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土偶
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ある晴れた日曜日の朝。あなたは、軽い朝食を食べながら、ぱらぱらとスマホの画面をめくりながら、朝のニューストピックスを眺めている。そして。
「のろいの土偶、盗難に遭う」
そんな記事を見つけた。
あなたは、ふと、そのニュースに、普段の記事とは雰囲気が違う、何かを感じた。そして興味を持った。だから、小さな声で朗読した。
「なになに、今から二千年前に作られたとされる土偶が博物館の倉庫からなくなっていることに、毎朝、館内を見回っている博物館長が気づいた。昨日までは確かに厳重なケースに保管されていたはずなのに・・・・館長の話によると、その土偶にかかわった大勢の人が謎めいた死に方をしているという。館長は、土偶を盗んだ人が無事でいてくれると切に願う。とにかく、あの土偶を手にした者で生きている者は一人もいないのだから。と詰め掛けた記者に悲壮感ただようコメントを添えた」
あなたは、読み終わり、ふん、と鼻で笑うかもしれない。そのコメントに。
「おまえは生きてるじゃないか」
そうつぶやいたかも知れない。
いや、しかし、それでもあなたは、半信半疑で複雑な気持ちを持ったかもしれない。記事を見つめたまま、後ろ髪を引かれる思いでスマホをテーブルに置いてもなお、記事を見つめ続けた。が。
「ふん・・」
と思い直し、ふと窓の外を眺めた。そして、あなたが窓の外を眺めるのを待っていたかのように、
「いい天気ねぇ~」
と、妻がわざとらしく、遠まわしにつぶやく。あなたは、しばらく家族サービスをしていないことに気づき。
「プチキャンプで、魚釣りにでもいくか」
と妻に言う。そして、妻や愛娘の笑顔に微笑を返し、記事のことなどすべて忘れ、いそいそと愛用の道具を揃え出掛けることにした。
あなたが席を立った後、テーブルの上でスマホの画面に残ったままスリープモードになる、その記事にある盗まれた土偶は、実は2000年前に作られたものではない。
その土偶は、今から2000年前、その時もうすでに相当の歳月を小さな祭壇の中で過ごしていた。その小さな赤い瞳で、人間の営みを見つめ続けながら。
その土偶が時を過ごす祭壇は、村の中心にあった。その祭壇が建造されたのがいつなのかを語る者はいなかった。しかし、その祭壇の前では村人達が毎晩酔い、踊り、そして、月のない夜は儀式が執り行われたのである。ある少女はその儀式の為にこの世に生を受けた。ある少年は儀式の為に大切に育てられていた。また、皆とは雰囲気の違う若者達はその儀式の為に近隣から連れ去られてきた。村人達は、儀式の為に戦いに赴き、儀式の為に大勢の捕虜を養っていた。
月が輝きをなくした夜、村人達は戦士の衣装で正装し、おのおのが武器を片手に祭壇の前に集まった。一人の老人が祈りをささげ、少女と青年が祭壇の前に立つ。老人のつぶやき声が途切れると、老人は青年を指差した。青年は一瞬怯え、しかし、周囲の戦士達に両腕を抱えられ、おぼつかない足取りで祭壇の前に歩みを進めた。再び老人の祈りが始まり、そして途切れる。老人は青年を見つめ、うなずいた。青年はその引きつった表情に脂汗を滲ませながら、土偶に震える両手を添え、震えながら赤い瞳を覗き込み、震えたまま跪いた。土偶の小さな赤い瞳は、背後から突き刺され、きり刻まれる青年を見つめていた。
ある月のない夜。いつもの儀式が執り行われたあと、何気なく空を見上げた村人の一人が、見慣れない星を見つけた。その星は、ぼんやりと夜空に滲んでいた。そして、その星は日に日に大きくなった。村人達は慌てふためき、老人は、毎晩儀式を執り行った。しかし、その星は消えることなく、更に大きく、更に輝きを増した。
その夜の儀式は、いつもとは雰囲気が違っていた。村人達は老若男女問わず車座に座り、老人と同じ祈りをつぶやいた。まず始めに老人が土偶を祭壇から取り出し、両手を沿え、小さな赤い瞳を見つめた。そして、車座に座る全ての村人が土偶を掲げ、小さな赤い瞳を見つめ、何かをつぶやいた。
土偶は、村人達全てに掲げられ、再び老人の手に戻った。老人は、祈りをつぶやき、土偶を祭壇に戻した。やがて、夜空が明るくなり、太陽が地平線から顔を出すと、村人達は、安堵のため息をもらし、互いに笑いあった。そのときである、異変に気づいたものは誰もいなかった。一本の弓矢がどこからともなく飛来し、老人の胸に刺さった。老人が倒れたとき、数百本の弓矢が雨のように村人を襲った。周囲から喚声が響き、村人達はなすすべもなく襲撃者達に切り刻まれた。
祭壇の中の土偶は、その小さな赤い瞳で、串刺しとなり、切り刻まれ、のたうちまう村人を見つめた。祭壇に火の手が上がり、土偶は自身を掲げた村人達が死してもなお切り刻まれる光景を見つめ続けながら、なすすべもなく炎に包まれた。祭壇は村と共に焼き尽くされ、土偶は燃え尽きた灰に埋まった。そして、土偶は誰にも見つけられることなく降り積もる塵に埋まった。生い茂る草木に埋まった。土偶は長い眠りについた。
そこに土偶が埋まっているなどと、誰一人知る者はいないまま、長い時間が流れた。土偶の眠りを妨げるものは2000年の間、誰一人としていなかった。
ある日、喧騒が土偶を長い眠りから目覚めさせた。
ブルドーザーが2000年の間に生い茂った草木を大地から剥ぎ取り、ショベルカーが2000年の間降り積もった塵を掻き分けた。土偶は2000年ぶりに、その小さな赤い瞳で2000年前と同じ太陽を見た。
「おい待て! 何か光ったぞ。なにか埋まっているぞ」
