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冒険者の邂逅3 「放すですぅ!!」

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 翌日、ニーナが『サギッタ』に帰るのを見送った後、俺とココアは『ラケルタ』のギルドに向かった。
 最低限除雪が施された古い建物の扉を開けると錆び付いた音を響かせた。

 規模は喫茶店程度の建物で、受付カウンターにギルドの役員の女性が一人いるだけだ。
 その役員も仕事が少ないのか活気が薄く黙々と書類の整理をしていてる。

「人がいないです」

「『ラケルタ』は人口が少ないから『ぺガスス』に駐留している冒険者を呼んでるらしいし、人がいないってことは仕事が無いってことだろうからあんまり選択の余地はなさそうだな」

 俺たちは早速受付に向かった。

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

 彼女は薄く笑みを作って対応している。
 
「新しい宝具の登録。あと新規の冒険者登録したいんだけどここでも出来るのかな?」

「はい。ではこちらの書類にサインしてください」

 役員の女性は新規登録用の書類とペンを出した。
 
「ココア、おたく文字書けんの?」

「もじ? ってなんですか?」

「俺が代筆するわ」

 俺は冒険者ライセンスを提示する。

 ヴェルト連合加盟国は八十八か国あり、公用語はもちろん複数あるが、ヴェルト連合下では“アステル語”が共通言語として採用されている。
 識字率は国によって変わるので文字が書けない冒険者は少なからずいる。
 そういう連中は依頼書に目を通していくうちにアステル語を覚えていくわけだからココアもそのうち文字が書けるようになるだろう。

「書類確認しました。それでは中級冒険者ジャックドー・シーカー様認可の下、ココア様を冒険者として登録致しますのでこちらにココア様の拇印ぼいんをお願いいたします」

 役員の女性は冒険者ライセンスと朱肉を机に出した。
 掌に収まる程のライセンスの端には四角い枠が設けられている。
 首を傾げているココアの手を取って朱肉に親指を押し付けた後、枠内に朱肉で赤く染まった親指の腹を押し付けた。

 くっきりとココアの指紋が刻まれると、その枠が淡い光を出して拇印と共に消えた。

「登録完了致しました。ライセンスは冒険者活動を行う際だけでなく冒険者協会が提供するあらゆるサービスの活用に必要となり、ヴェルト連合加盟国を行き来出来るパスポートになりますので紛失、破損などがないよう充分注意して管理してください。ジャックドー様、紹介者責任としてココア様に冒険者協会規約について指導をお願いします」

「了解っす」

「ではココア様、階級タグは一週間後に出来ますので、申し訳ありませんが少々お待ちください」

「かいきゅうたぐ……ってなんですか?」

「階級タグは冒険者の階級を示すドッグタグだ。ほらこれ」

 俺の首に掛かっている二本の鎖。
 一つはシャーリーから貰った指輪を通したもの。
 もう一つは銀色に輝くネームタグ。
 タグには名前と冒険者識別コード、俺が中級冒険者になった日付が刻印されている。

「冒険者の階級ごとに貰えるネームタグ。下級は銅色、中級が銀色、上級で金色、特級になると黒色のタグが貰える。自分の階級を一眼で分かるようになるメリットがあるぐらいでほぼ記念品みたいなもんだ。売ったらそれなりになるけど、再発行は結構金かかるから、ほとんどの冒険者は大事に持ってる」

 特殊な素材で作られているので市場には出回らず、手に入れるには冒険者になるしかない。
 その為このタグ目当てで冒険者になる人もいる。

「かっこいいです! ココア、それ欲しいです!!」

「一週間後に出来上がるからそれまで待ってな。さ、仕事探すぞ」

 俺のタグを間近で見ようと迫るココアを制止して、受付の横にあるリクエストボードを確認する。

 冒険者が仕事を受けるには主に二つパターンがある。
 一つはリクエストボードに掲示されている依頼書を受付にもっていく方法だ。
 これが一番オーソドックスな受注方法であり、大きなギルドになると大勢の冒険者がリクエストボードの前にごった返して仕事の奪い合いをしている。

 もう一つは役員から直々に依頼を受ける方法だ。
 これは役員が特定の冒険者の為に依頼をリクエストボードに掲示せず、冒険者は役員から直接仕事を紹介してくれる。
 冒険者が同じギルドを利用するのはこの為だ。

 リクエストボードには数枚の依頼書が貼り付けてある。

「ひらひらがあるです」

「仕事の種類は主に三つ。アネクメネの環境や生物、生態を調べる“調査”、魔物の素材や鉱石を集める“収集”、魔物や闇ギルドの連中を無力化する“討伐”だ」

「あねくめね?」

「アネクメネは人の文明が行き届いてない場所だ。獰猛で危険な生物がいたり、毒が蔓延してるような場所もあるけど、人の文明を維持するのに必要な素材はアネクメネにしかないから、資源や土地の奪い合いで戦争を起こさないように冒険者協会がアネクメネを管理してるんだ」

