チキンピラフ

片山春樹

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私に恋をしている男の話

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そして、いつの間にか学校の教室。
「美樹おはよ・・って・・どしたの、そんなに嬉しそうな顔して」
と弥生に言われて。まぁ・・うふふふふ・・と、ニヤニヤが止まらない、昨日からの幸せな気持ち。
「まぁ・・そう言うことね・・はいコレ、言ってた本」
と弥生が鞄から出す本を受け取りながら、私を見ながらニヤニヤと勝手な空想してる弥生に。
「まぁ・・ちょっと・・そう言うことだから」
とつぶやきながら本のタイトルを見ると。
「彼氏のトリセツ・・」と自然と声が出て。
「まぁ・・ただの参考資料よ、少しは役に立つと思うけど。どちらかと言うと、自分の思い込みを修正するために必要かなと思う、こんな本って。アレもコレも自分勝手な思い込みなんだねって気付かせてくれることいっぱい書いてるから」
と弥生が簡単に説明してくれること。
「思い込み?」を聞き返すと。
「うん、思い込み、そうであって欲しいのに、そうじゃなくて腹が立ったりするけど。本当の所は、私がただそうであって欲しいと思い込んでただけでしょ。ってやつ。ちゃんと確かめたの? どうやって? と言う質問に答えられないものは全部思い込みなんだって」
と難しくて頭に入ってこない長いセリフ。だから。
「そうであってほしいと思い込んでただけ。例えば・・」
そうであってほしいことが思いつかないかもしれない自分の気持ちをそのまま聞いてみると。
「たとえば、好きだって言ったなら、当然、私に忠誠を誓ったってことでしょ。と私は思い込んでいたけど、本当は、ただ、そう言うとカワイク笑ってくれるから好きって言ってるだけなのよ。とかね。あいつは私の機嫌を取りたくて好きだって、そんな理由でいってるのか、とか」
と言われて。思いつくままに。
「好きだって言ったなら、忠誠を誓ったってこと。と弥生は思ってたの?」
そう聞いたら。
「美樹も、少しくらいはそんな気持ちあるでしょ。好きな男に好きって言われたら、ふふんやっぱりって上から目線になったりしてない?」
なったりしてるかな・・というか、なってるかもしれないかも・・。おぉー、春樹さんが私の言うことを聞いてる・・とか。ふふん、と言う気持ちを。
「まぁ・・ちょっとだけ・・」と素直に返事するけど。
「でも、実は、ただ、好きだって言えば、嬉しくてカワイク笑うから、笑顔が見たかっただけで言ってるだけなのかもしれないって」
と言われて、思い出したこと。春樹さんもそんなこと言いながら好きだって言ってくれたかな、と思い出し笑いすると。弥生も一緒になってくすくす笑う。あの時の春樹さんのセリフ。
「俺・・本当に好きだよ、美樹・・・ちゃんのこと。その笑ってる顔、本当に癒されてほぐされて悩みも不安も何もかも忘れてしまう。本当に、カワイイ」
そう言われるとそうかな。笑ってる顔、本当に癒されてほぐされて・・カワイイ。嬉しかったよね、あの瞬間。だから。
「まぁ・・ちょっと嬉しいです。カワイイって言われると」
だなんて、私は間違いなく上から目線でそう言って、本当は人生最大級の嬉しさだったのに。ちょっと嬉しいです。だって・・私のあのセリフにもなんだかものすごい自己満足してたかな。つまり、忠誠を誓ってもらってたことに ご満悦 だった。と言われればそうだったかも。それに。
「そうか・・じゃぁ・・どうすれば、もっと嬉しい?」
そう言われて自動的に空想したことまではっきりと思い出せる。
春樹さんと一緒に暮らしている私、私と春樹さんはいつも一緒に仕事をしていて、春樹さんがお料理を作って、私が運んで。お店のみんなと、弥生とあゆみが冷かしに来てる。いつか将来あの人とそんな小さなお店で一緒に暮らして、今、頭の中のスクリーンに投影されている景色が現実になる日が来るのかな? そんなことを本当に空想している私。
「美樹・・みーき・・」と私を呼ぶ声が遠くに聞こえて。
「美樹ってば・・」と揺すられて。
「え・・?」と思いながら、ピントが合うのはあゆみの顔。いつ現れたの?
「どうしたの? また、体から魂が抜けてた感じしたけど」
「え・・?」と思って弥生の顔を見つめると。まだくすくすと笑ってる弥生が。
「春樹さんとエッチなことしてる夢でも見てたんじゃないの。あぁ~それとも、エッチなこと されてた ことを思い出してた」
なんて言うから。
「えっ・・ち・・だなんて・・」
「そう言うことじゃないの? そんな顔してたよ今」そう言うことって・・それじゃないし。やっぱり弥生とはシンクロしてない。たから。
「ち・・ちがうわよ・・」と否定したけど。
「やっぱり‥そうなんだ」とあゆみまでもがものすごく真剣な顔。
それに、何が そうなんだ か、解らない言葉で納得してるし。だから、もう一度。
「ち・・ちがうわよ」と否定しても。
「ふううううん・・美樹って。可愛い顔してるのに、やるときはホントにやるのねぇ」
とニヤニヤつぶやく弥生と。
「えぇ~・・もしかして、あと残ってるの私だけなの」
と、本当に悔しそうにぼやくあゆみが。
「どうしよう・・やっぱり、これっ本当に17歳で経験しなきゃダメなの?」
って何が? って・・まぁ・・あのことか・・と思い出すけど。そう言えば、そういうことを空想すると連想してしまう、この前の春樹さんも私の「Dカップ」とか言ってたし。やっぱり、春樹さんも男の子だからって空想したら、朝からそうゆう話題で盛り上がるのやめましょう。という思いもするのに。思い描くと止まらなくなる こういう 空想。春樹さんの「美樹ちゃんのDカップを空想してたけど」とニヤニヤ私の胸元を見つめていた顔を思い出して。やっぱり興味あるのかな・・そういうこと。それに、「見たいならそう言ってください」と言った私に。「ああ、うん。そのうち」と8文字でつぶやいたあの時の春樹さんって、目を伏せて、ははぁー・・って私に忠誠を誓いきってた顔だったかも。つまり、春樹さんは私のDカップのシモベ。召使い。そんな事を想うと。にやにやっと笑ってる弥生につられて私も ふふん・・ドヤっ として、にやっとしてしまうし。そんな私を観察し続けている弥生が。
「ほらぁ~。一人でニヤニヤしてないで、春樹さんと、どんないいことあったのか報告しなさいよ」といやらしく追及すると。
「美樹って、どんないいことって、春樹さんと、どんないいことあったの?」
とあゆみも身を乗り出して追及してくるし。
「何もないってば・・」
と言うけど。早く白状した方がいいわよ~。という弥生の目つきが怖くなったから。
「だから・・ちょっと、そのスケジュールがシンクロしたというか」
と必要最小限の白状をしたつもり。なのに。
「えぇーナニソレ、スケジュールがシンクロした? って」と、きょとんとする弥生に。
「つまり・・予定表の枠に、私と春樹さん、同じことが書かれてるって意味」
とつぶやくと。
「あ・・そう・・予定表の枠に・・」と首を傾げて不思議そうに納得してくれたけど。
「って何が、あ・・そう・・なの?」と解ってくれないあゆみにも。
「まぁ・・つまり、予定がシンクロしたってことは、会う時間を作って、話し合う時間ができて、お互いをもっと知り合う、という予定が美樹と春樹さんどちらの予定表にも載ってる。同じ日にちの同じ時間に同じ場所で同じもの食べて同じもの飲んで同じ話題を話して。同じ気持ちで・・好きだよ、私もよってシンクロさせると言うことね」
そうわかりやすく説明してくれたけど。