それが2000年ぶりに土偶が聞いた人間の声だった。その人間は、2000年前とは姿かたちがまるで違っていた。人間は土偶の赤い瞳を見つめ、驚いた様子で土偶の頬に手を添え、周りの土を掻き分けた。そして、土偶は、その小さな赤い瞳で、運転を誤ったショベルカーに引き裂かれた人間がのたうつ姿を見つめた。
その後土偶は、半身を地にうずめたまま数日を過ごした。多くの人間が土偶の赤い瞳を覗いた。太陽とは違う一瞬のまたたきが何度も何度も土偶の赤い瞳をより赤く光らせた。しばらくして、土偶は、雰囲気の違う人間に全身掘り起こされた。その雰囲気の違う人間が土偶を手にとり、その赤い瞳の奥を覗き込んだ。土偶はやわらかい綿が敷き詰められたケースに詰め込まれた。土偶は、その人間に抱えられたまま車に載せられた。土偶は微かな振動を感じながら再び暗闇の中で浅い眠りについた。そしてすぐ、ものすごい衝撃にたたき起こされた土偶は、割れたケースの隙間からその小さな赤い瞳で、頭がぐしゃぐしゃにつぶれたさっきの人間のうつろな目を見つめた。
しばらくの間、土偶はケースに寝かされたまま、どことなくおびえた人間達に代わる代わる見つめられた。ある人間は土偶を棒でつつき、ある人間は金属の手で土偶をいじくりまわした。そして、ある人間が土偶を久しぶりに自らの手で掲げた。そして、その人間は土偶をいろいろな角度から眺め、こう言った。
「のろいなんてあるわけないだろうに」
そして、そばにいた別の人間は。
「気をつけろよ、二人死んだんだから」
とあざけるように笑った。
土偶はその人間にうやうやしく抱きかかえられたまま、別の部屋に運ばれようとした。途中、その人間は歩きながら土偶の小さな赤い瞳を覗き込んだ。そして、こうつぶやいた。
「ルビー・・・だろうか」
人間は赤い瞳に心を奪われ、無意識にいつもの階段を下りようとした。
土偶は、その赤い瞳で、横たわり、二つに割れた顔から血を流し痙攣する人間のうつろな目を見つめた。
土偶は、その人間が大勢の人間に運ばれてゆく様子を見つめた。そして騒ぎが収まった後、様子が皆と違う人間に掲げられ、小さな赤い瞳の奥を覗き込まれた。
「土偶って言うんですかこれ・・初めて見ますよ実物は」
その人間はうやうやしく土偶を掲げ、
「へぇぇぇぇ、目は宝石ですかね。結構、精巧に作られているんですねぇ~」
そう言いながら、しげしげといろいろな角度から土偶を見つめた。すると。
「おまわりさん、だめです、その土偶に触っては」
別の人間が、血相を変え、怯えた震える声でそう叫んだ。
「どうしたんです・・皆さん」
土偶を掲げていた人間は、遠巻きの皆を見渡し、鼻でくすくすと笑った。そして。
「それほど大切なものなんですか」
と、ケースを運んできた人間に言った。
「と・・とりあえず、そ・・それを、こ・・ここに」
土偶は元のケースにそっと寝かされ、そして、蓋を閉じられ、再び浅い眠りについた。
「・・・次はあのおまわりさんだ・・」
どこからともなくそんなささやく声が響いた。
土偶は、赤いライトを点滅させている車の後部座席にケースごと積み込まれた。二人の人間がケースを左右から支えた。そして、もう一人の人間が乗り込んだその車は大勢に見守られながら、走り始めた。
「のろいの土偶ねぇ・・どれ、お顔を拝ませていただきましょうか」
ケースの左に座る人間がそうつぶやきながらケースを開けた。
「警部、のろい殺されますよ」
ケースの右に座る人間は顔をそむけた。
「なんだよ怖いのか。はは、俺は、そんなオカルトは信じないよ。ほぉぉぉ。2000年前の土偶。目まであるよ。器用につくられているよなぁ。おい、大丈夫だって見てみろよ」
「結構ですよ・・恐ろしい」
「はは、これからおまえを根性無しと呼ぶことにしよう。なぁ、土偶君」
人間は土偶の頭をポンッと叩いた。そして、その人間に抱きかかえられた。
車がそこに通りかかったとき信号が赤に変わった。車が停止した。土偶の小さな赤い瞳が見つめる先、小さな箱のような建物の中で二人の人間がもみ合っていた。一人がもう一人の人間の首を刃物で掻ききり、真っ赤な血しぶきが飛んだ。そして、首を掻ききった人間が、倒れた人間の腰から黒い塊を抜き取り、今土偶の小さな赤い瞳を見つめる人間に向けた。小さな炎がぱっと瞬き。土偶の小さな赤い瞳は、頭が割れ血が吹き飛ぶ人間の崩れてゆくさまを見つめつづけた。
土偶は、血で染まった綿の敷き詰められたケースにしまわれたまま、誰にも触られることなく数日を過ごした。
「ちょっとでいいから、見せてくださいよ、なんでも、土偶に触った人がみんな死んでるって噂ですし」
帽子をかぶり、カメラを首にぶら下げた男が、そう言いながら、乾いた血を拭き取られないまま、歪んだケースに斜めに傾いて収まる土偶を覗き込んだ。
「この、赤黒い染みは血ですか?」
「ええ、鑑定にもって行こうとした刑事さんのモノです」
「交番で銃を奪われて・・」
「その、交番のお巡りさんは、その前に、この土偶に触ったようです」
「いったい、何人が?」
「はい、一人目は工事現場でこれに触れた作業員、二人目は、研究施設に運ぼうとした考古学の先生。三人目は、施設の研究員、次がお巡りさん。そして、刑事さん。本当に触らない方がいいですよ、これだけ立て続けだと、私たちもどうしていいか」
「まぁ、迷信でしょう、私もちょっと試してみますよ」
「あっ」
と言う間もなく、カメラの男は土偶を抱き上げ、その赤い瞳を覗き込んだ。
「ちょっと・・」
と、周囲にいた人間は息の仕方を忘れたかのように立ち尽くし、動作を止めた。
「ほら・・別に何もないし・・でも、皆さんのその引きつった顔、一枚記念にいいですか」
カメラの男は、土偶をケースに寝かせ、カメラを構えてパシャパシャを数枚の写真を撮り、映り具合を確かめ。
「別に、どうってことないですけどね。土偶君も一枚どうかな」
パシャッと、カメラの男は土偶の写真を撮り。