「んー難しいです」

「ま、今は何も気にしなくていい。とりあえず最低限必要なことだけ覚えといてくれればそれで」

 俺は適当に依頼書を選別して一枚取った。
 依頼書には依頼内容や報酬額などの情報が記載されていた。

「なんて書いてるですか?」

「グラウルスの背毛採取、依頼主からの報酬は3万ベルだから俺達の手取りは2万4千ベルだな」
 
 報酬の二割はギルドの取り分だ。
 依頼書には依頼主の拇印と共に事前に支払った金額を直筆で記載している。
 
 俺は取った依頼書を受付へと持っていく。
 
「これ頼むわ」

「承りました。依頼内容グラウルスの背毛一頭分採取。グラウルスを討伐もしくは瀕死状態に追い込みますと報酬は半減しますのでお気を付けください」

 受付の役員は依頼書に受注の印を押した。
 今回の依頼はグラウルスと呼ばれる背中の毛が氷柱のように刺々しい熊の魔物の背毛を取ってくること。
 討伐の依頼ではない以上、グラウルスを殺したり今後の生命活動に支障をきたすような状態にすれば報酬は減ってしまう。

 アネクメネに生息する動物は普通の動物と比べて危険なことから魔物と呼ばれているが、自然が生み出した生命ということは変わりない。
 無暗に殺して絶滅するなんてことはあってはならない。
 だから魔物によっては素材採取の方が難しいこともある。

 ココアに冒険者の仕事を体験してもらう仕事。
 グラウルス自体はそれほど危険な魔物じゃないから問題ないだろう。
 
「行くぞーココア」

「行くです!」

 まるで遠足にでも行くように拳を上げて意気込むココア。
 俺達はさっそく『ラケルタ』の北部にあるアネクメネに向かった。



 ◆◆◆



 人が比較的安全に行動できる区域をエクメネ、魔物が住まい危険も多い区域をアネクメネと分けてはいるが、明確な境界線があるわけじゃない。
 気がついたらアネクメネに侵入し、魔物に襲われて命を落とす商人も多い。

 アネクメネには人体には影響のない魔粒子と呼ばれる物質が作用し、それが魔物や魔石を生み出しているらしい。
 
 冒険者は魔物と遭遇する前に魔石や魔草などの存在を確認してアネクメネに入ったのを感知するが、『ラケルタ』北部のアネクメネは銀世界の風景に変わりなく、魔石や魔草のある場所じゃない。

「まだですか~」

「多分もうアネクメネには来てるから、そのうち魔物の一体や二体は出てくるだろうけど……」

 積もった雪が足を取り、乱立する針葉樹からボトリと雪が落ちる。

「つーかさ、おたく寒くねーの?」

「およ?」

 俺はココアの服装をあらためて見た。
 腕と足が完全に出ているタンクトップとショートパンツ。
 温暖地の浜辺の恰好なんだよな。

「さむい?」

「寒いってのは……」

 俺は雪を掴んでココアの腕に押し付けた。

「うひゃっ!?」
 
 間抜けな声がココアから漏れる。

「これが冷たいって言うんだけど、これが身体中に来てるか?」

「うぅ、なんだかすーすーするです。でも平気です」

 “馴致じゅんちの才”に似た才覚でも持ってるんだろうか。

「ま、問題ないならいいんだけどさ。おっとストップ」

 しばらくアネクメネを散策していると、標的の存在が現れて俺はココアと木に隠れた。
 雪の世界に溶け込む白い体。
 腹部は動物らしいふわふわの体毛だが、背中から尻、腕足にかけて氷柱のように刺々しい毛が生えている。
 太い腕に鋭い眼光はまさに獣だ。

「あれがグラウルス、別名氷柱熊ツララグマ。俺達の仕事はアイツの棘みたいな毛を持った帰ることだ。あの毛自体は固いが根っこはそうでもない。ブドウみたいに簡単に取れる」

「くまさんはズンズンしないですか?」

「ズンズン? あー痛いかって? 痛いんじゃないの。一応毛をむしり取ってるわけだし」

 グラウルスの背中の毛自体は固い。人間でいうなら切れない髪の毛だ。
 それを採取するなら根っこから抜く必要がある。
 髪の毛なら切るのではなく抜く。当然、それなりに痛いだろう。

 俺が答えるとココアはあまり顔をしかめる。
 グラウルスに同情しているのだろうか。

「別に殺すわけじゃないんだ。毛を少し頂くだけ。ケツんとこだけもらえれば三頭くらいでノルマ達成だ」

 俺は背中と腰に矢筒をつけている。
 背中の矢筒に二十四本、腰の矢筒に十二本の矢を収めているが今回は使わない。
 今回使うのは左腰に携帯している五十センチ程度の棒だ。