「あ・・そう・・って。好きヨ、私もヨ、って」とまだ聞くあゆみと。
「本当に、本格的に、付き合い始めたってこと」とニヤニヤする弥生。
「で、それって。いつなの? どこなの? 同じ日にちの同じ時間の・・どこ?」と真剣に私に迫るあゆみ。
「って絶対言わない」言ったらどうなるかわからないでしょ・・。
「なんでよ、教えてくれてもいいじゃん」とあゆみ。
「教えたら、また邪魔しに来そうだし」と私。
「またって、じゃましたことなんてないし」とあゆみ。
何度も邪魔されたような気がするけど・・いつ邪魔されたか思い出せない・・かな。
「でもさ、応援しに行きたいよね」と弥生は言うけど。
「ねぇ、春樹さんの顔も見たいし」見てどうするつもりなのよ・・と思いながら。
「まぁ・・また・・そのうち」と私も8文字の返事してる。
「まぁ、人の恋路を邪魔してるのかな・・でも、こういうのって無茶苦茶気になるし」
と弥生が言った前半にだけ。
「邪魔してる」そう即答する私。と、あゆみが後半に。
「あ~ん・・もぉ・・無茶苦茶気になる。私も彼氏が欲しいよ~」そうぼやくから。
「そのへんの男の子に声かけてあげれば、あゆみも魅力的なところあるんだし」
と言ってあげながら。その私たちのモノより大きくて、はち切れそうなバストをチラ見したら。
「って、そんなこと美樹に言われたら、ものすご、つらいのですけど・・泣きたい。えーん。美樹にあんなこと言われたぁ。えーん」
って弥生に泣きつくあゆみに・・私も、今のは言い過ぎたかも・・と思って。
「ごめんなさい」
とつぶやいてみた。聞こえたかどうかはわからないけど。

そして、授業が始まり。ぼーっと先生が何かを黒板に書いているのを眺めながら。
でも、そんなあゆみと比べて、なんとなく私自身の浮かれてる気持ちを冷静に感じると。いつもこのタイミングで、空想の中もたげてくるのは知美さんの存在。春樹さん、私と付き合うのなら、知美さんとの関係をこれからどうするつもりなんだろう。知美さんは「あの子にカワイイ恋をさせてあげたいの」だなんて、あんなに大人のオンナなのに、私より可愛い仕草で言ってたし。と思い出す、確か知美さんが神様の声を聞いたあの日の言葉。
「これからは、春樹君が美樹ちゃんをどうにかしようとしてる。ことを見守ってみようかなと思っている。あの子にカワイイ恋をさせてあげたいの。美樹ちゃんもがんばって、あしらって、はねつけて、でも・・受け入れてあげたり、こそこそエッチしてもいいから」
あしらって、はねつけて、でも、受け入れてあげたり、こそこそエッチしてもいいから。私、あしらった? はねつけた・・かもしれないね。肘で。でも、今は受け入れてあげている? 付き合ってみないかと提案してくれた春樹さんの意見を受け入れてあげている。とすれば、次は、こそこそとエッチ・・。と思い出して、「いい、入れるよ、したいんだろ」というあの日の春樹さんのセリフが映像と一緒に、また頭に中でこだまするから、それ以上空想できなくなって。幻滅と共に、輝いていた空想がゆっくりと終わりを告げられたかのように暗くなってゆく・・これは本当にこんな風に暗い闇に包まれながら終わってゆく未来の予感? なわけないよね。と心の中でつぶやくと。授業も終わって、今日は学校が終わったら、待ちに待った、こそこそとえっち・・ではなくて。春樹さんと約束した、アスパのマックで待ち合わせ。待ちに待った・・とさっきまで思っていたけど、時間が迫ってくると不安の方が大きくなってくるような気もする・・。
「5時半にアスパのマックでいいかな? 今からコツコツと補習しようか」
補習・・そうだった、デートというより、補習という名目のはず。とりあえず・・授業ってどこまで進んでる? と思うけど。まぁ、そんなことは、あとでもいいや。それに。
「はい・・コツコツ補習お願いします。お礼にエビフィレオ買ってあげますね」
と私、嬉しそうに言ったよね。エビフィレオ・・まぁ、ハンバーガーを買ってあげるくらいのお金はあるし。学校に行く前の朝の支度よりも入念に準備してるような気持で。帰り道に寄るだけから、服は制服のまま。鞄も持って、そうだ・・と思う髪型も・・周りのみんなの髪型と比べたり・・して気付いたこと。
「髪型・・なんて・・これでいいのかな? 普通だよね」
ガラスの窓に映る私にそうつぶやいて。でも、まるで隣に知美さんがいるかのような気がするのは、私の顔も髪も、知美さんと比べたら、お化粧なんてしたことないし。おしゃれなんてわからないし、私って知美さんよりはるかに子供っぽいかな・・って。高校生って子供だよね。春樹さんは5つも年上だから私よりは大人で、知美さんは7つも年上だから、正真正銘の大人のオンナだし。私と比べる方がどうかしてる? そんなことぶつぶつ考えていたら。
「美樹、今日どうするの? バイトあるの?」
と弥生が聞くから、慌てて。
「え・・ううん・・バイトは・・」と答えると。
「美樹はこれから春樹さんととデートなんじゃないの?」とあゆみが割り込んできて。
「あー、そう言えば、そうだっだねって、朝言ってたの今日のコトなんだ」
と納得する弥生に。
「まぁ、そういうこと・・でも、弥生ってナニか私に予定あった?」と尋ねてみたけど。
「ううん、大したことじゃないから気にしないで」と笑ってる弥生。
「うん・・」大したことじゃない・・こと、だとなぜか気になるかも。
「でもね、学校終わってから見渡すと。あっちは塾通いグループね、こっちはバイトグループでしょ、部活グループと、あゆみは何も予定ないグループ。カレシとデートは美樹だけ、じゃないの?」
と、弥生がグループ分けしてるそれぞれの集団が私にもなんとなく色分けできて。でも。
「カレシとデートか・・美樹がねぇ。なんか信じられない。美樹が学校帰りにオトコとデートするだなんて」
とぼやくようにつぶやくあゆみに。
「・・オトコとデートだなんて・・ちょっと会ってお話しするだけだし」と言い訳してみても。
「それがデートでしょ。ちょっと会ってお話しするって。でもどんなお話しするつもりなの?」
そう言い返されたら。返事もできないような・・。だから。
「まぁ・・そうだけど。その、春樹さん、補習しようかって、1時間ほどだし」
ありのまま、そう白状するしかないような。すると弥生が。
「補習かぁ・・そろそろ中間テストの用意しなきゃならないのかね。あぁ~ゆーうつ」
とぼやいて、ナニを思い出したのか、あゆみが。
「私も春樹さんに教えてもらったら、こないだの美樹みたいに上位狙えるのかな」
そう言い出して、弥生と二人で勝手な話を始めた。
「あーそれね、私も、補習受けたい。春樹さんの補習」 
「それ想像すると、あ~いいなぁ・・邪魔はしないから、今度また春樹さんに会わせてよ」
「ねぇ、私のお店使っていいからさ」
「ああ~また商売上手」
「テストで上位取れたら割引サービスしてあげるしさ」
「私も、20番より上に行けたら春樹さんになにかサービスしてあげたいかも」
「だから、勉強するなら私のお店で私たちも混ぜてよね」
「それそれ、美樹だけ抜け駆けってなんかずるい」
そんな風に二人で勝手に話を進めているような・・。それに。
「うん・・また機会があれば」と、曖昧な約束してしまう私も、うまく断れないし。
「じゃ、また明日、私はお店、少し手伝ってくるから」そう話を終わらせた弥生に。
「はーい、じゃ、また明日ね、私は何も予定ないグループのみんなとたむろしてくる」
と同じように話を終わらせたあゆみにも手を振って。弥生を見送ったら、別の友達と合流したあゆみたちの。
「どうする、マッく行く?」と言ってる声が聞こえて。
「行こっか、エビフィレオ食べたい」エビフィレオ?
