ばっと手が三つ上がり、幾久は両手をしっかり下げていたが。
「はい、じゃあ山からに決定!」
「えー……マジっすか……」
がっくりと幾久はうな垂れるが、多数決に負けてしまっては仕方がない。
「貧弱だなあ。たいしたことないじゃん」
吉田は言うが、幾久は首を横に振る。
「先輩らは慣れてるから、そういう事言えるんす。オレ、ほんっとに嫌っす」
「まあまあ、郷に入りては郷に従え、ってね」
楽しげな久坂に幾久は言い返す。
「先輩達が法律じゃないっすか……」
幼馴染の三人コンボなんて、幾久一人で太刀打ちできる相手じゃない。
「一年一人って、不利っすよ」
「しょうがないじゃん。中期に期待しなよ。ひょっとしたら他の一年生が、御門に引っ越してくるかもよ?」
そうだった。
確かこの学校は、学期毎に成績によってのクラスがえもあるが、寮の移動も希望すれば出来ないこともなかったのだった。
「タマちゃんは絶対に、御門に来たがるだろうしねえ」
「うええ……」
苦手な名前を呼ばれて幾久は嫌な顔をする。
タマちゃんとは、一年鳳の児玉のことで、今は別の寮に入っている。
が、昔から『鳳』『御門寮』の二つに憧れていて、とにかく御門寮に入りたくて仕方なかったらしい。
御門寮は鳳クラスでないと入れないという噂があったのに、鳩クラスの幾久一人が所属しているので逆恨みされているのだ。
「でも、児玉君は桂先輩になついてるし」
桂先輩、とは三年鳳の桂 雪充のことだ。
二年生の終わりまで御門寮に居たのだが、問題児をまとめるのが上手いとかで他の寮に引き抜かれてしまった。
本人は御門に戻りたがっているが、難しいかもしれないらしい。
桂は久坂とはまた違ったタイプのイケメンで優しく、他人をまとめるのが確かに上手い。
高杉と久坂を上手にあしらうというのだから、その手腕は相当なものだ。実際、幾久も桂 雪充には懐いている。桂と一緒の寮がいいなと言って高杉を拗ねさせたくらいには。
「提督でも中期までじゃからのう。三年後期なら、いけるんじゃないのか」
提督、とはこれもこの報国院の独特の肩書きで、寮の『寮長』の意味になる。
本来は『寮長』だったのに、いつの時代からか、そういう呼び名になったらしい。
「ま、ひょっとしたら誰かが来るかもだし、来ないかもだし」
やっとこの面々に慣れはじめたというのに、増えたり減ったりがあるのかな、と幾久は考える。
あの御門寮に誰かが、例えば児玉とかが入ってくるのは想像できない。
どんな風になるのかと無理矢理考えたら、山縣と児玉が喧嘩する様子しか浮かばなかった。
「ガタ先輩と喧嘩しそう……」
自分もそれをやらかしたので、幾久が言うと、吉田が教えてくれた。
「喧嘩しないほうが珍しいよ。つか、ガタと折り合い悪くて出て行った奴もいるしねえ」
「はは、らしいというか」
山縣は面倒くさい性格だし判り難いし自分勝手だが、あれはあれで筋が通っているので別にそこまで嫌いじゃない。
確かに余計なことまで言いすぎる感はあるけれど。
「オレ、嫌いだけどそこまでじゃないっすよ、ガタ先輩」
さんざんな目に合わされたけれど、後からお詫びなのか、PSPのモンハンのレベル上げをしてくれた。
よえーわ、最弱だわ、てめえモンハン舐めてのか、と散々な言われっぷりだったが、結局そこそこまでやってくれていた。
「やっぱ一人っ子同士は、なんか繋がるのかなあ」
久坂が言う。
御門寮の中では一人っ子は幾久と山縣の二人だけらしい。
「あ、でも僕今一人っ子じゃん!仲間!」
久坂の笑えないジョークに吉田が言う。
「やめたげ瑞祥。いっくん固まってんじゃん」
「ほんっと真面目だよね、いっくん」
「本当にな」
「真面目真面目うるさいっすよもう」
はあ、と息を吐きながら幾久が言う。
駄目だ、喋りながら誤魔化していたけどやっぱりこの道はキツイ。
家がたくさんあるけど、ここに住んでいる人たちは本当に毎日ここに帰ったりしているのだろうか。
それとも慣れてしまって鍛えられたのかな。
「うう、さっきプロテイン飲んだほうがよかったのかな」
疲れたあまりそんな事を言い出す幾久に、吉田が「やめなよ高いよ、きなこでいいじゃん」と言い出す。
きなこでもプロテインでもなんでもいい、ほんときつい。
そう考えながら歩き続けていく。
もう景色を見る余裕もなく、やっと山が下りになると幾久はほっとした。
さて、やっと寮に帰り、着替えをすませ、疲れたけどまあいいかあ、とごろんと横になった所で、久坂がぼそっと幾久に告げた。
「いっくん、本当に真面目だよね。そんなに山越え嫌だったら、多数決も何も気にせずに、一人でいつもの道から帰ればよかったのに」
「あ」
今更そんな事を言われて、ほっとしたはずの気持ちが急に悔しくなって、思わずごろごろ転がってしまった。
「やっぱり、スパイ引き受けたらよかった!」
余計な事をするのはやっぱり久坂じゃないか、と思って怒鳴ると、久坂が楽しそうに笑っていて、その様子を見ていた山縣が、一旦部屋から出てきて、おびえてそっと扉を閉じた。
久坂には高杉が拳骨をひとつ入れてくれたので、いつかシュークリームをハル先輩にだけ買って帰ろう、と幾久は決心したのだった。
[マスク・ド・カフェへようこそ!]終わり
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