秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ

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秘花⑥

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

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 物想いに耽る乾の耳を、賢の声が打った。
「乾、心配させ済まなかった。そんなに怒らないで」
 考え事をしている間に、賢はすっかり着替えたようである。元どおりになった従兄の姿に、乾は自分が安心しているのか、落胆しているのか判らない。
 が、心の奥底を覗けば、あの初々しい裸身をもう一度見てみたいと邪な願望も確かにあった。乾の心中を知るはずもなく心配そうな賢の表情に、乾は泣きたいような気持ちになった。守ってやりたいという気持ちがむくむくと湧き起こってくる。
「大切なものを忘れてるぞ」
 乾は川原に置き去りにされた花冠を拾い、従兄の頭に乗せてやった。
「そろそろ帰ろう、幾ら何でも、皆が心配している」
 乾は賢の手を引いて歩き出した。少し離れた先方の樹に二頭の馬が繋がれている。馬は二人の間に漂う緊迫感など素知らぬ風に、のんびりと青い下草を食んでいた。
 その時。一陣の風が二人の側を駆け抜けた。川を渡ってきた風はまだわずかに冷たさを含んでいる。ちらりと傍らの賢を見ると、従兄はどこか名残惜しそうに花の群れ咲いた川原を眺めていた。
 風がかすかに白い花たちを揺らしている。
「また、すぐに来られるさ」
「うん」
 二人は手を繋いで、ゆっくりと歩いた。
 高麗の王太子は重大な秘密を抱えている。しかも、その秘密は露見すれば、国を根底から揺るがすほどのものだ。
 その時、乾も王太子もまだ十歳にすぎなかった。それでも、乾は生まれながらに過酷な宿命を背負った従兄は自分が守ると固く誓い、その日、更にその想いを強くしたのだった。

 宿命の瞬間

 賢は小さな溜息をひとつ吐いた。再度、書状にざっと眼を通し、傍らの玉爾を書類に捺す。すると、心得たように傍らの宦官がそれを受け取った。
「邸下、少しお休みになった方が良いのでは?」
 その指摘に、賢は笑った。
「そういうわけにはゆかない。まだまだ、困っている民がいるというのに、休んでいては今日中に眼が通せなくなる」
 賢は今、大きな執務机に座っている。その片隅には書状が山のように積まれていた。
「お言葉ですが、殿下がご病床に臥されている今、邸下は次の王位を継がれる大切なお身体、代わりのきかない御身にございます」
 宦官が気遣わしげに言上する。賢は主君思いの臣下に、微笑んで頷いた。
「判っている。さりながら、周緻(ジユチ)、この書状の山を見てごらん。今、僕が眼を通した陳情書には、さる地方の大きな川があまりにも度々氾濫を起こして近隣の村々は重大な被害を被っていると書いてある。それなのに、国は例年どおりの年貢の取り立てをするから、田畑を棄てて逃げる村人が後を絶たないそうだ。飢え死にする者がいるのに、それでも米を取り立てるのかと、書いてあったよ。高麗では、まだまだ生活苦に喘ぐ民がいる。なのに、僕が少しこれを読んだくらいで、いちいち休んでいて良いと思うかい?」
 賢は改めて山積した書状を見る。このすべてが民の苦痛と怨嗟の声だと思えば、日々、王宮で安穏とした暮らしに甘んじている自分が情けなかった。
 ジュチと呼ばれた若い宦官はやるせなさそうに頷いた。
「仰せのとおりです。ですが、元がまたしても使者を寄越し、送ってくる物品を増やせと催促してきていますし、国としても民の窮状は判っていても、何ともすることはできませんね」
「そのとおりだ。僕は先日も元国の皇帝陛下にそのことで嘆願の書状を送ったばかりなんだ。このまま元の言うなりになっていては、いずれ高麗は滅びてしまう」
 だが、その返事はついになかった。どころか、ひと月ほど前には、朝貢の品を倍に増やせと催促してきたばかりなのだ。
「畏れながら、元の皇帝陛下は邸下の祖父君でいらっしゃるのですから、もう少し邸下のお願いに耳を傾けて下さっても良いものかと」
 いや、と、賢は首を振る。
「それは、こちらの都合の良い考え様というものだろう。僕は正直なところ、元国の皇帝陛下が自分の血を分けた祖父だという実感はまったくないんだ。恐らく、皇帝陛下の方も同じではないかな」
 あるいは皇帝の周囲にひしめく側近たちが高麗の王太子からの嘆願書を握りつぶしている、つまり老皇帝の眼に届く前に破り捨てている可能性も大いにある。しかし、賢もジュチもその可能性は敢えて口にしなかった。
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