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未来都市での愉快な一日

幕間『都市の闇に蠢くもの』

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 見上げれば天を衝くような摩天楼まてんろう、周りを見渡せば都市まちいろどきらびやかなネオン。
 道路には通行補助つうこうほじょの映像パネルが点滅し、その案内に沿って漆黒しっこく紅色べにいろの車が通り抜ける。
 ここはメビウス区中央にあるタワーマンションや高級住宅がのきつらねる場所、通称『エリア|V.I.P.
《ブイ・アイ・ピー》』。
 V.I.P.の名が示す通り、準一級国民シルバー以上が暮らすことを許された場所、金持ちにのみ人権が与えられる場所だ。

「──はぁ、疲れた」

 そんな都市の中でも一際高ひときわたかいビルの最上階で、廊下を歩く少年はポツリと呟いた。
 目深まぶかかぶったフードは、まるで周りの風景を拒絶きょぜつしているかのよう。ブカブカのジャケットは明らかに体格と合っていない。廊下といえど豪奢ごうしゃな建物な中では、どう見ても不釣り合いなたたずまいだ。
 しかし少年は気にした風もなく歩き続け、やがて奥の部屋にたどり着く。

「やぁ、ボス。開けてほしいな」

 訪問者ほうもんしゃを映すカメラをのぞき込み、認証パネルにてのひらを当てる。直後、ピーという解錠音かいじょうんが鳴った。少年は、そのままドアを開く。
 入室してすぐ視界に映ったのは、金魚鉢きんぎょばちのような形のリビング。中央には足を伸ばして横になれるサイズのソファが置かれ、それと向かい合うようにガラステーブルと薄型テレビが配置されている。
 左右に首を振れば、バーをしたキッチンや、ベランダに続く異様な大きさの窓、中二階なかにかいに通じる階段など、とてもマンションの一部屋とは思えない空間が広がっていた。

「お前が直接顔を出すとは珍しいな──何があった」

 その時、不意にソファから声が聞こえた。
 同時に部屋の主──少年に『ボス』と呼ばれたその人物が、のそりとソファから上体を起こす。
 振り返りあらわになった顔は、"美女"という言葉がもっとも相応しい造形をしていた。
 鼻筋は彫刻ちょうこくのように整っており、まつげは長く、垂れ気味の目尻めじり妖艶ようえんな雰囲気をかもす。腰まで届く黒髪はつややかで、バスローブに隠れた胸部は激しい起伏きふくを有している。男なら誰もが一度は目を奪われるようなで立ちだ。
 少年は、そんな格好の女に肩をすくめると、ジャケットのポケットから横長の箱を取り出した。

「その前に、はい、これ。今回の戦利品」
「……」

 少年が差し出した箱、それを無言で受け取る女は躊躇ちゅうちょなく中を開ける。
 入っていたのは金色の薄いカード、この国オアシスでマネーカードと呼ばれるものだ。
 女はテーブルに置かれたスマコを拾うと、カードの裏側にあるバーコードにかざす。途端、スマコの画面に表示される『100,000,000Bビット』という数字。
 女は、それを確認するとカードをガラステーブルに放り投げ、再びソファに寝転がった。

「一億B、確認した。ご苦労だったな──それで、わざわざお前がここまで来た用件はなんだ。金の確認なら明日でも問題なかっただろう」
「トラーバに関する報告をいくつか、至急ボスの耳に入れておきたくてね」
「ハァ……話せ」

 『トラーバ』。その名前を耳にした瞬間、女は気怠けだるげな溜め息をこぼして目蓋まぶたを閉じた。
 興味ない、聞きたくない、面倒くさい。
 言葉にしなくとも、態度が明らかにそう告げている。
 それでも目の前の少年が報告の必要があると判断したからなのだろう、女は発言を促す。
 発言の許可を与えられ、少年は淡々と言った。

「じゃあ遠慮なく。まず一つ──トラーバが裏切った」
「……なに?」

 途端、女の表情が一変する。
 垂れた目尻を凶悪なまでに吊り上げ、ソファからガバリと身を起こす。
 まとう雰囲気は、疑問と苛立ち。
 「どういうことだ」と問うように、女は少年を睨み付けた。
 睨む相手を間違えてるよ、とでも言いたげな少年は肩を竦めて続ける。