「あー私も、小腹空いたよね」ってあの子も?
えっ? マックってアスパのマック? と言うことは、イヤな予感がするってことかな? エビフィレオ・・とも聞こえたし。つまり、アスパのマックはマズイ・・。だから。慌ててスマホを取り出して。
「春樹さん、場所買えませんか?」
と電光石火のメールをしたのに、しばらく待っても返事は来なくて・・。どうしよう。オロオロしてる間に5時回ってるし、とりあえず自転車を漕いで、アスパのマックに向かったら、外から見てもわかる、この時間、マックの前のフードコートは、ほぼ満席で、同じ制服の女の子たちが・・・こんなに大勢たむろしている。なんて、ここって、この時間、こういう場所だったの? 知らなかった。みんな食べたり飲んだりしながら、教科書とかノートを広げて。ほとんど同じ学校の女の子だらけ。知り合いはいないような気がするけど。見たことありそうな顔はちらほらしてる。えぇ・・と思う。私、こんなシチュエーションの場所で春樹さん、というか、年上の男の人と待ち合わせしてるなんて、みんな・・私と春樹さんを・・どう思う・・の? と思った瞬間。
「美樹ちゃん、お待たせ」
と後ろから、ふわっと私の両方の肩に乗った、ロボットみたいな手袋の手が凝っていそうな肩の筋肉をむぎゅっと掴んで。どきぃっ・・と首をすぼめながら振り向かされると。
「一番可愛いから、美樹ちゃんだって、すぐわかるね。待った?」と聞く春樹さんが本当にそこにいて。今まで何考えていたのか忘れてしまう優しい笑顔で。
「それじゃ、エビフィレオ頼んでもいいかな」
と私の背中を優しい圧力で押しながら店に入ろうとする。どうしよう。イヤとも言えないような、優しく押されているから勝手に進んでしまう足取り。でも、見渡すと、知ってる顔がたくさんあるお店の中のフードコート。みんな女の子同士でキャイキャイしてる特別な空間に。私だけ・・5つも年上の男の人に背中を押されて入場しようとしている。そんなことが頭の中うじゃうじゃし始めて、どうしていいかわからなくなっているのに。春樹さんは。
「なんだか、制服の美樹ちゃんも魅力たっぷりで惚れ惚れしちゃうよね」
って、何の話ですか? と思っていたら、上から下までをじろじろと観察しながら背中を押すから、歩くしかないし。入口に立つと、ガラスの自動ドアが勝手に開いて、大勢の女の子の騒がしい声がキャイキャイと聞こえて。
「うーわ・・制服の女の子だらけ・・・」
とドアをくぐってから立ち止まった春樹さん。に背中を押されたまま立ちすくんでいる私。お店の中のみんなが一人二人と私たちに気付いた視線を向け始めて、キャイキャイと聞こえる声のボリュームが少しずつ下がり始めて。すぐに、ほぼ全員が私と春樹さんに注目したとき。シーンと途切れた雑音の向こう側から聞こえ始めた微かなボリュームのBGMはなぜか、「もーしも、運命の人がいるのなら、運命の出会いがあるなら。あなたは、いったい、どこで寄り道しているのかしら・・」
「私なら、いつもここにいるよ、そろそろまちくたびれ・・られるれるるころ・・・」
って・・舌を嚙みながら歌わないでください。と見上げたら春樹さんはニコッと、こんな時に、悲しくなりそうなほど爽やかな笑顔で「風のうわさではまた誰かが・・・」と歌いながら私を見つめて。
「そこ空いてる。美樹ちゃんは窓際に座る? こないだの本でさ、女の子は必ず壁を背にして座らせること。って書いてて。俺がキョロキョロせずに美樹ちゃんだけを見つめるためなんだって」
そ・・そうですか・・って。何の話ですか? と魂が抜け出しそうな私の体は、言われるがまま窓際の席、壁を背にして座らされて、冷静にそこから見える景色を観察すると、そこはお店の中が一望できる特等席のような場所。つまり、お店の中のどこからでも注目を浴びせられる中央ど真ん中のセンター席・・。どうして・・私をこんな席に座らせるの春樹さん・・。そう思っているのに、お店の中にいる制服姿のみんなが、私をジロジロと見て、その中に、知ってる顔もちらほらと私と目を合わせて、口元を押さえてニヤニヤしてるし。なのに、そんなことお構いなしで。私だけを見つめたまま。
「ナニか注文しようか? 美樹ちゃんも何か食べる?」
と聞いてくる春樹さんの顔を見上げて。あの・・場所・・変わりませんか? と言いたのに、ここはちょっと、と言おうとするけど、私、声が出せない、それに、ニコニコと。
「お腹空いてるでしょ、食べ盛りの年頃だし」
と、私の発言を遮るように聞く、春樹さんの優しい顔にもっと何も言えなくなるし。 と言うか。近くの席から微かに耳まで届いてくる声がはっきり聞こえる。
「あれって、美樹のカレシ・・」
「例の噂のイケメン大学生・・」
「へぇ、本当にイケメンじゃん・・っていうか。えぇ~」
「爽やかすぎる。何アノ優しそうな笑顔・・」
「へぇ、本当に頭良さそうね・・」
「うーわ、ちょっと大胆過ぎでしょ、こんな時間にこんな所でカレシお披露目なんて」
「えぇ~、本当にそうなの? えぇ~、くゃしぃぃ、より、うらゃましぃぃ」
「なんで美樹にあんな素敵な彼氏がいるのよ・・というか、これって現実?」
そんなひそひそ声が聞こえて。別に、お披露目なんて・・してるわけではないのに。ただ、春樹さんが、この場所を指定しただけで、ここがみんなの放課後のたまり場になっているだなんて、知らなかっただけなのに。視線をオロオロさせながら、そう考え込んでいると。
「ひそひそ話が聞こえますけど、お披露目? に、なっちゃった? どうすればいいのかな?」どうすればなんてわかるわけないでしょ、それに。
「だから・・」場所変えませんかって言いたいのに。
「みんなに挨拶だけでも、しとこうか?」
えっ? と思う間もなく、後ろを振り返った春樹さんは。
「みなさん、こんにちは」
と軽くお辞儀なんかして。そしたら。
「きゃぁぁぁぁぁ、みなさんこんにちは、だって」
「きゃぁぁぁぁぁ、本当に美樹のカレシなんですか?」
「えぇ~、かっこよくて、爽やかで、私より背が高くて、・・・」
「笑顔が素敵で・・・」
「理想、絶対・・私のタイプ・・すきになりそう・・」
「うっそー・・あんなオトコが、どうして美樹・・なの」
そんな声が私にも聞こえて。春樹さんにも届いているはず。なのに。
「まぁ・・そういうことで、よろしく」
だから、そんな、恥ずかしそうにお辞儀なんてしなくていいし、よろしくなんて言わなくてもいいのに。私はこんなにはずかしい・・のに。どうしてこんなに私のコトを知らん顔して。椅子に座りながら。
「エビフィレオ頼んでいいの?」なんて言うのよバカ。バカバカ・・。みんなまだ見てるから。
「どうぞ、ご自由に」もういいですよ。泣きたくなってきた。のに。
「美樹ちゃんはどうする?」
