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未来都市での愉快な一日

1-4『Future street』

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「はい、ジン。アーンして……どう、美味しい?」
「あァ、思ったよりいける。結構しっかり味付けされてるモンなんだな。ところで──」

 カチャン、カチャンと食器と食器のこすれる音が響く。
 エイムから朝食の誘いを受けたジンの目の前には、テーブルに置かれた真っ白なまるい皿が用意されていた。
 皿の上には、ナイフとフォークで六つに等分された栄養バーが一本分。それをエイムが一切れずつ、ジンの口にフォークで運んでいる。
 独特なメニューに目を瞑れば、仲睦まじい団欒だんらんのように見えるだろう。
 しかし実際は、

「……こうやって椅子に縛り付ける必要あったか?」

 ジンは後ろ手に縛られ、両足を椅子の脚に固定された姿で食料を口に運ばれていた。
 状況の奇っ怪さでいえば、縛られて起床した朝にも引けを取らないだろう。
 エイムはジンの言葉に手を止めると、目を鋭くとがらせる。

「ナイフとフォークは武器になる。だから、わたしが食べさせないと」
「いや、そもそも栄養バーこれってその二つを使って食うモンじゃ──ングッ」

 異議を唱えるジンの口に、エイムが栄養バーの切れ端を突っ込む。
 反論の余地は、物理的に与えられない。

「これは恩返しと危機管理、その二つを両立させるための折衷案せっちゅうあん。最も安全な礼の仕方だと判断した」
「……それにしちゃあ危機管理の締める割合が高すぎね? ていうか」

 栄養バーを飲み込むジンが口を開く。

「厚意ってンなら有り難く受け取るところだが、恩返しってのはどういう意味だ? 路地裏の件なら、一晩泊めてもらってチャラになった筈だが」

 当然の疑問だった。
 ジンが路地裏でエイムを助けたことへの礼は、昨晩この家に泊めて貰うことで既に果たされている。少なくともジンはそう認識していた。
 だのに少女は、未だに恩だ礼だと口にするのだ。
 彼女の言う恩が一体何を指しているのか、皆目かいもく見当がつかないジンは首を傾げる。
 するとエイムは、信じられないと言わんばかりに目を丸くした。

「……それ、本気で言ってるの?」
「え?」
「ジンは"命を救ってもらった恩"を軽く見すぎてない?」
「……は?」

 それは意表をつく言葉だった。
 まさしく『鳩が豆鉄砲を食らった表情』と呼ぶのだろう。ジンは呆気に取られポカンと口を開ける。
 そんな彼の口に再び栄養バーを突っ込みながら、エイムは続ける。

「死は不可逆なもの。一度失ったら戻らない。それをくさずに済んだのはジンが助けてくれたから。だから"それに見合った恩"を返さないと、わたしが納得できない。少なくとも一晩泊めた程度じゃ帳消しにならないと思ってる」
「……なるほど、それがお前さんの流儀りゅうぎってやつか。随分と難儀な性分しょうぶんしてやがる、悪い大人に騙されたりしないか心配になってきたよ」

 彼女の言い分に、ジンは呆れるように首を横に振った。
 当然だ。旅人である彼からすれば、それはあまりに甘く、浅薄せんぱくで、危険な思考なのだから。
 恩義とは、言い換えれば弱みにもなりえる。相手が満足な礼を受けたと思っているのなら、わざわざ自分から引き合いに出すメリットは何一つない。
 なのに彼女が敢えて口にしたのは、愚直ぐちょくなまでの誠実さ故か。
 仮に旅にでも出ようものなら、まず間違いなく食い物にされる人種だ。
 ジンは呆れを通り越し、心配すらしてしまう。
 しかし、その実エイムの内情は思いの外したたかなものだった。

「でも犯罪の協力だったり、そうでなくても身を危険に晒すお願いはダメ。その場合、ジンもあの男たちの仲間として扱わなくちゃならなくなる。具体的には──」
「その拳銃でバンッ……と」