「ほら、別に何ともないですよ。ま、ちょっと、オカルトっぽく記事にして、ニラサワさんとこに持って行きましょうかね。ちょっと、そのテーブルいいですか?」
と男は土偶を抱き上げ、テーブルの上に置き。
「このアングルかな」
と、もう何枚か写真を撮った。そして。映り具合を確認すると。
「じゃ、どうもありがとうございました」
そう言って、扉を開けて、もう一度会釈をして、部屋から立ち去った。扉が閉まり、言葉をなくした周囲の人たちをしり目に、部屋を出たカメラの男は。ガラスの自動ドアを通り抜けて建物のエントランスに出て、歩き始めた。
部屋の男が数人で顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲み込んでから、部屋の扉を開いたとき。テーブルの上の土偶は、その赤い瞳で、開いた扉の向こうに、上から落ちてきた大きな物体につぶされるカメラの男を見つめていた。
ビルのエントランスでは悲鳴が響いたが。土偶が立つテーブルの部屋では、誰も一言もしゃべろうとしなかった。
しばらくして、誰が張ったかわからない「触るな危険」の張り紙で封印されたケースは、倉庫の奥の下の方の隅の方の暗い場所に仕舞い込まれ、やがて、誰もがその土偶の存在を忘れた。誰もが、土偶に関わろうとしなかった。
それから、数年が過ぎた。その倉庫の奥の隅の暗い場所で眠っていた土偶は。
「なにこのケース、触るな危険って・・」
「年季入ってるな、いつからあるんだろ」
「まぁ、歴史博物館だし、何千年も前のモノとかあってもおかしくないし」
そんな小さな声を聞いた。
「なにが入ってんだろね、開けてみる?」
「放射能とか、ウィルスとか・・ゾンビの脚」
「それはないでしょ、なんで脚なのよ?」
「鍵とかかかってないし、ただのイタズラってこともあるっしょ」
「ほら、簡単に開くよ、このケース」
パチンパチンと留め金がばねの力で跳ね上がり。ケースの上蓋は音もたてずに軽く開いた。そして。
「うーわ、汚ねぇー」と、一人はつぶやいた。
土偶は、久しぶりに、ゆっくり差し込んだ光を、その赤い瞳に反射させ、数年ぶりに人間を見た。一人は、眼鏡をした若い男。もう一人は、髪を後ろに束ねた若い女。
「土偶?」
「って、この黒いシミって・・血じゃないの?」
と女は指でケースの中の縮れた綿を摘まんで言った。そして。
「なんか、さぶいぼ出てきた。これって、やっぱ、やばいものじゃないの」
と男は、身震いして。
「本当に、触るな危険かもね、のろいとか、たたりとか、私もほら、本当にさぶいぼ出てるし」
「もう、何かにとりつかれてたりして・・たたりじゃ~。お前をばばぁーにしてやるぅ」
「やめてよ、もぉ。でもホントに・・これ・・気味悪い感じするね」
「・・閉めようよ・・」
「見なかったことにしましょ」
そして、再び、ケースの蓋は閉じられ、土偶は再び眠りについた。
それからまた、時が流れて。
「デパートで石器時代の展覧会に貸し出すんだって」
「石器とか、土器とか、って、このケースナニ?」
「ケース?」
「ほら、触るな危険だってさ」
「って、簡単に開くし・・うーわ・・汚いねぇ、って、これいいんじゃないの。土偶だよ土偶」
そんな声に再び目を覚ました土偶は、二人の男をその赤い瞳で見つめた。二人の男は一瞬、息を止めたかのように土偶を見つめて。唾をのみ、一人が。
「あっ、ひらめいた」と顔をほころばせた。
「ナニ?」
「なんかさ、それっぽい祭壇みたいなものこしらえて、コレ、展示しようぜ、案外うけるかも」
「祭壇?」
「祭壇。審判の土偶。とかって」
「この赤い目とか、見つめると、心を見透かされてぞわっとしてしまうような。なんかこう、今一瞬、ゾクって感じなかった?」
「まぁ、言われたら、そんな雰囲気あるね」
「な、祭壇、適当に木材組んで、それっぽければいいだろ、デパートの客寄せ展覧会なんだし」
「はいはい、じゃ、貸し出してもらおぅか、はんこもらってきてよ」
「はいよ、祭壇は祠みたいな感じでいいかな」
「そだね」
再びケースに閉じ込められた土偶は、数日後。
「はーい、土偶さん、あなたのお家ですよ」
と、一人の男に抱えられ、丸太と縄で作られた祭壇の中に移された。男は、土偶を手に、土偶の赤い瞳を見つめて。
「少し奥っぽい方がいいかな」
と、祭壇の中の土偶の位置を調整しながら。
「やっぱり、このくらいかな? どぉ、おどろおどろしい感じでてる?」
「まぁ・・おどろおどろしいって、言われたらそうかもね。この赤い目ってもっと光らせたりできないかな」
「ライト取ってくるよ」
「俺、トイレ」
そう言った男二人は、祭壇の土偶から離れた。
少しの間、祭壇の中に放置された土偶は、赤い瞳で、前を通り過ぎる人達を眺めた。
時々、チラッと目が合う子供は、必ずのように立ち止まり、すぐに走り去るか。そばにいる親に隠れるように、しがみついた。
「あっくん、どうしたの」
「あれ・・・怖いよ」
「あれって、あれ、土偶? なによこれ、審判の土偶だって,触っていいのかな?」
その母親は、土偶に手を伸ばした。が、
「どうしたの、あっくん」
と子供が裾をひく力が強かったのか、その子供を抱き上げて。
「土偶って言うのよ」
と怯える子供に土偶を見せてすぐ立ち去った。
その後、代わる代わる、祭壇の中の土偶を覗き込む人達の一人が土偶の前で立ち止まり、立ちすくんだ。
「あの、この土偶の関係者の方ですか」
と近くの作業員に訊ねたその初老のおじさんは。
「あの・・何か被せるものはないですか」
と、明らかに慌てふためく仕草で、周辺の作業員や店員に声をかけた。そして。土偶の前でキョロキョロとおろおろとしているそのおじさんに、ライトを取りに行った男が気付き。
「どうかしましたか?」
と声をかけた。
「あの、この土偶の関係者の方ですか?」