あー明日学校で何か言われそうと思うと吐き気がして胸が焼けてくる。それなのに。
「美樹ちゃんもエビフィレオ食べる?」だなんて、いつも通りの間のぬけた春樹さんの笑顔。いりません・・食欲ないです。と思っているけど。私がそんなこと思っているだなんて絶対感じてもいなさそうな春樹さんの笑顔はそのままだから。
「それじゃ、ポテトでもいただきますよ」とでも言わないと、しつこそうだし。
「はい、じゃ、頼んでこようか・・ちょっと待ってて。飲み物はどうする」
「なんでもいいです」はぁ~・・みんなまだ見てる・・。
「はいはい・・どうしたの、いつもと違うけど」
だから、みんなが見てるから恥ずかしいのです・・。と思ってうつむいたら。
「えぇ~春樹さんじゃないですか。何してんですかこんなところで」
と大声で叫びながら駆け寄ってきたのは、あゆみ・・と・・さっきのあゆみと一緒だった二人も・・目を丸くして私をチラ見した後、春樹さんをじろーっと見つめている。あぁ~どうしよう、もっとややこしくなりそう。
「えーっと・・あゆみちゃん・・だよね」と春樹さんも思い出して。
「あぁ~覚えてくれてる、超うれしぃ」とあゆみは春樹さんにしがみついて。
「えぇ~美樹って春樹さんとデートってここだったの、ちょっと大胆過ぎない?」
そう言いながら、今日はすぐに離れた。でも。
「へぇぇ、あゆみちゃんも制服だと、すんごく可愛いんだね、別人みたい」
って、今日は、あゆみのこと、のけぞらない春樹さんのそんな一言が気になって。
「それってなんか気になる言い方ですけど、でも、春樹さんにカワイイって言われると、無茶苦茶うれしぃです。ウレシイー」とジタバタと喜ぶあゆみと。
「って、誰なのこの人」とあゆみの友達さん。にあゆみはシレっと。
「美樹のカレシの春樹さん。私も知り合い。私たち水着見せあった仲ですよね」
なんて勝手に話始めて、あーもぉそんなに大きな声で、本当にややこしくなってきたかも。
「み・・水着見せあった仲? あゆみが? この人と?」
そうあゆみの友達が目を丸くすると。あゆみがいやらしく。
「ほら~あの時、春樹さん。水着の私をお姫様抱っこしてくれたじゃないですか。うふふふふふ」と口元を押さえて。
「水着でお姫様抱っこ・・・」と同じように口元を押さえる友達さんに。
「あぁ・・うん・・そんなこともあったかな」と恥ずかしそうな春樹さん。
確かにそんなことがあった・・私も・・人差し指をピン・・したこと思い出してるかも。たぶん、あゆみもそのことをニヤニヤと追及してるのだと思うけど。
「ほらー、春樹さん、他にもあんなことがあったじゃないですか。私覚えてますからねぇ。 で、何してるんですか? 美樹とデート?」
と話題を変えて。
「まぁ・・補習と言う名目というか・・デートというか・・今日は、まぁちょっと会ってお話し」
「補習。そう言えば、解らないコトあります、教えてください」
とズーズーしく隣の椅子を引き出して、春樹さんの隣に座るあゆみが私をチラッと見てから。春樹さんに向けてニコッとして。
「こーれー、先生の説明聞いても何が何だかさっぱりわからなくて」
と鞄から教科書とノートを引っ張り出すと。急に目つきが変わった春樹さん。
「あー振り子の原理ね。振動解析の基礎ですか・・へぇ~こんな勉強してるんだ」
「そうですよ、周期とか解析とか言われて、重くても軽くても同じとか、なんのことですか? わかりますか?」
「振り子は、糸の長さで周期が決まるの。この公式は、周期つまり。長さLの糸にぶら下がってる錘が、行って帰ってくる時間Tは。2×π×√長さ÷重力加速度9.8の事で。公式の中に錘の重さが入っていないでしょ。つまり質量mが存在しない式」
「入っていない・・って・・公式だとか言われてもイメージできないし」
って。あゆみと春樹さんの二人とあゆみの左右にいる友達さんも、私の事など眼中にない真剣さで教科書とノートに向き合い始めるから。
「あの・・」
と言っても、
「重くても、軽くても、πの値と重力加速度の値は変わらないから。糸の長さL・・・」
って私を無視してるし・・。だから。
「あーの・・」と大きな声で
「ナニか食べますか・・」と春樹さんに言ったのに。
「あー私フィレオフッシュ、美樹のおごり?」なんてことを言うあゆみ。
「え・・いいの。じゃ私ダブルチーズ」と髪の長い娘・・。
「それじゃ私はエビフィレオ。ポテトMつけて。コーラ」ともう一人の普通の娘・・。
「あーそれじゃ、コーラあと二つ。春樹さんは」
「あ・・それじゃ、俺もエビフィレオとポテトM」
「えぇ。気が合いますね」
「って、勝手に抜け駆けしない。一応、美樹のカレシなんだから遠慮しなさいよ」
とあゆみは言ってくれるけど。一番遠慮してないのはあゆみのようにも見えて。
「はーい・・って。お名前なんでしたっけ」
「あ・・春樹と言います。片山春樹」
なんで自己紹介なんかしてるの・・私、きぃぃぃってなりそうなのに。
「カタヤマハルキさんですか・・いい名前ですね」
「あ・・そうかな、で、君たちは?」
「私はハルカ、こっちは」
「ハルミです」
「へぇぇ。みんな春の字がつくのもしかしてスプリングファミリー結成」
「私は遥彼方の遥です」
「私は、晴れた美しい日という意味の晴美」
「そっか・・って。覚えるの大変だな。髪の長い君が遥ちゃん。と晴美ちゃん。あゆみちゃん」
って、プールに行った時もそうだけど。女の子に囲まれるとなんだかいつもより嬉しそうな顔する春樹さんのコトが嫌いと言うか。むしゃくしゃするというか。
「じゃぁ・・私、買ってきますから・・」
とギスギスしながら席を立つと。知らん顔でノートに何かを書き始めた真剣な春樹さんの横顔に、あゆみがくっつきそうなくらいに顔を近づけていて。むっとしたら。
「あ・・美樹ちゃんは何食べるの」と聞いてくれたけど。
「勝手に買ってきますよ・・・」そう言うと。
「あ・・そう・・」と、すぐにあゆみのノートに真剣になって。あんなに近づいて。なによもぉ・・と言いたいけど。どうしてこうなるのよ・・とも思うし。あゆみもそんなに前にかがんだら・・やっぱり春樹さん。鼻の下を伸ばしてあゆみの胸元の襟の間から見える谷間を気にしてる。また・・人差し指がピンって・・なるのかな・・なんて、何思い出しているのだろう私。
「でね、ガリレオガリレイと言う人を知ってるかな?」
「あーしってる。キリスト教のこんな感じの人」
「それは、フランシスコザビエルでしょ」
「えぇ・・そっちだっけ・・ぎゃははははは」
「あー。ガリレオってね福山雅治。眼鏡をこんな風に ツィー ってする人」
と言われて、春樹さんは眼鏡をツィーってしているようなそぶりで。
「あーもぉー・・まじめにしないなら教えてあげないし」
「あーそれそれ、春樹さん。雰囲気、福山雅治ですよ、それ」
