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未来都市での愉快な一日

1-8『便利屋アーク』

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「この場所に案内してくれないか?」
「ここって……」

 善は急げと気持ちをたかぶらせるジンは、エイムにスマコを差し出す。
 画面に映るのは、都市まち縮尺しゅくしゃく図と目的地を示す赤い点。
 場所を確認したエイムはしばらく沈黙すると、小さく溜め息をいた。

「はぁ……マーリンめ」
「どうした、エイム?」
「……ううん、なんでもない。ついてきて、ジン」

 エイムは、どこか呆れるように目を細める。まるでマーリンの思惑おもわくを察したかのように。
 その姿を、ジンは不思議そうな表情で眺める。
 エイムは視線に気付くと肩を竦めて言った。

「そこなら、すぐに案内できるから」


 ※ ※ ※ ※ ※ 


「着いたよ」
「へェ、ここが……」

 足を止めたエイムにならい、ジンもその場に立ち止まる。
 歩き始めてから二十分弱。二人がたどり着いたのは、噴水広場を抜けて道なりに進んだ場所にある、歩道のかどつ灰色のビルの前だった。
 四階建てのビルには、各階ごとに二つずつ窓が付いるものの、その全てに明かりは無い。
 壁にはいたるところに傷や汚れが目立ち、一見すると廃ビルのようなたたずまいをしていた。

「ここが情報にあった場所か……その、なんだ。独特な風情ふぜいがあるな!」
「正しくは、ここの最上階に間借りしている事務所が、だね。この建物自体は、ただの古いテナントビルだよ。ほら、入って」
「お、おゥ……」

 精一杯せいいっぱい、言葉を選んでビルの印象を語るジン。エイムは、それを無視してさっさと建物に入っていく。
 慌てて後を追うジンは、その姿にふと疑問を覚えた。

「迷わず進んで行くが、かよい馴れた場所なのか?」

 薄暗いエントランスを進み、奥の階段を昇りながらジンは呟く。
 エイムが地図を見たのは、案内のために確認をおこなった一回きり。だのに彼女は、その後一切の迷いなくジンをビルに連れてきた。
 それだけなら偶然場所を知っていただけとも考えられるだろう。
 しかし敷地内に入ってなお、彼女の歩みにはよどみが見られない。まるで日頃から通い詰めているかのように。
 そんなジンの疑問に、エイムは淡々と答えた。

「すぐ分かるよ」

 直後、ピタリと立ち止まるエイム。彼女の前には、防火扉のような材質のドアが佇んでいた。
 上がりの階段はもう無い。即ち、ここが最上階だ。
 エイムは、なんの迷いもなくドアを開く。
 そしてドアの向こうに足を踏み入れて言った。

「ここが目的地──ようこそ、ジン」
「これは、また……」

 エイムに招かれ一歩、ジンも足を踏み入れる。
 そこに広がっていたのは、事務所のような空間だった。

 入ってすぐの居間には、背を向けて鎮座ちんざする上質なかわのソファ。その前にはガラステーブルが置かれ、向かい側には再び同じソファが配置されている。
 右側の壁には数種類の銃がかざられており、その下のたなには幾何学きかがく的な形のオブジェが大量に並べられている。
 部屋の中央にはりガラスの付いた衝立ついたてが置かれ、奥を覗くことは出来ない。
 なぜか電気がいておらず、部屋の明かりは窓から差し込む光だけでまかなわれている。
 ビルの見た目をフォローするだけでも精一杯だったジンに、ポジティブなイメージを語る語彙力は残されていなかった。
 と、その時。

「あれ、エイムちゃん? この時間に来るのは珍しいですね」

 衝立の奥から、不意に若い女の声が響いた。同時に磨りガラスの向こうで影が動く。
 影は、すぐにその姿を表した。

「こんにちは、ノノさん。ちょっと用があって。社長はいる?」
「社長なら、いつものように奥の机でうなっていますよ……ところで、そちらの方は?」

 現れたのは、黒いキャリアスーツに身を包む"ノノさん"と呼ばれた女。
 歳は二十代始め頃で、背丈はジンより頭一つ低い。
 大きな瞳が特徴的な童顔で、アンダーリムの赤縁あかぶち眼鏡が彼女の魅力をより引き立たせている。
 髪は青みがかった黒色で、髪型はエイムより少し短めのボブカット。体型は全体的にスリムだが、胸部に巨大な起伏を有している。
 エイムと親しげに話す女は、エイムの背後に立つ見知らぬ男に気付くといぶかし気な視線を向ける。
 その視線を受け、ジンは名乗りを上げた。

わしはジン、旅人のサムライだ。情報屋の紹介で、雇って貰うなら此処ここだと聞いて来た」
「情報屋さん……もしかしてマーリンさんのことでしょうか? 旅人さんなんて珍しい……。ところでサムライというのは?」
「剣士を意味する異国の言葉らしい。それとジンは悪い人じゃないから、そこまで警戒しなくてもいいよ」
「な、なるほど……?」