「ええ・・関係者と言えば関係者ですけど」
「この土偶を触りましたか」
「はい、触りましたよ、触らなきゃ、祭壇に飾れないし」
「何人がこの土偶に触りましたか?」
「何人って、今さっき、この祭壇に飾り付けたばかりですし」
「それだったら、早く、仕舞いなさい、この土偶はダメです。とにかく何も聞かずにしまいなさい」
「なんですか、変な人ですね、これは、近所の歴史博物館から借りてきたただの土偶でしょ」
「君は、知らないんだ、この土偶はだめなんだ」
「って、一応、展覧会の目玉ですし、いまさらしまえっていわれてもね」
「とにかく、これに触れてはいけない」
「なんですか、変なおじさんだなぁもぉ」
「はやく、仕舞いなさい、とにかく触ってはいけないんだ」
「なんですかもぉ」
「早く、しまえと言ったら仕舞うんだ。これに触れたら死ぬぞ」
「死ぬぞだなんて大げさな」
「どうしたんだ」
「なんか変なおじさんがさ」
「ちょっと、じゃまするんだったら警察呼びますよ」
「あぁ、呼べ、そして、早くこの土偶を仕舞いなさい、だれも触ってはならない」
「触るなって」
ともう一人が土偶を抱き上げ。
「触ってますよ、誰も死なないじゃないですか。はい、ぱーす」
「ほいキャーッチ、だれも死にませんよ、ほら、もぉ、本当に警察呼びますよ、じゃましないでください」
「とにかく、触るな」
おじさんの声は怒鳴り声に変わり、あたりの来客たちが振り向いた。
「すいません、警備員の方ちょっと」
その騒ぎに、やってきた警備員は土偶を渡され。
「ちょっと、これを安全な所に、このおじさん変です」
ともう一人の警備員がおじさんを掴み。
「ちょっと、きてください」
「どうなっても、知らんぞ」
と大きな声で怒鳴ったおじさんは連行された。
そして、騒ぎが収まり、土偶は、祭壇の中に戻ったり、二人の男に促されるまま、やってきた来客に代わる代わる抱き上げられたりした。
「ゾクっとしましたか」
「ええ、なんか、気味悪いですけど」
「これって、本物なんですか?」
「さぁ、どうなんでしょうね」
「レプリカに決まってるだろって、うわ、結構重いし」
「この赤い目から出るもので、なんかいいことあればいいですけどね」
「土偶なんて、縄文の展覧会で見て以来だね、なんか本物っぽいね、これ」
何人が土偶に触れただろうか。何人がその赤い瞳を覗き込んだだろうか。
「さあ、もう、帰ってください。警察に通報はしませんから。だいたい、泥の人形を触って人が死ぬわけないでしょうに」
と警備員に追い出されたさっきのおじさんが展覧会場を振り返りながら、とぼとぼと歩き始め。警備員は、展覧会場へ。おじさんは下りのエスカレーターに乗って、すぐ。
「ガス?」
と、おじさんの前にいた女性が鼻をクンクンさせ、振り向いたその瞬間。衝撃波と同時に明かりが消えて、何がどうなったのかわからないまま、落ちてきたのは天井? 止まったエスカレーターの手すりに瓦礫が倒れ掛かり、その隙間から、さっきのおじさんが血まみれの顔を出した。その先で。倒れ掛かる瓦礫と瓦礫の隙間にはまり込んだ祭壇の中、鎮座する土偶は、赤い瞳で、がれきに押しつぶされた何人もの人間を見つめていた。
いつしか土偶は、血糊をふき取られることもなく、汚れきったまま、分厚いガラスでできたケースに閉じ込められるようになった。毎日同じ時間に通り過ぎる人間の怯えた顔をその小さな赤い瞳で見つめ続けた。
ある日の真夜中、土偶の小さな赤い瞳は、しばらくぶりで別の人間を見つめた。その人間は片手に小さな光を持ち、土偶の周りをうろうろした後、何かを、持っていた袋に詰め込んでいった。
その人間はしばらくの間、あたりをうろつきまわった後、土偶の前で足を止め、小さな明かりで土偶を照らした。人間は土偶のケースを小さな金属を使ってこじ開けた。そして、土偶を掲げ、その小さな赤い瞳を覗き込むと、にんまりと笑い、土偶を袋に詰め込んだ。
その人間が誰だったのか、どこに行ったのかは誰も知らなかった。土偶は、その日、突然、どこかに消えてなくなったのである。
あなたは、すがすがしい太陽に照らされ、きらきらと輝く清流のせせらぎを全身に浴びながら、釣り糸を垂れている。そして。
「なにも釣れないね」
と、水際にしゃがむ、かわいい愛娘が振り向き見上げた瞬間、何かがあなたの垂れる釣り針に引っかかった。そのとき、朝の記事を思い出せただろうか。
あなたの垂れていた釣り針には、あなたには見えない川底をゆっくりと流されてゆく、今は、ただそれだけとなった人間の腕がつかむ、あの土偶に引っかかったのだ。
あなたは釣り竿の先に感じた重みにこう叫んだ。
「おっ・・・何か釣れたぞ」
「やったぁ」
あなたは、愛娘の喜ぶ顔に得意満面の笑みで答え、リールを巻いた。それは大変な重みだった。がゆっくりと巻き上がってくる。
「ちょ・・なんだろ、ゴミかなんかじゃないかな・・超重いけど」
そして、川底を流れてゆく、人間の腕から離れた土偶を釣り上げて。
「なに? これ・・・・?」
と言った。そして、家族で代わる代わるその奇妙な形の泥の人工物を手にとり、両手で掲げ、赤い瞳を覗き込み。
「埴輪っていうんだっけ?」
「土偶・・じゃない?・・ったく、変なもの釣っちゃって・・でも・・なんか芸術的。見てよこの赤い瞳。宝石かしら・・見て、この目、すごくきれい。でも変な形ねぇ。きれいに洗って居間に飾りましょうか」
「やだぁ・・気持ち悪い」
ふと怯えたあなたの愛娘は、土偶の過去を直感で感じ取ったのかも知れない。だが。
「へぇぇ、本当だ、なかなか神秘的じゃないか・・本当に。本物の土偶かな」
「まさか・・でも、なんか昔の教科書に乗ってたのとそっくり。案外価値のあるものかも」
「おまえも変なもの好きだからな」