「ありえない」
「キター。知ってる知ってる、それそれ。ぎゃははははははは」
「ほら、冗談はここまで。まじめに勉強しますよ」
「えぇ~。超まじめですよ私たち。ねぇ」
「ねぇ」
って。「どこが・・・」と春樹さんに向けてつぶやきながらカウンターに行く私。

そして。エビフィレオ2つとフィレオフィッシュとダブルチーズ。コーラ4つとポテトのMが二つ・・。どうしてこんなに思わぬ出費・・を払ってから。テーブルに持って帰ると。
「あー美樹ありがとう。いただきまーす」
って。あゆみも遥かも晴美も遠慮なくハンバーガーにかじりついて。もぐもぐしながら。
「で、こんな風に。ガリレオさんは天井のシャンデリアが揺れているのをじっと観察してたわけ。大きく揺れていても、いちにさんし、小さく揺れていても、にーにさんし。ほら。行って帰ってくる時間は同じでしょ。10秒で何往復するか測ってみて。いくよ、せーの、1、2、3、4・・・」
って、いつの間に糸と5円玉でそんな実験装置みたいなものを作って。割り込む余地がなさそうなみんなの真剣な顔。
「へぇぇ、本当だ。振れ幅が大きくても小さくても同じって、このコトなんですね」
「そう、でね、こんな風に糸を短くすると、公式のLが小さくなって。周期Tも小さな数字つまり、早くなるってことだね。ほら、早いでしょ」
「短いと早い。長くすると・・」
「長く伸ばすと、ゆっくりと振れるでしょ。これが物理法則。何人たりとも逆らうことはできない」
「へぇぇぇ。何だか春樹さんの説明だとよくわかります。つまり、5円玉が2枚になっても1枚の時と同じってことですよね。重さは関係ないんだから」
「それそれ、頭いい娘の質問だね。じゃ、実験してみようか。同じ長さの糸。はい遥ちゃん髪の毛もう一本もらえる」
「はいどうぞ。それと、5円玉2枚」
「3枚でもいいよ」
「こうして、糸の長さを同じにすると。錘の重さが3倍でも、大きく振っても小さく振っても、行って帰ってくる時間は同じでしょ。ほら」
「うぅーわ。本当だ。なんかすごいもの発見したかも」
「そして、この揺れている5円玉をよぉーく見つめると」
「よぉーく見つめると・・どうなりますか?」
「うん、よーくみつめると、君たちは、眠くなる。眠ってしまう。ほーら、もう起きることができないほど眠くなってきた・・おやすみなさい・・・」
「おやすもなさーい・・ぐぅぅぅ」
「って、眠らせてどうする気ですか」
「ちょっと・・まぁ、こんなにカワイイ女の子には、シタゴコロがさ」
「っくくくくくくく。シタゴコロだって。それって、触りたいってことですか?」
「いや・・そう、露骨に言ってる・・わけでは」
「露骨に言ってるじゃないですか。春樹さんって面白そう。えぇーなんで美樹のカレシなんですか、こんなにいい感じの人が」
「なんでって・・それは運命・・」
「じゃじゃじゃじゃーん。ですか」
「じゃじゃじゃじゃーん・・かもね。ってくくくく笑っちゃうでしょその表現」
「ぷぷぷっ。笑っちゃいますけど。あーん、うらやましぃぃぃぃ。どうして私のカレシじゃないの。あーそうだ、春樹さん、私のカレシになってくれたら。露骨なシタゴコロで触らせてあげますよ。どうですか」
「どうですかって・・・そう言うことは、そんな・・だめでしょ・・」
「って言いながら、ちょっと心が揺れてますよー。顔に書いてますよ、どうしようかなぁって」
「揺れますよ・・こんなにカワイイ女の子・・」
「あん嬉しい。私男の人に初めて言われました。わたしって、可愛いですか、アーンちょっとだけ、ちょっとだけ。春樹さんのせいですよ、今頃催眠術が効いてきちゃったかも、私」
と春樹さんの左腕に絡みついた遥・・が。
「おやすみなさい。ぐぅぅ。頭なでなでしてください」
と言ったら。本当に春樹さんは遥の頭をなでなでし始めて。私を無視したまま。
「もぉ、しょうがないな・・って。綺麗な髪だね・・サラサラのツヤツヤ」遥の髪を摘まみながら、そんなことを優しい響きで言っている。
「あぁーん・・心地いいよぉ・・あー一生このままでいたい」
「遥・・ほーらいい加減にしないと・・美樹が怒りだすから。もういいでしょ」
とあゆみは言ってくれたけど。遥かって娘はしつこく離れようとしなくて。春樹さんもまだ間抜けた顔で頭なでなでしてるし。だから、ホントにムカムカと煮えたぎってきたかも、私。
「ほーら、遥、美樹が怒るから、もうやめなさいよ」
と遥を引き離したあゆみ。とりあえずアリガトとおもったら、あゆみもニヤッとして、
「な・・ナニ?」と聞いた春樹さんがのけぞった瞬間。ぎゅっと春樹さんの胸に抱きついて。顔を上げるとその大きなあゆみのバストがぎゅぅぅっと押し当てられて。春樹さんもなにのけぞったまま、あゆみのバストを見つめているのよ。イヤラシイ。それに。
「あーん・・春樹さん・・私も今頃催眠術が効いてきました」
としがみついたままのあゆみと。
「あー、それってずるいでしょ」とあゆみをはがそうとする遥・・。
って二人で春樹さんをおもちゃにしてるかのような・・。そんな光景が私の気持ちを逆撫でして、イライラさせて、ムカムカさせて。だから、どんなに全力でも、ぶすぅっとほっぺを膨らませて。唇を尖らせるくらいしか抗議の意思を示せない私に気付いたあゆみが。
「あー・・美樹が怒ってますから、このくらいで、どうもありがと」
と私にも聞こえる声で春樹さんの耳元にささやいて。ようやく、私の春樹さんから離れた。って・・今・・私の春樹さん・・って思った? 私の春樹さん‥?
「じゃ、美樹の顔が怖いから、行こっか。春樹さんアリガト」
「行こっか。邪魔しちゃってごめんなさいね、美樹、また明日ね」
とあゆみと二人の友達さんが席を立って椅子を戻して。そして、振り返りながら離れるあゆみを目で追いながら。私のムスッとしたままの視線に気づいた春樹さんは慌てて私に振り向いて。
「あ・・相変わらずだ・・ね・・あゆみちゃん。あの髪の長い娘が遥ちゃんであのおとなしそうな娘は晴美ちゃんか。制服同じだと区別ができないかも」
とギクシャク言うけど。私は、返事するつもりはない。ただ、あゆみのバストをチラチラとニヤニヤしながら見てたこととか。あゆみのリクエストに私より先に答えてたこととか。私のコト好きって言ったなら、私だけに、バストチラチラとか、ハグされてデレデレとか、間抜けた顔でしょうがないなぁとか、頭なでなでしながらニヤニヤといやらしい顔するとか。そうしてほしいとも思うし。って弥生もそんなこと言ってたかな、と意外と冷静な気持ちで思うことをぶつぶつ考えていて。でも。
「あの・・その・・エビフィレオ・・食べる?」
と聞く春樹さんの顔をチラッと見ると、私のこの気持ちへの謝罪の色が全くない、普通の顔してるから、もっとイライラしてしまうのかな?
