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風と影の狭間
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山道を歩く私の足は、冷たい朝露で滑りやすい。
肩に担ぐ荷物の重み、アルパカの蹄が石を蹴る音、遠くで風が谷を揺らす音――すべてが混ざり合い、心の奥を締め付ける。
前を行くアリックは、普段の穏やかな表情を隠すようにぎゅっと口を結ぶ。
「キスピ、気を抜くな。クスコまではまだ遠い」
その言葉に頷くしかない。胸の奥で、既に胃が縮むような感覚がする。
私はまだ12歳。でも、村では大人扱いされていた。責任も、期待も、恐怖も――全部押し付けられてきた。
足元の道は険しい。
山の斜面には、インカに征服された民族の小さな集落がぽつぽつと点在する。
歩く者を監視する目は冷たい。
力のない者、病気のある者、身体の不自由な者――誰もが同じように生きることを許されない世界。
私はその視線を避けながら、どうすれば無事に通れるかを考える。
その時、谷の向こうで、突然、鋭い声が響いた。
「止まれ!」
木の影から現れたのは、革と布で身を固めた兵士たち。
武器は投槍、弓、棍棒、そして石を投げるための投石具だ。
彼らは私たちに向かって槍を振りかざす。
「誰だ、こんなところを通る者は!」
青年のアリックは私の腕を掴む。
「キスピ、逃げろ!」
でも、逃げ場はない。
谷の斜面、下は崖、後ろには兵士。
目の前で、弱者が蹴飛ばされ、石で打たれる光景を目にする。
障害を持つ子どもが、村人が、無力な者たちが、冷酷な現実に押しつぶされる。
私も、ただ立ち尽くすしかない。無力さが胸を締め付ける。
そのとき。
――空気が震えた。
羽ばたく音ではない。空気を裂くような圧力、巨大な存在が迫ってくる感覚。
振り向くと、巨大な魔法のコンドルが光の筋を描きながら舞い降りた。
羽一枚が私の胸をかすめるだけで、全身の血が逆流するような衝撃。
「な、なに……!??」
コンドルの瞳は深く、知恵と力を宿しているように光る。
その翼に守られ、私たちは兵士たちから逃れる。
アルパカも、荷物も、衝撃に押されて谷の端を駆け下る。
振り返ると、兵士たちは一瞬立ち止まり、コンドルの存在に声を失った。
でも、胸の奥には不安が残る。
――これは偶然じゃない。
背後で、誰かがこの混乱を操っている。そんな気がする…
クスコの政治経済、インカ様の権力、征服した民族の不満と駆け引き……
その複雑さが、一気に私の肩に重くのしかかる。
風の匂い、土の湿り気、羽ばたくコンドルの振動。
私は息を整えながら、無力感と恐怖、そして微かな希望を同時に抱えていた。
――でも、このときはまだ知らなかった。
この後、クスコで何が待ち受けているのか…を。
⸻
——-その頃、キスピの故郷の村では…
午前の光が村を柔らかく包む。
土の香り、遠くで鳴くリャマの声、乾いた山の風が心地よく頬を撫でる。
母は家の前で、小さな家族たちと笑っていた。
弟が小さな手で土の中の石を集め、妹が母の足元で糸を遊ばせる。
「ほら、キスピがいなくても、ちゃんとみんなで楽しくやれるわね」
母の笑顔は太陽のように明るく、優しく、力強かった。
近くの家族と談笑しながら、日常の些細な話を交わす。
「昨日の収穫はどうだった?」
「穀物は順調だよ、母さんのおかげだ」
母は手をひらりと動かし、笑いながら糸を整える。
笑い声が土間に響き、夕暮れまで続くのが当たり前の光景のようだった。
誰も、まだ知らない――村に、そして母に、どんな運命が待ち受けているのかを。
⸻
午後。空が赤く染まるころ。
村は、再び静けさに包まれていた。
母は別の家族の家を訪ね、穏やかな日常を交わしていた。
笑い声、声のかけあい、温かい食卓の匂い。
まるで何事も起きない日常のように見えた。
しかし、その瞬間、
遠くから、不自然な足音が聞こえた。奇妙な影、冷たい空気。
「……誰?」
母は僅かに振り返る。
次の瞬間、影が飛びかかる。
投槍、棍棒、石――光の届かない瞬間、母の叫び声だけが空を切る。
「やめて! いやああ!」
笑い声は断ち切られ、温かい日常は血と恐怖に塗り替えられる。
母は倒れ、隣にいた家族たちも次々と倒れる。
村は叫び声に包まれ、平穏な時間は一瞬で消えた。
遠くの風、アルパカの蹄音、谷の匂い――すべては以前と変わらない。
だが、村には、母の笑顔も、家族の温もりも、もう存在しない。