 途端、ジンは表情を固めて頬を引き攣らせた。
 エイムの発言自体は『わたしが納得するまで、あなたの望みに応えたい』という献身的なものに聞こえるだろう。
 だが実際は『頼みごとには気を付けろ。まだ死にたくはないだろう?』という見方が正しい。
 そんなエイムの真意に気付いたジンは、乾いた笑声を上げると今度は首を縦に振った。

「ハハハ……了解した。そういうことなら、お前さんが納得いく範囲で頼りにさせてもらうさ。といっても正直、宿も飯も貰ったばっかで今さら頼みたいことなんて……いや、それなら」
「あ、言い忘れていたけどお金もダメ。わたし、そんなに手持ちがある訳じゃないから」
「いくら旅人でも子供から巻き上げるほど落ちぶれちゃいねェよ! そうじゃなくて──」

 ジンの頼みが金銭に関わるものだと思ったのだろう。エイムはジンの発言に声を被せて申し訳なさそうに目を逸らす。
 そんな思い込みを全力で否定しながら、彼は真剣な声色で言った。

「昨晩、お前さんが追われていた理由を訊いてもいいか? 大方、例のアタッシュケースが原因なんだろうが」
「……っ」

 それは、決して無視できない疑問だった。
 そもそも真夜中に未成年の少女が出歩き、あまつさえ路地裏で二人の男に追われているという状況が異常なのだ。
 それも、ただ追われていただけではない。明確な殺意を持って、あの男たちはエイムを狙っていた。
 そこに偶然とはいえ巻き込まれたのだ。彼にも経緯いきさつを知る権利はある。
 しかし話題を振った次の瞬間、エイムはたちまち雰囲気を一変させ、覚悟を問い掛けるように口を開いた。

「どうしても知りたいなら話す。約束だから。……けど、その前に忠告させて」
「どうやら只事ただごとじゃないらしいな。忠告ってのは?」
「端的に言って、これを話したらジンも無関係ではいられなくなる。最悪、四六時中命を狙われ続ける可能性も──」
「よし、この話は終わりにしよう。ハイ! やめやめ!」

 途端、ジンは声を張り上げてエイムの言葉を遮った。
 彼の旅人としての本能が囁いたのだ、『厄介事に首を突っ込むな』と。
 疑問はある、興味もある。
 しかし好奇心は猫をも殺すという言葉がある通り、余計な探求心は時として予期せぬ危険をもたらしかねない。
 右も左も分からない環境に於いて、それはより致命的となり得る。
 故に、

「なら、代わりにこの都市を案内してくれないか?」
「案内?」

 右も左も分からないなら、これから知っていけばいい。
 元来、見ず知らずの国を訪れた旅人が真っ先に行うべきことは、情報収集に他ならないのだから。
 そして運良く彼の目の前には、情報を集める上で最も適した人物──現地人がいる。
 この好機を逃す手はなかった。

「知っての通り、儂は旅人だ。今まで、それなりの数の国を渡り歩いてきた。だが、これだけ発展した国は他に見たことが無ェ。正直なところ、まるで"未来都市"にでも迷い込んだみたいで旅のノウハウがどこまで通用するのか想像もつかねェんだ。だから案内を頼みたい」
「そういうことなら、わかった」

 ジンの内情を察してか、あるいは恩義消化の一助としてか。
 頷くエイムは素早く食器を片付けると、昨晩着ていたジャケットに袖を通す。
 そして肩掛けカバンに荷物を詰め込み、腰に拳銃を納めるホルスターを巻いたところで、ようやくジンの後ろ手を解いた。
 「足のロープは自分で解いて」とジンに告げ再び銃口を向けるが、もはや彼女に敵意は無い。
 その証拠に彼女の指は、引き金に掛かっていなかった。
 やがて二人は場所を変え、玄関に立つ。
 エイムは靴箱と傘立てから刀と風呂敷包みを取り出すと、その場でジン渡す。
 そして玄関の扉を開き、振り向き様に言った。

