【完結】炎の戦史 ~氷の少女と失われた記憶~

朱村びすりん

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第六章

48,凍てつく記憶

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 それから一刻は経っただろうか。雪は止むことを知らず、むしろ酷くなる一方である。
 北風が強くなり、天候が更に荒れていく。

「リュウキ様」
「何?」
「少し、休んだ方がよろしいのでは……」
「いや、このまま進むよ。今日中に山を下らないと」
「ですが、吹雪になってきました。これ以上は危険です」
「いや……」

 リュウキはヤエを背に、全く止まろうとしてくれない。彼の息はどんどん荒くなっているというのに。

 殆ど休息を取らず、リュウキは更に下り続けた。しかしどれだけ歩いても、雪道が続いている。
 視界も悪く、あとどれほどの距離があるのかも全く見当がつかない。

「必ずヤエを守ってみせるから」

 リュウキははっきりとそう答える。

 ──しかしヤエは、この時自分の身体の中にとてつもない違和感を覚えていた。
 手足の先が、異常なほどに冷たい。胸が凍りつくような、この嫌な感覚。
 身震いした。
 リュウキの背から伝わっていたはずのぬくもりが、今は何も感じられない。

 ──まさか、と思う。

「……リュウキ様」

 声が、ありえない程に震えてしまった。

「どうした?」
「……寒いです」
「えっ?」
「怖いです。あの日の感覚と似ています。私は……このままだと、凍ってしまうかもしれません」

 自分が氷になった時の、あの感覚と全く同じ。思い出してしまった。
 吐く息も、身体の中も、感触も、全てが凍りつく。そんな恐ろしい記憶がたちまち甦るのだ。

「大丈夫か、ヤエ」
「リュウキ様。怖いです。また氷になんてなりたくない……!」
「ちょっと待っていて」

 リュウキは一度ヤエを降ろすと、右手で身体を支えてくれた。彼が左手を翳すと、優しい青色の炎がヤエを包み込む。

「……どうかな」

 そう問われても、ヤエの震えは止まらなかった。いつもならあたたかく感じるリュウキの炎さえも、今のヤエには全く効果がない。

「寒い。寒いです、リュウキ様……!」

 ヤエの体温を更に奪うかのように、吹雪が益々強くなっていった。

「まずい」

 リュウキはヤエの身体を横に抱き、寒さをしのげる場所を探し始めた。視界は悪くなる一方。
 彷徨いながらあちこち道を進んでいるが、まるで吹雪が攻撃するかのように全身を打ち付けてくるようだ。
 その間にも、ヤエの意識は段々と遠退いていく。

「ごめん、ごめんよ。ヤエ。僕が無理に下山を急いだから。吹雪になる前に、どこか休める場所を探せばよかったんだ」
「……」

 声も出せないほど、ヤエはあっという間に衰弱していった。

 リュウキの呼吸が上がる。早足で雪の上を歩く音だけが、ヤエの耳に響き渡った。顔は強張り、手足が悴み、身体中が冷たく縛りつけられる感覚に陥る。
 視界がぼやけていく。いや、真っ白になっていった。
 
「ヤエ、頑張って。凍らないで!」

 意識の向こう側で、リュウキが必死に叫んでいるのが聞こえてきた。

(ああ、リュウキ様。あなたの熱で、私の心をどうか溶かしてください……)

 口に出したくても、気力がない。何も言えない。
 ヤエの意識は、白色に染められてしまった。
 
 ──しかし、不思議だ。こんな時でさえ、ヤエは幻想世界に放り込まれてしまうのだから。
 
 一瞬のうちに、幻想の世界に落ちたのが分かった。
 ヤエは、またあの梅の花が舞う庭園のような場所に立ち尽くしていたのだ。
 空を見上げると、太陽が天辺に昇っている。
 風が静かにヤエの髪の毛を揺らした。
 目の前には、もう一人の幻想の自分がいる。石造の腰掛けで休息を取っているようだった。隣に座っているのは、巨大な身体を持つ白色の友──ハクであった。
 いつもと変わらない様子で喉を鳴らし、当たり前のように幻想のヤエに寄り添っているではないか。

(ハク……)

 白い毛は光に反射して輝き、柔らかい感触はいつもヤエの心を癒してくれるのだ。 
 だが幻想に佇む今のヤエには、身動きを取ることができない。ただただ、目の前の光景を眺めるしかないのである。

「ハク……寂しい」

 幻想の自分が、切実な声で呟いた。
 返事がくることはない。そうと分かっていても、ヤエはいつもハクに自分の想いを吐き出していた。
 ヤエは覚えている。たとえ化け物だとしても、それほど信頼している相手であることを。

 しゃがみこみ、幻想のヤエはギュッとハクに抱きついた。

「ハク、聞いて。私、やっぱりあの人と結婚なんてしたくない。どうして私は、上の人と一緒にいなければならないのかな。同じ双子でも、全然違うの。病気なのは仕方がないけれど、荒れてしまった人の心を支えるなんて私にはできない」

 幻想での自分が放ったその言葉に、ヤエは心臓の鼓動が早くなる。

(上の人? 双子……?)

 妙に引っ掛かる単語だった。
 不思議なものである。自分の中で忘れていた何かの記憶が、浮き上がってくるような妙な感触になる。

 震えながら幻想の自分が嘆いていると、ハクは小さく唸った。

『ヤエ、大丈夫?』

 低く、それでいて優しさに溢れた声がした。
 
「ハク……?」

 ハッと驚いたように幻想の自分はハクの顔を見る。
どことなく、ハクは優しい眼差しになっていたのだ。

『ヤエが泣いているのは俺も悲しい。辛いなら逃げることも考えた方がいいぞ』
「逃げる……?」
『俺がヤエを守るから。不安にならないで。ヤエには他に想っている相手がいるだろう? 自分の幸せが何なのか、分かっているだろう?』
「……」

 ハクは、真剣な声で続けるのだ。

『俺はヤエが幸せでいるならそれでいい』
「……私の幸せは……ハクと一緒にいることだよ」
『違う。それは本当の幸せではない。現実から目を背けているだけだ』
「どうしてそんなことを言うの?」
『……俺は、化け物だから』
「だから何? 今までずっと一緒にいたでしょう? これからもそれは変わらないよ」
『これからも一緒にいられるかは分からない。本来、人間と化け物は住む世界が違うからな』

 ハクの声は震えていた。
 そんな話を聞き、ヤエの心の奥はたちまち締めつけられる。
 ハクを抱き締めたまま、幻想のヤエは小さく呟く。 

「だったら私……ハクみたいに化け物になりたい。そうすれば、ずっと一緒にいられる……?」

 幻想の自分がそんなことを口にした瞬間、ハクは再び低く唸るのだ。とても苦しそうな声で、もがくように。

「ハク……? 泣いているの……?」

 大切な友が、たしかに悲しみの雫を溢していた。何も言うことなく、無表情だと思う。

 幻想のヤエの顔をじっと見つめながら、ハクは声を上げて泣いていたのだ。
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