 純白の世界に目立つ黒い棒は、真ん中に穴が開いて筒状になっている。
 右腰のポーチから先端に針のついた円錐の矢を取り出して筒に詰めた。

「弓だと怪我するからな、今回は吹き矢だ」

 グラウルスの氷柱のような毛は硬いが全身に覆われてるわけじゃない。
 腹部や腕の先端は他の動物のような柔らかい毛で覆われている。
 だがそこを矢で射抜くとひどい怪我になる。
 そこまでする必要がないときは吹き矢の出番だ。

 矢の先端の針には睡眠薬が仕込んであり、人間なら数秒、大型の動物でも数分で眠りにつく。
 俺の肺活量と技術なら五十センチの吹き筒でも二十メートルは正確に射抜ける。
 吹き筒自体も軽量で硬い素材を使っているから棍棒としても使用可能だ。

 俺は吹き筒を咥えてグラウルスの首元に狙いを定める。
 そして腹筋に力を込めて、吹き筒に思いっきり空気を送り込んだ。

「フッ――――」

 矢は俺の思い通りの軌道で飛び、狙い通りグラウルスの首の純白の体毛へと潜っていった。
 数十秒後、さっきまで雪の上でどっしりと立っていたグラウルスがふらつき、雪のベッドにその剛体を埋めた。

「倒れたです」

「効果ばっちし。さて、ちょいとお毛々をいただきますよ~」

 俺とココアは倒れたグラウルスの方へと駆け寄った。
 ぐっすり眠っているグラウルスの首から矢を抜いて、俺はお尻の方にある刺々しく硬い毛を抜いていく。
 花びらのように簡単に取れる毛を俺とココアは袋に詰めていく。

「こんなの集めてどうするですか?」

「この氷柱みたいな毛は複数の毛が集まって出来てるわけなんだが、こいつを解いて縫い合わせた織物はとにかく丈夫で冒険者だけじゃなくて行商人も好んで使うんだ。おまけに染色しやすいから色々カラーバリエーションがあって女性にも人気ってわけ」

 とりあえず眠らせたグラウルスからある程度毛を採取した。
 ケツが寒そうな間抜けな姿になったグラウルスはまだぐっすり眠っている。

「んじゃ、次はココアがやってみろ……って言いたいけど、ココア、ちょっとこの木軽く殴ってくれない?」

「こうですか?」

 ココアが拳を握った瞬間、腕がフッと消えたかと思うと、左右から抱き抱えるように手を伸ばせば指先が触れ合うくらいの太さがある大木が、大砲でも撃ち込まれたかのように砕けて倒れた。

「……最初はデコピンからいこうか」

 腰の入っていないパンチでこの威力なら、力の調整が分からなさそうな彼女がいきなり本気で殴ればグラウルスは硬い背中を殴ったとしても最悪死ぬ。
 
 今後の為にも彼女の力加減は俺が管理していかなくちゃな。

 数分探索しているとさっきより少し大きめのグラウルスを見つけた。
 太い四肢を使って雪の上を歩くその様は猛獣のようだが、グラウルス自体の性格は臆病そのもの。
 
「うりゃぁあああ!」

 ココアが雄たけびを上げてグラウルスの方へ走って行く。
 目が合ってもこっちが何もしなくちゃ向こうも動かないグラウルスだが、こっちから近づこうとすれば話は違う。

 グラウルスはココアを見ると、牙をむきだしてガルルルと唸り出す。
 それでもココアは猪突猛進。
 雪を蹴り飛ばしながら近づき、中指を折り曲げて親指の腹で抑えた。

 デコピン準備万端、覇気もある。
 あとはグラウルスにデコピンをくらわ―ー―ー

「ふがっ!?」

 グラウルスが立ち上がり、太い前足でココアを横に薙いだ。
 躱すという概念が無かったのか、ココアの上半身はズボッと雪に埋もれる。
 そして迫ってきた敵を排除すると、グラウルスは颯爽と逃げて行った。

 グラウルスが臨戦態勢に入るのはあくまで逃げる為だ。
 逃げる隙が生まれるとたとえ敵が死んでなくても走り去る。

 ナイフすら通さないココアの硬さならグラウルスの攻撃程度じゃ死にはしない。
 現にココアはもぞもぞと動いて、

「ぶはぁ! およ? くまさんどこですか?」

「グラウルスならさっき逃げてったぞ。つか、避けるなり受けるなりしないと下手したら死ぬぞ」

「ほよ、忘れてたです!」

 悲報、ココアの現知能は猿以下であることが判明。
 
「次は頑張るです!」

 フンスと拳を握るココアは次の獲物を求めて走り去った。
 そして――――

「うがぁああッッ、放すですぅ!!」

 片足を縄で吊り上げられたココアがどたばたと騒いでいた――――。
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