「おいで、ジン。わたしが、未来都市の歩き方を教えてあげる」


※ ※ ※ ※ ※


「当たり前っちゃ当たり前なんだが、昨晩とはエライ違いだな」

 首をせわしなく動かすジンは、そう口にせずにはいられなかった。
 視界に映るのは、溢れんばかりに往来おうらいを行き交う人、人、人。
 見上げれば、天をくように並び建つ摩天楼。
 ビルとビルの谷間にある6車線の幹線道路には、浮遊する自動車が止めどなく流れていく。

 彼がエイムに案内されたのは、アパートを出てから一時間ほど歩いた場所にあるビル街だった。
 その活気は盛んで、ジンは初めて都会に出た田舎者ように視線を彷徨さまよわせる。
 その横で、共に歩道を歩くエイムが呆れるように言った。

「あんまりキョロキョロしないで。わたしまで落ち着かない」
「仕方ないだろ、見たことないモンばっかりなんだから」

 エイムにたしなめられるが、それは無理な相談だった。
 ジンがオアシスに足を踏み入れて、まだ一日と経っていない。そんな彼の好奇心に、この都市は濁流のごとく刺激の波を起こし続けるのだ。
 首振りが止まないジンの瞳には、オモチャ屋ではしゃぐ子供のような興奮と期待が入り交じる。
 やがて眺めているだけでは飽きたらず、目についた物を片っ端からエイムに問い掛けていた。

「なァ、あの飛んでる箱みたいのはなんだ?」
「配達用ドローンだよ。荷物を配送中の中型機だね」
「じゃあ、あれは?」
「モノレール。オアシスを一周する環状線」
「なら──。あれは──。これは──」
「消火栓。立体映像看板ホログラムパネル。自立式自動清掃機」

 ジンの質問に、エイムはつつがなく答える。
 その様はさながら、喋れるようなった幼児とそれに付き合う母親のようだった。

 そんなこんなで二人が都市を回っている間に、気付けば時刻は正午に迫っていた。
 エイムは、ふと何かを思い出すようにポケットから板状の薄い道具を取り出す。
 道具は手帳ほどの大きさで、片面には液晶のモニターが付いている。
 当然、ジンの興味はそれに移った。

「それは?」
「携帯型多機能端末『スマートコール』。略して"スマコ"っていうんだけど……ジンは電話って知ってる?」
「あァ、それくらいは分かるぞ。儂の故郷にも、ダイヤル式の黒いやつがあった」
「ダイヤル式……? まあ、分かるならいい。一言でいうと、電話をはじめとした様々な機能を持つ携帯型万能デバイス。通話は勿論、料金の支払いや情報の検索なんかもできる、オアシスで暮らす上でのマストアイテムだよ」

 エイムは、ジンにスマコの画面を向ける。画面内には水色のスクリーンを背景に、六つの四角いアイコンが並んでいた。
 エイムの説明に頷きながら、画面を凝視ぎょうしするジンは呟く。

「万能デバイスかァ。なァ、これって旅人は入手できるのか?」
「専門のショップで販売しているから、購入すれば誰でも所持できるよ。……流石に買ってあげられるほど安くないよ」
「別に強請ねだる気はねェよ。ただ出国の間際に大量に買い込んだあと他国で売っ払えば、一攫千金も夢じゃねェと思っただけだ」

 ジットリとした視線を向けてくるエイムを手で制しながら、ジンは何かをたくらむようなニヤケ顔を浮かべる。
 今、彼の脳内では、スマコを片手に札束の風呂に浸かる自身の姿がありありと浮かんでいた。
 だが、

「なに言ってるの? 出国もなにも、ジンはもうオアシスから出られないよ?」
「……へ?」

 そんなエイムの言葉に、ジンの表情は石のように固まった。
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