「じゃぁ、食べていい? 美樹ちゃんはポテトをどうぞ」
「いただきます」とでも言わないとしつこくしそうだから。一口摘まんで。でも。
「って、美樹ちゃんのおごりだけど」と言われたら。
あーそうだった・・。と思うと、予定外の出費がイライラに拍車をかけて。またほっぺが膨らんで唇が尖ってくる。そして、春樹さんと目を合わさないまま。ぶすぅっと膨らんだまま、唇を尖らせていると。
「みーき・・」と私の名前を伸ばして呼ぶ春樹さん。私をこう呼ぶときは、私を子ども扱いしてるか、私をからかう時。と思うから、視線を向ける気はまだない。
「みーき・・ナニ怒っているの」
「怒ってなんかいませんよ」
「じゃぁ、どうしてこんなに膨らんでるの。またハリセンボンみたいに」
と、私に右手を伸ばした春樹さん。左手はエビフィレオを持ったまま。がぶりとかじりながら。もぐもぐしながら。私の膨らんだほっぺを人差し指と親指で軽く挟んで ぷにぷに するから、負けないように、唇をぎゅっと閉じて、さらにぷーっと膨らんでいると。
「くくくくく」と笑い始める春樹さん。もっと強くほっぺを挟むから。ぷすぅっと唇から空気が抜けて。私の顔をゆさゆさと揺すって。
「うわー、すんごいブスな女ですね美樹さんって」
なんてことを言う。だから、ほっぺを摘ままれたまま。
「ぶしゅでわぶかっぱべすべ」と言い返したら。
「くくくくくくくくくく」と笑い続ける春樹さん。指先の力を抜いて、優しくほっぺをなでなでし始めるけど。その笑い方がもっと私をムカムカさせるから。
「やめてくださいよ、さわらないで・・」
と本気で怒ってるセリフにほっぺをなでなでするのをやめた春樹さんは。まじめな顔に戻ってふぅぅぅぅっと息を吐いてから、とがったままの私の唇に人差し指をチョンっと当てて。しばらく。より目で見つめたその人差し指は、そのまま、春樹さん、自分の唇に当ててチュッとした。
「きゃぁぁぁ・・・今のナニ・・」
「えぇーナニしたの今・・」
と小さな悲鳴が左右から聞こえて。私も、同じことを「い・・今ナニしたんですか?」と思いながら。かぁーっと顔に火が付いたような気持になってる。
「まったく、美樹ちゃんの友達さんには、美樹ちゃんよりもっと優しく親切にしてあげないと、明日学校で。ナニよあの美樹のカレシって冷たいし、なんて言われたくないから」
って、それは、ナニのどんな言い訳ですか? と言葉にできないような・・。
「美樹のカレシって、優しくてハンサムでかっこよくてスマートで面白くて、って、俺は言われたいの」
まぁ・・私も、そう言われたいですけど。
「美樹の事はいつでも優しく構ってあげられるから、パブリックな所では、美樹の友達さんを優先させます」そんなこと言われても・・。
「パブリックって何ですか?」
「はい、英語の補習だね。パブリック。Public、公共の場所、みんなの前では、俺は美樹ちゃんより、友達さんを優先させます。がまんしてください」
と普通の顔で行ってる春樹さん。あゆみや遥かにあんなにデレデレしてたことの謝罪なんて一切なさそう。だから・・。
「好きにしてください・・」
って言ってる私は、こんな場所では、私より友達を優先する意味、なんとなく解っているけど、感情が理解してくれないような・・遥の頭なでなでとか、あゆみにしがみつかれてニヤニヤとか。あゆみにあんなに親切に実験装置まで作って補習してたり。って・・そんなことでこんなにムカムカしている私って・・もしかして、小さい? とも思うかも。でも、こう言う感情を言葉でどう表現していいかなんてわからないし。どんな言葉を組み立てたらうまく表現できるか、なにも思いつかないし。それ以上にどうすれば、こんなむしゃくしゃした気持ちを落ち着かせられるのか。そんな私の今の気持ち、どうすればわかってくれるのよ。と思っても、春樹さんはくすくすと静かに笑っていて。
「みーき・・また、そんな怖い顔、浮気なんてしませんよ」
なんて言う・・けど。私がその言葉に、反射的にイラっと思いつくことは。
「私に浮気してるくせに」という私の荒ぶる感情が発する容赦のない一言。に。
「あぁ・・知美の事は・・」と慌てて反応した春樹さん。と、その名前にもっと慌てて反応する私。
「知美さんのコトは話さないでください」こんな気分の時はなおさら。聞くのも怖いし。
「あ・・うん・・それじゃ、話さないけど」
とうつむき加減の春樹さんの顔をチラチラと見ながら。春樹さんに気付かれないように気持ちを落ち着かせようと深呼吸してる私。深呼吸しながら、少しずつ冷静になりながら、そう言えば・・と思うのは。つまり、オトコの人とデートって、会ってお話しするって、いったいどんなお話すればいいの? ということかな。こんな言い争いをするつもりなんてないのに。会えることあんなに楽しみにしてたのに。会ってみたら、本当に、何から話せばいいか全くわからないし。という気持ちを、チラチラと春樹さんに念力で送っても気づいてくれそうにないし。とチラチラと春樹さんの顔に視線を向けていたら。
「美樹・・あの・・ね・・」と口を開き始めた春樹さん。を、黙ったまままだチラリチラリとしか見れない私。
「今、美樹の前にいる男は、アルバイトの先輩ではなくて、家庭教師の大学生でもなくて、年上のコックさんでもなくて、友達でも知り合いでもない」
ナニを話し始めたのですか? と思いながら顔を上げて耳を澄ませたら。
「今、美樹の前にいるのは、美樹というカワイイ女の子に恋をしてるカタヤマハルキという名前のただの男だよ」
え? なんですか急にそんなこと・・え? 私に恋をしてるカタヤマハルキと言うただの男・・と言って。それって、春樹さん、私に恋してる? 恋・・私に? そう言われたことがじんわりと心に沁み込むと、息が止まって、脚の先や手の先から、鳥肌がうわーっと首まで波打ちながら駆け上がってきて、うつむいていた目もうわーっと開いた。
「気持ちを伝える言葉の数って少なくて、こういうことは、うまく言えないけど。俺は、本当に美樹のコト好きだから、他の女の子に親切にするのはこういう場所だけだから、そんな顔しないで。弥生ちゃんにマヨネーズチュッてされた時もそんな顔したでしょ。それに、みんなのコト私と同じように親切にしてあげてくださいって言ったのは美樹ちゃんでしょ」
って・・いわれたら、なんて言い返せばいいの・・えぇ~・・何急にそんなこと話始めるのですか? それより今、春樹さん、なんて言ったの? なんかこう、テレビドラマの俳優さんのセリフみたいな。映画のプロポーズのシーンみたいな、そんな言葉だったような気がするけど。それは、どんな言葉だったのかというより。私が今感じているのは、心の奥のもっと奥まで響いてきた春樹さんの本当の気持ち? 私に恋をしてる、本当に私のコトが好きで・・そんな顔しないでって・・。そんな顔しないで? そんな顔ってどんな顔? こんな顔って、今どんな顔してるの私・・と意味不明なことをぐるぐると考え始めたら、「お互い気持ちを確かめ合うために」そんな少し前の記憶が呼び起こされて、私、確かめなければならない、春樹さんが私に恋をしてること、私のコト好きだってこと・・・。確かめる? どうやって? パニックになってる心が、何からどうすればいいか、ぐちゃぐちゃになってる気持ちをとにかく落ち着けよう。と思った時。春樹さんの優しく笑ってる顔が冷静な気持ちで見えて。春樹さん、本当は、恥ずかしそうに目を伏せて。
「照れくさいな・・年下のカワイイ女の子に、恋してる、とか、好きだなんて言うのって」
