【海峡の全寮制男子高校】城下町ボーイズライフ【1年生】

川端続子

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【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです

えぐる深さは目に見えず

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 長井は自分がここに居るだけで、久坂や高杉が緊張するのを判っているのだろう。
 幾久に文句を言われ、黙りはしたもののずっと椅子に座ったまま、ときたまにコーヒーを口に運んではスマホを眺めている。
 いつもならにぎやかな食卓が、まるで静かで知らない場所に居るみたいだ。
 こんなに静かだと幾久は嫌な事を思い出す。
 それはほんのひと月前、幾久は高杉に失礼な事を言ってしまい、久坂を怒らせてしまった。
 高杉はなんでもできるんだから、御堀をもっと甘やかせと。
 それは幾久の身勝手と我儘で、高杉も久坂も傷つけた。
 なぜそんな事になってしまったか、あの時は全く判らなかったけれど、今はそれが嫌と言うほど判る。
 あの時の食卓もこんな風だった。
 全員が押し黙り、静かに食事を口に運んだ。
 おいしいはずの夕食の味を、幾久はちっとも覚えていない。
 まるで食べられるレプリカ商品を口に運んでいる気分だった。
 今はそこまではないにしても、おいしくないのは間違いない。
(災難だなー)
 前もって毛利と三吉に頼まれたとはいえ、正直もうギブアップしたい。
 長井の無礼さがどうこうというより、久坂と高杉の空気が悪すぎる。
 自分が悪いなら仕方がないと思えるが、全く幾久に原因がないのにこの空気はとばっちりだ。
 おかわりをする気にもなれず箸を置くと、児玉も同じらしい。
 よそわれた分は食べたものの、おかわりもせずに箸を置く。
 いつもなら食事が終わった人からごちそうさまをして、誰かコーヒー飲むか、とかお茶入れようか、お菓子食べようか話しはじめるのに、全員がまるで学校の給食みたいに食べ終わりのを待っている。
 最後に箸を置いたのはのんびりマイペースで食事をしていた山縣だった。
 いつもなら勝手にするはずの山縣が、判るように箸を箸置きにぱちんと置いて手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
 山縣が言うと全員が手をあわせて、ごちそうさまでした、と声を上げる。
 一体何をやっているのだろうとも思って、互いに困惑した表情で見つめあう。
 幾久は立ち上がるとお茶の支度を始めた。
「先輩ら、お茶でいいっすか」
 幾久の言葉にほっとしたように、栄人も「おれもやるよ」と立ち上がる。
 動き始めるといつもの空気が流れだして、児玉も茶碗を下げて洗い始める。
 少しほっとした所で長井が口を開いた。
「俺にもコーヒー」
「自分でやってください」
 幾久が言うと、長井は言った。
「そのくらい入れろよ。後輩だろ」
「そのくらいの事で後輩の手を煩わせないで欲しいんすけど」
 幾久が言うと長井は舌打ちし、立ち上がるとコーヒーメーカーのケースを乱暴に引き明け、わざとらしく大きな音を立てながら残っていた豆を捨てた。
 ばしゃん!がしゃん!とまるで構ってくれと言わんばかりの行為に皆が眉を顰めた。
 幾久はだんだんムカつきがひどくなってきた。
 長井は「あーあ」と言いながら豆をはかりもせず、適当にぶっこんで流し込む。
 あんな乱暴な扱いではコーヒーメーカーがすぐ壊れてしまうと栄人は何か言いたげだが、幾久は無視を決め込んでいる。
 幾久は妙に冷静だった。
 なぜかは判らないが、長井の態度にむかつきながらも、自分にダメージはないと思っていて、実際全く何も感じなかった。