闇の中で、影は静かに去る。
残されたのは、土と血、壊れた家々、そして母の無力な最後の姿だけ。
肩に担ぐ荷物の重み、アルパカの蹄が石を蹴る音、遠くで風が谷を揺らす音――すべてが混ざり合い、心の奥を締め付ける。
前を行くアリックは、普段の穏やかな表情を隠すようにぎゅっと口を結ぶ。
「キスピ、気を抜くな。クスコまではまだ遠い」
その言葉に頷くしかない。胸の奥で、既に胃が縮むような感覚がする。
私はまだ12歳。でも、村では大人扱いされていた。責任も、期待も、恐怖も――全部押し付けられてきた。
足元の道は険しい。
山の斜面には、インカに征服された民族の小さな集落がぽつぽつと点在する。
歩く者を監視する目は冷たい。
力のない者、病気のある者、身体の不自由な者――誰もが同じように生きることを許されない世界。
私はその視線を避けながら、どうすれば無事に通れるかを考える。
その時、谷の向こうで、突然、鋭い声が響いた。
「止まれ!」
木の影から現れたのは、革と布で身を固めた兵士たち。
武器は投槍、弓、棍棒、そして石を投げるための投石具だ。
彼らは私たちに向かって槍を振りかざす。
「誰だ、こんなところを通る者は!」
青年のアリックは私の腕を掴む。
「キスピ、逃げろ!」
でも、逃げ場はない。
谷の斜面、下は崖、後ろには兵士。
目の前で、弱者が蹴飛ばされ、石で打たれる光景を目にする。
障害を持つ子どもが、村人が、無力な者たちが、冷酷な現実に押しつぶされる。
私も、ただ立ち尽くすしかない。無力さが胸を締め付ける。
そのとき。
――空気が震えた。
羽ばたく音ではない。空気を裂くような圧力、巨大な存在が迫ってくる感覚。
振り向くと、巨大な魔法のコンドルが光の筋を描きながら舞い降りた。
羽一枚が私の胸をかすめるだけで、全身の血が逆流するような衝撃。
「な、なに……!??」
コンドルの瞳は深く、知恵と力を宿しているように光る。
その翼に守られ、私たちは兵士たちから逃れる。
アルパカも、荷物も、衝撃に押されて谷の端を駆け下る。
振り返ると、兵士たちは一瞬立ち止まり、コンドルの存在に声を失った。
でも、胸の奥には不安が残る。
――これは偶然じゃない。
背後で、誰かがこの混乱を操っている。そんな気がする…
クスコの政治経済、インカ様の権力、征服した民族の不満と駆け引き……
その複雑さが、一気に私の肩に重くのしかかる。
風の匂い、土の湿り気、羽ばたくコンドルの振動。
私は息を整えながら、無力感と恐怖、そして微かな希望を同時に抱えていた。
――でも、このときはまだ知らなかった。
この後、クスコで何が待ち受けているのか…を。
⸻
——-その頃、キスピの故郷の村では…
午前の光が村を柔らかく包む。
土の香り、遠くで鳴くリャマの声、乾いた山の風が心地よく頬を撫でる。
母は家の前で、小さな家族たちと笑っていた。
弟が小さな手で土の中の石を集め、妹が母の足元で糸を遊ばせる。
「ほら、キスピがいなくても、ちゃんとみんなで楽しくやれるわね」
母の笑顔は太陽のように明るく、優しく、力強かった。
近くの家族と談笑しながら、日常の些細な話を交わす。
「昨日の収穫はどうだった?」
「穀物は順調だよ、母さんのおかげだ」
母は手をひらりと動かし、笑いながら糸を整える。
笑い声が土間に響き、夕暮れまで続くのが当たり前の光景のようだった。
誰も、まだ知らない――村に、そして母に、どんな運命が待ち受けているのかを。
⸻
午後。空が赤く染まるころ。
村は、再び静けさに包まれていた。
母は別の家族の家を訪ね、穏やかな日常を交わしていた。
笑い声、声のかけあい、温かい食卓の匂い。
まるで何事も起きない日常のように見えた。
しかし、その瞬間、
遠くから、不自然な足音が聞こえた。奇妙な影、冷たい空気。
「……誰?」
母は僅かに振り返る。
次の瞬間、影が飛びかかる。
投槍、棍棒、石――光の届かない瞬間、母の叫び声だけが空を切る。
「やめて! いやああ!」
笑い声は断ち切られ、温かい日常は血と恐怖に塗り替えられる。
母は倒れ、隣にいた家族たちも次々と倒れる。
村は叫び声に包まれ、平穏な時間は一瞬で消えた。
遠くの風、アルパカの蹄音、谷の匂い――すべては以前と変わらない。
だが、村には、母の笑顔も、家族の温もりも、もう存在しない。
闇の中で、影は静かに去る。
残されたのは、土と血、壊れた家々、そして母の無力な最後の姿だけ。
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