と言いながら、本当に優しい笑顔から「この気持ち、信じてほしい」と声ではない何かが聞こえて。それは、私の中のもう一人の私がささやいた声でもなくて。もしかして、今、私、春樹さんの心の声を聞いた? 春樹さんの気持ちを私確かめた? じゃ、私の気持ちを確かめてもらわなきゃならないの? 私の気持ちって? と思ったら。急に周りの景色が見えるようになって、キョロキョロしたら、店の中にいる同じ制服の女の子たちは全員私の方を向いていて。目を真ん丸に開いて、大きな耳で春樹さんの声を聞いた? だから? 私にも、ひそひそと、聞こえてくる・・声。
「うっわー・・・。どうしよう・・サブイボ出てきた」
「聞こえた・・今の」
「聞こえた・・恋をしてる男だなんて・・どんなセリフ?」
「ねぇ・・聞こえた? 今の・・」
「聞こえた‥聞こえた・・あの人、俺は本当に美樹のコト好きだから・・って言ったよね」
「コクハクだったの・・今の?」
「好きだって言われるより、恋してるって言われた方が何倍もジーンってしちゃうんだ」
「サブイボ・・サブイボ・・まだでてくる」
「うっそー・・うわー・・で・・美樹ってどう返事するの」
「私も、あんなこと言われたら、恋しちゃうでしょ・・」
そんなひそひそ話が聞こえる。それに、今、私の腕で逆立ってる産毛って、何かこう感動の余韻のはずなのに、不規則な息を意識しながら、目の玉だけ動かしてキョロキョロすると。いつの間にかBGMが途切れて静まり返っているお店の中、周りのみんなの耳が私たちに集中しすぎて、ものすごく大きな耳になっているような・・どうしてこんなに注目されなきゃならないのよ・・。と思っていることに春樹さんも気づいた? くすっと笑う春樹さん。
「なんだか・・ここって・・ギャラリーが多いかな?」
「ぎゃらりー?」
「ギャラリー。Galleryは観客のコト。ゴルフの試合を見てる人の事を言うのかな?」
「観客・・ギャラリー・・確かに多いですね」
だから。メールで、場所、変わりましょうって言ったのに。
「食べたら、その辺ぶらぶらしようか」
「はい・・」
って、何の話してたっけ・・さっきは、私に恋してるとか、私のコト好きだよって、そんな感動的な話だったはずなのに。今は普通の顔で、何でもない。「その辺ぶらぶらしようか」って・・話になってる。どうつなげればいいのコレ。って何も言えないでいると。
「美樹ちゃん、最近言葉数が増えたかなって思っていたけど、まだまだ、うん、か、ううんってするんですね。勉強って、気持ちを言葉で伝えるためにするもの。ガリレオさんは振り子の動きはこうですよって、こういう計算式で表現したけど。美樹ちゃんは、私の気持ちはこうですよって。こんな顔芸で表現してる」
と変な顔する春樹さん。ほっぺを膨らませて、唇を尖らせて、それって私の真似ですか? と思ったら。
「美樹ちゃんの喜んでいるときの顔色と、機嫌悪いときの顔色はわかるようになったから、もう少しこう、どんな風に嬉しいのか、どんなことで機嫌が悪いのか、本をたくさん読んで、映画を見て、あの人はこんな時にあんなセリフで伝えたね。ってことをたくさん知ってください。今日の補習のメインテーマ」
って、そんなこと言われても・・よくわからないし、本読んてとか映画見てとか、あの人はこんな時にあんなセリフでとか。そんな経験もないし。そんな経験・・春樹さんはさせてくれますか? と思いながら顔を上げたら。
「よくわからないか、本を読んでとか、映画見てとか、あの人はこんな時にこんなセリフでとか、美樹ちゃんが、これから経験することなのか、それとも、俺が経験させてあげることなのか」
って・・どうしたの?・・私が今思ったことをどうしてこんなに正確にリピートできるの? もしかして、今、私たち、本当に心が通じてる?
「少しは俺の気持ち確かめてくれたかな?」と周りに聞こえないように顔を近づけて小さな声で私につぶやいた春樹さん。そのまま。周りに聞こえないように小さな声で。
「お互いの気持ちを確かめ合うために・・って言ったでしょ。付き合ってみないかって」
そう言うから。うん・・とだけうなずいた私は今、気持ちが昂りすぎている、と春樹さんの言葉を真似すれば、そう表現できるのかな? 言葉を組み立てられるような冷静さなんてないし、そもそもどんな言葉でなら今の気持ちがこの人に伝わるのだろう。って必死で何かそんな言葉を探している脳が熱くなってくる実感もする。そんな私をじっと見ている春樹さん。あっ・・とつぶやいて。
「えっ・・」と思ったら。
「・・・もしかして・・トイレ?」
ってことを聞くから。何だか頭の中ものすごい勢いで目まぐるしくぐるぐるしていた感情が突然画面が消えたスマホのように・・。真っ暗になって。えっ? トイレ?
「遠慮しないで・・気がつかなくてごめん・・」と申し訳なさそうな春樹さんの顔。
まぁ・・もっと・・どう言えばいいのかわからなくなって。とりあえず、最後のポテトを摘まんで口に入れてもぐもぐしながら。
「食べたから、ぶらぶらしましょ・・」とポテトの油を紙ナプキンで拭き取りながら席を立つと。
「トイレは?」と聞く春樹さんに。
「歩きながら探します」と声が大きくなってしまうのは・・私・・今・・何かに感動していたよね、なのにあれから数秒後の今は・・トイレ・・の3文字で頭の中がいっぱい、ナニに感動していたのかを思い出せないことが・・その・・春樹さんの言葉を真似すれば・・どう表現していいかわからなくて。ナニコレ・・アレだアレ。起きたら忘れる夢の中の出来事・・だった? それとも、恥ずかしいから早くこの場所から離れたい? どうして恥ずかしいの? みんな見てるから? 現実であってほしくない・・と思ってる? 今の、春樹さんのセリフとか全部。なんだか、ものすごいギャップが・・ナニに感動してたの私、どうして今、こんなに幻滅してるの私、そんな支離滅裂な言い訳をぐるぐると思いながら。
「・・・・・・・・・」
無言で椅子を戻して。とりあえず、トイレの標識を探した。
「あっちかな・・」と座ったままいう春樹さんに。
「見えますよ」とぼやいて。
別にトイレに行きたいわけじゃないけど。行くしかないでしょ・・。って。とうして、周りのみんなも私の気持ちを逆撫でするかのように、そんなにジロジロ見なくていいでしょ。私ではなくて・・。
「あ・・ちょっと待って、美樹ちゃん・・」
と、席を立って、椅子を仕舞って、私を追いかける春樹さんの間抜けた顔・・・なんて。あーもぅ・・そんなにジロジロ見られたら、私・・トイレに行きたいのではなくて・・・そうだ、言葉で表現すれば、私は今 「トイレに逃げ込みたい」 ダッシュして。

でも、逃げ込んだトイレにある大きな鏡に映る私と目が合うと。鏡の中の私がニヤニヤと私に話しかけているような気持になって。慌ててそんな私から視線を反らそうとうつむいたら。
「照れくさいな・・年下のカワイイ女の子に、恋してる、とか、好きだなんて言うのって」
と恥ずかしそうに言ってた春樹さんの顔が思い浮かんで。だから、慌てて顔を上げたら。鏡の中の私が、もっとニヤニヤしながら。
「春樹さん、美樹に恋してるんだって。美樹のコト好きだってはっきり言ってくれたじゃない。ちゃんと答えてあげなきゃ」
なんて言ってるみたい。
「なんて答えればいいの?」
と本当につぶやいたら。鏡の中の私も黙ってしまって。そう言えば私、春樹さんに、私も春樹さんのコト好きですって言ったこと・・あるけど、そう言ったあの日は、俺には知美がいるからって言葉て振られたでしょ。アレって・・ほんのひと月ほど前の話なのに、今は、春樹さん。
「照れくさいな・・年下のカワイイ女の子に、恋してる、とか、好きだなんて言うのって」
あんな心の奥まで響いた優しい声、嬉しすぎる感情と同じくらい、本当に信じていいのかな、という不安もある。と思った時・・あなたって・・逃げ出すための言い訳を探してるの・・と思ったら、鏡の中の私が目を反らした気がして。逃げ出すための言い訳を探してる。逃げ出す? 何から? 春樹さんの気持ちから? 私の未体験から? 頭の中がパンクしてしまいそうで、気持が悪い、いろいろな想いがぐるぐるして、でも。