そう言って、妻の意見を受け入れたあなたは土偶を掲げ、小さな赤い瞳を覗き込みながら、朝の記事に書かれていたことを思い出すだろうか。そして、この土偶の小さな冷たく瞬く赤い瞳が今まで、何を見つめてきたのかを想像できただろうか。
次は、あなた・・・だ。
「のろいの土偶、盗難に遭う」
そんな記事を見つけた。
あなたは、ふと、そのニュースに、普段の記事とは雰囲気が違う、何かを感じた。そして興味を持った。だから、小さな声で朗読した。
「なになに、今から二千年前に作られたとされる土偶が博物館の倉庫からなくなっていることに、毎朝、館内を見回っている博物館長が気づいた。昨日までは確かに厳重なケースに保管されていたはずなのに・・・・館長の話によると、その土偶にかかわった大勢の人が謎めいた死に方をしているという。館長は、土偶を盗んだ人が無事でいてくれると切に願う。とにかく、あの土偶を手にした者で生きている者は一人もいないのだから。と詰め掛けた記者に悲壮感ただようコメントを添えた」
あなたは、読み終わり、ふん、と鼻で笑うかもしれない。そのコメントに。
「おまえは生きてるじゃないか」
そうつぶやいたかも知れない。
いや、しかし、それでもあなたは、半信半疑で複雑な気持ちを持ったかもしれない。記事を見つめたまま、後ろ髪を引かれる思いでスマホをテーブルに置いてもなお、記事を見つめ続けた。が。
「ふん・・」
と思い直し、ふと窓の外を眺めた。そして、あなたが窓の外を眺めるのを待っていたかのように、
「いい天気ねぇ~」
と、妻がわざとらしく、遠まわしにつぶやく。あなたは、しばらく家族サービスをしていないことに気づき。
「プチキャンプで、魚釣りにでもいくか」
と妻に言う。そして、妻や愛娘の笑顔に微笑を返し、記事のことなどすべて忘れ、いそいそと愛用の道具を揃え出掛けることにした。
あなたが席を立った後、テーブルの上でスマホの画面に残ったままスリープモードになる、その記事にある盗まれた土偶は、実は2000年前に作られたものではない。
その土偶は、今から2000年前、その時もうすでに相当の歳月を小さな祭壇の中で過ごしていた。その小さな赤い瞳で、人間の営みを見つめ続けながら。
その土偶が時を過ごす祭壇は、村の中心にあった。その祭壇が建造されたのがいつなのかを語る者はいなかった。しかし、その祭壇の前では村人達が毎晩酔い、踊り、そして、月のない夜は儀式が執り行われたのである。ある少女はその儀式の為にこの世に生を受けた。ある少年は儀式の為に大切に育てられていた。また、皆とは雰囲気の違う若者達はその儀式の為に近隣から連れ去られてきた。村人達は、儀式の為に戦いに赴き、儀式の為に大勢の捕虜を養っていた。
月が輝きをなくした夜、村人達は戦士の衣装で正装し、おのおのが武器を片手に祭壇の前に集まった。一人の老人が祈りをささげ、少女と青年が祭壇の前に立つ。老人のつぶやき声が途切れると、老人は青年を指差した。青年は一瞬怯え、しかし、周囲の戦士達に両腕を抱えられ、おぼつかない足取りで祭壇の前に歩みを進めた。再び老人の祈りが始まり、そして途切れる。老人は青年を見つめ、うなずいた。青年はその引きつった表情に脂汗を滲ませながら、土偶に震える両手を添え、震えながら赤い瞳を覗き込み、震えたまま跪いた。土偶の小さな赤い瞳は、背後から突き刺され、きり刻まれる青年を見つめていた。
ある月のない夜。いつもの儀式が執り行われたあと、何気なく空を見上げた村人の一人が、見慣れない星を見つけた。その星は、ぼんやりと夜空に滲んでいた。そして、その星は日に日に大きくなった。村人達は慌てふためき、老人は、毎晩儀式を執り行った。しかし、その星は消えることなく、更に大きく、更に輝きを増した。
その夜の儀式は、いつもとは雰囲気が違っていた。村人達は老若男女問わず車座に座り、老人と同じ祈りをつぶやいた。まず始めに老人が土偶を祭壇から取り出し、両手を沿え、小さな赤い瞳を見つめた。そして、車座に座る全ての村人が土偶を掲げ、小さな赤い瞳を見つめ、何かをつぶやいた。
土偶は、村人達全てに掲げられ、再び老人の手に戻った。老人は、祈りをつぶやき、土偶を祭壇に戻した。やがて、夜空が明るくなり、太陽が地平線から顔を出すと、村人達は、安堵のため息をもらし、互いに笑いあった。そのときである、異変に気づいたものは誰もいなかった。一本の弓矢がどこからともなく飛来し、老人の胸に刺さった。老人が倒れたとき、数百本の弓矢が雨のように村人を襲った。周囲から喚声が響き、村人達はなすすべもなく襲撃者達に切り刻まれた。
祭壇の中の土偶は、その小さな赤い瞳で、串刺しとなり、切り刻まれ、のたうちまう村人を見つめた。祭壇に火の手が上がり、土偶は自身を掲げた村人達が死してもなお切り刻まれる光景を見つめ続けながら、なすすべもなく炎に包まれた。祭壇は村と共に焼き尽くされ、土偶は燃え尽きた灰に埋まった。そして、土偶は誰にも見つけられることなく降り積もる塵に埋まった。生い茂る草木に埋まった。土偶は長い眠りについた。
そこに土偶が埋まっているなどと、誰一人知る者はいないまま、長い時間が流れた。土偶の眠りを妨げるものは2000年の間、誰一人としていなかった。
ある日、喧騒が土偶を長い眠りから目覚めさせた。
ブルドーザーが2000年の間に生い茂った草木を大地から剥ぎ取り、ショベルカーが2000年の間降り積もった塵を掻き分けた。土偶は2000年ぶりに、その小さな赤い瞳で2000年前と同じ太陽を見た。
「おい待て! 何か光ったぞ。なにか埋まっているぞ」
それが2000年ぶりに土偶が聞いた人間の声だった。その人間は、2000年前とは姿かたちがまるで違っていた。人間は土偶の赤い瞳を見つめ、驚いた様子で土偶の頬に手を添え、周りの土を掻き分けた。そして、土偶は、その小さな赤い瞳で、運転を誤ったショベルカーに引き裂かれた人間がのたうつ姿を見つめた。