 女は、ジンが旅人と知って目を丸くするものの、続くサムライという単語に首をかしげる。
 そんな彼女の反応は想定済みだったのだろう。エイムはサムライの意味とジンの人となりについてに簡潔に説明した。
 女は困惑を残すものの、ひとまず頷いて自身も名乗る。

「私はノノ。ここ『便利屋べんりやアーク』で経理を担当しています」
「便利屋、アーク……?」
「はい。……あの、まさかとは思うのですが、何も知らずにいらっしゃったなんてことは……」

 女──ノノは自己紹介をまじえながら、便利屋アークについて案内を始めようとする。
 しかし疑問系で呟くジンの言葉を耳にした途端、彼女の胸中に不穏な違和感がよぎった。
 まさかと思いながらも、確認のためジンに尋ねる。
 すると、

「おう、こちとらり好み出来る立場じゃねェからな。わらにもすがる思いでやって来た」
「そ、そうなんですか……。でしたら、まずは説明を──」

 胸を張って大きく頷くジン。
 一方ノノは、少し引き気味に相槌あいづちを打った。
 まさか職種はおろか、雇用予定先の名前すら把握しないまま訪ねて来るとは考えもしなかったのだろう。
 とはいえ外部の人間たびびとがオアシスで職を手にすることがどれだけ困難なことか、住人である彼女は充分に理解している。
 ノノはしばらく逡巡するものの、最後は納得したように説明を始めようとした。
 その時、

「必要ねえ。面接するまでなく、その男は不採用だ」

 衝立の奥から、不意に野太い声が上がった。
 現れたのは、サングラスを掛けた筋骨粒々きんこつりゅうりゅうの大男。
 歳は五十代なかば頃、背丈はジンより頭半分ほど高く真っ白な髪をオールバックにまとめている。
 シワだらけの白いワイシャツはボタンがだらしなくほつれ、デニムパンツのサスペンダーでどうにか見た目の体裁ていさいを保っている状態だった。

「し、社長!」
「社長ってことはつまり、ここのお偉いさんってわけか」

 途端、ジンに緊張が走った。
 社長とはすなわち、組織の最高権力者にして頂点。生殺与奪は、この男が握っているといっても過言ではない。
 そんなジンの緊張を他所よそに、男──社長は眉をしかめるとウンザリした口調で言った。

「ウチの経営は絶賛火の車だ。それも半年以上前からな。今のアークに人を増やす余裕はねぇ」
「……」

 その一言で、事務所に沈黙が流れた。
 誰も、何も言えない。ノノはアタフタしながら社長とジンを交互に見やり、エイムは静かに黙り込み、ジンは絶望するように手で顔を覆いながら俯いている。

「だいたい何だ、その身形みなりは。雇って欲しいなら最低限の身だしなみは整えてこい。せめて髪と髭だけでもどうにかしろ」
「ぐっ……」

 その上、追撃ついげきとばかりに続く至極まっとうな指摘。
 確かに無精髭ぶしょうひげは伸びっぱなし、髪は後ろ結びにたばねただけという格好では、雇われに来た身として不相応ふそうおうちであることはいなめない。
 人を雇う余裕が無いという状況を抜きにしても、雇用は厳しいと言わざるを得ないだろう。
 しかし、そう言われて簡単に引き下がる程、旅人は聞き分けの良い生き物ではない。

「……それはつまり、見栄みばえをどうにかすりゃ一考いっこう余地よちはあるってことか?」

 指摘を受けて黙り込んでいたジン。しかし数秒ほど何かを考えるような仕草をすると、意を決したように口を開く。
 そしておもむろに腰の鞘へ手を伸ばすと、ゆっくりと刀を抜いた。

「……あ? おい待て、それで何を──」
「待って、ジン……!」
「……?」

 ジンの突飛な行動に、社長は困惑の声を漏らす。その傍で、エイムが焦り顔でホルスターの銃に手を掛けた。ノノは状況の理解すら追い付いていない。
 一方ジンは、ゆっくり刀を持ち上げると、そのさきを"自身の顔"に向ける。
 刹那せつな

「ふっ──!」

 意気込むような一息。次の瞬間、彼は凄まじい勢いで自身の頭部全体に刃を走らせた。
 すると見る見るうちに、髪型を始めとした頭部の輪郭が変化していく。
 そして、数秒が経過した。
 皆が呆気あっけに取られる中、ようやく手を止めたジンは、頭を掻きながらポツリと呟く。