 正直に言うならば長井のようなタイプは苦手だし好きじゃないのに、幾久には余裕めいたものすらあった。
 絶対に長井に勝てるという、確信みたいなものだ。
(なんでだろ)
 長井は豆の分量すら見ないで操作も適当にコーヒーを入れている。
 あんなのじゃおいしいコーヒーも飲めないだろうし、そんな風にするならインスタントにしておけばいいのに。
 わざとらしく音を立てる長井に対し、久坂も高杉も嫌そうな顔だ。
(そりゃそうだよな)
 頭の良い久坂や高杉にとって、長井のようなわざとらしく、あからさまに他人に嫌がらせのアピールをするタイプは意味不明で苦手だろう。
 どすんっと席について、長井は言った。
「お前ら、まだ杉松のことでぴーぴー泣いてんのか?おにーちゃーんって」
 久坂と高杉の指がぴくりと動いた。
 こんなバカげた煽りで二人は傷ついたりはしないだろう。
 そんなのは同じ寮の自分たちがよく知っている。
 久坂も高杉も黙っていると、長井は続けた。
「ま、お前らは楽でいいよな。死んでくれりゃ、生命保険も入って余裕の勝組み人生だろ?働かなくてもいいってことだ。そういやジジーもすぐ死んだらしいな。がっぽりじゃん。笑い止まんねーだろ」
「黙れ」
 久坂が唸った。
 長井は嬉しそうに久坂に向かてにたりと笑った。
「なに?図星突かれて傷ついちゃった?いいじゃん、お前どうせ親もいねーんだろ?好き放題、やりたい放題じゃねーかよ。規制もなんもねー、管理もされない自由ってうらやましいなあ」
「黙れ、ちゅうたんが聞こえんかったんか」
 高杉が言う。
「もうエエ年の大人じゃろう。恥ずかしいと思わんのか」
 高杉が言うと長井はげらげら声を上げて爆笑した。
「恥ずかしい?うわー、かっこいいねえ、さすが久坂くんたちはいう事が違うねえ!俺は恥ずかしくもなーんともないよ?だって財産なんか貰ってないし、お前らの言ういい年の大人なんで?自分で稼いできてるし?家族の命売った金でゆうゆう遊んで暮らしているわけじゃないしねー」
 児玉が拳を握りしめている。
 幾久はさっと児玉の前に立って、こそっと小さな声で囁いた。
『タマ、絶対に手を出すなよ』
『でも幾久』
 幾久は児玉の手をそっと握った。
『いいから。オレがなんとかする』
 幾久の言葉に児玉は驚いたものの、頷いて一歩後ろへ下がった。
 長井は高校生相手のせいか、饒舌にべらべらと喋り続けた。
「どんなに気取ってよーが、良い奴だろーが、死んじまったもんはどーにもなんねえよ。可愛そうな弟気取ったって、そんな悲しんでもねーじゃんお前。ちょっと花買って拝んで、わーんお兄ちゃーんって言ってりゃカワイソウカワイソウって可愛がって貰えるちょろい人生じゃん、本当はそんな悲しくもねーなら、無理して兄貴の真似することねーじゃん。だっせえピアスなんかしてよー、全然似合ってねーし。あ、そこは兄貴と似てるな!お前らそのピアス、兄弟そろって似合ってねーわ!」
 ぎゃはは、と何がおかしいのか腹を抱えて笑う長井に、久坂と高杉は青ざめて二人とも唇をかみしめている。
 本気で傷つき、決して触れてはならないところを長井がえぐっているのは見れば判る。
 だけどそんな二人を見ながらも、幾久はどこまでも冷静だった。
「先輩って面白いっスね」
 幾久が言うと長井は笑うのを止めて、「はぁ?」と幾久に向かい合った。
「なにがだよ?」
「だっていい大人が高校生にイキリまくてって、頭おかしいとしか思えない」
 幾久が言うと、山縣が「ぶっ」と噴き出した。
 吹出した山縣を、長井が睨みつけた。
「なにがおかしーんだよ」
 山縣はにっこにこ笑って笑顔で答えた。
「だって、あまりにもぼくの後輩が、正しい事を言うのでおかしくて」