「どうやら彼、今回の作戦で得た金を全額持ち逃げしようとしていたみたいだよ。幸いボスの元に届いたとはいえ、許されざる背徳行為はいとくこういだよね。ウチのメンバーにも声を掛けず、わざわざその辺のチンピラなんかを雇っていたみたいだし」
「……私の前でその報告を挙げているんだ、当然ヤツの現在地は把握しているんだろうな。すぐに案内しろ」
「モチロン、ボクもそうしたいさ。ただ、場所がちょっと厄介やっかいでね……」
「なんだ……まさか、もうメビウス区外に」

 チッ、という舌打ちの音。
 眉間みけんしわを寄せた女は、不快げに爪を噛むと何やらスマコの操作を始める。
 その様子を眺める少年は、頬を掻きながら、なんとも言い辛そうに口を開いた。

「それなんだけど……なんとトラーバ、アイギスに捕まっちゃった」
「……は?」

 再び女の表情が一変した。それも困惑の割合が非常に大きい。
 けれどヘラヘラとした少年の態度を見て、その表情に苛立ちが戻る。

「お前、ふざけているのか?」
「まさか。ボスに会う時のボクは、いつだって真剣さ」

 射殺いころせそうな程に冷徹れいてつな光を灯す女の眼光。途端、少年は慌てて首を横に振った。こんなことで殺されてはたまったものではない。
 ボクの発言は全て真実です、一切の嘘は吐きません。そんなちかいを立てるかのように両手を挙げて説明を続ける。

端的たんてきに言うと、同行していた男にコテンパンにされたんだよ。もうね、完封負け。手も足も出ないほどボッコボコ。裏切り者とはいえ、見ていて気の毒に思ったくらいだよ」
「……にわかには信じられん、あんな見た目だが実力は本物だ。……何者だ、その男とやらは」

 女はあごを摘まむと考え込むように目を閉じる。もともと低かったトラーバへの関心は、とうに失せていた。
 代わりに彼女の興味は、そのトラーバを完膚かんぷなきまでに打倒したという男に向いている。
 その反応に、少年はニコやかな微笑みを浮かべて続きを話した。

「うん、それが本題。といっても、ボクも知ってることは多くないんだけどね──」

 そう前置きして少年が語ったのは、トラーバが打倒されるまでの経緯いきさつ
 男がジンという名であること、便利屋アークなる組織から派遣はけんされたこと、そして旅人であること。
 途端、女は片目を開いて少年を見た。

「旅人?」
「うん、旅人。どうやら昨晩入国したばかりらしい。それに派遣されたといっても、非公式というか非公認というか……とにかく正規の職員という訳ではないとか、なんとか」
「……」

 『何が言いたい』と女の目が少年に問いかける。
 少年は、ニヤリと笑った。

「そんなアヤフヤな立場なら、アプローチ次第でウチに引き込める見込みもあると思わない? ちょうどトラーバが抜けた穴埋めにもなるし、ピッタリな人材だと思うな。だからこそアリーナから脱出する直前、わざわざ危険を承知で声を掛けた訳だし」
「……素性も知れない人間を引き込む気はない。だが──」

 少年のプレゼンに女が首を縦に降ることはない。けれど同時に否定も無かった。
 女は不意に立ち上がると、その場でバスローブを脱ぎ始める。
 少年の前で秘部が露になるが気にした様子はない。また、それは少年も同様だ。

「そのジンという男に興味が沸いた。近く遣いを寄越す、構成員の何名かに待機命令を出しておけ」
「了解……楽しくなってきたね。ところで今日の昼、同時多発的にやったっていう"例のアレ"、どうだった?」
「試作品の型落ちドローンにしては十二分の成果だ。メビウス区各地でアイギスが手を焼いていたよ、幾らか取りこぼしがあったぐらいにはな。これが完成品となれば、その規模は倍以上になるだろうな」
「アハハ、最高じゃん」

 少年は楽しげに言う。
 一方、女はクローゼットに向かうと着替えを始めた。
 真っ黒なコートに身を包み、顔の下半分を隠す深紅のガスマスクを被ると、窓から都市の夜景を見下ろす。
 そしてポツリと呟いた。

「プロジェクト『パンデミック』、始動の日は近い。そして、今こそ──」

 女はニヤリと笑い、コートから抜き出した銃を握る。

「『路肩の石に救いの手を、傲れる支配者に誅伐を』。」

 夜の都市に、人知れず闇がうごめき始めていた。
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