「……こんなことに使うモンじゃねェんだがな。故郷こきょうじいさんに知れたら、間違いなく大目玉だ」
「……」

 社長はジンの奇行きこうに目を丸め、あんぐりと口を開いて言葉を詰まらせる。
 そんな中、女子二名がにわかに色めき立った。

「意外な素顔。そっちの方が全然いいよ、ジン」
「わぁー……」

 表情の変化こそ見られないものの、満足そうに親指を立てるエイム。その隣では、ノノが口許くちもとを両手で隠しながらかすかに頬を赤らめている。
 二人の視線の先には、髭をり落とし、綺麗に髪を切り揃えたジンの姿。
 それまでの浮浪者ぜんとした見た目ではない。その容姿に対する評価は、彼女たちの反応から充分にし量れるだろう。
 そんな女子二名の黄色い空気に当てられたのか、唖然としていた社長も気を取り戻す。
 そして頭痛をこらえるように指で目頭めがしらおさえると、疲れきった声でエイムに尋ねた。

「おいエイム。あの訳の分からん男は、どこで拾ってきた? お前とどういう関係なんだ?」
「昨晩、路地裏で色々あって。わたしの命の恩人だよ」
「命の恩人……ん? ちょっと待て。お前、昨日の晩、何してやがった?」
「……しまった」

 社長に問われ、エイムはどこか誇らしげにジンについて語る。
 しかし彼女が語る最中さなか、聞き逃せない単語が含まれていたことに社長は気付いた。
 人は、それを失言と呼ぶのだろう。途端エイムは口をつぐむと目を泳がせ社長から顔を反らす。しかし追及は止まらない。

「おいコラ黙るな説明しろ。命の恩人ってのはどういう意味だ? 昨晩、なんで路地裏なんかにいた?」
「……黙秘権を行使する」

 痺れを切らすように、社長はエイムの顔を掴んで自分へと向かせる。
 それでも尚、エイムは頑なに喋ろうとしない。
 加えて、そこにジンが参戦する。

「そういやエイム、お前さんは便利屋とどういう関係なんだ? あと社長さん、身形は整えたから面接だけでも──」
「あ? まだ居たのかテメェ。さっき不採用って伝えただろうが。それよりエイム、質問に……」
「おい待ちやがれジジィ。せっかく整えたのにそりゃ無ェだろ?」
「み、皆さん落ち着いて……」

 黙り込むエイム。詰め寄る社長。
 意地でも食い下がるジン。必死になだめようとするノノ。
 まさに混沌カオス。激化していく状況は、もはや彼らだけでは収拾しゅうしゅうのつけようが無くなっていた。
 その時、

「──失礼。便利屋アークというのは、ここで間違いありませんね?」
「あ?」
「お?」

 この場の誰でもない男の声が、不意に入り口から響いた。
 直後、その場の全員が声の方向へ振り返る。
 そこには、

「お取り込み中というのは理解しておりますが、こちらも急ぎの用件でして。仕事の依頼を申し込みに参ったのですが」

 ハンチング帽を目深まぶかにかぶった背の低い初老の男性と、その隣でタキシードを着た三十代半ばの太り気味な男の姿があった。
 ハンチング帽をかぶる男は、ブランド物と思しきチェック柄の黄色いスーツに身を包んでおり、身の振りは一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに至るまで気品に満ちている。
 そのたたずまいや丁寧な言葉遣いだけで、男が上流階級の人間だと理解するのに充分なものだった。
 であれば、その隣に立つタキシードの男は、ハンチング帽の男の従者ということなのだろう。
 そんな男達の姿を目にした途端、社長はあからさまに声のトーンを上げた。

「いえいえ、取り込み中だなんてとんでもない! 狭い事務所ですが、是非ぜひくつろぎ下さいませ」
「……!?」

 うやうやしい仕草で、社長は男を事務所のソファへと案内する。
 そこに、数秒前まで言い合いをしていた面影おもかげ欠片かけらも無い。
 あまりの変わり身の早さに言葉を失うジンは、金魚のように口を開閉かいへいしながらエイムとノノを見た。

上客VIP様がいらっしゃった時は、いつもあんな調子ですよ」
「そうでなくても、お客さんは貴重。不安定な職種の悲しいさが
「何してるお前ら。早くお客様にお茶をお出ししろ」

 ヒソヒソと小声で説明するノノとエイム。
 そんな二人に、社長は声を荒げながら指示を飛ばす。
 見れば、社長はいつの間にかシャツのボタンを全て留め、背筋をピンと伸ばし、最大限腰を低くしながら接待にいそしんでいた。

 そうして話し合いの準備を進めること、数分。
 ようやく場が整うと、客の男は神妙な面持ちで口を開いた。
 そして、その内容に誰もが息を飲む。
 すなわち、

「依頼内容は一つ。誘拐された娘を、取り戻してほしいのです」

 という、依頼する相手を間違えているのではないかと思えるものだった。
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