その後土偶は、半身を地にうずめたまま数日を過ごした。多くの人間が土偶の赤い瞳を覗いた。太陽とは違う一瞬のまたたきが何度も何度も土偶の赤い瞳をより赤く光らせた。しばらくして、土偶は、雰囲気の違う人間に全身掘り起こされた。その雰囲気の違う人間が土偶を手にとり、その赤い瞳の奥を覗き込んだ。土偶はやわらかい綿が敷き詰められたケースに詰め込まれた。土偶は、その人間に抱えられたまま車に載せられた。土偶は微かな振動を感じながら再び暗闇の中で浅い眠りについた。そしてすぐ、ものすごい衝撃にたたき起こされた土偶は、割れたケースの隙間からその小さな赤い瞳で、頭がぐしゃぐしゃにつぶれたさっきの人間のうつろな目を見つめた。
しばらくの間、土偶はケースに寝かされたまま、どことなくおびえた人間達に代わる代わる見つめられた。ある人間は土偶を棒でつつき、ある人間は金属の手で土偶をいじくりまわした。そして、ある人間が土偶を久しぶりに自らの手で掲げた。そして、その人間は土偶をいろいろな角度から眺め、こう言った。
「のろいなんてあるわけないだろうに」
そして、そばにいた別の人間は。
「気をつけろよ、二人死んだんだから」
とあざけるように笑った。
土偶はその人間にうやうやしく抱きかかえられたまま、別の部屋に運ばれようとした。途中、その人間は歩きながら土偶の小さな赤い瞳を覗き込んだ。そして、こうつぶやいた。
「ルビー・・・だろうか」
人間は赤い瞳に心を奪われ、無意識にいつもの階段を下りようとした。
土偶は、その赤い瞳で、横たわり、二つに割れた顔から血を流し痙攣する人間のうつろな目を見つめた。
土偶は、その人間が大勢の人間に運ばれてゆく様子を見つめた。そして騒ぎが収まった後、様子が皆と違う人間に掲げられ、小さな赤い瞳の奥を覗き込まれた。
「土偶って言うんですかこれ・・初めて見ますよ実物は」
その人間はうやうやしく土偶を掲げ、
「へぇぇぇぇ、目は宝石ですかね。結構、精巧に作られているんですねぇ~」
そう言いながら、しげしげといろいろな角度から土偶を見つめた。すると。
「おまわりさん、だめです、その土偶に触っては」
別の人間が、血相を変え、怯えた震える声でそう叫んだ。
「どうしたんです・・皆さん」
土偶を掲げていた人間は、遠巻きの皆を見渡し、鼻でくすくすと笑った。そして。
「それほど大切なものなんですか」
と、ケースを運んできた人間に言った。
「と・・とりあえず、そ・・それを、こ・・ここに」
土偶は元のケースにそっと寝かされ、そして、蓋を閉じられ、再び浅い眠りについた。
「・・・次はあのおまわりさんだ・・」
どこからともなくそんなささやく声が響いた。
土偶は、赤いライトを点滅させている車の後部座席にケースごと積み込まれた。二人の人間がケースを左右から支えた。そして、もう一人の人間が乗り込んだその車は大勢に見守られながら、走り始めた。
「のろいの土偶ねぇ・・どれ、お顔を拝ませていただきましょうか」
ケースの左に座る人間がそうつぶやきながらケースを開けた。
「警部、のろい殺されますよ」
ケースの右に座る人間は顔をそむけた。
「なんだよ怖いのか。はは、俺は、そんなオカルトは信じないよ。ほぉぉぉ。2000年前の土偶。目まであるよ。器用につくられているよなぁ。おい、大丈夫だって見てみろよ」
「結構ですよ・・恐ろしい」
「はは、これからおまえを根性無しと呼ぶことにしよう。なぁ、土偶君」
人間は土偶の頭をポンッと叩いた。そして、その人間に抱きかかえられた。
車がそこに通りかかったとき信号が赤に変わった。車が停止した。土偶の小さな赤い瞳が見つめる先、小さな箱のような建物の中で二人の人間がもみ合っていた。一人がもう一人の人間の首を刃物で掻ききり、真っ赤な血しぶきが飛んだ。そして、首を掻ききった人間が、倒れた人間の腰から黒い塊を抜き取り、今土偶の小さな赤い瞳を見つめる人間に向けた。小さな炎がぱっと瞬き。土偶の小さな赤い瞳は、頭が割れ血が吹き飛ぶ人間の崩れてゆくさまを見つめつづけた。
土偶は、血で染まった綿の敷き詰められたケースにしまわれたまま、誰にも触られることなく数日を過ごした。
「ちょっとでいいから、見せてくださいよ、なんでも、土偶に触った人がみんな死んでるって噂ですし」
帽子をかぶり、カメラを首にぶら下げた男が、そう言いながら、乾いた血を拭き取られないまま、歪んだケースに斜めに傾いて収まる土偶を覗き込んだ。
「この、赤黒い染みは血ですか?」
「ええ、鑑定にもって行こうとした刑事さんのモノです」
「交番で銃を奪われて・・」
「その、交番のお巡りさんは、その前に、この土偶に触ったようです」
「いったい、何人が?」
「はい、一人目は工事現場でこれに触れた作業員、二人目は、研究施設に運ぼうとした考古学の先生。三人目は、施設の研究員、次がお巡りさん。そして、刑事さん。本当に触らない方がいいですよ、これだけ立て続けだと、私たちもどうしていいか」
「まぁ、迷信でしょう、私もちょっと試してみますよ」
「あっ」
と言う間もなく、カメラの男は土偶を抱き上げ、その赤い瞳を覗き込んだ。
「ちょっと・・」
と、周囲にいた人間は息の仕方を忘れたかのように立ち尽くし、動作を止めた。
「ほら・・別に何もないし・・でも、皆さんのその引きつった顔、一枚記念にいいですか」
カメラの男は、土偶をケースに寝かせ、カメラを構えてパシャパシャを数枚の写真を撮り、映り具合を確かめ。
「別に、どうってことないですけどね。土偶君も一枚どうかな」
パシャッと、カメラの男は土偶の写真を撮り。
「ほら、別に何ともないですよ。ま、ちょっと、オカルトっぽく記事にして、ニラサワさんとこに持って行きましょうかね。ちょっと、そのテーブルいいですか?」
と男は土偶を抱き上げ、テーブルの上に置き。