「お互いの気持ちを確かめ合うために・・って言ったでしょ」
私は春樹さんの気持ちを確かめた? どうすれば確かめられる? 言葉を信じるしか確かめようはないはず? 私、信じるの? 春樹さんの言葉を。あんなに恥ずかしそうに言ったから? あれば絶対、本当に本当の気持ち。を私は確かめた? 確かめたと思うことが怖い? どうして? 私、好きなんでしょ、春樹さんのコト。だったら、春樹さんも私に恋してて、私のコト本当に好きで。だったら。あしらわずに、はねつけずに、うんって受け入れてあげれば、その次は・・。
「こそこそえっちしてもいいから」なんて知美さんの声がどうしてこんなに大きく聞こえるのだろう? それに。
「本当に、それ、確かめたの? どうやって?」って言うのは弥生・・あっそうだ、本借りた時、そんなこと話した。どうすれば、あんなことを言った春樹さんの本当の気持ちを確かめることができるの。私に恋してる、私のコトが好き。本当ですか? 知美さんのコトはどうするのですか? 知美さんの話はしないでって言ったのは私でしょ。って、鏡の中の私とそんな押し問答をしても、鏡の中の私は答えてくれなくて。とりあえず、
深呼吸、大きく息を吸って、止めて、ゆっくりと吐く。この呼吸方法は、あの時の呼吸方法。あの時の・・あの時の・・私、また、自動的にそんなことを思い出してる。
「ほら、美樹ちゃん、しっかりして、あしらって、はねつけて、でも、受け入れてあげたり、こそこそエッチしてもいいから」
っていつの間にか、鏡に映っている知美さんがくすくすと笑ってる。
「確かめ合うために? するのですか」と聞いてみたら。
「ものすごく長い時間あの子の口を吸ってあげてた、その時、あぁこの子がやっぱりそうなんだなって思ったの」
「やっぱりそうって・・」
「この子が運命の男なんだっていう確信」
「運命・・・ですか、確信ですか」
そんなことを思い出して、あの時の会話をリピートしながらつぶやいてる私・・はっと気が付いて見つめた鏡の中には私がいて。今のって、だいぶ前に知美さんと話し込んだ時に聞いた、知美さんと春樹さんの物語。もしかして・・コレ? つまり。私たち。
「キスをしたら確かめられる?」
そう思いついた瞬間、私の心がものすごく静まったような気がした。キスをしたら・・キス・・って。春樹さんとは、するめ味のファーストキスは・・あれはキスなんかじゃないでしょ、ただの事故。家出したときも、キスはなかったよね・・裸で抱き合ったかもしれないけど、エッチみたいなことしたかもしれないけど・・蹴っ飛ばして未遂だったあの時も、間違いなくキスはしなかった。
「そうか・・」
とナニかに気付いた私。私たち、キスがまだだから、確かめ合えていないんだ。お互いの気持ち、どんなに言葉が行き交っても、私と春樹さん、つまり、女と男の間に行き交う本当の気持ちは、キスをしないと確かめ合うことができない・・。鏡の中の私がそんな確信に満ちてた顔をしていて。何かを決意している。とりあえず、手を洗って、濡れた手でほっぺをぺちぺちと湿らせると冷たくて気持ちイイ。それに、こんなに火照ったほっぺを冷ますと。
「こそこそとえっち・・」なんてことはまだ無理。だけど。
「付き合ってみないか、お互いの気持ちを確かめ合うために」
そういう事だ。お互いの気持ちは、きっと、キスをすれば確かめられる。だったら。この後・・春樹さんと、キスしてみる? でも、どうやって・・私から? ・・映画とかドラマとか少女漫画みたいに、爪先立で背伸びして、目を閉じて、でも、キスしたときどんな風に確かめられるのだろう。何かが聞こえるのかな、何かを感じるのかな。想像しただけではわからない、本当にしてみないと分からないコト。そうぶつぶつ考えていた時。
「美樹ちゃん、大丈夫?」
と外から春樹さんの呼ぶ声が聞こえて。
「え・・あ・・はい、大丈夫です」
と慌てて返事してみた。そう言えば、いつまで鏡と向かい合ってるの私。とりあえず、外に出よう。キスはチャンスがあれば、爪先立で背伸びして、目を閉じて、唇をこうすればイイ・・・ちゅっ。よし・・心の準備はOK 春樹さんも、お互いの気持ちを確かめ合うためにって、だったら、そのつもりで今、私とデートしてるのだし。よし・・私は大丈夫。唾が出ないくらい喉が乾いてるけど、唇を舐めると、とりあえずしっとりとする。よし。そううなずいて外に出たら・・。私を見てニコッとする春樹さんに、私も巨大な決意を隠すようにはにかんで。すると。
「どうしたの、なにか引っかかってた?」と変なことを聞く春樹さん。
「引っかかってた・・って?」と聞き返すと。ふふんと鼻で笑いながら。
「いや・・ずいぶん長いから、出るものが途中で引っかかったのかなって思って」
出るものが・・途中で引っかかる・・出るもの・・引っかかる・・出るもの・・の意味。
「オクラとか海藻とか、ぬるぬるねばねばしたもの食べると、つるんって出るよ、試してみて」
と言いながら可笑しそうに笑っている春樹さんの顔を見て、出るもの・・なんとなく解ったけど・・私に恋してる、なんて言うから。私のコト好きだ、なんて言うから、その気持ちを確かめたくて、人生最大の勇気で、チャンスがあればキスをしてみようかと決意している女の子を前にして・・どうしてこの人、こんな話題なの? と思っている私・・今・・心臓・・動いてる? さっきまでは、体中が熱くなるほど高揚していたのに・・これって、笑い話? さっきの遥や晴美のように「ぎゃはははは」って馬鹿笑いするところ? へへっと力なく笑っても、春樹さんは普段通りの顔してて。だから・・? うわずるように出たのは。
「あの・・春樹さん・・私、今日はもう帰ります」
と言う言葉、それを、私は、冷静すぎる気持ちで声にしてる。
「帰るって・・もう? まだ・・何も・・というか、気分でも悪いの?」
「はい・・なんかこう・・春樹さんかヘンなこと言うから・・なんかこう気持ちが・・」
「ヘンなこと? あ・・出るもの・・ごめん・・下ネタはいけなかった」
いけなかった・・・はい・・いけませんけど、違います、出るものの話ではなくて。恋してるとか、好きだとか。気持ちを確かめようとしたのに・・。私の高揚しすぎた決意をどうすればいいのかわからなくなっているのです。って。今の私って気持ちを全部言葉で言い表せているかも。
「あぁ・・ごめん・・本当に気分悪くなった? どうしよう」
「いえ・・いいです・・あの・・大したことないですから、今日は帰ります。ありがとうございました」
「じゃぁ・・送ろうか」
「いえ・・また、オートバイ重いでしょ・・何回も歩かせているし、すぐそこだし、ここでいいです」
「そうか・・まぁ・・外も暗くなってきたしね・・それじゃ、また、にしようか」
「はい・・また・・」
そう言い合って、アスパのエントランスで私を見送ってくれた春樹さんに手を振って。
「あとで、メールとかするから・・」
「はい・・」
とりあえず、今日は、そう約束して・・次のスケジュールをシンクロさせずに別れた後、無意識なまま家に着いて。
「ただいま・・」と言うと。お母さんが。
「あら・・今日はヘンな時間ね、どこか寄ってたの」
と相変わらず、鋭いことを聞く。けど。
「うん・・ちょっと、あゆみたちとアスパに寄ってたの」
と、嘘ではない返事をしてる私の気持ちは静まりすぎていて。
「なんだ、春樹さんと一緒じゃなかったの」
と私の顔色にも何も感じていなさそうなお母さん。
「うん・・まぁ・・」
と力ない笑顔でつぶやいて、普通に部屋に上がりながら。今日・・何があったの? と思ってみた。
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