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第一章 グリマルディ家の娘

4,ただの同居人

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 理由はよく知らないが、父のアイルと母のセナは何年も前からもう一人子供がほしいと言っていた。

 あれは──俺が十歳のときだった。グリマルディ家に、三歳の子が家族としてやってきた。両親がレイという女の子を孤児院から引き取ってきたんだ。

 レイはお世辞にも、俺たち家族に容姿が似ているとは言えない。目元がはっきりしていて鼻は高く、どちらかというと可愛い系統だろう。小麦色の肌を持ち、黒い髪の毛はふんわりしている。
 グリマルディ家は英国の白人家系であるが、レイはどことなく東洋系の血が混ざっている気がする。
 レイの身元は詳しく知らないし興味もない。
 家族の中で一人浮いたような存在がいることに、違和感があって仕方がなかった。

 俺の両親はレイを溺愛している。当初は二人とも彼女に付きっきりで、俺のことなんて目もくれなくなった。レイは三歳だったから、まだまだ手がかかるのは分かる。それでも、どうして血の繋がらない娘をあんなにも愛せるのか、当時の俺には全く理解できなかった。
 あいつは俺にとってただの「同居人」だ。深く関わるつもりはない。

 ──しかし、俺が十五歳になった頃だ。八歳のレイが、ひょんなことから俺が通うダンススクールへ一緒に行くことになってしまった。兄妹で同じスクールに通うのはなんとなく嫌だったし、俺が踊る姿を見て自分もやってみたい、というレイの言葉も小恥ずかしかった。
 軽い気持ちでダンスを始めた奴の中に、すぐ飽きて去っていく連中を何人も見てきた。どうせすぐに「できない」などと言って、あいつも辞めていくのだろう。



 ある日の夕方。
 いつも通り父にダンススクールへ送ってもらい、着替えを済ませてから俺は特待クラスの一角でストレッチを始めた。ダンサーにしては身体が固い方だから、柔軟体操もいつも念入りにしている。

「やぁ、ヒルス。今日も早いね」

 練習場のドアが開くとほぼ同時に、声をかけられた。

 このダンススクールのボスである、ジャスティン・スミス先生だ。スクールに通い始めてから今までずっとお世話になっているインストラクターで、俺が唯一リスペクトしているダンサーでもある。
 ブラウンヘアをばっちりオールバックに決めていて、長い睫毛が今日も際立っている。鏡越しで目が合うと、ウィンクしながら先生はこちらへ近づいてきた。

「毎日一番乗りで準備をしていて、本当に君の熱意には感心するよ」
「いえいえ。早く来ないと落ち着かないんです」

 俺の言葉を聞くと、先生は上機嫌に笑う。

「そこも君のいいところだね! 今度新しく入る君の妹も、熱心にダンスを習ってくれたら嬉しいな。楽しみだよ!」
「ああ、そうですね……」

 俺は思わず心の中で苦笑した。

 早速来週から、レイがスクールに通い始めるんだ。最初は初級クラスだから、特待生の俺たちとはあまり関係ない。
 だが、先生は楽しみにしているのか──それを聞くと、なんだか複雑になってしまう。

 その日のレッスンを終えて家に帰ると、リビングではしゃぐレイの姿があった。どうやら、スクールで使う練習用の衣装を着て喜んでいるようだ。

「ヒルス、おかえり!」
「……ああ」
「見て見て、似合う?」

 衣装と言っても、動きやすさや吸汗性重視で至ってシンプルなものだ。胸元に『Smith's dance school』とワンポイントがあるだけなので、似合うも何もない。
 強いて言うなら──

「少し大きいな」
「えっ?」
「お前が着られているように見える」

 小柄なレイには、サイズが一番小さい服でも大きすぎるようだ。
 俺のそんな感想に、レイは頬を膨らませて後ろを振り向く。

「私だって、もう少しお姉さんになったらきっと背も伸びるよ!」
「お姉さんになるまでダンスを続けられるといいな」

 皮肉を言われた張本人は「ヒルスよりも大きくなってみせる!」と言いながら、衣装を持って自室へと去っていった。
 他の同級生と比べてみても、レイは圧倒的に背が小さい。そんな奴が一体何を言っているんだ。

 内心呆れながら俺はキッチンへ向かい、紅茶を淹れてホッと一息吐く。
 あいつはまだ八歳だから。俺に比べて全然ガキだから。そのときのテンションで盛り上がっているだけだ。一年後には他のことに目を向けているんだろう。俺はそう思っていた。

 思っていたが──
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