「このアングルかな」
と、もう何枚か写真を撮った。そして。映り具合を確認すると。
「じゃ、どうもありがとうございました」
そう言って、扉を開けて、もう一度会釈をして、部屋から立ち去った。扉が閉まり、言葉をなくした周囲の人たちをしり目に、部屋を出たカメラの男は。ガラスの自動ドアを通り抜けて建物のエントランスに出て、歩き始めた。
部屋の男が数人で顔を見合わせ、ゴクリと唾を飲み込んでから、部屋の扉を開いたとき。テーブルの上の土偶は、その赤い瞳で、開いた扉の向こうに、上から落ちてきた大きな物体につぶされるカメラの男を見つめていた。
ビルのエントランスでは悲鳴が響いたが。土偶が立つテーブルの部屋では、誰も一言もしゃべろうとしなかった。
しばらくして、誰が張ったかわからない「触るな危険」の張り紙で封印されたケースは、倉庫の奥の下の方の隅の方の暗い場所に仕舞い込まれ、やがて、誰もがその土偶の存在を忘れた。誰もが、土偶に関わろうとしなかった。
それから、数年が過ぎた。その倉庫の奥の隅の暗い場所で眠っていた土偶は。
「なにこのケース、触るな危険って・・」
「年季入ってるな、いつからあるんだろ」
「まぁ、歴史博物館だし、何千年も前のモノとかあってもおかしくないし」
そんな小さな声を聞いた。
「なにが入ってんだろね、開けてみる?」
「放射能とか、ウィルスとか・・ゾンビの脚」
「それはないでしょ、なんで脚なのよ?」
「鍵とかかかってないし、ただのイタズラってこともあるっしょ」
「ほら、簡単に開くよ、このケース」
パチンパチンと留め金がばねの力で跳ね上がり。ケースの上蓋は音もたてずに軽く開いた。そして。
「うーわ、汚ねぇー」と、一人はつぶやいた。
土偶は、久しぶりに、ゆっくり差し込んだ光を、その赤い瞳に反射させ、数年ぶりに人間を見た。一人は、眼鏡をした若い男。もう一人は、髪を後ろに束ねた若い女。
「土偶?」
「って、この黒いシミって・・血じゃないの?」
と女は指でケースの中の縮れた綿を摘まんで言った。そして。
「なんか、さぶいぼ出てきた。これって、やっぱ、やばいものじゃないの」
と男は、身震いして。
「本当に、触るな危険かもね、のろいとか、たたりとか、私もほら、本当にさぶいぼ出てるし」
「もう、何かにとりつかれてたりして・・たたりじゃ~。お前をばばぁーにしてやるぅ」
「やめてよ、もぉ。でもホントに・・これ・・気味悪い感じするね」
「・・閉めようよ・・」
「見なかったことにしましょ」
そして、再び、ケースの蓋は閉じられ、土偶は再び眠りについた。
それからまた、時が流れて。
「デパートで石器時代の展覧会に貸し出すんだって」
「石器とか、土器とか、って、このケースナニ?」
「ケース?」
「ほら、触るな危険だってさ」
「って、簡単に開くし・・うーわ・・汚いねぇ、って、これいいんじゃないの。土偶だよ土偶」
そんな声に再び目を覚ました土偶は、二人の男をその赤い瞳で見つめた。二人の男は一瞬、息を止めたかのように土偶を見つめて。唾をのみ、一人が。
「あっ、ひらめいた」と顔をほころばせた。
「ナニ?」
「なんかさ、それっぽい祭壇みたいなものこしらえて、コレ、展示しようぜ、案外うけるかも」
「祭壇?」
「祭壇。審判の土偶。とかって」
「この赤い目とか、見つめると、心を見透かされてぞわっとしてしまうような。なんかこう、今一瞬、ゾクって感じなかった?」
「まぁ、言われたら、そんな雰囲気あるね」
「な、祭壇、適当に木材組んで、それっぽければいいだろ、デパートの客寄せ展覧会なんだし」
「はいはい、じゃ、貸し出してもらおぅか、はんこもらってきてよ」
「はいよ、祭壇は祠みたいな感じでいいかな」
「そだね」
再びケースに閉じ込められた土偶は、数日後。
「はーい、土偶さん、あなたのお家ですよ」
と、一人の男に抱えられ、丸太と縄で作られた祭壇の中に移された。男は、土偶を手に、土偶の赤い瞳を見つめて。
「少し奥っぽい方がいいかな」
と、祭壇の中の土偶の位置を調整しながら。
「やっぱり、このくらいかな? どぉ、おどろおどろしい感じでてる?」
「まぁ・・おどろおどろしいって、言われたらそうかもね。この赤い目ってもっと光らせたりできないかな」
「ライト取ってくるよ」
「俺、トイレ」
そう言った男二人は、祭壇の土偶から離れた。
少しの間、祭壇の中に放置された土偶は、赤い瞳で、前を通り過ぎる人達を眺めた。
時々、チラッと目が合う子供は、必ずのように立ち止まり、すぐに走り去るか。そばにいる親に隠れるように、しがみついた。
「あっくん、どうしたの」
「あれ・・・怖いよ」
「あれって、あれ、土偶? なによこれ、審判の土偶だって,触っていいのかな?」
その母親は、土偶に手を伸ばした。が、
「どうしたの、あっくん」
と子供が裾をひく力が強かったのか、その子供を抱き上げて。
「土偶って言うのよ」
と怯える子供に土偶を見せてすぐ立ち去った。
その後、代わる代わる、祭壇の中の土偶を覗き込む人達の一人が土偶の前で立ち止まり、立ちすくんだ。
「あの、この土偶の関係者の方ですか」
と近くの作業員に訊ねたその初老のおじさんは。
「あの・・何か被せるものはないですか」
と、明らかに慌てふためく仕草で、周辺の作業員や店員に声をかけた。そして。土偶の前でキョロキョロとおろおろとしているそのおじさんに、ライトを取りに行った男が気付き。
「どうかしましたか?」
と声をかけた。
「あの、この土偶の関係者の方ですか?」
「ええ・・関係者と言えば関係者ですけど」
「この土偶を触りましたか」
「はい、触りましたよ、触らなきゃ、祭壇に飾れないし」
「何人がこの土偶に触りましたか?」
「何人って、今さっき、この祭壇に飾り付けたばかりですし」
「それだったら、早く、仕舞いなさい、この土偶はダメです。とにかく何も聞かずにしまいなさい」