 山縣の「ぼく」だの、妙に丁寧な言葉遣いだの、滅多に聞けるものではない。
 山縣の全身からキラキラした効果が透けて見えるようで、幾久はちょっと楽しくて山縣と顔を見合わせた。
 こういう時の山縣は、とても生き生きとしてろくなことを考えていない。
 山縣に何度も酷い目にあわされた幾久はよく知っている。
「先輩、本当に大丈夫ですか?寮に泊まれてうれしいのは判りますけど、IQ下げてまでぼくたちにあわせなくてもいいんですよ?ぼくたち、殆ど鳳クラスですし」
 山縣の言葉尻はとてもはずんでいて、機嫌のいい犬のお尻を見ているみたいだ、と幾久は思った。
 山縣が煽りに来てるのは長井も理解できたのだろう。
 睨みつけて山縣に言った。
「テメー、俺の部屋勝手に使わせて貰ってる分際のくせにエラソーにしてんじゃねえよ」
 しかし山縣も躱してみせた。
「え?だったらすぐに防音じゃなくしてくれます?そもそも寮を出る場合は原状に戻す必要がありますよね?ほったらかしで出て行ったのは先輩の方じゃないですか」
「学校がそのままでいいって言ったんだよ!」
 長井が怒鳴ると山縣が言った。
「へえ、いつの院長の話なんですかね?それ」
 山縣はこういう時、本当に楽しそうだ。
 長井は山縣に言った。
「テメー、防音室がどんだけ高いか知らねーだろ!お前ごときが使えるような部屋じゃねーんだよ!」
「ぼくごとき、ですか。へぇえ、鳳に所属し、現役東大合格をめざし、専属家庭教師は現役理三であるこのぼくごとき、ですか。へぇええぇええ」
 すると長井の動きが面白いくらいに止まってしまう。
(ひょっとして、この人、学歴コンプレックスあんのか?)
 山縣がこうも鳳、東大を繰り返すという事は、それを弱点と知っているからに違いない。
 長井は山縣には勝てないと悟ったのか、再び久坂と高杉に怒鳴った。
「ほんっと、お前らの関係ってろくな奴しかいねーな!そんなんだから兄貴もジジーも死ぬんだろ!ざまーみろだな、罰があたるんだよ!てめーみたいなのにはな!」
 久坂の表情がまるで氷みたいに冷たくなった。
 これは、幾久が失敗したあの時よりももっと酷い。
 高杉も何か言いたげだけれど、久坂の方が気になって仕方がないようだ。
 これは良くない、と幾久は察した。
 いつもの二人の、あの関係がうまく動いていない。
 こんなにも二人の関係が崩れそうになるのは初めてで、怒りより先に、別の感情が幾久の中に湧き上がってきていた。
 どうにかしなくちゃ
 でも、自分が、ではない。
 幾久に出来ることは限られていて、感情のまま動いたってなにも上手くいきやしないことも、自分がやり手でも天才でもないことも知っている。

 ―――――僕を助けてくれる?

 浮かんだ言葉にはっとした。
 あれは御堀の言葉だった。

 幾が地球部を支えてよ

 御堀はそう幾久に訴えた。
 自分が桜柳会に集中するために、幾久には地球部に専念して欲しいと。

(そうだ!助けてもらわなくちゃ!)

 幾久は必死で頭をぐるぐると回した。
 長井がこんな奴だと毛利も三吉も知っていた。
 高杉も久坂もだ。
 それでも対応できないなら、幾久がなんとかしなくちゃならない。
 この寮で、いまこの場所で、ジョーカーに成りえるのは幾久しかいないのだから。
 でも自分じゃなにもできないなら。


 幾久は怒鳴った。

「もういいから、さっさと出て行け!」

 長井は鼻で笑って肩をすくめた。
「だから俺に言うなよ。院長に言えって」
「お前じゃない」
 幾久の言葉に全員が驚く。
「ハル先輩!瑞祥先輩!」
 幾久は、誰も思っていなかった事をふたりに告げた。

「いますぐ荷物まとめて、寮からでてけ」
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