私の愛した彼は、こわい人

朱村びすりん

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第二章

25・芽生え

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 沈黙の時間が訪れ、しんみりした空気が流れた。
 今なら、少しくらい、オーナーの話を聞いてもいいかな?

「オーナーは施設を出たあと、お知り合いの家にお世話になったんですよね?」
「ああ、中学入学を期にな。──縁があって、ユウキの家に迎え入れられた」

 そう。そうだったんだ。
 ソファで眠るユウキさんに、私は視線を向けた。とても気持ち良さそうにいびきをかいている。

「ユウキの母親は、まるで俺を本当の家族みたいに可愛がってくれたんだ。柳田家に世話になった三年間、穏やかな生活を送ることができた」

 オーナーの頬がふと緩む。昔を懐かしむように目を細め、ユウキさんを見るオーナーの表情はあたたかい。
 なんだか、嬉しかった。オーナーの過去を知ることができて。それに、こんなにも優しい笑みを浮かべる彼を見て、胸にこみ上げるものがあった。
 きっと私は調子に乗ってしまったんだ。
 オーナーの気持ちを考えず、もうひとつ気になる疑問をほぼ衝動的に投げかけてしまった。

「なぜ、オーナーは『神楽ジン』と名乗っているんですか?」

 オーナーは私からパッと目を逸らした。どことなく、悲しそうな瞳になり、ポツリと呟いた。

「俺が、俺でなくなるためだ」
「え……?」
「アスカもなんとなく気づいてるんだろ? 俺は、真っ当な人間じゃないんだ」

 真っ当な人間じゃない……?

「それって……」

 以前、サロンでコハルが話していたことが頭をよぎる。

『神楽オーナーってなんかあっち系の人・・・・・・みたいじゃない?』

 コハルの言葉を聞いたあのときの私は、思わず否定した。けれど、強面オーナーの厳格すぎる雰囲気を見ると、半分は「そうなんじゃないか」なんて思ってしまった。
 オーナー本人からその話をされた今、どう反応をしていいのかわからなくなる。
 恐る恐る、私は疑問を投げかけた。

「つまり……オーナーって、……その、ヤクザの人……なんですか」

 と、そこまで口にして超絶に後悔した。
 もうちょっとオブラートに訊かなきゃダメでしょ! なに、ヤクザの人なんですかって!
 テンパる私を眺めながら、オーナーは眉を落とした。 

「俺が裏社会の人間だとしたら、お前も困るよな」
「……すみません」

 未だにこの状況を受け入れられない私を前に、オーナーは急に声量を落とした。

「嘘だよ」
「は」
「俺がホンモノの輩だったら、堅気に易々と本職を明かすわけがない」

 嘘……嘘なの? どうしてそんな冗談を口にしたの……? 驚かせないでほしい……。

 私が内心ドギマギしていると──不意に、彼にギュッと抱きしめられた。

「アスカ」

 耳元で、私の名を呼ぶ優しい声。仕事中には決して聞くことのできない柔らかい声色に、私の心臓が跳ね上がる。

「何も心配いらない。これからは、俺がお前を守るから」

 囁きと共に、彼はそっと私の頭を撫でた。丁寧に髪を梳く彼の手のひらのぬくもりが心地よくて──たしかな懐かしさも感じた。
 神楽オーナーは、本当の本当に、リュウお兄さんなんだね……。
 
 彼にどんな事情があって、何を秘めているのか、疑問に思うことはあるけれど。
 今は……今だけは、知らなくていい。この安らぎの時間を大事にしていたいの。

「もう一度あなたに会えて、とても嬉しいです。……ありがとうございます」

 彼は無言で頷き、微かに両手を震わせていた。そんな彼の体を私は精一杯抱き返す。
 神楽オーナーは、リュウお兄さんだった。それがわかっただけでいいの。

「アスカ。行く当てがないなら、ずっとここにいろよ」

 彼は優しく私の背中を撫でてくれる。

「アスカが安心して暮らせるよう俺が保証する。絶対にお前を傷つけたりしない。そばにいろ」
「どうして、そこまでして……」
「放っておけないんだよ。目を離したら、アスカがまた変な奴に捕まりそうで」

 もしかして、保護者目線なのかな。同じ施設で過ごしていた仲間として……ううん、兄妹的な感情として? 気にかけてくれているの?

「ありがたい提案ですが、その、守るというのはベル・フルールのオーナーとしてですか? 私たちがヒゴロモソウで一緒に過ごした仲だからですか? それとも──」

 私が疑問を投げかける途中で、彼は更に抱き寄せる力を強くした。
 爽やかな香りと、煙草の匂いがフワッと私の全身を包みこむ。
 彼の唐突な行動に、いつもドキドキさせられてしまう。ダメ……もう、心臓が、爆発しそうだ。
 心がときめいて、どうしようもない。
 彼は私の両肩を掴み、おもむろに顔を近づけてきた。こちらをじっと見つめる瞳は真剣そのもの。

 ああ。私、このまま神楽オーナーと……

 彼を受け入れようと、そっと瞳を閉じた──そのときだった。

「ッはぁあ~! よく寝たぁあ!」

 突如、ソファからユウキさんの目覚めの雄叫びが響いた。
 驚き、私とオーナーはサッと距離を離す。
 私はすかさずコンロの前に立ち、オーナーはわざとらしく冷蔵庫を開けてオレンジジュースのペットボトルを取り出した。
 我らながら、超不自然。

「ユ、ユウキさん、お目覚めですね!」
「んあー。うっかり寝落ちしちゃったわ」
「あの……夕食、ご一緒しませんか? 豚肉の玉子とじを作りました」
「んん。いい香りね。お腹空いてたし、いただこうかしら。ジンもいつの間にか帰ってきたのー?」
「あ、ああ。まあな……」

 オーナーはきごちなく頷いた。
 チラッと見ると、彼の耳は真っ赤に染まっている。
 ……今の、なんだったの。
 キス。キスしようとしてたよね? これって、そういうことなの?
 私も、なんの迷いもなく受け入れようとしてしまった。
 それに、彼の家で住まわせてもらうって……。本当にいいの?
 胸のドキドキは、しばらく落ち着いてくれなかった。落ち着けっていう方が無理だよ!



 その後は三人で食卓を囲み、豚肉の玉子とじを仲良く食べた。
 ユウキさんは絶賛してくれて、あっという間に平らげた。
 彼も美味しいと褒めてくれたけれど、ずっとよそよそしい。

 神楽オーナーと、同じ屋根の下で暮らす。
 いいんだよね? 本当にいいんだよね?
 決断してしまいますよ?

 オーナーとの関係は曖昧なまま、私は彼と一緒に暮らすことにした──。
    
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