「なんですか、変な人ですね、これは、近所の歴史博物館から借りてきたただの土偶でしょ」
「君は、知らないんだ、この土偶はだめなんだ」
「って、一応、展覧会の目玉ですし、いまさらしまえっていわれてもね」
「とにかく、これに触れてはいけない」
「なんですか、変なおじさんだなぁもぉ」
「はやく、仕舞いなさい、とにかく触ってはいけないんだ」
「なんですかもぉ」
「早く、しまえと言ったら仕舞うんだ。これに触れたら死ぬぞ」
「死ぬぞだなんて大げさな」
「どうしたんだ」
「なんか変なおじさんがさ」
「ちょっと、じゃまするんだったら警察呼びますよ」
「あぁ、呼べ、そして、早くこの土偶を仕舞いなさい、だれも触ってはならない」
「触るなって」
ともう一人が土偶を抱き上げ。
「触ってますよ、誰も死なないじゃないですか。はい、ぱーす」
「ほいキャーッチ、だれも死にませんよ、ほら、もぉ、本当に警察呼びますよ、じゃましないでください」
「とにかく、触るな」
おじさんの声は怒鳴り声に変わり、あたりの来客たちが振り向いた。
「すいません、警備員の方ちょっと」
その騒ぎに、やってきた警備員は土偶を渡され。
「ちょっと、これを安全な所に、このおじさん変です」
ともう一人の警備員がおじさんを掴み。
「ちょっと、きてください」
「どうなっても、知らんぞ」
と大きな声で怒鳴ったおじさんは連行された。
そして、騒ぎが収まり、土偶は、祭壇の中に戻ったり、二人の男に促されるまま、やってきた来客に代わる代わる抱き上げられたりした。
「ゾクっとしましたか」
「ええ、なんか、気味悪いですけど」
「これって、本物なんですか?」
「さぁ、どうなんでしょうね」
「レプリカに決まってるだろって、うわ、結構重いし」
「この赤い目から出るもので、なんかいいことあればいいですけどね」
「土偶なんて、縄文の展覧会で見て以来だね、なんか本物っぽいね、これ」
何人が土偶に触れただろうか。何人がその赤い瞳を覗き込んだだろうか。
「さあ、もう、帰ってください。警察に通報はしませんから。だいたい、泥の人形を触って人が死ぬわけないでしょうに」
と警備員に追い出されたさっきのおじさんが展覧会場を振り返りながら、とぼとぼと歩き始め。警備員は、展覧会場へ。おじさんは下りのエスカレーターに乗って、すぐ。
「ガス?」
と、おじさんの前にいた女性が鼻をクンクンさせ、振り向いたその瞬間。衝撃波と同時に明かりが消えて、何がどうなったのかわからないまま、落ちてきたのは天井? 止まったエスカレーターの手すりに瓦礫が倒れ掛かり、その隙間から、さっきのおじさんが血まみれの顔を出した。その先で。倒れ掛かる瓦礫と瓦礫の隙間にはまり込んだ祭壇の中、鎮座する土偶は、赤い瞳で、がれきに押しつぶされた何人もの人間を見つめていた。
いつしか土偶は、血糊をふき取られることもなく、汚れきったまま、分厚いガラスでできたケースに閉じ込められるようになった。毎日同じ時間に通り過ぎる人間の怯えた顔をその小さな赤い瞳で見つめ続けた。
ある日の真夜中、土偶の小さな赤い瞳は、しばらくぶりで別の人間を見つめた。その人間は片手に小さな光を持ち、土偶の周りをうろうろした後、何かを、持っていた袋に詰め込んでいった。
その人間はしばらくの間、あたりをうろつきまわった後、土偶の前で足を止め、小さな明かりで土偶を照らした。人間は土偶のケースを小さな金属を使ってこじ開けた。そして、土偶を掲げ、その小さな赤い瞳を覗き込むと、にんまりと笑い、土偶を袋に詰め込んだ。
その人間が誰だったのか、どこに行ったのかは誰も知らなかった。土偶は、その日、突然、どこかに消えてなくなったのである。
あなたは、すがすがしい太陽に照らされ、きらきらと輝く清流のせせらぎを全身に浴びながら、釣り糸を垂れている。そして。
「なにも釣れないね」
と、水際にしゃがむ、かわいい愛娘が振り向き見上げた瞬間、何かがあなたの垂れる釣り針に引っかかった。そのとき、朝の記事を思い出せただろうか。
あなたの垂れていた釣り針には、あなたには見えない川底をゆっくりと流されてゆく、今は、ただそれだけとなった人間の腕がつかむ、あの土偶に引っかかったのだ。
あなたは釣り竿の先に感じた重みにこう叫んだ。
「おっ・・・何か釣れたぞ」
「やったぁ」
あなたは、愛娘の喜ぶ顔に得意満面の笑みで答え、リールを巻いた。それは大変な重みだった。がゆっくりと巻き上がってくる。
「ちょ・・なんだろ、ゴミかなんかじゃないかな・・超重いけど」
そして、川底を流れてゆく、人間の腕から離れた土偶を釣り上げて。
「なに? これ・・・・?」
と言った。そして、家族で代わる代わるその奇妙な形の泥の人工物を手にとり、両手で掲げ、赤い瞳を覗き込み。
「埴輪っていうんだっけ?」
「土偶・・じゃない?・・ったく、変なもの釣っちゃって・・でも・・なんか芸術的。見てよこの赤い瞳。宝石かしら・・見て、この目、すごくきれい。でも変な形ねぇ。きれいに洗って居間に飾りましょうか」
「やだぁ・・気持ち悪い」
ふと怯えたあなたの愛娘は、土偶の過去を直感で感じ取ったのかも知れない。だが。
「へぇぇ、本当だ、なかなか神秘的じゃないか・・本当に。本物の土偶かな」
「まさか・・でも、なんか昔の教科書に乗ってたのとそっくり。案外価値のあるものかも」
「おまえも変なもの好きだからな」
そう言って、妻の意見を受け入れたあなたは土偶を掲げ、小さな赤い瞳を覗き込みながら、朝の記事に書かれていたことを思い出すだろうか。そして、この土偶の小さな冷たく瞬く赤い瞳が今まで、何を見つめてきたのかを想像できただろうか。
次は、あなた・・・だ。
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